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Thu, 21 November 2024

「春琴」の稽古風景
観客との親密性を求める「共犯者」サイモン・マクバーニー

日本の文豪、谷崎潤一郎の原作を基にした演劇作品「Shun-kin」のロンドン再演が始まる。主演は、9月にモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を受賞したばかりの日本人女優、深津絵里。そして演出を務めるのは、英国の演劇界で「奇才」として知られるサイモン・マクバーニーだ。一見しただけでは不自然にも映る、「英国人演出家が日本語劇を作る」という試み。奇才は、この作品に何を求めているのだろうか。
(本誌編集部: 長野 雅俊)
サイモン・マクバーニー 
Simon McBurney

Simon McBurney舞台演出家、俳優、作家。劇団「コンプリシテ」創立者。1957年8月25日生まれ、ケンブリッジ出身。ケンブリッジ大学英文科在籍時に、同大の演劇部「フットライツ」で、スティーブン・フライやエマ・トンプソンといった、後に英国の演劇界で活躍するメンバーと共に演劇活動に携わる。その後パリへと赴き、演劇教育の第一人者ジャック・ルコックに師事。村上春樹の短編小説を基にした舞台作品「The Elephant Vanishes」の演出を手掛けるなど、日本文化への造詣も深い。11月4日より、ロンドンの多文化施設 バービカンにて、「Shun-kin」を上演。 www.complicite.org

幼い子供のように

公立校に付設された小体育館のような、味気のない広い空間に置かれたパイプ椅子の上で、もう一度、手元の時計を見た。既に待ち合わせ時間から20分が経過。目の前では、Tシャツにジーンズといった恰好の舞台スタッフたちが、床のカラー・テープをはがしたり、また新しく貼り直したりしている。

谷崎潤一郎の短編小説を題材にした舞台作品「Shun-kin」の稽古を行うサイモン・マクバーニーと、インタビューを行うことになっていた。指定された場所は、英国を代表するオペラ団「イングリッシュ・ナショナル・オペラ」のリハーサル施設。売れっ子演出家の彼は、ここで「Shun-kin」と、同じく11月にロンドンで上演されるオペラ作品「A Dog's Heart」の準備を同時に行っているという。

手元の資料にもう一度目を通そうと、「舞台演出家、ハリウッド俳優、脚本家サイモン・マクバーニー」という見出しを掲げた新聞記事を手に取った。担当記者はその記事を、「アムステルダムにあるホテルのロビーで、私は自分の時計を見つめながら、世界中を駆け回る役者兼監督、サイモン・マクバーニーとの待ち合わせ時間を間違ったのではないかと思った」との一文で始めている。顔を上げると、彼の助手らしき気遣い屋さん風の男性が近寄ってきて、「サイモンって、本当に幼い子供みたいなところがあるんだ」と言いながら苦笑。詰まるところ、遅刻の常習犯のようだ。

それからさらに5分ほど経った頃、髪をボサボサにしたサイモン・マクバーニーが現れた。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と、心から申し訳なさそうな顔をして平謝りする姿は、確かに幼い子供のようだ。

奇才の方法論

リハーサル施設専用のカフェに移動しても、まだ「遅れて本当にごめんなさい」と謝り続けている。役者としても活動する彼はさすがに通りの良い声をしていて、まだ誰もいないカフェには、彼の「ごめんなさい」が必要以上に反響していた。

映画俳優としては、曲者を演じることが多い。愛のない宮廷生活を送る貴族女性の物語「ある公爵夫人の生涯」では、自由の尊さを喧伝しながらも、内心ではすべての人民に参政権を与えるべきではないと考える偽善者チャールズ・ジェームズ・フォックスに。ウガンダの独裁者を描いた「ラスト・キング・オブ・スコットランド」では、主人公の青年に、ウガンダの大統領を暗殺するように依頼する英国人高等弁務官を演じている。

一方、演出家としての彼は、「奇才」や「異才」と呼ばれる。映像や照明効果を駆使して視覚や想像力に訴える演出が、その一因となっているのかもしれない。何気ない日常生活の中で起こる些細な出来事に対する人間の機微を表すようなリアリズムが重要視される英国の演劇界にあって、本で鳥小屋を、椅子で泉を表現してみせる舞台設定が異端に映ったとしても、無理はない。

ただ彼を最も「奇才」たらしめているのは、作品作りの過程だろう。「Shun-kin」の主演を務める深津絵里は、ロンドンの初演を行った昨年の渡英時に次のように語っている。


「サイモンさんが小説の1シーンをピックアップしてきて、みんなはどう思うか、って話し合ったり。それで気になる言葉をグループに分かれて、体で表現してみるという繰り返しを延々と続けていったんです。どこから始めるとか、何が大事か、というのは全く決まっていなくて。サイモンさんの頭の中にはあるはずなんですが(笑)」。

準備段階では、ワークショップと呼ばれる場を通じて、出演者を含む関係者全員を巻き込んでのアイデア出しや話し合いをとことん続ける。最初の顔合わせの時点では、台本すらない。出演陣は、各グループに分かれて原作に出てくる場面の一つを演じてみるよう言われたりする。そうした共同作業の中から自然発生的に生まれた言葉や行為を脚本に落とし込んでいき、その脚本を手に取って行われる稽古の中で生まれたアイデアを再び新たな脚本に反映する、といったことを繰り返して一つの作品が出来上がっていくのだという。

「Shun-kin」稽古風景

創造は混乱から生まれる

さっきまで平謝り続きだったマクバーニーが、気付けばコーヒーを片手に、時折カフェを横切るスタッフたちに温かな挨拶の言葉をかけながら、いかに自分の方法論に絶対的な自信を持っているかを述べていた。「演劇って生命体なんです。始めてみるまで、私も何がどうなるか全く分からない。何をやるべきかは、作品に関わる人々と一緒に発見していきます。そのために人材を集める。だから、演出家にとって最も大切なことは、可能性を常に開いているということなのです。深津さんは昨年と同じく、謙虚かつ努力家のままでいることでしょう。でも一年経ったら、何か変わっている部分が絶対にある。他の出演者の皆さんの中でも変化が生まれているはず。だから作品も、また違ったものができる」。

舞台演出家がワークショップを行い自由な表現を引き出すということ自体は、決して奇異ではない。ただマクバーニーのそれは、制約のなさというか、自由度が極端なのだ。だからこそ独創的な作品が生み出されているとも言えるし、またその分、製作現場は甚だしく混乱することになる。

例えば、初のオペラ作品となった「A Dog's Heart」の製作過程でのこと。歌の練習やオーケストラとの音合わせといった点だけでも入念な準備が必要とされるオペラにおいても変更、変更の連続で、その状況を揶揄する意味を込めて、出演者たちの間では「変更!」が流行り言葉になったという。しかしアムステルダムでの初演は好評。11月からロンドンでの上演を実現させている。

またインド人天才数学者を主人公とした作品「A Disappearing Number」では、ワークショップが長引いたあまり、舞台初日までに通し稽古を一度も行うことができなかった。結局、マクバーニー自身が上演前に舞台の上に立ち、準備がまだ整っていないことを正直に説明。そして「緊急手術」と称して、観客がいる前で、舞台横から逐一指示を出しながらの上演を何とか終えたのだという。小学校の学芸会でももう少しまともな準備をしているのではないかと皮肉りたくもなるほどの混乱を見せたこの作品は、しかし、英国の演劇界で最も権威があると言われるローレンス・オリビエ賞の最優秀演劇賞を後に受賞した。

「演出家が何をやるべきか明確な指示を与える演出法を庭に花を飾る行為に例えるならば、私の仕事はその庭を作ることから始まる。つまり土壌作りです。土を耕す、肥料をやる、種をまく。アイデアという名の種ですね。後は植物がどう育つかをずっと見守る。私が求めているのは、私が予期しないものです。予期できるものだったら、意味がない。だから演出家の役割というのは、できるだけ可能性を広げること。そして可能性を信じることだと考えています」。

「Shun-kin」稽古風景

言葉の感度を確かめる

その彼が演出を手掛ける「Shun-kin」は、日本の文豪、谷崎潤一郎が執筆した2つの短編作品「春琴抄」と「陰翳礼賛」を基にしている。昨年のロンドン初演では、着物に身をまとった日本人役者が立つ舞台上に三味線の音が響き、文楽を彷彿とさせる人形劇まで展開された。英語作品だって、混乱を起こしてばかりなのだ。日本人役者に日本語の台詞を与えながら、どのようなことが起きているのか。

ちなみに彼が日本語劇を手掛けるのは、今作が初めてではない。2003年には、村上春樹の短編小説「The Elephant Vanishes(原題:象の消滅)」を舞台化。以後、日本への行き帰りを続けるうちに、時折「あー、ちょっと日本語話します」といった言葉が会話に混じるほどに、日本語を解するようになった。現在、彼が持つ脚本は2種類。一つは翻訳家に頼んで英語に直したもの。さらに、音の響きを確かめるためにローマ字で書かれた日本語のものも用意する。「音楽を聴くように、発話される音を確かめます。最初は音、次に単語、最後に文となって、伝えようとしている言葉の意味が通じるようになる。そして最終的には、その言葉の感度のようなものを確かめるのです」。

三味線や茶道具も小道具として使用されている

共犯者が作り出す親密な空間

マクバーニーが同志たちと劇団「コンプリシテ」を創立してから、既に30年近くになる。「他に何もやることがなかったひと夏を、ただ仲間たちと楽しく過ごしたいと考えていただけ」という、少々気障に響く創立概念を持つこの劇団の名前は、フランス語で「共犯者」を意味する。何か禁じられたことを共同作業で行う際に生まれる親密性こそ、彼が求めるものなのだ。それも、観客が良からぬ想像を思い浮かべてしまうほどに濃厚な親密性。

「A Disappearing Number」の冒頭に、こんなシーンがある。劇中の人物が舞台上から、「何でもいいから、好きな番号を頭に思い浮かべて欲しい」と観客に呼び掛ける。次に、その数字を2倍する。14を足す。2で割る。そして、最初に思い浮かべた数字を引く。すると、別々の数を思い浮かべたはずなのに、そのとき頭の中には揃って「7」の数字が浮かび、観客たちは、少しの驚きと共に、何か説明のつかない小さな喜びを感じる。マクバーニーが望むのは、例えば、そんな瞬間なのだろう。

「私は、日本の儀式に惹かれます。お茶の儀式、宗教の儀式。お花見も儀式の一つでしょう。儀式を通じて、食べ物が、飲み物が消化されるだけではなく、観賞されるものに変化する。人々はその価値を捉え直し、共に瞑想する。その緊張感の中には、まさに私が追い求める親密で美しい劇場空間があるような気がするのです」。

多文化都市のロンドンで日本語劇が行われることは、もはや珍しくなくなった。ただそうしたものの多くは、日本という外国における異文化の差異を映し出すものであっても、英国人の観客との親密性を作り出すための仕掛けではなかったはずだ。母国語という、演劇人にとっての一つの強力な武器を放棄して、そして製作関係者たちを大混乱に陥れて作り上げられるマクバーニーの演劇空間。それは、観客という名の不特定多数の人間たちとの間に濃厚な親密性を築くための、壮大な実験場なのだ。

「春琴」初演

Shun-kin

11月4日(木)〜13日(土) 19:45
(13日のみ14:30開始のマチネ公演あり)
Barbican Theatre
Silk Street London EC2Y 8DS
www.barbican.co.uk/theatre
£16〜40
Box Office: 0845 120 7550 日本語公演(英語字幕付き)
あらすじ

薬種商の娘、春琴は、9歳のときに失明。以来、音曲を本格的に学ぶようになる。春琴の付添い人として仕えていた佐助も、やがて弟子として春琴から三味線を学ぶようになり、2人の関係はより一層密接したものとなっていった。音曲の師匠として佐助と共に暮らす春琴はある日、その美貌と高慢さゆえに、自らの顔をひどく傷付けられる憂き目に遭う。そして佐助はそんな春琴を見て、とある決心をするのだった。
 

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