第41回 天にあふれる歌声と絵画の癒し
ロンドン最古の病院、聖バーソロミュー病院は1123年創立の修道院が発祥です。宗教改革で修道院が解体された後も、シティの貧民救済病院として生き残りました。血液循環説を唱えた医学者ウィリアム・ハーヴェイなどの名医が勤め、今も放射線医学で有名な病院です。また、付属博物館の内階段には聖書にちなんで、万病を治す聖なる池「ベテスダの池」と、善意で救命行為を行った「善きサマリア人」、2つの壁画が描かれています。
ロンドン最古の病院、聖バーソロミュー病院養
聖バーソロミュー病院付属博物館にあるホガースによる2枚の名画
絵画の作者は病院理事も務めた18世紀の画家ウィリアム・ホガース。病院近くに生家があり、貧困生活から大画家に上り詰めた彼は、貧困と差別の撲滅を訴えた慈善家でもありました。多くの捨て子が凍死している事実に胸を痛め、北米貿易で財を成した商人トマス・コーラムとともに捨て子養育院の建設を決意。シティにはクライスト・ホスピタルという養育施設が既に出来ていましたが、当時はもう孤児を受け入れていませんでした。
養育院の跡地に立つ捨て子博物館
養育院の場所はシティ西のハットン・ガーデン。すぐ手薄になり、1742年、シティ北のブルームズベリーに移りました。ホガースは捨て子のモーセを主題にした絵画を寄贈し、孤児の制服をデザイン。仲間の画家も絵を寄贈し、その閲覧料で運営費を補いました。そんなとき、音楽家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが慈善演奏会を申し出てきます。
ヘンデルが養育院に寄付したオルガン
ドイツ生まれのヘンデルはイタリアでオペラを学んだ後、ロンドンに移住、富裕層相手に高級オペラ事業を手掛けていました。ところが事業が失敗して負債を抱え、体調を壊してしまいます。彼の聖譚曲「メサイア」は、ダブリンの慈善演奏会で初演された際には成功したものの、英国のオペラ会場での演奏会はパッとしません。失意の彼を救ったのは、養育院の礼拝堂建設のために1749年に開かれた慈善演奏会でした。その締めくくりに「メサイア」の合唱曲「ハレルヤ」を彼が指揮し、孤児が歌い出すと、会場は大きな感動の渦に包まれました。
ヘンデルは死ぬまでこの演奏会を続け、「ハレルヤ」は英国の代表曲として世界に認知されるようになりました。また、養育院の絵画は常時公開され、当時まだ展示施設がなかった英国で最初の美術館の役割を果たします。1920年代、養育院はロンドン郊外に移り、その跡地は「子供の付添い」なしに大人だけでは入場できない公園になりました。ここでは子供たちの歓声が遠く天まで響き、「ハレルヤ」の歌声がこだまして聞こえてくるのです。
養育院の跡地は大人だけでは入場できない慈善公園に