夏だというのに英国の空はどこか憂鬱。「太陽を求めてどこかにバカンスに出掛けたい」そう願うのは日本人だけではなく、英国人も同じこと。そんな彼らが今、大挙してスペインに向かっている。そしてそのスペインのなかでも、特に英国人を虜にしているのがマジョルカ島、「地中海の真珠」とも呼ばれる太陽と海のリゾート地だ。今回は、日本ではあまり知られていないこの島に現地取材を敢行!
三上 義一(http://homepage3.nifty.com/ymikami)
英国人が最も愛する外国
近年、英国から海外へ移住する人の数が増え続けている。英政府の公式統計によると、1997年から2006年のおよそ10年間に、英国を去り、海外へ移住した英国人の数は、なんと200万人に上るという。06年だけでも、約20万人もの英国人が海外に去っていった。では彼らはどこへ行ったのだろうか。
人気の移住先の内訳を見てみると、第1位がオーストラリア、第2位がスペインとなっている。これまで、オーストラリアには100万人以上、スペインには76万人以上の英国人が移住した。とはいえ、オーストラリアは英連邦の一部であり、同じ英語圏の国。連邦に属さない非英語圏の移住先となると、スペインに人気が集まる。つまり、英国人が最も愛する外国はスペインということになる。
その人気の理由をまとめると、天候の良さ、海と山の美しい景観、英国から2時間半程度で行かれる便利さ、渡航費の安さ、家族で渡航できる安全性などが挙げられよう。また、欧州連合(EU)域内なので手続きが簡単で、英国にあるものがすべて揃うという利点もある。英国の新聞はもちろん、テレビでプレミア・リーグ・サッカーを観ることもできるのだ。それにアルコール類が英国よりも安く、料理や酒も美味しい。
英国人の「ハワイ」
そしてその人気のスペインのなかでも、特に英国人が愛してやまないのが、バルセロナの沖合、地中海に浮かぶ真珠のような島、マジョルカ島だ。まさにこの島は英国人にとって、日本人のハワイに匹敵する存在だといっても過言ではない。年間300日程度が晴天という素晴らしい気候に恵まれ、「地中海の楽園」とも「地中海の宝石」とも呼ばれている島。日本人には馴染みが薄いかもしれないが、人気の高い、ヨーロッパ有数のリゾート地である。
この地には、セレブの別荘が目白押しだ。元ウィンブルドン・テニス・チャンピオンのボリス・ベッカー、米俳優のマイケル・ダグラス、作曲家のアンドリュー・ロイド・ウェバー、元F1ドライバーのミハエル・シューマッハ、スーパーモデルのクラウディア・シファーなどが邸宅を構えている。
また歴史をさかのぼると、1838年には作曲家のフレデリック・ショパンが結核治療の目的で、恋人の女流作家、ジョルジュ・サンドと共にマジョルカ島に滞在したことがある。2人の「恋の逃避行」は半年で終わり、ショパンの病状は回復に向かうこともなかった。当時彼らが滞在していた修道院があるバルデモサには、ショパンが使用したピアノなどが現在でも展示され、観光の名所となっている。
日本では2004年、サッカー日本代表の大久保嘉人が、この島に本拠地を置くリーガ・エスパニョーラのマジョルカにレンタル移籍したことで一時話題になった。また、今年の全仏オープンとウィンブルドンのテニス男子シングルスで優勝した、ラファエル・ナダルもこの島の出身である。
意外と知られていないのが、日本でも人気の靴ブランド「カンペール」(Camper)の本拠がこの島にあるということ。島の農夫たちが履いていた靴がその発想の原点になっているのだという。島内には愛らしい、アート作品のようなカンペールの店舗がいくつかあり、アウトレット店もある。また、スペインが生んだ大画家、ジョアン・ミロもこの島にアトリエを構え、長年創作活動を続けていた。
首都、パルマ・デ・マジョルカ
マジョルカ島の首都は、空港から約20分のところに位置するパルマ・デ・マジョルカだ。パルマは港に面した街で、見どころがいくつかある。その代表的なものが大聖堂。16世紀に完成したものだが、20世紀に入り、スペインが生んだ大建築家、アントニオ・ガウディの設計によって改修されている。
大聖堂の近辺は公園となっていて、そこから街を散策することができる。大通りもあれば、古(いにしえ)の面影を残す石畳の細い路地が続く旧市街地もあり、坂を上ると広場に着く。途中には、バルやカフェやレストラン、おしゃれなブティックや店が並ぶ。店によって異なるが、英国と違い、夏は午後1~2時ごろから夕方4~5時ごろまで閉まっている店が多いので要注意だ。また午後は日差しが強く、かなり暑くなるので、散策をするなら午前中と夕方が無難だろう。
ここでスペイン的時間の流れについて一言。マジョルカ島には、近年、本土では廃れてきたシエスタという昼寝の習慣がまだ残っている。つまり、あまりにも暑いので、ランチの後は店を閉め、昼寝をするのである。店は夕方からまた開き、飲食店は夜遅くまで営業している。週末ともなれば、夜通し朝方まで騒いでいることも稀ではない。また食事も遅く、昼食は午後2~3時から、夕食は夜の10時頃から食べ始めるのが普通だ。また夏と言えば花火大会のシーズン。ここマジョルカ島でも、夏には花火が打ち上げられる。とはいえ、日本なら花火は夜7~8時ごろから始まるだろうが、ここマジョルカ島では午前0時~午前1時ごろから花火が夜空を彩る。
パルマのもう一つの見どころは、円形のベルベル城だ。牢獄として使用されていたこともあるという城だが、丘の上に建つこの場所からは、眼下にパルマの街や港、ヨットハーバーを見下ろす素晴らしい眺望が楽しめる。街全体のイメージを掴めるばかりか、遙々と海を渡り、地中海の楽園に来たのだなという感慨に打たれるはずだ。
スペイン政府観光局日本語オフィシャルサイト www.spain.info/JP/TourSpain |
観光案内所 Plaza de la Reina, 2 Tel: +34 971 71 22 16 |
大聖堂 Plaza Almoina, s/n 07003 Tel: +34 971 72 31 30 |
ベルベル城 Calle Camilo José Cela, 17 07003 Tel: +34 971 73 06 57 |
自分好みのビーチ探し
パルマの観光は1~2日あれば十分。パルマはハワイで言えばいわばホノルル。その近辺のビーチはワイキキといったところで、この島で最も素晴らしい海岸が首都の近辺にあるわけではない。その辺りの事情はハワイと同様だろう。美しい海岸を求めるならば、是非ともパルマから離れたリゾート・ビーチに足を伸ばしたい。島の最大の魅力は紺碧の海。青い海で泳がなければ、ここまで来た甲斐がないというものだ。
マジョルカ島というと、どうしても「島」という言葉から、小さいというイメージを持ってしまうかもしれない。だが、実は沖縄本島の3倍もの面積を有していて、かなり広いのだ。到るところにリゾート・ビーチが点在しているので、自分の好みに合ったビーチを探してみることをお勧めする。例えば、釣り、マリン・スポーツ、ダイビング、ヨット遊びなどの趣味趣向、それに予算や滞在日数によっても理想の場所は異なるはずだ。
ここマジョルカ島で、人々は仕事も時間も忘れて、ビーチで潮風に吹かれながらゆったりとくつろぐ。多くの日本人とは違い、この地で過ごす人々は、何もしないことに罪悪感を覚えないのである。短くても10日から2週間はのんびりと休暇を過ごしている。
「大胆で開放的」なビーチ・カルチャー
マジョルカ島のビーチ・カルチャーは「大胆で解放的」だ。ご存じのように、ヨーロッパの浜辺では女性のトップレスはごく当たり前。この島でも年齢・国籍に関係なく、ビキニを着ている女性もいれば、トップレスの女性もいる。それは全く個人の自由、本人の勝手なのだ。
だがなかには、さらに「解放」されている人々がいる。下半身も裸の「ヌーディスト」たちである。この島においてヌーディスト・ビーチは公認されていて、わいせつ物陳列罪で逮捕されることはない。ちなみに現在、英国では「ヌーディスト」(nudist)とは言わず、「ナチュラリスト」(naturalist)という。すなわち、神が意図された自然のままの姿を愛する人々のことである。
長い海岸線を歩き進むと、現代の「アダムとイブ」たちに遭遇する。「ここから先はヌーディストの楽園です」という看板が出ているわけではない。自然発生的にそこに裸天国が誕生するらしい。
ヌーディスト・ビーチと聞いて、興奮される方もいるかもしれないが、そこにいるのは大半が40~50歳代の女性たち。失礼だが、なかにはピカソのキュービズム時代の絵画に登場するような、体型がかなりデフォルメされた女性もいる。またはルノアールが描いたような太めの方も……。その姿を目の当たりにすると、ニュートンの引力の法則が正しかったことを再確認させられる。この世の森羅万象は、地面に向かって垂れ下がって行く運命にあるのだ。
それにしても日本人的な感覚からすると、なぜ欧米の人々は体のすべてを太陽にさらすのかと素朴な疑問を抱いてしまう。一説によると彼らは、ヨーロッパの夏が短く、太陽があまりにも恋しくなるため、全身で太陽を満喫したいのだという。まさか直接、「あなたはなぜ裸になるのですか」と聞くわけにはいかないので、ぼんやりとヌーディストたちを眺めていると、ある男性の胸に刻まれた漢字のタトゥーに目が奪われ た。「愛」「友情」そして「温泉」!
なぜ「温泉」なのかは分からないが、その2字に疑問の答えを見出した気がした。すなわち、ヌーディスト・ビーチとは、日本的に言うなら混浴の露天風呂なのではないか。東西を問わず、人間はやはり裸になりたい欲求があるに違いない。仕事や面倒なことも忘れ、ただのんびりと疲れを癒す。裸であれば社会的地位も年収も関係ない。ただの一人の人間に戻れる。その快感を得るために、人は裸になるのではないだろうか。
海辺のグルメ
スペインといえば、やはり食事。美しいビーチだけでなく、美味しいスペイン料理も楽しみたいという方にお勧めなのが、パルマから自動車かバスで約45分のエス・トレンク(Es Trenc)だ。コバルト・ブルーの海、遠浅の海岸、美しい砂浜、そしてどこまでも青く澄んだ大空が、観光客を待っている。ここは、マジョルカ島でも最も美しいビーチの一つである。
パルマからは観光客用の直行バスが出ていて、浜辺ではパラソルとデッキチェアーを1日使用して1人7ユーロ。スペイン風の軽食、というかスペイン風B級グルメを出してくれるレストランもビーチ沿いにあるので、丸1日海で楽しめる。
レストランのメニューには写真が付いているので、注文するのはさほど難しくない。ポテトの入ったオムレツ、オリーブ・オイルが効いたイカの丸焼き、生ハムのサンドウィッチなどなど。味付けはさっぱりしていて、日本人の口に良く合う。海を眺めながら飲む、スペインのビールやサングリアも格別だ。
ここで是非注文したいのが、卵の黄身とおろしたにんにく、オリーブ・オイルにマヨネーズを混ぜ合わせた「アリヨリ」と呼ばれる一品。パテのように、バゲットに塗って食べるのだが、それが実に美味しい。それに2ユーロ程度と安い。
実はこの島、「マジョルカ」というのは英語読みで、スペイン語では「マヨルカ」であり、この島の名前がマヨネーズの語源だとする説がある。もちろん、その真偽のほどは定かではないが、そんなことを空想しながらアリヨリを頬張ると、さらに美味しく感じるかもしれない。
このエス・トレンクに一番近い街が、コロニア・サン・ ホルディ(Colonia de Sant Jordi)。この小さな街にはホテルが多く、ヨット・ハー バーや海に面したプロムナードにはのんびりとした雰囲気が漂っていて、太陽と海を満喫したい人には最適だ。ハーバー近辺にはレストランやタパス・バーなどが軒を連ねているが、ここで試していただきたいのは、やはり本場のパエリアである。
パエリアは言うまでもなくスペイン風炊き込みご飯で、日本でも人気の料理。サフラン風味が多いようだが、ここマジョルカ島では魚介類をふんだんに使い、トマト・ソースをベースにしたものが好まれるようだ。この地域で抜群のパエリアを出すと人気なのが、「アントニオ」(Antonio)という魚介類専門店。ロブスター・パエリアもあり、通常の魚介類のパエリアは1人13ユーロ、注文は2人前からとなっている。海が見渡せるレストランで地中海に沈む夕日を眺めながら乾杯するのは、まさに人生の至福。なぜ英国人が、この島をこよなく愛するのか納得できるはずだ。
C/Alejandro Farnesio, 5 , Colonia Sant Jordi
Tel: +34 971 65 54 05
マジョルカ島では9月でもまだまだ泳げるので、地中海の潮風に吹かれ、ヨーロッパ的バカンスを味わってみてはどうだろうか。英国人のように島に魅了され、移住したいという誘惑に取りつかれるかもしれない。
民族大移動
「民族大移動」……そんな形容がぴったりと当てはまるのが、近年の英国における移民状況である。これは英国にやって来る海外からの移民のみを指しているのではない。英国を去り、海外に移住する英国人たちをも含んでいる。
先述の通り、1997年から2006年までのおよそ10年間に、英国から海外に移住した英国人の数は、約200万人。ある英国人歴史家は、この人数は英国の歴史上、記録的な数であり、世界中に植民地を有した大英帝国時代においても見られなかった現象ではないかと指摘している。現在、海外で生活している英国人の数は550万人以上、英国の総人口は約5975万人だから、およそ10人に1人の英国人が外国で暮らしていることになる。
英国人ジャーナリストのなかには、国土が狭い英国が近年、ポーランドなどの東欧諸国から大量の移民を吸収することができたのは、大勢の英国人が海外に移住していたからではないかと主張する者すらいる。何しろ1997年から2006年の間に英国に来た移民の数は、390万人にも上り、06年だけでも50万人以上もの移民が英国に押し寄せてきているのだ。
近年の英国を舞台にした人々の移動は、まさに現代の「民族大移動」、「21世紀のエキソドス*」だといっても過言ではない。
この数字は、各国に移住した英国人のおよその数。スペインが第2位で、非英語圏では1位。米国よりもスペインに赴く英国人の方が多い。面白いことに気候が良く、スペイン同様イベリア半島に位置するポルトガルは、トップ20位以内にすら入っていない。理由の一つは恐らく、ポルトガルが大西洋に面していて、海が地中海と比較して荒いからではないだろうか。いずれにしろ、非英語圏の国としてはスペイン、フランス、ドイツの順となっており、スペインが圧倒的な人気を誇っていることが分かる。
* 旧約聖書に描かれている、イスラエル人のエジプト脱出
1. | オーストラリア |
1,300,000人
|
2. | スペイン |
761,000人
|
3. | 米国 |
678,000人
|
4. | カナダ |
603,000人
|
5. | アイルランド |
291,000人
|
6. | ニュージーランド |
215,000人
|
7. | 南アフリカ共和国 |
212,000人
|
8. | フランス |
200,000人
|
9. | ドイツ |
115,000人
|
10. | キプロス共和国 |
59,000人
|
出典:「Daily Express」紙
ライフスタイル移民
ではなぜ、英国人は大挙して祖国を後にするのだろうか。大勢の移民が英国を目指す理由は明らかであろう。過去10年間、英国は好景気に恵まれ、賃金が他国よりも比較的高く、04年にポーランドなどの東欧諸国がEUに加盟したことにより、移住しやすくなったからだ。
それに対し英国人が海外に移住する理由は、それほど明確ではないようだ。いまや英国人たちは「英国の文化やアイデンティティーはどうなってしまうのか」といった懸念を抱いている。英国人にとって祖国は、もはや魅力的な国ではなくなってしまったのだろうか。国内メディアも特集を組み、その理由を問い掛けてきたが、一つの決定的な理由があるというよりは、多種多様の動機があるようだ。
下の表を見てほしい。これらの理由を総合すると、英国人は自国に対し、何となく暮らしにくさや窮屈さを覚え、現状に不満を感じているということなのであろう。英国人は、より高い賃金を求めて海外に行く出稼ぎ移民ではなく、より快適な生活を求めて外国へ行く「ライフスタイル移民」なのだと言える。
高齢者が定年退職し、引退先として海外移住を好む |
ポンドが強いことを反映し、海外での購買力が増大した |
英国の憂鬱な天気に嫌気が差した |
相続税などの税金が高い |
国内に移民が多過ぎる |
イラクやアフガニスタンに軍事進攻したため、英国全土がテロの標的になっている |
若者による反社会的行動の数は欧州最多 |
CCTV が到る所で監視の目を光らせる管理社会である |
国民健康保険(NHS)などの医療保険に不満がある |
グローバリゼーション化に伴う労働市場の広がりが、海外における雇用の確保を容易にした |
EU拡大により、域内での移住が容易になった |
国内の物価全体が高騰している |
(順不同)