第59回 テンプル教会からチャンスリー・レーンまで
シティの街路樹からドングリが落ちてきました。秋ですね。ロンドン各地の建築物が無料公開されるオープン・ハウスでは今秋、マグナ・カルタ(大憲章)制定800年を記念し、その原案が練られたテンプル教会において盛大な催しがありました。マグナ・カルタとは、12世紀にテンプル騎士団が建てた同教会にジョン王や貴族らが忍 び入り、重税を続ける国王に対して王権の制限を設けるべく交渉を行った末に交わした約束の覚書を指します。
テンプル教会内部の展示
1066年、北フランスからドーバー海峡を渡ってきた、せいぜい数万人のノルマン人が何十万人もの土着のゲルマン人を支配下に入れ、ホンネと建前を駆使しながら英国という国を創ってきました。でも、国王の権力の制限を国王自らが同意するって、誰が一番偉いのか。「国王といえども法の下にある」=「法の支配」の原型がここに見出されますが、重要なのはこの法が「制定」されたものではなく、神の意思の具現の「発見」であることです。
マグナ・カルタについて解説する教会職員
その後、王家は裁判官を地方に巡回させ、判例を記録に残し、コモン・ロー(慣習法)を作りました。ここでも、それは裁判の判例集というより、普遍的法理の「発見」が集められたものとされます。でも「未発見」の法もあるし、前例のない課題は対処が難しい。そこで、王様に直接訴えて個別に救済を求める道を残します。それは正義や衡平性の観点から審判され、その判例集が衡平法(エクイティー)と呼ばれるようになりました。
テンプル騎士団の像
衡平法を生むきっかけは「信託」です。例えば、長男にしか土地相続を許さない慣習法の下では、長男が戦争に駆り出されるのは一大事。信頼できる友人に家族の面倒を託すため、友人と信託契約を結び、土地の所有権を移転します。つまり、法律上の所有者「Legal Owner」と衡平法上の所有者「Equitable Owner」を分離させたのです。家産承継のためには脱法行為も許容する。英国の歴史は「したたかさ」の歴史でもあります。
チャンスリー・レーンに置かれた衡平法の大法官府は現在、大学の図書館に
この考えが「所有と経営の分離」、株式資本主義の基本原理に受け継がれます。会社の株主と経営者は信託により信義と義務履行の関係に置かれ、この緊張関係は想像以上に厳格です。金融の世界で英米法が幅を利かせるのは、大陸法では信託概念が発展しなかったから。ちなみにチャンスリーとはエクイティーの裁判所として機能した大法官府のこと。シティのテンプル教会からチャンスリー・レーンまで歩いて10分程ですが、その歴史の深さは歩いて計れません。
近所の王立高等法院は王立裁判所と大法官府が統合されたもの