初めてにワクワクし、
「多彩」な自分でいたい
小林沙羅
ソプラノ歌手
オペラや歌曲というと、オーケストラのコンサートやミュージカルに馴染みのある人でも若干、敷居が高く感じられるかもしれない。ソプラノ歌手の小林沙羅さんは、観客にそうした垣根を感じさせずに作品の言葉の響きやメロディーの美しさを届けるべく日本国内外で活動している。そんな小林さんが、3月2日にロンドンのウィグモア・ホールで英国デビューとなるコンサートを開催することになった。有名オペラはもちろん、日本人作曲家による新作オペラにも積極的に取り組み、作詞・作曲も手掛ける小林さんのオペラや歌曲への思いとは。(インタビュー・文: 村上 祥子)
物心つく前から常にそばにあった
人生において初めて音楽を意識したのはいつですか。5歳からピアノを学ばれたとのことですが、ご両親が音楽関係の仕事に携わっていらっしゃったのでしょうか。
音楽は物心つく前から常にそばにありました。両親は音楽とは全く関係のない仕事についていますが、2人とも趣味でピアノやギターを弾いたり、歌ったりすることが大好きでした。私が赤ちゃんのころには子供用の童謡のレコードを常に流していたらしく、2歳のときには既に色々な童謡を歌っていたそうです。父はレクイエムが好きで、日曜の朝から大音量でレクイエムがかかっていたりしました。歌うことは小さいころから大好きで、休日に家族で輪唱したり、合唱したりするのがとても楽しみだったことを覚えています。
ピアノ以外にもクラシック・バレエや日本舞踊など、様々な芸術を学ばれたそうですね。その中で音楽、それも声楽の道を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。
私は人前で何かを発表することが好きで、ピアノやバレエの発表会や幼稚園の劇、学校の学芸会なども大好きでした。日本舞踊を始めたのは10歳のころ、(歌舞伎役者の)坂東玉三郎さんが主宰していた演劇塾「東京コンセルヴァトリー」に入ったのがきっかけです。歌舞伎や演劇、本格的なオペラなどの生の舞台をたくさん見せていただき、いつか私も舞台に立つ人間になりたいとはっきりと自覚しました。そして高校2年生でいよいよ進路を選ばなければならなくなったときに、まずは好きで、そして得意な歌を専門的に学び、それを強みに舞台に立てるようになろうと思い、声楽の勉強を始めました。高校時代は合唱部に入っていて、顧問の先生に「あなた、とてもいい声を持っているから、歌で大学を目指してみたら?」と言っていただいたのもきっかけの一つになりましたね。
いつごろプロの声楽家になろうと決意されたのでしょう。
声楽を始めたときにはもうプロを志していた、ということになります。ただ、初めからクラシックの声楽家、オペラ歌手になるつもりはなく、演劇やミュージカルの方に興味がありました。やがて大学に入って様々な声楽作品やオペラ作品に触れるうちに、その魅力の虜になってしまい、私の進む道はこれだ!と意識するようになったのです。
声楽以外にも、特に身体を使って表現する芸術を身に着けたことは、プロとして活動される上で役立っていると感じますか。
それはとても感じています。特にオペレッタ*1に出演する際は、実際にダンサーと同じくらい踊れないといけないこともありますし、最近は演出家がダンサーで、身体的な表現力を求められることも増えてきています。私は歌い手であると同時に表現者でありたいと考えているので、聴くだけでなく、観ても楽しめる舞台を作りたいと思っています。
*1 台詞と踊りからなる歌劇で、喜劇的な内容の作品が多い
三枝成彰のオペラ「狂おしき真夏の一日」でエミコ役を演じる小林さん
どの国でも言葉を大切にしている
東京藝術大学大学院の修士課程を修了後、海外に留学されました。海外での生活はそれが初めてだったのでしょうか。
実は2歳から5歳までドイツのボッフムという街に住んでいたので、それが最初です。父の仕事の都合で家族そろって移住し、私は現地の幼稚園に通っていました。そこでの経験は、私の性格やものの考え方、言語的な感覚などに影響を与えていると思います。
ウィーンとローマ、ベルギーで声楽を学ばれたそうですが、なぜそれらの土地を選ばれたのですか。それぞれの場所では具体的にどのようなことを学ばれたのでしょう。
ウィーンには大学院を修了してから留学し、5年間住みました。毎日、一流の演奏家がウィーンを訪れ、素晴らしいオペラや演奏会が開催されている、留学前から憧れの街でした。とても良い先生にめぐり合うことができ、ドイツ・リート*2やオラトリオ*3、オペレッタなどを学びました。ただ、やはりイタリア・オペラやベルカント唱法*4もしっかり勉強したいという思いが芽生え始め、後半3年間は年の半分ほどはイタリアに行っていました。パルマにも良いコレペティ*5の先生がいたので何度か行きましたし、ローマには声に輝きのあるテノールの先生がいらして、先生の友人宅に泊まり込んで毎日レッスンを受けていました。
ベルギーには留学はしていなかったのですが、留学1年目にエリザベート王妃国際音楽コンクールの世界大会に参加し、2週間ほど滞在しました。賞は取れなかったのですが、あのテレサ・ベルガンツァ*6氏のレッスンを受けられたことは忘れられません。ピアニッシモのパッセージが上手に歌えたときに、興奮したベルガンツァ氏がなんと口にキス(!)をしてくださったのです。ほかにもイタリアでミレッラ・フレーニ氏やマリエッラ・デヴィーア氏を含め、憧れの歌手たちから実際にレッスンを受けることができた経験は私の宝物です。
*2ドイツの歌曲。詩歌に音楽を付けたもの
*317世紀半ばにイタリアで始まった楽曲。聖譚曲(せいたんきょく)。宗教的物語を題材に取る、合唱に重きをおいた音楽作品
*4イタリア・オペラで望ましいとされる歌唱法
*5レペティトゥア。オペラ歌手やダンサーにピアノ演奏をしながら指導するコーチ
*6スペイン出身の世界的なメゾ・ソプラノ歌手
実際にそれぞれの場所で学ばれてどのような部分に共通点や相違点を感じられましたか。一概に言うことは難しいかと思いますが……。
私はウィーンでは歌曲とオラトリオとオペレッタ、ローマではイタリア・オペラというように勉強する内容を分けていたので、その違いを比較するのは難しくはあります。ただ、やはりイタリアでは何より「声」を大事にし、その響きや輝き、明るく遠くまで響く発声法を重んじているように思いました。ウィーンでは声量よりももっと細かい音楽的表現を重視し、最高音も張り上げるよりも抑制をきかせることを大事にしているように感じました。
国によって人の気質も、言語も、好まれる音楽の表現方法も違ってくるな、とはよく思います。ですが、どの国でも言葉をとても大切にしているというのは実感しました。母音の響きや子音の処理の仕方など、いかに伝わりやすく、そして表現豊かに発音するか。これはどんな国でもどんな言語でも、歌にとって重要なことなのだと思います。
2015年からは拠点を日本に移されたとうかがいました。それまではどこを活動拠点にされていたのですか。
2015年まではウィーンに自宅があったので、ウィーンが拠点でした。ただ、休みのたびにローマに行っていましたし、日本やそのほかの国で演奏会があるときは家を空けていましたので、ウィーンで長期間ゆっくり生活する、ということは本当に少なかったように思います。ただ、やはり一番ほっとしてリラックスできるのはウィーンの自宅でした。
様々な作品に挑戦する小林さん
垣根を設けずチャレンジしたい
日本でも様々な都市を回り、コンサート会場だけでなく、学校や野外フェスティバルなどでも演奏されていらっしゃいます。日本で演奏される上で特に大切にされていることは?
いつもワクワクする仕事をしていたい、そして守りに入らず、常に挑戦し続けていたい、というのが私のモットーです。レパートリーを決め、それを守ってずっと演奏している歌手の方たちもいて、喉のためにはその方が良いとも言われますが、私は自分の活動にあまり垣根を設けず、様々なことにチャレンジしていく方が性分に合っているように感じています。「多彩」な自分でいたい。初めての作品との出合いや、初めての共演者との出会い、初めての場所での演奏はいつもワクワクします。でも一方でオーバーワークにならないようには気を使っています。以前はいただいたお仕事を詰め込めるだけ詰め込むという感じでしたが、最近は本番の前日と本番の次の日は喉と体を休めるために意識的にオフにするようにしています。野球のピッチャーと同じで、演奏会で全力投球をする分、きちんと体を休ませることは練習と同じくらい大事なのだと思うようになりました。
西洋のオペラの名曲のみならず、日本の歌曲も歌われ、数々の新作オペラに出演。ご自身で作詞・作曲も手掛けられています。また、現代詩を研究する音楽グループ「VOICE SPACE」にも所属されるなど、日本語、言葉を非常に大事にされている姿勢が印象的です。
私は祖母が物書きだった影響もあり、小さいころから本や詩集をよく読んでいました。朗読することも大好きで、演劇の台本を手に入れては朗読したり、詩集を朗読したりしていました。海外にいるときは日本語がとても恋しくなり、手元にある新聞や雑誌の広告欄も含めて隅から隅まで読んだりしていました。それほど日本語が大好きなのです。
日本語を歌うと発声が崩れるとおっしゃる先生もいらっしゃいますが、私はそんなことはないと思います。確かに日本語には特有の響きというものがあって、イタリア語とは違います。ただ元来、大多数の言葉が子音と母音の組み合わせ、または母音のみで成り立っている日本語は、イタリア語と同じくらい歌いやすく、メロディーに乗りやすい言葉なのではないでしょうか。日本の歌曲やオペラの歴史はまだまだ始まったばかりです。今という時代を生きて活動している私たちが、新しい作品や表現法を生み出していくのは大事なことですし、とてもやりがいがあり、面白いことだと思うのです。これから先もどんどん、新しい歌曲やオペラの作品を世の中に生み出していくための力になれたらうれしいと考えています。
春間近の英国で行われるコンサート
欧州各地でも精力的に活動されていらっしゃいますが、これまでに英国のステージで歌われたことはありますか。
それが、英国での演奏は今回が初めてなのです!演奏させていただく作曲家の一人、藤倉大さんのコンサートを聴きに行ったり、オペラやミュージカルを観に行ったりしたことはあるのですが、自分が演奏するのは初めて。英国は伝統を大切にしながらも、新しいことを敬遠せず、楽しんで応援する、というようなイメージがあります。非常に文化の成熟した都市だなと感じています。
声楽に関して、英国ならではと感じられる特徴はありますか。
英国で声楽を学んだことがないので発声法に関しては分からないのですが、作品については、イタリアのように情熱とメロディーと声の輝きで訴えかけるのとも、ドイツのように哲学的に論理的に、自然と自分の心の内とを絡めて語るのとも違い、暗くて悲しい内容を明るいメロディーでさらりと歌ってしまうような皮肉さを持ち、しかしあくまで上品に賢く、美しく、というイメージがあります。これは私の勝手なイメージですし、すべての曲に当てはまるわけではありませんが。
ウィグモア・ホールで行われるコンサートが英国デビューとなるわけですが、構成などは決まりましたか。
プログラムが決まりました。今後、変更もあるかもしれませんが、前半はドイツ、英国、フランス、イタリアの歌曲を集めました。テーマは「花」です。まだまだ寒い3月の頭ではありますが、春がもうすぐそこに来ている時期ですので、花にちなんだ曲を集めてみました。後半は日本人作曲家の作品。英国在住の藤倉大さんの作品や、武満徹さんの名作、山田耕筰さんの本格的な連作歌曲、そして実際に踊りながら歌う橋本國彦さんの「舞」をプログラムに入れました。日本語の分からない方でも楽しんでいただけるのではないかと思っています。
コンサートにはオペラや歌曲にはあまり馴染みがないという方もいらっしゃるかと思います。聴きどころ、楽しむポイントを教えてください。
本格的なプログラムではありますが、どれもとても美しく聴きやすい作品を選んでいます。意味の分からない言語であっても、その響きやメロディー、ピアノとの掛け合いなどを楽しんでいただくだけでも素敵な作品ばかりです。前半はそれぞれの国の言葉や音楽的表現、花に対するアプローチの違いなどを感じながら聴いていただくのも面白いかと思います。後半は日本語の名作ばかり。特に最後の「舞」は歌とセリフと踊りが入り混じったような作品で、気合を入れて挑みますので、ぜひ楽しみにしていていただけたらうれしいです。
橋本國彦作品の「舞」で着用の深紅の衣装は、時広真吾氏のデザインによる
Avex Recital Series 2019
Sara Kobayashi soprano;
Ayaka Niwano piano
2019年3月2日(土)13:00開演
小林沙羅(ソプラノ)、庭野綾加(ピアノ)
チケット: £18/12
会場: Wigmore Hall
36 Wigmore Street W1U 2BP
最寄駅: Bond Street
チケットお問い合わせ先
Tel: 020 7935 2141
https://wigmore-hall.org.uk
コンサートに関する問い合わせ先
エイベックス・リサイタル・シリーズ
www.avexrecitalseries.com
プログラム
シューベルト「野ばら D.257」
R・シュトラウス「乙女の花 Op. 22」より 「矢車菊」「ポピー」
クィルター「3つの歌曲 Op.3」より 「第1曲 愛の哲学」 「第2曲 赤い花びら、優しく眠る」
パーセル「薔薇の花よりも甘く Z585」(ブリテン編曲)
ブリテン「夏の名残のばら」
フォーレ「イスファハンの薔薇 Op.39-4」
ドビュッシー「忘れられた小唄」より 「グリーン」
トスティ「アマランタの4つの歌」
藤倉大「Kiite きいて」 「夜明けのパッサカリア」
武満徹「小さな空」 「死んだ男の残したものは」
山田耕筰「風に寄せてうたへる春の歌」
橋本國彦「舞」
※止むを得ない事情により曲目・曲順などが変更になる場合があります