「アーツ・アンド・クラフツ運動の父」として知られるウィリアム・モリス。生活と芸術を再統合させようとした彼の思想は当時、欧州で花開いた「アールヌーボー」や「ウィーン分離派」の活動、そして建築界などの様々な分野にわたり、多大な影響を与えた。また、今日でもその遺産は広く受け継がれている。
ウィリアム・モリスが住んでいた
ことを示すブルー・プラーク
大量生産の背景
大英帝国が最盛期を迎えたビクトリア朝時代(1837~1901年)、英国内には工場が林立し、大量生産体制に一層の拍車が掛かっていた。熟練工を要した家内制手工業に代わり、効率が最優先された工場制機械工業が主流となり、安価な商品が都市にあふれ出した。この社会現象を痛烈に批判し、中世の手工芸の復活を声高に訴えたのが、工芸美術家であり、社会主義思想を持つ詩人であったウィリアム・モリス(1834~96年)だ。
芸術と技術を統合させる、つまり、作ることの喜びを取り戻そうとしたモリスの活動と思想は「アーツ・アンド・クラフツ運動」と称えられ、今日でも根強い支持者がいる。「モリス商会」という会社を設立したモリスは、自身がデザインしたステンドグラス、家具や壁紙などの工芸品を海外に輸出するルートを構築するなど、ビジネスマンとしても才能を発揮した。
「赤い家」
風見にもモリスの趣向が見て取れる
手工芸に見る英国
庭に設置された花トンネル
モリスが唱えた芸術と技術の再統合は、伝統技術の継承を促す意味でも価値があった。大量生産や資本主義は弱小の手工業を駆逐するだけでなく、技術の継承を断絶させる恐れもあるのだ。古いものや伝統を守る精神が存在する限り、ロンドンは形を変えながらも、ロンドンらしくあり続けるだろう。
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