「ページ・スリー・ガール」の運命やいかに
英国名物の一つに、大衆紙「サン」の表紙をめくって3ページ目に掲載されている女性モデルのトップレス写真がある。名付けて「ページ3(スリー)ガール」。7年前に新聞社のロンドン特派員としてロンドンに赴任した筆者は毎朝すべての新聞を隈なくチェックするのが日課で、「ページ3ガール」にはほぼ毎日お目にかかっていた。
地下鉄に乗っていると、シティで働くトレーダーが高級紙「フィナンシャル・タイムズ」の中に「サン」紙を挟んで、こっそりページ3ガールを鑑賞している姿を何回か目撃した。「サン」紙の姉妹紙である大衆日曜紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(廃刊)の盗聴事件を機に新聞の慣行や倫理を検証した独立調査委員会(レヴソン委員会)で、「サン」紙の編集長は「ページ3ガールは無害な英国の制度で、もはや英国社会の一部だ」と公言した。
伝説的ロック・バンド、ビートルズのジョン・レノンと妻のオノ・ヨーコさんが1972年、「Woman is the N***** of the World(女は世界の奴隷か!)」を発表した。歌詞は女性の解放と自立がテーマになっており、タイトルが「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」を連想させる。ジョンは、女性の自立を訴えるヨーコさんの影響を強く受けた。
もともとページ3ガールは堅苦しくて保守的な英国の文化でも、伝統でもなかった。オーストラリア出身のメディア王、ルパート・ マードック氏が69年11月に買収した「サン」紙の発売部数を増やすため、ちょうど1年後に掲載したのが始まりだ。最初は空いた紙面の埋め草企画で、片方の乳房がのぞく控えめな構図だった。
マードック氏に買収される前まで、「サン」紙は深みのある長文の記事を掲載する硬派の新聞として知られていた。しかし、マードック氏がセックスとスキャンダルを中心に紙面展開し、ページ3ガールも両方の胸を丸出しするなど大胆になってきた。一部の地方自治体が公立図書館から「サン」紙を排除すると、「ペ○×の表面にできたニキビ野郎」と大げさに反発してみせ、ミニスカートのサン・ガールズに追いかけ回される同自治体の78歳になる老首長の写真を掲載する一大キャンペーンを張ったのだ。
第二次大戦で大英帝国は崩壊、長期の停滞期に入り、重苦しい空気が垂れこめていた英国社会は憂さ晴らしを求めていた。ページ3ガール効果で「サン」紙の販売部数はわずか1年で倍増し、250万部を超える。しかし、ドル箱企画になったページ3ガールにも曲がり角が訪れる。いまやTVのリアリティー番組ではカップルが箱の中に入って性行為を行い、インターネットではアダルト・ビデオの動画が氾濫。今年9月に入って、ページ3ガールは4日連続で紙面から姿を隠し、10日、マードック氏が「ページ3ガールは時代遅れだ。流行の服を着た方がもっと魅力的になるのでは? あなたの意見を聞かせてほしい」とツイートした。
ロンドン五輪が開かれた2年前の夏、ページ3ガールは一時、かなり後ろのページに移された。その出来事をきっかけに「ノーモア・ページ3」というソーシャル・メディア・キャンペーンを始めた女優のルーシー=アン・ホームズさんは英メディアに「『サン』紙のサイトを訪れるユニーク・ユーザーは月に3000万人。うちページ3を閲覧するのは140万人に過ぎない」と語り、マードック氏の変化を歓迎した。ホームズさんは11歳のとき、兄が買ってきた「サン」紙にショックを受ける。「豊満な乳房を見て、自分は足りないような気に襲われた」そうだ。
レイプ魔が犯行中に「ページ3ガール」を口にしたという報告もある。女性を性の対象として見下す文化を終わりにするためキャンペーンを始めるとホームズさんが宣言したとき、父親は「『サン』紙に人格破壊されるぞ」と大反対した。過去にページ3ガールを禁止する法律をつくろうとした労働党の女性下院議員が「興ざめ」「嫉妬」「肥満」とさんざん「サン」紙にたたかれたからだ。
12日付の紙面ではまだページ3ガールは健在だった。2年前の世論調査で、「サン」紙読者の61%が存続を求め、中止は24%。全体では存続が30%、中止が49%。マードック氏がいくら「時代遅れ」と感じても、「やめれば販売部数が下がる」と現場が判断しているうちは、ページ3ガールはなくならない。
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