第282回 英国最古の学生服と広重ブルー
聖ポール大聖堂の北側に1225年から1538年までフランチェスコ修道院があり、修道士が灰色の修道服を着ていたのでグレイフライアーズと呼ばれていました。この修道院は16世紀の宗教改革で解体後、クライスト教会として再建され、第二次世界大戦で破壊されるまでシティで著名な教会の一つでした。特に、1552年に創立され1902年にイングランド南部に移転した附属のクライスト・ホスピタル校は、名門私立校として有名です。
グレイフライアーズ修道院跡地
もともと同校は孤児と貧民児を救済するための無料の学校でした。その教育方針は、困難にも負けず挑戦し続け、強い責任感を持って社会奉仕を進んで行う人間を育てること。修道士のように、くるぶしまである長くて青いコートに白シャツ、白タイ、黄色の靴下が目印で、英国初の学生服を着用し、ブルー・コート校とも呼ばれました。学生服を採り入れたのは、貧しい生徒が身なりで差別を受けないようにするためでした。
クライスト・ホスピタル校の生徒像
クライスト・ホスピタル校に続いてロンドンにはブルー・コートを制服とする無料の学校が次々と設立されました。当時の染物では青色が最も廉価だったそうです。青色の服が当時の欧州では貧しい人の着る衣料としてつつましさの象徴でもありました。青色の原料には細葉大青、英語でウォード(Word)と呼ばれるアブラナ科の植物が使われ、欧州各地で栽培されていました。染物作業は植物を発酵させるのでとても臭かったそうです。
さまざまなブルー・コート校入り口の生徒像
17世紀に大航海時代を迎えるとインド藍と呼ばれるマメ科の植物の葉から抽出されるインディゴ染料の塊が輸入されてきました。インド藍は色素量が多く、廉価なため大量に消費され、欧州で細葉大青を栽培する農園がなくなりました。植物による染色は手間も時間もかかり、異臭もひどかったので、19世紀半ばに石炭から有機化学染料が発明されると、手軽な化学染料が急速に普及してインド藍の輸入が止まりました。
細葉大青(左)とインド藍(右)
そこで思い出したのが浮世絵で絶賛された葛飾北斎や歌川広重のブルーです。日本では6世紀ごろから蓼藍を使った藍染めが盛んでした。ところが18世紀初頭、ドイツが金属イオンの化学変化による染料を発明し、北斎や広重が積極的に浮世絵に使用しました。広重の作品「名所江戸百景」に藍染めの町、神田紺屋町の風景が描かれていますが、その藍色は植物由来ではなく、ドイツの化学染料です。一方、石炭から染料を発明したのは英国のW・パーキン青年で、次号で詳しくお話ししたいと思います。
歌川広重の「神田紺屋町」
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