第259回 英国カトラーズ刃物職人組合の骨
シティ北部にカトラーズ(Cutlers)という名称の刃物ギルド(職人組合)があります。刃物の柄に象牙がよく使われましたので、象の背に城を乗せた意匠、つまりエレファント・アンド・キャッスルが刃物ギルドの看板に使われています。18世紀半ば、ギルドによる生産の中心は産業革命で主要な鉄の生産地に変貌したイングランド中部のシェフィールドに移りました。すると、この工場の裏手の空き地で不思議な事件が起きました。
カトラーズの看板
工場では刃物の柄に利用された象牙や動物の骨の削りくずが大量に出ます。それらの骨くずを工場の裏手に集めて置いたところ、その周辺の空き地に植物が茂り始めたのです。不思議に思った従業員が骨くずを持ち帰り、自宅の庭にまいてみると、なんと庭の植物もすくすく育ち始めました。従業員が骨くずには不思議な魔力があるのだろうと販売したところ近隣の農民たちの人気商品となり、これが植物肥料の始まりといわれています。
骨くずの脇に草木が生い茂った
植物の三大栄養素は窒素、リン、カリウムです。窒素はマメ科の植物が大気から吸収して土壌にもたらすことができますが、リンとカリウムは自然の土にほとんど含まれていません。でも動物の骨の大部分はリンとカルシウムからできており、植物にとって貴重な肥料になります。19世紀半ば、英東部ハートフォードシャーのローザムステッド農業試験場で、骨粉を硫酸で処理した過リン酸石灰を作り、これが世界初の化学肥料になりました。
ローザムステッド農業試験場
そもそも骨の進化は約4億年前の古生代・デボン紀までさかのぼります。大陸が分裂しその隙間に川が流れ出すと、海中にしか生息していなかった魚類が淡水と海水が混じった汽水や、淡水に生活圏を延ばそうとします。ところが淡水域で生きるためには大きな進化が必要でした。というのも、海の塩分には生物の細胞分化に欠かせないミネラル、リンとカルシウムが含まれていますが、淡水にはほとんどないからです。ミネラルをどう補給するかが魚にとって重要問題でした。
魚類は背骨に海のミネラル分を貯蔵した
それを解決したのがミネラルを貯蔵できる背骨でした。リンとカルシウムが不足すれば骨から取り出し、余れば骨に貯蔵する調節を腎臓が行いました。最初に背骨を持った魚がケイロレピス。背骨は海のミネラルの貯蔵庫、つまり骨は海の一部です。魚類は両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類へと進化していきました。冒頭のエレファント・アンド・キャッスルの看板をみて、象の背骨の中に海が含まれているとは誰も想像がつかないでしょう。
初めて背骨を持ったケイロレピス
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