ニュースダイジェストの制作業務
Sat, 22 February 2025

第283回 英国の石炭から生まれた高貴な紫色

ロンドン中心部の繁華街、オックスフォード・ストリートを歩いていたら、1845年に旧王立化学大学がこの場所で創立されたという記念プレートを見つけました。旧王立化学大学は社会に役立つ化学研究の場として設立され、その主任教授としてドイツから招かれたのがアウグスト・ホフマン博士です。著名な有機化学の研究者で、特にコールタールに含まれている物質から疫病のマラリアに対する特効薬を作ろうとしていました。

旧王立化学大学の創立地跡 旧王立化学大学の創立地跡

19世紀半ばの英国は石炭を高温乾留させてコークスや石炭ガスを作っていましたが、副産物のコールタールが大量に生成され、それをどう処理するかが社会問題になっていました。一方、英国が進出したインドではマラリアが猛威を振るっていました。マラリアの特効薬キニーネの値段は高く、キニーネの分子式がコールタールから得られる物質と似ているため、人工的にキニーネを作ることが可能と考えたわけです。

ホフマン博士(丸印)の講義の様子 ホフマン博士(丸印)の講義の様子

ホフマン博士にはウィリアム・パーキンという弟子がいました。パーキンは少年のころに参加した化学者マイケル・ファラデーの講義に感銘を受けて化学者になることを決意し、16歳から幸運にもホフマン博士の弟子になっていました。パーキンはロンドン東部シャドウェルの自宅に父親が建ててくれた部屋で実験を繰り返しました。実験の大事さはファラデーからの教えです。するとパーキンの部屋で大事件が起きました。

ウィリアム・パーキン ウィリアム・パーキン

ホフマン博士が休暇でドイツに帰郷している間、パーキンがキニーネを作ろうと試行錯誤していたら、突然、紫色の沈殿物が生まれました。その沈殿物を繊維会社に送ると、素晴らしい色付けを可能にする染料になると回答が届き、それが世界初のアニリン染料でした。当時の欧州では極めて高価な巻貝からしか紫色の染料が採れなかったので、パーキンはすぐに大学を辞めて工場を設立し、染料の生産を開始しました。

パーキンの自宅は現在集合住宅に パーキンの自宅は現在集合住宅に

その後、コールタールからさまざまな色の染料が開発され染料産業が栄えました。インド藍や中国の紅花を栽培していた農園は衰退し、廉価で大量生産される化学染料が世界を席巻しました。ドイツでは染料を生産するヘキスト、バイエル、BASFの三大化学会社が誕生し、化学染料は絵画や印刷の材料、化粧品、香料、医薬品の分野に応用されました。でもパーキンは36歳で工場を売却し、大学に戻って化学の研究と後輩の育成に努めました。パーキンはやはり経営より化学実験が好きだったのです。

アーサー・ヒューズ作「四月の恋」に使われた紫色 アーサー・ヒューズ作「四月の恋」に使われた紫色

寅七さんの動画チャンネル「ちょい深ロンドン」もお見逃しなく。

 

シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


お引越しはコヤナギワールドワイド 24時間365日、安心のサービス ロンドン医療センター Dr 伊藤クリニック, 020 7637 5560, 96 Harley Street 不動産を購入してみませんか LONDON-TOKYO

JRpass totton-tote-bag