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Fri, 13 December 2024

木村正人の英国ニュースの行間を読め!

キャメロン首相が恐れる2人のレディー

「我が上院議員と下院議員の皆さん。政府は我が国すべての国民の利益のために法律を制定します」。英国の国家元首である89歳のエリザベス女王が「大英帝国王冠」を被り、先の総選挙で選ばれたキャメロン首相率いる保守党単独政権の施政方針演説を読み上げた。長さは8分余り。女王の玉座は上院にある。下院が君主から独立していることを現している。バッキンガム宮殿から国会議事堂まで馬車で向かう女王の姿は、連合王国を支えてきた立憲君主制の威厳と歴史を今に伝えている。何度見ても新鮮な気持ちになる。

政府が用意する女王演説には今回、保守党が総選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)の内容が盛り込まれている。所得税、日本の消費税に当たる付加価値税(VAT)、社会保険料を2020年まで据え置く法案、低中所得者向け賃貸住宅を入居者が購入できる法案、3~4歳児を対象にした育児支援法案など、社会保障にぶら下がる人より「働く人」に配慮する保守党の姿勢が強く打ち出されている。人権や市民の自由にこだわる自由民主党との連立時代には封印されてきたイスラム系移民の過激化、テロ組織、犯罪組織に対する監視プログラム強化も盛り込まれた。

 

女王演説の中で「ワン・ネーション(一つの国家)」という言葉が使われた。もともと19世紀の保守党政治家ディズレーリが資本家と労働者の対立を克服するため唱えた概念だ。今、スコットランドが分離・独立するか、英国が欧州連合(EU)から離脱するかという歴史的な岐路に立たされている。5年後、連合王国がどんな形になっているのか断言できる人はいないだろう。総選挙でスコットランドの定数59のうち56議席を占めた地域政党・スコットランド民族党(SNP)に配慮して、同地域における課税と社会保障の自主権など大幅な自治権拡大と、2017年末までに「英国はEU加盟国として留まるべきか」と尋ねる国民投票を実施することも演説でうたわれた。

総選挙での敗北を受け、最大野党・労働党のミリバンド前党首が辞任したため、今年秋まで英議会は事実上、野党不在の状態が続く。しかし、キャメロン首相は楽観できない。予想外の単独過半数(331議席)を得たとはいえ、過半数の326議席をわずか5議席上回るだけ。保守党のメージャー首相が政権を維持した1992年総選挙の10議席より心もとない。メージャー首相は5カ月後に「暗黒の水曜日」と呼ばれるポンド危機に直撃され、欧州の通貨統合を目指すマーストリヒト条約反対派の大量造反に苦しめられる。

 

キャメロン首相の前に立ちはだかるのは国内ではSNPのスタージョン党首、国外ではEUを牽引するドイツのメルケル首相。はっきり言ってミリバンド前労働党党首とは役者が違い過ぎる。スタージョン党首の政治的原点は鉄の女・サッチャー。1980年代、炭鉱閉鎖、労働組合と国有産業の解体でスコットランドには失業者があふれた。その傷は今も生々しく疼く。新自由主義経済がもたらす社会的な不正義を解消するにはスコットランド独立しかない。16歳のとき、そう決めてスタージョン党首はSNPに入党した。保守党は不倶戴天の敵だ。

東ドイツ出身のメルケル首相の原点はベルリンの壁とプラハの春。7歳だったメルケル首相は壁が東西を分断した日、父親の日曜礼拝で信者全員が泣く姿を心に焼き付けた。その7年後、両親とチェコスロバキアを訪れた際、プラハの春が無残に押しつぶされる様子をラジオで聞いた。東ドイツに戻ってその話を教室でしたとき、教師の顔が凍りついた。メルケル首相にとって自由ほど尊いものはない。中でもベルリンの壁を崩壊させる引き金となった「移動の自由」は絶対に譲れない一線である。

16年秋に前倒しされるかもしれないEUに関する国民投票で英国の有権者がEU離脱を選んだら、スコットランドは間違いなく分離・独立する。キャメロン首相は女王演説を受けて、オランダ、フランス、ポーランド、ドイツ行脚に出掛け、EUとの再交渉に臨む英国の立場を説明。本音の移民制限をおくびにでも出せばメルケル首相は即座にハネ付けるだろう。欧州との交渉で少しでも腰を見せれば保守党右派が不満を増幅させ る恐れがある。筋書きなきドラマが始まった。

 

木村正人氏木村正人(きむら・まさと)
在英国際ジャーナリスト。大阪府警キャップなど産経新聞で16年間、事件記者。元ロンドン支局長。元慶応大法科大学院非常勤講師(憲法)。2002~03年米コロンビア大東アジア研究所客員研究員。著書に「EU崩壊」「見えない世界戦争」。
ブログ: 木村正人のロンドンでつぶやいたろう
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