第77回 お散歩編:集まり散じて人は変われど
シティの中心部、チープサイドにトマス・ベケットの生誕地を示す小さな像があります。彼は当時カトリック教だった英国の教会トップであるカンタベリー大司教まで出世しますが、ヘンリー2世と衝突して殉教。王様はその罪滅ぼしからか、特別税を導入し、氾濫でよく倒壊した木製の旧ロンドン橋を石造りに建て替えます。橋の上には聖トマス・ベケット礼拝堂が建てられ、ここで祈りを捧げた後、彼のお墓のあるカンタベリー大聖堂に巡礼することが中世ロンドン市民の風習になりました。
生誕地にあるトマス・ベケット像
ロンドン橋を渡るとそこはサザック地区。ローマ時代からチチェスターやカンタベリーに通じる英国南東部への玄関口となっていました。古くから長距離馬車のコーチが待機する宿屋がたくさんあり、ジェフリー・チョーサー作「カンタベリー物語」の出発地点はその中の陣羽織亭です。この北にあった白鹿亭はウィリアム・シェイクスピアやチャールズ・ディケンズの作品に登場します。
陣羽織亭の場所を示すプラーク
さらに陣羽織亭の南側にあったのがクイーンズ・ヘッド亭。今は弁護士事務所になっていますが、よく見ればハーバード・ハウスと書かれた看板があります。実はここ、ジョン・ハーバードの生家です。米国ハーバード大学は彼の名に由来しますが、ここで意外な繋がりが指摘されます。彼の父、ロバート・ハーバードはサザックで肉屋を経営し、近くに住むシェイクスピアの演劇仲間でグローブ座共同経営者のフィリップ・ヘンズローと知り合いだったのです。
ジョン・ハーバードの生家
ロバートはストラトフォード・アポン・エイボンの資産家の娘、キャサリン・ロジャーズと結婚しますが、この縁結びにはヘンズローとシェイクスピアが関係していたようです。ロジャーズ家もシェイクスピア家も同郷の名家でシェイクスピアとキャサリンは旧知の仲だったのです。やがてロバート夫妻に息子のジョンが誕生。彼はケンブリッジ大を出ると清教徒の牧師になりますが、ペストで全家族を失い、彼に多額の遺産が転がり込みます。
ジョン・ハーバードの銅像
ジョンは清教徒の理想を実現するためサザックを出て渡米しますがその翌年、30歳の若さで病死。死の直前、マサチューセッツ植民地議会が決めた大学設置案に賛同して多額の寄付を行い、大学の名がハーバード大学になりました。こうして、サザックに集まり散じた人々の物語は「カンタベリー物語」を通じて、あるいはシェイクスピアの演劇やディケンズの小説、またハーバード大学の名を通して、現代の私たちに語り継がれています。
コーチが待機する宿屋の風情が残るサザックの歴史パブ