誰もが秀麗な建物を共有できた時代
英国のアール・デコ建築と今
1920〜40年代にかけて建設され、1955年に完成したバタシー・パワー・ステーション。アール・デコの豪華な内装、外部の堅牢なデザインは「temple of power」(電力の聖堂)と賞賛された
英国における建物の価値は、古ければ古いほど上がるとされており、新しい建物が良しとされる日本とは正反対だ。短期間で花開いたアール・デコ建築はエリアを問わず新旧さまざまな建物が立ち並ぶロンドンの街に、今もひっそりと息づいている。今回は、ロンドンを中心に英国におけるアール・デコ建築の歴史と現存する建物、その保存法について調べてみた。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.english-heritage.org.uk, www-purcelluk-com, historicengland.org.uk, www.telegraph.co.uk, www.theguardian.com ほか
目次
多様なデザインのアール・デコ
「アール・デコ」という言葉は頻繁に聞かれるワードだが、歴史の表舞台に登場し、世間をにぎわせたのは1910~30年代の30年余りと意外にも短い。しかしながら、これほどまでに知られているのは、いくつかの理由がある。まず、アール・デコが当時の米国、欧州地域の建築分野における新しい時代の象徴だったこと、アール・デコという単一のデザインは存在せず、異彩を放つさまざまなスタイルの総称だったため、我々が思うはるかに広い定義で人々に知れ渡っていたこと、そして建築のみならず家具やジュエリー、ファッション、自動車、公共交通機関など日常のあらゆるものに同様式が使われていたことが挙げられる。
19世紀末から20世紀初頭にかけて流行したアール・ヌーヴォー様式の建築から、よりモダンなデザインのアール・デコ様式へ移行が始まったのが第一次世界大戦ごろ。アール・デコは、1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会「Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes」の名称にちなんで「Art Déco」と呼ばれるようになり、米国や欧州を中心に広がっていった。「装飾美術」という意味の略語の通り、そのデザインは大まかに直線的、幾何学的、合理的なデザインが特徴。植物をモチーフにした、曲線的なアール・ヌーヴォーから離れ、当時の最新の土木時術を駆使し、鉄筋コンクリートを使った大規模な建物が作られていった。代表的な作品は、米ニューヨークのクライスラー・ビルディグやエンパイア・ステート・ビルディング、仏パリのシャンゼリゼ劇場などがある。
1930年に完成した米ニューヨークのクライスラー・ビルディング
未来を象徴する海辺の建築の盛衰
英国でのアール・デコ建築は1920~30年代にかけて、全土に広がりをみせた。アール・デコの基本コンセプトである「体積の大きさ、スペースの広さ」は特に海辺の商業施設に反映され、大きく開いたエントランス、開放的なルーフ・テラス、大きなガラス窓など、それまでの建築物になかった外部との広い接点を持つモダニズム建築として、実に多くの施設が誕生した。このときの英国は、第一次世界大戦が終結し、戦争には勝利したものの時代のムードとしては「再編」のとき。また、中産階級という新たな社会階級が生まれ、勢いを伸ばしていた時代でもあった。
ヴィクトリア朝時代の建物が多く残るなか、1930年代には、ライド(屋外プール)、パヴィリオン、ホテルなど娯楽にまつわる施設が続々と建設される。市井の人々は建物を通じて来たる明るい未来を想像し、そして高揚感をもってこれらの建物を歓迎した。
しかしながら、アール・デコのかじ取り役であった米国で世界恐慌が起こり、アール・デコの象徴であったモダニズムが1930年代から第二次世界大戦勃発前に衰退。一方英国ではそのような風潮に加え、観光施設でもあった海辺の施設が後に経営難に陥ったり、飛び込み台の高さや強度、プールの水深など時代によって厳しくなる安全上の都合から、改修工事または取り壊しを余儀なくされたりなどで、じりじりと姿を消していくことになる。
かつて英東部スカボローにあったノース・ベイ・バスィング・プール。2007年に閉鎖された後、住宅地用の道路を作るために取り壊されてしまった
コミュニティーに欠かせないデザイン
同時期のロンドンでも、商業施設や工場のデザイン、地下鉄、などさまざまなタイプの建物に同デザインが利用された。現在アール・デコ建築のGrade II* に指定されている1933年に作られたフーヴァー・ビルディング(Hoover Building)や、Grade IIに指定の1936年ごろに完成したリポールツ・ファクトリー(Ripaults Factory)、Grade II* のバタシー・パワー・ステーション(Battersea Power Station)など、当初の使い方ではなくなったり、オーナーが変わったりしても、何かしらの形で利用され、現存する建物は非常に多い。
前述のライドもそうだが、アール・デコ建築の大きな特徴は誰もが利用できる施設に多用されたデザインであったこと。映画館やシアターなど娯楽施設にデザイン性が加わることで、建物があるエリアの文化的要素もまた深めていき、人々に広く愛された。
ここではロンドン北部を中心にいくつかの有名な建物をみてみよう。
リポールツ・ファクトリーは現在工務店の店舗として使われている
映画館
PHOENIX CINEMA
Grade IIに指定されている、イースト・フィンチリーにある現役のコミュニティー・シネマ。1910年に建てられ、30年代にアール・デコ様式に再建された貴重な建物だ。外観のバルコニー、内装の装飾パネルなど美しいパーツが数多く残されている。
52 High Road N2 9PJ
地下鉄East Finchley駅
映画館
Everyman Barnet
現役の「エブリマン」系列の映画館で、Grade IIに指定されている。1930年代オープン当時はオデオン・シネマとして営業されていた。小規模ながら大理石の柱とバルコニー付きの豪奢なデザインで、かつてのチケット売り場など、当時の面影が残されている。
Great North Road EN5 1AB
地下鉄High Barnet駅
地下鉄駅
OAKWOOD UNDERGROUND STATION
1933年に開業したピカデリー線の駅。ロンドン地下鉄の駅舎デザインを担当したチャールズ・ホールデンによるもので、ホールは2階分の高さをもつ立方体を二つ横に並べた「ダブル・キューブ」と呼ばれる古典的なデザインが採用されている。
London N14 4UT
地下鉄Oakwood駅
映画館
GAUMONT STATE CINEMA
1937年にオープンした映画館。建設当時、英国で最大の映画館であり、4004席の収容人数を誇った。120フィート(約36メートル)の高層タワーが特徴で、現在は建物の一部が宗教施設、コミュニティー・センターとして使用されている。
197 Kilburn High Road NW6 7HY
オーバーグラウンドKilburn High Road/Brondesbury駅
住居
THE WHITE HOUSE
保健省(the Ministry of Health)の建築部門で働いていたチャールズ・エヴェリン・シモンズによって設計された6ベッドルームの住居。Grade II指定の建物は、カーブを描く窓が特徴。1930年代当時に作られた一般住居にしてはかなり大きかった。
72 Downage NW4 1HP
地下鉄Colindale/Mill Hill East駅
企業
DAILY TELEGRAPH BUILDING
1928年完成のビルで、現在はゴールドマンサックス銀行が所有している元デーリー・テレグラフの社屋。ポートランド・ストーンで作られた8階建ての建物は、アール・デコと崇高美を備えた新古典主義建築のデザインで、中央の大きな時計が印象的。
141 Fleet Street EC4A 2BJ
ナショナル・レールCity Thameslink駅
建築を守る仕組み
幸運にも現代まで生き残った建物が見られるロンドンだが、建物が本来の役目を終えてもその土地に残していきたい場合、近隣住民からの熱い声援だけでは到底不可能だ。英国には国にとって重要だと見なされた場合、建物を法律で守る「Listed Building」(指定建造物)という仕組みがある。これはモニュメント、橋などにも適応され、建物に限らない。
イングランド地域では政府の後援で活動している団体、ヒストリック・イングランド(Historic England、公式名はイングランド歴史的建造物・記念物委員会Historic Buildings and Monuments Commission for England)が、政府から地区のカウンシルに助言することにより、歴史的景観を守っている。現在の包括的なシステムは第二次世界大戦後に整えられたため、これ以前の貴重な遺産は残念ながら失われてしまっているケースも多い。登録方法はヒストリック・イングランドを通じて膨大な情報を書き込む必要書類をオンラインで提出し、審議されたのちデジタル・文化・メディア・スポーツ省の閣僚によって右記のように分けられる。
これらのプロセスを担当するのは、ヒストリック・イングランドだが、実際の管理は地方自治体に委ねられている。建物の申請には「1948年以前に建てられている」「現役で使用されていなければならない」「指定された建物は建物の解体、拡張、改修、また備品一つにいたるまで一切の変更は許されない」「勝手に工事を行った場合刑事犯罪扱いになる」など厳しい条件があり、リスト化されてもその後の管理は大変だ。
Grade I
buildings of exceptional interest(非常に重要性の高い建物)
Grade II*
particularly important buildings of more than special interest(特別重要度のあるもの以上の特に重要な建物)
Grade II
buildings that are of special interest, warranting every effort to preserve them.
(特別重要な建物で、それらを保存するためのあらゆる努力が必要)
アール・デコと親和したエジプトのデザイン
EGYPTIAN REVIVAL ARCHITECTURE(エジプトの復活建築)の秘密
アール・デコ建築の用と美を追求した幾何学的なデザインは、キュビズム、セルゲイ・ディアギレフの舞台芸術など、国・形を問わずあらゆる芸術の一端が多層的に合わさってできたとされている。少々捉えにくいアール・デコの概念だが、ここではそのなから古代エジプトのイメージを建築デザインに落とし込んだエジプトの復活建築について紹介してみたい。
リバイバルの「リバイバル」
エジプトの復活建築はその名の通り、古代エジプトの建物やイメージからインスパイアされた建築デザインのこと。このリバイバルは、アール・デコ様式が生まれる以前の18世紀、ナポレオンのエジプト遠征によって正確な建物や遺産の記録が入手できるようになったことからすでに一度欧州地域で流行し、墓地や記念碑に使われたデザインだった。その後19世紀を境にエジプト・ブームは去り、表舞台に出てこなかったが、1922年にツタンカーメンの墓が発見されたことで、発掘された数多くの装飾品が世間の目に触れることになる。その美しさはもちろん神秘性からも、古代エジプトをモチーフにしたデザインは再び世間から脚光を浴びることになった。
ロンドン北部イズリントンのエセックス・ロードにあるカールトン・シネマ(1930年オープン)。外装、ロビーはエジプト風の装飾が施されている
エジプトの装飾美術とアール・デコの相性の良さ
建物や作品のスペースに何らかの装飾を敷き詰める、というエジプトの装飾芸術は、アール・デコの「一定のパターンを繰り返す」という技法と親和性が高く、そのデザインは建築に限らず家具や宝飾品など、さまざまなものに使われていった。また、古代エジプトという過去のデザインとモダニズムの組み合わせは、アール・デコに見られる特徴であり、ツタンカーメン王というかつて巨大な国を統治した「人類の頂点」という印象もまた、新たな建築物を作り出すにあたってのコンセプトとしては最適なイメージであった。
このリバイバルはあくまでもアール・デコのほんの一部の様式に過ぎないが、特に芸術分野に強いロンドンや米ニューヨークの劇場などの娯楽施設は、この影響を強く受けたといわれている。
ロンドンにある黒猫づくしの建物
ロンドンに数あるリバイバル建築のなかでも有名なのが、かつて「ブラック・キャット・シガレット」という愛称で親しまれていたたばこブランド、カレラス社の旧たばこ工場(Carreras Cigarette Factory)だ。北部モーニントン・クレセント近くにある同工場の外壁にはカラフルな装飾とたくさんの黒猫の顔が並び、正面エントランスには2匹の黒猫の彫像が見られる。もともと1928年に建てられたこの建物は、59年に工場が別の場所へ移転後、60年代に「時代遅れだから」という理由でこれらの装飾が取り外され、改装されてしまった。やがて1990年代に一度大きな修繕工事を経た際に、当初のデザインのディテールから少々変更があったものの、ほぼほぼ復原された。
現在はオフィスとなっている旧カレラス社のたばこ工場の正面エントランス。猫の彫像は1990年代の修繕工事の際に復活した
カレラス社と黒猫との関係は、実はこの建物が誕生する前からあったという。かつてタバコ・ショップがレスター・スクエアのそばにあったときに売られていたタバコの外装には黒猫が描かれており、猫好きのオーナーが大好きな飼い猫をモデルにしたそうだ。エジプトの復活建築が流行する前からすでに黒猫はブランドの一部だったので、気を利かせた建築家たちは猫モチーフを採用するのに抵抗はなかった。
現在はオフィスとして利用されており、中へ入ることはできないが、外からでも十分にその独創性を感じられるはずだ。
建物の上部に並ぶ黒猫の顔
Carreras Cigarette Factory
180 Hampstead Road NW1 7AW
地下鉄Mornington Crescent駅