世界最高峰のオーケストラとして、音楽ファンならずともその名を知るベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。同オーケストラを束ねる第1コンサートマスターとして活躍するヴァイオリニスト、樫本大進が7月、ロンドンのウィグモア・ホールでリサイタルを行う。ピアニストの辻井伸行、ヴァイオリニストの三浦文彰と続いたエイベックス・リサイタル・シリーズの最後を締めくくるコンサートだ。ドイツを拠点に、オーケストラのコンサートマスターとして、ソリストとして世界中を飛び回る樫本に、ベルリン・フィルへの思いや多忙な演奏活動、そしてコンサートについて話を聞いた。
樫本 大進 Daishin Kashimoto
1979年、ロンドン生まれ。生後3カ月で日本に帰国。3歳からヴァイオリンを習い始める。5歳で家族そろって米ニューヨークへ。7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学。11歳のときに世界的な指導者ザハール・ブロン氏に招かれ、母親とともにドイツのリューベックに移住、リューベック音楽院の特待生として学ぶ。20歳からはフライブルク音楽院のライナー・クスマウル氏に師事し、2005年に同音楽院を修了。1996年にフリッツ・クライスラー、ロン=ティボーの両国際音楽コンクールで1位を獲得するなど、複数の国際コンクールで優勝を重ねる。2010年にベルリン・フィルの第1コンサートマスターに就任。以後、同オケのコンサートマスターとして活動する一方で、ソリストとしても世界各国で活躍している。──樫本さんはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとして活躍する一方、ソリストとしても演奏活動を行っていらっしゃいます。ソリストとオーケストラのコンサートマスターでは、同じ演奏家といっても求められるものはかなり異なるのではないかと思われますが、なぜコンサートマスターになろうと決意されたのでしょうか。
僕の前にベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたイスラエル人のガイ・ブラウンシュタインさんという人と仲良くしていて、彼に「大進、ちょっと興味ないか」と言われたのがきっかけです。ヘッドハンティングされた形ですね(笑)。
正直言って、自分がコンサートマスターを務められる人間だとは思っていなかったですし、考えたこともなかったので、現実的に興味があるかと言われたときにはすぐに返事ができなかったです。とはいえ、もちろんベルリン・フィルのことはよく知っていましたし、憧れのオーケストラでしたから、初めて言われてからだいぶ時間が経ってはいたのですが、「受けた方がいい、受けた方がいい」とかなり強くラブ・コールを受けつつ(笑)、考えながら徐々に進めていったという感じですね。
実はオーディションは2回受けていて、1回目のときにはオーケストラ側が誰も採用しなかったのです。ファイナルまで残ったのは僕とドイツ人の方。その後にゲスト・コンサートマスターとして呼んでくれて――それもある意味で試験だったのかもしれませんが ── それから2回目のオーディションを経てコンサートマスターに内定しました。
ベルリン・フィルで演奏する樫本さん
──オケのコンサートマスターともなれば、かなり時間的に拘束されるのではないかと思います。ソリストとしての活動との両立は大変なのではないでしょうか。
スケジュール的にはそう簡単なことではないのですが、3人(ベルリン・フィルの第1コンサートマスターは3人体制)仲良くやっていますので、互いにサポートし合い、助け合ってどうにか今のところうまくいっているという感じです。中には指揮をやっている人もいますし、3人ともそれぞれ色々な活動を行っていますよ。
──ソリストの魅力、オケのコンサートマスターの魅力をそれぞれ教えてください。
比べるのは難しいのですが、ソリストとしては自分の音楽を100%正直に出して、100%自分の責任でつくっていくという感覚ですね。一方でコンサートマスターは、お客さんと指揮者の間に立って、メッセンジャーのような立場で指揮者の音楽をできるだけうまく、分かりやすく伝えるということになると思います。時には自分の音楽をあえて抑えて、全体的な面を見る方が大事になってくる。やっている仕事の内容が異なりますので、魅力というよりは、その違いが面白いですね。ソリストとしてずっと演奏してきた上でオーケストラをやると楽しいですし、でもオーケストラの中でずっと弾いているとまた久しぶりにソロをやりたいなという気持ちにもなります。両方あってちょうど良いという感じですね。
──31歳という若さでコンサートマスターに就任され、名門オケのベテランたちを束ねる立場に立たれたわけですが、当初から彼らとのコミュニケーションは上手くいったのでしょうか。
ベルリン・フィルのメンバーは、「若い」とか「ベテラン」という感覚ではなく、良いか悪いかだけの世界で生きている人たちなので、僕に対しても若いからどうだということは全くなかったですね。皆さん、素直で正直だと思います。僕が「こうして」と頼むとすぐやってくれますし、最初からそのようなスタンスで接してくれてありがたかったです。信頼してくれているなと感じました。やはり最初は色々と難しいこともありましたが、それは次第に慣れてくるものですし。これから何十年とやっていくつもりでしたし、僕自身も慣れようと急いではいなかったので、多少時間はかかりましたが。
──これまで様々なオケとの演奏経験をお持ちだと思いますが、ベルリン・フィルならではの特徴は何だと思われますか。
(オケの)一番後ろに座っている人たちから一番前に座っている人たちまでが全員、100%、150%を出し切って演奏していて、いつでも「このコンサートが自分たちの最後のコンサートだ」というつもりでいるので、その勢い、エネルギーが音に出ていると思うんですよね。一音一音を大事にする。それがこのオーケストラの一番の魅力ではないでしょうか。
ベルリン・フィルの演奏会で笑顔を見せる樫本さん
──英国出身の人気指揮者、サイモン・ラトル氏が来年で首席指揮者兼芸術監督の座を辞し、ロシア出身のキリル・ペトレンコ氏がその後を継ぐことになっています。首席指揮者が変わるというのは、オケにとって非常に大きな出来事なのではないかと思いますが、オケの日常生活において、コンサートマスターとして首席指揮者とはどのようにコミュニケーションを取っているのでしょう。
色々な指揮者がいるので、きっと皆、様々な感覚でやるのでしょうし、オーケストラによっても独自のやり方があると思います。ただ、(演奏中は)近くに座っていて、何かあればまずコンサートマスターに相談しに来てくれるという意味では、近い存在ではあります。
サイモンさんは、誰とでも仲良くしていつも一緒に食事に行って、というタイプではないですね。どちらかと言うと、意図的に距離を取っているところがあるように感じます。少なくとも僕が就任した当初からそうでした。前任者のクラウディオ・アバドが誰にでも近くにいられるようにしていた人なので、あえて違うようにしたのかなとも思います。でもとてもチャーミングで、イギリス人なのでよくご存じでしょうが、ユーモアも面白くて、楽しくやっていける方。すごく仲が良いって勝手に自分では思っているのですけれども(笑)。
──後継者のペトレンコ氏についてはどのような印象をお持ちですか。
僕は2回、一緒に演奏したことがありますが、感動的な音、音楽を僕らから引き出してくれて素晴らしい人だなと思っていたので、とても楽しみにしています。始めるのは19年、20年なのでまだ先のことではあるのですが、今年の3月にも(次期首席指揮者に)決まってから初めてゲストとしてベルリン・フィルに振りに来てくださって、素晴らしいコンサートになりました。
英語でも同じように言うのかもしれませんが、ドイツ語で「片方の目で泣いて片方の目で笑っている」という言葉があります。悲しいけれど楽しみという意味です。サイモンさんが去るのは悲しいけれど(ペトレンコ氏が来るのは)楽しみでもある。ベルリン・フィルだからこそ、両方の感情が生まれるのでしょうね。
──英国で生まれたのち、日本と米ニューヨーク、ドイツで音楽を学ばれ、特にドイツはリューベック、フライブルク、ベルリンと複数の都市で生活されたご経験をお持ちです。師事された先生によって変わってくるものとは思いますが、それぞれの国や都市による音楽教育の違いは感じましたか。
英国については生まれて3カ月で日本に戻ったため、記憶は全く残っていません。日本にいたのは幼稚園のときなので、音楽教育という点ではよく分かりませんが、11歳でドイツに行き、そこから音楽教育が始まったと思っています。それでもやはりアメリカのジュリアード音楽院では皆の勉強の仕方や教え方も分かったので、ちょっとでもかじれて良かったです。様々な教育の仕方、実際の音楽の作り方、ヴァイオリンの弾き方を知っているだけでもプラスになると思うので。
──樫本さんが実際に日本で生活された期間はかなり短いと思いますが、樫本さんにとって日本という国はどのような存在なのでしょうか。
生まれて3カ月で行って5歳までしか住んだことのない場所なのですが、やはり血は日本人なんですよね。母と2人でドイツに行って、日本人はほぼ2人だけという環境だったので、10代のころは日本語もひどかったのです。定期的に日本へ行き、日本語を使うようになると、アットホームな気分を味わえるようになりました。毎回、日本に行くのは楽しみですし、日本に滞在するのも楽しいです。でもその一方で、ツアーをしてまた(ドイツに)戻ってくるのもいいなと思います(笑)。
──7月にはロンドンのウィグモア・ホールでリサイタルを開催されます。今回演奏される曲は、どのような経緯で選ばれたのでしょう。
ウィグモア・ホールで演奏する前に、同じピアニストとのアジア・ツアーが予定されています。ウィグモアの方が時間が短いので、全部弾けないのが残念ですが、そのプログラムを使っています。今まで日本で行ってきたリサイタルは、集中的なプログラム、例えばベートーベンだけ、バッハだけを演奏するような形が多かったのですが、今回は遊び心を取り入れて、モーツァルトやシマノフスキ、ラヴェルなど色々なジャンル、様々な国の作曲家の作品が入っていて、それはそれで面白いのではと思います。
──共演されるイタリア人ピアニストのアレッシオ・バックス氏とは過去にも一緒に演奏されていますが、ピアニストとしての印象をお聞かせください。
すごくピュアな音楽家です。目立ちたい、良く見せたいなどというエゴが強くなくて、音楽そのものの美しさを引き出したいという正直な気持ちを持っている音楽家なので、そういう点が素晴らしいですね。
僕も作曲家の正直な気持ち──それは僕の目とエモーションを通してということになりますが──作曲家が何を伝えたかったかを優先的に考えて演奏したいといつも思っています。と言いつつ、実際のところ自分自身のことはよく把握できていないのですけれども(笑)。
Avex Recital Series 2017
Daishin Kashimoto, violin
Alessio Bax, piano
2017年7月22日(土)13:00開演
チケット: £20(全席指定)
会場: Wigmore Hall
36 Wigmore Street W1U 2BP
最寄駅: Bond Street 駅
チケットお問い合わせ先
Tel: 020 7935 2141
http://wigmore-hall.org.uk
プログラム
モーツァルト「ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K.301」
シマノフスキ「神話 Op.30」
グリーグ「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調」