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Wed, 06 November 2024

知って楽しい建築ウンチク
藍谷鋼一郎

地主によるエステート開発

ロンドンの街並みは広大な土地所有者である貴族によって形作られたと言われる。とりわけウエスト・エンドの瀟洒(しゃだつ)な館が連なる一帯は、地主貴族達がこぞって自ら所有する土地を開発し、地価を上げるために奔走した。その結果、世界一高い「土地」を作ることになった…。

ロンドンの超高級住宅地、ベルグレイビアの航空写真
ロンドンの超高級住宅地、ベルグレイビアの航空写真

王の離婚から始まった土地開発

貴族による都市開発は16世紀の宗教改革時代、時の国王ヘンリー8世がローマ・カトリック教会から離脱した事件に端を発する。キャサリン王妃との離婚を成立させるために、離婚を認めないカトリック教会から離れる必要があったのだ。そしてヘンリー王は自らがローマ法王に代わる「英国国教会」を創設した。しかもカトリック教会支配下の修道院からロンドン西部(現在のウエスト・エンド)に広がる領地を略奪し、その土地は王を支持する貴族に分け与えた。やがて貴族達は、本格的に土地開発を始めたという訳だ。

広場が街の中心に

イタリアの街を歩いていると、必ずと言っていいほど、細い路地が大きな広場につながっている風景に出くわす。広場は街の中心であり、人々の生活もまた広場を中心に成り立っているからだ。教会や役場、そして市場までもが集まる広場は、都市機の中枢、人間に喩えるなら心臓とでも言うべきか。

さて、石やレンガを敷き詰めたイタリアの広場とは一味違うが、貴族によるロンドンの土地開発も、必ずと言っていいほど広場や公園を中心とした一つの街区として作られている。

ざっと数えただけでも軽く70を超えるロンドン中心部の街区。ここからは、開発された地所を「エステート」と呼びたい。そんなエステートの中でも特に有名なものに、リージェント・パークの南西部一帯を占めるポートマン・エステートや、チェルシー地区のカドガン・エステート、そして、メイフェアの大部分を占めるグロブナー・エステートがある。グロブナー家は他にも、ハイド・パークからヴィクトリア駅に至る超高級住宅地のベルグレイビア、少しランクは落ちるがピムリコ一帯も所有している。400年前は原っぱだったとは言え、これほど広大な土地を一家族が所有していたのだ。

貴族による土地経営

それらのエステートの中心部には、必ずと言っていいほど、四角や円形の広場や公園がある。土地に付加価値を付けるため、住人の憩いの場として広場や公園が作られた訳だ。欲の皮を突っ張らせ、領地一杯にギッシリ建物を建てれば、一時的に収益は上がる。しかし、過密型の都市空間では窮屈になり、土地の価値も急降下することは歴史が証明している。長い目で見れば、豊かな都市空間に緑やオープン・スペースが必要なことは明白なのだ。ロンドンの地主は土地経営の基本を理解し、実践していた。それは建物に限らず、道路、上下水道、電灯などインフラ整備にまで及ぶ、まさに街作りそのものであった。

バラバラの街ロンドン

ロンドンは大都市ではあるが、全体像がはっきりとした街ではない。どちらかというと、小さな村がどんどんと大きくなり、互いにくっ付いて一つの塊になったというのが現状だろう。一つ一つの街区としてはまとまりはあるが、一大都市という単位で見るとバラバラの集合体に思えるのは、地主達が好き勝手に自分達のエステートを開発したという歴史的背景がある。エステートという視点で街を歩いてみれば、いつもとは違った空間が見えてくるのではないだろうか。

 

藍谷鋼一郎:九州大学大学院特任准教授、建築家。1968年徳島県生まれ。九州大学卒、バージニア工科大学大学院修了。ボストンのTDG, Skidmore, Owings & Merrill, LLP(SOM)のサンフランシスコ事務所及びロンドン事務所で勤務後、13年ぶりに日本に帰国。写真撮影を趣味とし、世界中の街や建築物を記録し、新聞・雑誌に寄稿している。
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