第247回 カムデン・ロックと馬の通勤路
シティの北側、カムデン・ロックは人気の観光地ですが、かつてここは貨物のターミナルとして大変混雑していました。また、パンク・ロックの聖地といわれたディングウォールスのあった場所は厩舎で、その周辺にも厩舎があり馬が800頭も飼育されていました。この貨物ターミナルが効率的に稼働できた理由は、地下の波止場と地階の鉄道や道路、4階建て倉庫が合体され、馬の厩舎とも地下道で結ばれていたからです。
カムデン・ロックのディングウォールス
田園地帯だったカムデンに不動産開発が始まるのは1790年代です。1816年にロンドンとバーミンガムを結ぶグランド・ユニオン運河の支線としてパディントン・カムデン間が開通すると、カムデンは運河とロンドン中心部に向かう道路との中継地になります。さらに20年に運河がテムズ川と合流する東部のライムハウスまで延伸し、37年にバーミンガム・ロンドン鉄道が開通すると、運河・鉄道・道路を結ぶ貨物ターミナルになりました。
つまり、運河や鉄道で原料や部品がカムデンに運ばれると、近隣の工場で加工され、完成品がカムデンからライムハウス経由でロンドン・ドックや西インド・ドックに運ばれ、そこから世界に向けて製品が輸出されました。カムデンで製造された有名な製品としてはコラード&コラード社とチャペル社のピアノ、ギルビー社のジン、カレラス社のシガレットなどがありました。今でもそれらの工場跡の名残を見ることができます。
チャペル社(左)とコラード&コラード社(右)のピアノ工場跡
カレラス社の煙草工場(左)とギルビー社のジン工場(右)
ところでカムデンの貨物ターミナルで大活躍したのが荷馬です。中でもシャイヤ種と呼ばれる英国原産の大型馬でした。ギルビー社の創業者ウォルター・ギルビー卿はジンだけでなくほかの酒類も販売していたので、カムデンの貨物ターミナルや近隣の地下室をお酒や酒瓶の貯蔵に使っており、それらを四方八方移動させるのにシャイヤ種が大活躍しました。ギルビー卿はシャイヤ種の品種改良や畜産農業に貢献した慈善家でもありました。
カムデンで活躍したシャイヤ種の馬
貨物ターミナルの東北部には馬の厩舎や馬の病院、馬具収納小屋などがあり、厩舎と貨物ターミナルの間は馬専用の地下道で結ばれていました。今の私たちが地下鉄で通勤し、オフィスで働き、地下鉄で帰宅するように、馬も地下道を使って通勤し、貨物ターミナルで働き、地下道を通り厩舎に帰宅しました。1980年に貨物ターミナルが廃止されて地下道が廃止されましたが、今もその一部がホース・トンネル・マーケットとして残っています。でも、このホース・トンネルが馬の通勤路だったことを知る人はもう少ないかもしれません。
馬が通勤した地下道は現在マーケットに
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