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Mon, 22 June 2026

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欧州で味わうB級グルメ

その一口に歴史がある欧州で味わうB級グルメ

フィッシュ・アンド・チップス、カリーヴルスト、ファラフェル……。欧州の街角で食べるその味は、なぜその土地に生まれ、なぜ今も愛されるのか。本特集では、産業革命をはじめ、二度の世界大戦や東西分断、移民労働者など、「B級グルメ」の源流をたどる。さらに旅先で頬張りたい欧州の名物B級グルメを、その味が生まれた歴史や背景、発祥地をめぐる論争と合わせてご紹介。次の旅行がもっとおいしくなること間違いなし! (文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

欧州の「B級グルメ」はこうして生まれた

参考:Demographia / Old Bailey Online、BBC「Eating on the hoof: London's long history of street food」、Henry Mayhew, 「London Labour and the London Poor」、LeMO「Leben in Trümmern」、DW「Von der Currywurst zum Insektenburger」

産業革命と路上食文化の誕生

手軽で安くて、どこか懐かしい。世界中で愛される欧州の「B級グルメ」の原点をたどると、19世紀の産業革命に行き着く。工場労働者が都市に押し寄せたこの時代、労働者たちは昼食のために家へ戻る余裕などなかった。ヴィクトリア時代のロンドンでは、人口がわずか60年ほどで3倍に膨れ上がり、路上には数万人の行商人や露天商がひしめいた。エンドウ豆のスープ、温かいウナギ料理、ミートパイ。こうした腹にたまる一皿が、工場と寝床を往復する労働者たちの命綱となったのだ。産業革命は蒸気機関だけでなく、「路上で食べる文化」をも生み出したのである。

赤みを帯びた古いロンドン写真。貝売りのストールに集まる人たち1877年、ロンドンの貝売り。牡蠣やツブ貝などの貝類は、安くて栄養のある庶民の味として人気を集めた

20世紀に入ると、前世紀に芽生えた路上食文化は都市の風景に根を下ろしていく。英国ではフィッシュ・アンド・チップスの店が1930年代には3万5000軒に達した。ウィーンでは、オーストリア=ハンガリー帝国時代に復員兵士たちが移動式の調理台でソーセージを売り始めたのをきっかけに、ソーセージ・スタンドの文化が街角に広がっていった。しかし2度の世界大戦中は、各国で食料配給制が敷かれ、市民の食卓は厳しく統制された。

第2次世界大戦が終わると、欧州各地の軽食文化は新たな局面を迎える。とりわけ荒廃が激しかったドイツでは、がれきの合間に即席の食事処が立ち並んだ。設備投資がほとんどいらないこうした屋台や小店は、荒廃した街が再び動き出すための燃料のようなものだった。やがて各国で経済が上向き始めると食肉消費が伸び、ベルギーとフランスを発祥とするフライドポテトが肉料理の付け合わせとしても定着し、その文化が周辺諸国にも広がっていく。

温かい食事を求めて集まる人々の様子を写した古い白黒写真戦後のベルリンで温かい食事を求めて集まる人々。荒廃した都市では、移動販売や簡易食堂が人々の空腹を満たす貴重な存在だった

鉄のカーテンの向こう側で愛されたグルメ

冷戦時代に突入すると、西側で軽食文化が花開く一方、東側では事情がまるで違った。共産主義体制のもと、ポーランドでは国家が食の生産から流通までを握り、民間の外食産業はほとんど芽吹く余地がなかった。人々は市場の片隅や個人的なつてを頼りに食をやりくりし、国営の軽食スタンドが暮らしを支える数少ないよりどころだった。

ハンガリーは「グヤーシュ共産主義」(ハンガリーの代表的な煮込み料理になぞらえた呼称)と呼ばれる比較的穏やかな体制のもと、小さな食の商いが部分的に許されたものの、日常の食卓を担ったのは国営のセルフサービス食堂や缶詰・冷凍食品であり、街角で自由に食を商う風景は限られていた。

チェコスロバキアでも選択肢は乏しく、ヴァーツラフ広場に並ぶソーセージ・スタンドのような軽食売り場や国営の大衆食堂が、庶民にとって数少ない外食の場だった。だからこそ、制約のなかで生まれた味には独特の強さがある。フランスから持ち込んだバゲット技術で即席のピザ・トーストを作り上げたポーランドのザピエカンカ、中世から続くパン窯の伝統を揚げ物に転じて夏の湖畔の名物にしたハンガリーのラーンゴシュ。乏しい食材と限られた自由のなかで磨かれたこれらの一品は、体制が変わった今もなお東欧の街角で愛され続けている。 冷戦時代に突入すると、西側で軽食文化が花開く一方、東側では事情がまるで違った。共産主義体制のもと、ポーランドでは国家が食の生産から流通までを握り、民間の外食産業はほとんど芽吹く余地がなかった。人々は市場の片隅や個人的なつてを頼りに食をやりくりし、国営の軽食スタンドが暮らしを支える数少ないよりどころだった。

ハンガリーは「グヤーシュ共産主義」(ハンガリーの代表的な煮込み料理になぞらえた呼称)と呼ばれる比較的穏やかな体制のもと、小さな食の商いが部分的に許されたものの、日常の食卓を担ったのは国営のセルフサービス食堂や缶詰・冷凍食品であり、街角で自由に食を商う風景は限られていた。

チェコスロバキアでも選択肢は乏しく、ヴァーツラフ広場に並ぶソーセージ・スタンドのような軽食売り場や国営の大衆食堂が、庶民にとって数少ない外食の場だった。だからこそ、制約のなかで生まれた味には独特の強さがある。フランスから持ち込んだバゲット技術で即席のピザ・トーストを作り上げたポーランドのザピエカンカ、中世から続くパン窯の伝統を揚げ物に転じて夏の湖畔の名物にしたハンガリーのラーンゴシュ。乏しい食材と限られた自由のなかで磨かれたこれらの一品は、体制が変わった今もなお東欧の街角で愛され続けている。

ポーランドの伝統的なミルク・バーで行列する人々ポーランドに残る伝統的なミルク・バー。共産主義時代、安価な大衆食堂は欠かせない食の場だった

移民の波と異国の味

一方、同じ時代の西側では、まったく別の力がB級グルメの地図を塗り替えようとしていた。戦後復興から高度成長へと向かう欧州に、決定的な彩りを加えたのが移民の波だった。1960年代以降、ドイツにはトルコ人労働者が渡り、1970年代にはベルリンの路上でドネルケバブのサンドイッチが売られ始めた。英国にはインドや西インド諸島からカレーやジャークチキンが、フランスには北アフリカからクスクスやメルゲーズが持ち込まれた。異国の味は各地の屋台の風景を変え、やがて街に根付いていった。

そして現在、健康志向やヴィーガン需要の高まりを受けて、ファラフェルやベジケバブが台頭し、欧州のB級グルメは変化し続けている。安さと手軽さの裏には、労働、統制、戦後復興、移民という歴史の地層が何重にも折り重なっている。街角の味とは、いつの時代もその社会の姿を映す鏡なのかもしれない。

旅先で味わいたい!欧州のB級グルメ図鑑

編集部が厳選した欧州9 カ国のB 級グルメを、その特徴や背景とともにご紹介。路上や市場のカウンターで手渡される一皿こそが、旅の記憶に深く刻まれることも。高級レストランでは出会えない、その土地ならではの味を楽しんで!

参考:National Federation of Fish Friers、BBC「Why are Cornish pasties still so popular?」、So Dutchie「Why do Dutch people eat raw herring… and love it?」、Belga News Agency「Belgian inventions: Frites」、berlin.de「Döner Kebab ist eine Berliner Erfindung」、OÖNachrichten「Wir sind die Erfinder der Original-Käsekrainer」、Culture. pl「Polish Food 101 – Zapiekanka」、Radio Prague International「Utopenec: a Czech pub classic」、HungaryToday「Lángos – The Most Ancient of Hungarian Foods」、Tasting Table「This Spanish Seafood Sandwich」

UK英国 Fish and Chips
フィッシュ&チップス

フィッシュ&チップス

サクサクの衣をまとった白身魚と太めのチップス(フライドポテト)に、塩とモルトビネガーをたっぷり振って食す英国の国民食。19世紀、鉄道網の発達で新鮮な魚が内陸にも届くようになり、産業都市の労働者の間で爆発的に広まった。第2次世界大戦中も配給制の対象外だったため、人々の空腹を満たし続けた。フィッシュ・アンド・チップスの店は今も全英に約1万500軒を数え、その数は英国最大のチェーン店であるグレッグスと比べても約4倍、マクドナルドの約7倍に上る。

UK英国 Cornish Pasty
コーニッシュ・パスティ

コーニッシュ・パスティ

肉とジャガイモ、タマネギ、スウィード(カブの近縁種)をパイ生地で半月形に包んで焼き上げるコーンウォール地方の名物。もとは14世紀に上流階級が食べていたが、18世紀頃から労働者の食卓にも広まり、とりわけ19世紀のスズ鉱山の隆盛とともに坑夫たちの弁当として定着した。素手で持てるよう縁を厚く編み込み、ヒ素で汚れた手が食材に触れないよう持ち手として使ってそのまま捨てたという伝承が残っている。2011年には欧州連合(EU)の地理的表示保護(PGI)を取得。

スペイン国旗スペイン Bocadillo de Calamares
ボカディージョ・デ・カラマレス

ボカディージョ・デ・カラマレス

カリッと揚げたイカのリングをバゲットに挟んだだけの、潔いほどシンプルなマドリード名物。内陸の都市マドリードでイカのフライが一般的になったのは、沿岸部から安価なイカが大量に流通するようになったことが背景にある。マヨール広場周辺のバルに入り、カウンターで注文すれば数分で出てくる気軽さも魅力。レモンをひと絞りするだけで、衣のサクサク感とイカの弾力がパンの柔らかさと絶妙に調和する。昼下がりの生ビールとの相性は抜群だ。

ハンガリー国旗ハンガリーLángos
ラーンゴシュ

ラーンゴシュ

イースト入りの生地を揚げたハンガリーの伝統的なストリート・フード。名前はハンガリー語で「炎」を意味する「ラーング」に由来し、かつてはパン窯の火でフラットブレッドとして焼き上げていた。現代ではサワークリームとすりおろしチーズをたっぷり載せて、揚げたてを食べるスタイルが定番。ブダペストの中央市場や夏のバラトン湖畔の屋台で最も頻繁に出会える。表面はカリッと、中はもちっとした食感で、酸味の効いたクリームとチーズの塩気が絶妙に重なる一枚だ。

フランス国旗フランスFalafel
ファラフェル

ファラフェル

ひよこ豆をすりつぶしてスパイスを加え、カリッと揚げた中東生まれの一品。パリでは、マレ地区のユダヤ人街リュ・デ・ロジエがファラフェルの聖地として知られる。1979年創業の「ラス・デュ・ファラフェル」をはじめとする名店が軒を連ね、行列が絶えない。ピタパンに揚げたてのファラフェル、ナス、キャベツ、フムスを詰め込んだサンドイッチを、通りに立ったまま食べるのがパリ流だ。北アフリカや中東からの移民が育んだこの味は、今やパリを代表するストリートフードの一つ。

ドイツ国旗ドイツCurrywurst
カリーヴルスト

カリーヴルスト

ぶつ切りにした焼きソーセージに甘辛いトマトベースのソースをたっぷりかけ、カレー粉をまぶして紙皿で提供するカリーヴルスト。復興期の労働者たちの間で広まり、いまやドイツ全土で年間8億本以上が消費される国民食である。本場ベルリンでは皮なし(ohne Darm)タイプを小さな木のフォークで突き刺し、カレー粉の山を崩しながらいただく。考案者ヘルタ・ホイヴァーは1959年にソースを「Chillup」として商標登録しているが、発祥の地をめぐっては別の物語もある。

ドイツ国旗ドイツDöner Kebab
ドネルケバブ

ドネルケバブ

1972年、トルコからの労働者であるカディル・ヌルマンが、ベルリン動物園駅前の屋台で回転グリルの肉をパンに挟んで売り出したのが、ドイツ式ドネルケバブの原型とされる。故国の味を手軽に再現したいという移民労働者の思いから生まれ、今やドイツ最大級のファストフードに成長。たっぷりの野菜、ヨーグルト・ソース、そして薄切り肉がフラットブレッドからはみ出すボリューム感がたまらない。深夜の駅前やクラブ帰りにかぶりつくのが、ドイツのナイトライフの定番だ。

オーストリア国旗オーストリアKäsekrainer
ケーゼクライナー

ケーゼクライナー

豚肉のソーセージの中にエメンタールチーズの角切りを忍ばせ、グリルで焼き上げるウィーンの名物。1960年代後半にオーバーエスターライヒ州の料理人らが考案したとされる。かぶりつくと、中からとろりと溶けたチーズが溢れ出す。購入する場所はウィーン市内の路上に点在するソーセージスタンド。この屋台文化自体が2024年にオーストリア・ユネスコ委員会の国内無形文化遺産目録に登録された。溶けたチーズの熱さに顔をしかめながらも、かぶりつく手が止まらない。

オランダ国旗オランダHaring
ハーリング

ハーリング

塩漬けのニシンを街角の屋台でそのまま頬張る、オランダを代表するストリートフード。14世紀に内臓処理と塩蔵の技法が広まり、漁師のウィレム・ボイケルスゾーンが考案したといわれている。保存性を増したニシンは、黄金時代のオランダを支える交易品となった。尾をつまんで頭上に掲げ、上を向いてそのまま口に運ぶのが伝統的な食べ方だが、実際には刻みタマネギとピクルスを添えた一口大の切り身を爪楊枝で食べるのが一般的。白パンに挟んだ「ブローチェ・ハーリング」も人気だ。

ベルギー国旗ベルギーFrites
フリッツ

フリッツ

「フレンチフライ」の名で世界に知られるが、発祥を巡ってベルギーは強い自負を持つ。17世紀、ムーズ川流域で冬場に小魚が獲れず、代わりにジャガイモを揚げたのが始まりとされる。低温でじっくり火を通し、高温で二度目を揚げて外はカリッ、中はホクホクに仕上げるのがベルギー流。街角の「フリチュール」と呼ばれる専門屋台でコーン型の紙袋に盛られ、マヨネーズなどの多彩なディップとともに供される。2014年、このフリッツ屋台文化はベルギー国内の無形文化遺産に。

ポーランド国旗ポーランドZapiekanka
ザピエカンカ

ザピエカンカ

バゲットを縦半分に割り、マッシュルームとチーズを載せて焼き上げ、ケチャップをたっぷりかける「ポーランド式ピザ・トースト」。1970年代、ギェレク政権下でフランスからバゲット製造のライセンスが導入されたことで広まった。とろけたチーズとマッシュルームの旨み、甘酸っぱいケチャップがたまらない。限られた食材で満足感を生んだ社会主義時代の庶民の知恵が詰まった一品で、クラクフ・カジミエシュ地区ノヴィ広場の丸い建物に並ぶ屋台群はその聖地となっている。

B級グルメ「発祥地論争」は終わらない

B級グルメには、しばしば「うちが元祖だ」という発祥地論争がつきまとう。記録が乏しいからこそ土地の誇りと物語が絡み合い、真相はいっそう味わい深くなる。

英国のフィッシュ・アンド・チップスは、そもそも別々の文化から生まれた二つの食べ物だ。フライドフィッシュは16 世紀にユダヤ系移民がロンドンに持ち込み、チップスは産業革命期のイングランド北部で労働者の腹を満たしていた。この二つを一皿に合わせたのは誰かというと、1860年頃にロンドンのイーストエンドで店を開いたジョセフ・マリンと、1863年にランカシャーのモスリーで売り始めたジョン・リーズの二人が名乗りを上げているが、決定的な証拠はいまだない。

ドイツのカリーヴルストはさらに入り組んでいる。1949年にベルリンの屋台でヘルタ・ホイヴァーがカレー粉入りソースを考案したとされるが、ハンブルクの作家ウーヴェ・ティムは「194 7 年に子どもの頃、ハンブルクで食べた」と主張し、自身の小説にも登場させた。さらにルール地方も炭鉱労働者のソウルフードだと譲らない。ベルリンには記念プレートが、ハンブルクには架空の発明者を称える銘板が、ルール地方には地元愛を歌った一曲があり、この論争の決着は見えそうにない。とはいえ、こうした正解のない論争が続くのは、それだけ多くの街がこの味を愛している証拠にほかならないだろう。

 

魅力ある英国の城へいざ参らん! 夏の古城探訪

魅力ある英国の城へいざ参らん! 夏の古城探訪

英国には石造りの堅牢な城が数えきれないほどあり、かつては戦いの場として、また権力者の住居として長年活用されてきた。現在もその多くが残され、一般客が気軽に訪れることができるようになっている。英国の城にはどのような歴史があるのだろうか。今回はイングランド地域を中心に、この夏に訪れてみたい英国の城を紹介する。夏空の下、悠然とたたずむ姿はきっと心に深く刻まれる良い思い出になるはずだ。
(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.english-heritage.org.ukwww.britannica.comほか

エイヴォン川から見るウォーリック城エイヴォン川から見るウォーリック城

城、マナーハウス、宮殿の違い

英国における「城」は設立された時代やそのスタイルは実にさまざまで、これから解説する定義の中間に位置する建物も多く存在する。混在しがちなこれらの言葉は、「オックスフォード学習者辞典」では以下のような定義になっている。

● 城 Castle
過去に国王や女王、そのほかの重要人物が、攻撃から身を守るために建てた分厚く高い壁と塔を持つ大きくて頑丈な建物

● マナー・ハウス Manor House
所有地の中にある大きなカントリー・ハウス

● 宮殿 Palace
国王、女王、大統領などの公式の住居

「城」は主に「戦闘に備えたもの」として定義され、アングロ・ノルマン語および古北フランス語を起源とする後期古英語で「村」を意味する「カステル」(Castel)に由来する。戦いの少ない平和な時代に村は要塞の外側へ拡張し、その結果元々の中心部のみが要塞化された形で現在まで残っている。その後、英語の変遷により、村そのものや要塞化された部分を表す「Castle」という言葉が誕生した。なお、現代の英国では、地域によってCastleを「カッスル」または「キャッスル」と発音する。

要塞から邸宅へ

当初、城は何よりも「戦うための建物」だった。厚い石壁や深い堀は敵の侵攻を防ぐためのものであり、居住性や美観は二の次。城主といえども、その暮らしは決して快適なものではなかった。しかし武器や戦術の進化により、石造りの城壁が絶対的な防御手段ではなくなっていくと、城の存在意義そのものが問われるようになる。

やがて戦闘の場としての役割を終えた城は、貴族たちの「見せるための住まい」へと姿を変えていく。豪華絢爛な仕様への改修が盛んに行われ、快適な居住空間や美しい庭園が整備された一方、改修の手が入らなかった城は質素なまま、あるいは廃墟として残された。現在、城の見た目にこれほどのばらつきがあるのはこのためだ。用途や外観がどれほど変わろうとも、人々はその建物を「城」と呼び続けた。要塞として、邸宅として、時には監獄として。「城」という言葉は、時代ごとに異なる役割を担いながら今日まで受け継がれてきた。

どこを見ても古城だらけ 英国の城の歴史

今でこそ観光地となっている城だが、かつてはたくさんの血が流れた戦の拠点だった。おびたたしい犠牲の上に現在の平和な歴史が成り立っていることを理解しつつ、現在までの城の歴史を簡単に振り返ってみよう。

スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている

敵に打ち勝つための三つの様式

現在の英国の城の基礎は、1066年にノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム征服王)がウェセックス朝イングランド王国に対して軍事遠征を行ったノルマン・コンクエストによって、英国にもたらされたものだった。同地に住んでいたアングロ・サクソン人は、ウィリアム征服王、つまりノルマン人によって征服されたことを屈辱的に思い、たびたび反乱を起こすようになる。そこで、征服した領土の特に攻め入られそうな場所に、①モット&ベイリー様式の城を建設。11〜12世紀にかけて約1200の城が次々と建てられていったが、次第により強固な城にするために材料が木材から石材に変わり、②ストーン・キープ様式の城が登場。この時期に、ウェールズ大公サウェリン・アプ・グリフィズが戦いの末屈服し、同地のほぼ全土を征服したエドワード1世(在位1272~1307年)が、カーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城などを建設した。中世後期になると、①、②とは異なる同心円状に城壁が広がる③コンセンリック様式が主流に。この形式は昔から存在はしていたが、12〜13世紀を中心に大きく発展した。一方、スコットランドの多くの城は、1286年にスコットランド王アレグザンダー3世の死後、それまでの巨大なものから5~6階建ての四角いタワー・ハウスと呼ばれる独自の様式に移っていった。

発展と衰退を繰り返す城

14世紀ごろまではより洗練された城の建築が盛んに行われていたものの、15世紀には戦闘・防衛目的で維持された城はほんのわずかとなり、一部の状態の良いものは貴族たちの宮殿として活用されるなど、城を持て余す時代に突入する。しかし14世紀末から15世紀の百年戦争の時代に火薬で砲弾を飛ばす初期のタイプの大砲が登場。15世紀にその改良版が欧州にも紹介されたため、海岸に造られた城の防御を再び固めたが、これも大して行われないままあっさりと終息。そして数々の内戦や、第一、第二次世界大戦に一部の城が利用されたが、次第に軍事的な目的での利用はほとんどなくなっていった。一方、18世紀ごろからそれらを後世に残そうとする文化的な保護活動が活発に。こうして役目を終えたラッキーな城だけが運よく現代まで残ったのだ。

初期の城の基本スタイル

1 モット&ベイリー様式
Motte and Bailey Castles

クリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった

モットと呼ばれる土で盛った3〜30メートルほどの丘の上に、天守閣(Wooden Fort)を持つ形式。モットから見下ろす場所にはベイリー(Bailey)と呼ばれる広い中庭があり、厩舎や兵舎、食堂、作業場、マーケットなどが設けられ、周辺地域に経済的な効果をもたらした。このエリアを囲むように木の柵が、その外側には水路または深い堀が設けられていたため、一つの門(Gateway)からしか攻め入ることはできず、そこには跳ね橋がかけられていたため、必要に応じて上げ下げしていた。数カ月あれば建設できるものの、木材のため火に弱いのが欠点だった。

2 ストーン・キープ様式
Stone Keep Castles

ノリッジ城(Norwich Castle)現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった

木材を使用する①の様式を石に変換したもので、長方形または貝殻天守(Shell Keeps)と呼ばれる円状の天守があり、寝室やキッチンなどさまざまな部屋を備えていた。石は耐火性と耐久性に優れた素材であったものの、農民の労働力でできた木造の要塞とは異なり熟練した職人を必要としたため建設には数年がかかり、その建設費用も莫大だった。そのため石造りの城は領主や王にとって権力を誇示できる意味合いもあったという。最大7メートルの分厚い外壁を有する城もあり、大砲などの強力な兵器が発明されるまで、突破することはほぼ不可能だった。

3 コンセンリック様式
Concentric Castles

ケルフィリー城(Caerphilly Castle)ウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城された

要所に塔が付随するカーテン・ウォール(Curtain Wall)と呼ばれる長く分厚い複数の壁に囲まれた城で、①、②よりもはるかに大規模。内側から同心円状に広がるように造られていた。同様式の典型的な城は、天守閣が独立せずに壁の一部に組み込まれ、内側の壁は外側よりも高く造られており、外壁を突破した敵兵を上から撃ち落としたり、その規模から投石器のような大きな兵器を使用したりすることもできた。建設費は②をはるかに凌ぐもので、エドワード1世のような一国の王などごく限られた人物だけが造ることができた鉄壁の城だった。

編集部が独断と偏見で選ぶイングランドで訪れるべき城

イングランドだけでも4000を超える城が残っており、そのどれもが興味深い歴史を持つが、その中で気になる城を選んだ。実際に訪れる際は、ぜひ各ウェブサイトで歴史を読んでから行ってみてほしい。

現代でいう最新のデザイナー建築だった Tattershall Castle
タターズホール城

タターズホール城

1231年、ロバート・デ・テートシェールによって築かれた石造りの城(マナー・ハウス)を、1419年に相続した第3代ラルフ・デ・クロムウェル卿は、後にその城を拡張した。要塞という城本来の機能を捨て、当時はまだ珍しかった高価な赤レンガを使った美観重視の全面的な改修を行うことを決める。フランダース地方からわざわざ職人を呼び寄せ、煙突はゴシック様式など他に類を見ない瀟洒な外観となった。加えて新しい溝を掘らせ、既存のものと合わせ二重の堀を整備。これは一応城の防衛の役目も果たしていたものの、美しい城を長い時間をかけて見てほしいと、訪問者を必要以上に歩かせるためだったとか。

Tattershall Castle
Sleaford Road, Tattershall, Lincolnshire LN4 4LR
ロンドンのKings Cross駅からPeterborough駅で乗り換え、Ruskington駅まで約1時間55分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/nottinghamshire-lincolnshire/tattershall-castle

雑すぎ怖すぎ捕まえすぎ Warwick Castle
ウォーリック城

ウォーリック城

914年にはすでに木造の砦が建設されていたイングランドの中でもかなりの歴史のある城。1068年に現在の基となった城を建てる際、敷地面積を拡大した都合で民家4軒を破壊した。刑務所として使われた時期もあったことから幽霊が出ることでも有名で、建物内を大股で歩く音やうめき声、金属製のドアから外を眺める看守の黄色い目が見えたなど、今も目撃証言が絶えない。また、かつて地下牢には第16代ウォーリック伯のリチャード・ネヴィルによってエドワード4世が捕らえられていたが、後に釈放、ネヴィルは4世が率いる軍に押され、バーネットの戦いで亡くなった。恨みを買いそうなことだらけの同城の現在の所有者は、ろう人形館マダム・タッソーを運営するエンターテインメント会社だというから驚きだ。

Warwick Castle
Warwick, Warwickshire CV34 6AH
ロンドンのMarylebone駅からWarwick駅まで約1時間30分、同駅から徒歩で約15分。
www.warwick-castle.com

家族のために建てた愛あふれる住まい Bodiam Castle
ボディアム城

ボディアム城

エドワード3世に仕えたエドワード・ダリングリッジ卿によって百年戦争の最中の1385年に建てられた。ボディアムの邸宅を所有していた富裕層のワルドゥ家の相続人のエリザベスと結婚し、当初は騎士時代に貯めたお金を使って家族のために邸宅を建てる予定だったが、仏軍の侵攻を危惧し急遽城に変更。イングランドの多くの城が異なる所有者によって数世紀かけて築城されたのに対し、ボディアム城はダリングリッジ卿によって一時に建てられたため、城のデザインは細部まで統一されている。庭園もあり大変心地の良い場所で、お堀の中にたたずむ姿は他に例を見ない美しさだ。しかしながら、約30の下水が堀に直接放出され、その匂いは相当なものだったそう。

Bodiam Castle
Bodiam, near Robertsbridge, East Sussex TN32 5UA
ロンドンのCharing Cross駅からBattle駅まで約1時間30分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/sussex/bodiamcastle

「イングランドへの鍵」と呼ばれた要塞 Dover Castle
ドーヴァー城

ドーヴァー城

かつて「イングランドを制するならドーヴァー城を」といわれたほど鉄壁な城で、海から渡ってくる敵をことごとく打ち落とす要塞として第2次世界大戦まで使われた。その礎は鉄器時代(紀元前500~332年)にも遡る。海岸沿いという立地から、群を抜いて歴戦を経験しており、ナポレオン戦争(1803~15年)では駐屯地となり、崖の頂上から約15メートル下に軍隊を収容するためのトンネルが掘られた。このトンネルはその後1世紀以上放置されるが、第2次世界大戦が始まると、防空壕、軍事病院、また極秘司令センターとして再び機能。ダンケルクの戦いで行われたダイナモ作戦もここから発令された。現在公開されているトンネルは「アネックス」と「ケースメイト」の2本だ。

Dover Castle
Castle Hill, Dover, Kent CT16 1HU
ロンドンのSt Pancras駅からDover Priory駅まで約1時間10分。駅からバスか、徒歩で25分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/dover-castle

内戦に巻き込まれた悲劇の城 Corfe Castle
コーフ城

コーフ城

モットの上にそびえ立ち、眼下に町を見下ろすコーフ城は、ウィリアム征服王によって1066年ごろに建てられ、刑務所として、また王冠を保管する王城として使われていた。栄華を極めた時代もあったもののイングランド内戦(1642〜51年)で議会派の円頂党(Roundheads)によってその大部分が破壊され、現在はひどく荒れている。地盤を爆破され大きくずれ込んだ南西の門楼もそのままだ。そんな歴史はお構いなしに破壊された石を持ち帰って家を建てた村人も多くいた。城にはレイブンの巣があり、鳥が去れば城は崩壊するといわれている。また、同地は青銅器時代の遺体や装飾品が多く埋葬されているため、敷地内での金属探知機の使用を禁止している。

Corfe Castle
The Square, Corfe Castle, Wareham, Dorset BH20 5EZ
ロンドンのWaterloo駅からWareham駅まで約2時間20分、同駅からバスで約15分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/dorset/corfe-castle

数世紀前からとっくに廃墟だった Restormel Castle
レストーメル城

レストーメル城

イングランド南西部のコーンウォールにある廃墟で、12世紀ごろに最初の城が建ち、13世紀後半に現在に見られる円形の城が完成した。このデザインはヘンリー3世の甥のエドマンドによる立案とされており、城を「ミニチュアの宮殿」に変えるべく、狩猟施設や庭園、静寂を求める人のための隠れ家を整備。以降、城主が代わるごとにさまざまな修繕が行われたが、いずれも公園の維持費に多くのお金を使い、引き続き狩猟を楽しんでいたようだ。16世紀にはほぼ廃墟となったが、人々はそれを過去の遺産として朽ち果てていく様子を眺め、18世紀には人為的に緑を増やした。1920年代にようやく保護へ動き出し、部分的に復元され、現在のような姿に生まれ変わった。

Restormel Castle
Off Restormel Road, Lostwithiel, Cornwall PL22 0EE
ロンドンのPaddington駅からPlymouth駅で乗り換え、Lostwithiel駅まで約4時間、同駅から徒歩で約30分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/restormel-castle

文学オタクが叶えた夢 Tintagel Castle
ティンタジェル城

ティンタジェル城

夏になると大変にぎわう、イングランド南西部のコーンウォール北部ティンタジェル半島にある城。初代コーンウォール伯リチャード(1209〜72年)は、所有していた三つの邸宅を同半島を含む小さな土地と交換し、本島側に外郭を、岬側に大広間と部屋のある内郭を造った。リチャードは12世紀に出されたキリスト教聖職者ジェフリー・オブ・モンマスの物語「ブリタニア列王史」(Historiae Regum Britanniae)に出てくるアーサー王の伝説、とりわけ物語の舞台になるティンタジェルに強く心をひかれ、物語の一部を再現してみせたのだ。しかしやはり場所が悪く、建築から数十年と経たないうちに城は荒廃してしまった。

Tintagel Castle
Castle Road, Tintagel PL34 0HE
ロンドンのPaddington駅からBodmin Parkway駅まで約3時間50分、同駅からバスで約1時間30分〜2時間。途中バスを乗り継ぐので、事前に時刻表を確認しよう。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/tintagel-castle

匠の意匠で美しく生まれ変わった Lindisfarne Castle
リンディスファーン城

リンディスファーン城

宗教改革によりリンディスファーン修道院が失われたが、現在も巡礼者が絶えないイングランド北部のホーリー島にある城。16世紀に築城、18世紀までは数々の王に管理されてきた。1901年、当時「カントリー・ライフ」誌のオーナーだったエドワード・ハドソンが賃貸物件となっていたこの城を借り、ニューデリーの都市計画を担当した英建築家エドワード・ラッチェンスと、自生植物を生かす女性造園家のガートルード・ジーキルに改修を依頼。内装はアーツ・アンド・クラフツ様式に、庭はたくさんの花で埋め尽くされた。

Lindisfarne Castle
Holy Island, Berwick-upon-Tweed, Northumberland TD15 2SH ロンドンのKings Cross駅からBerwick-upon-Tweed駅まで約3時間40分、同駅からタクシーかバスで約15分。満潮時にはたどり着けないので、National Trustの開館時間を見つつ、www.tidetimes.org.uk/holy-island-tide-times を使って潮の満ち引きを確認しよう。
www.nationaltrust.org.uk/visit/north-east/lindisfarne-castle

スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで訪れるべき城

英国全土に点在する城も、地域が異なればまたその特徴も少々異なってくる。こちらも独断と偏見で選んでみた。

スコットランド おとぎ話の世界観 Dunrobin Castle
ダンロビン城

ダンロビン城

13世紀以来、スコットランド貴族のサザーランド伯爵と氏族の本拠地で、インヴァネスから車で北に約1時間の場所にある。城は長い年月をかけて拡張を繰り返し、現在の建物は1835〜50年に建築家チャールズ・バリー卿によって、中世後期~ 近世初期のスコットランドの建築様式と装飾を復活させたゴシック・リバイバル建築「スコットランド男爵」(Scottish baronial)様式に改修されたもの。円錐形の屋根や小さな塔を指すトゥーレルなど、まるでおとぎ話の世界のような雰囲気を醸し出している。

Dunrobin Castle
Golspie, Sutherland KW10 6SF
www.dunrobincastle.co.uk

スコットランド パノラマ写真で収めたい Eilean Donan Castle
アイリーン・ドナン城

アイリーン・ドナン城

13世紀に建てられ、大自然の中にたたずむハイランド地方特有の雄大さが感じられる城。1719年のジャコバイト蜂起によって英海軍による徹底的な集中砲火にあい、以後200年余り放置され、荒涼とした廃墟になった。現在見られる城は、英陸軍将校のジョン・マクレー・ギルストラップ中佐が1911年にこの島を購入し、再建したもの。現存していた城の初期の平面図に従って、20年以上の歳月を費やした再建工事が1932年7月に終了した。99年の映画「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」のロケ地にもなっている。

Eilean Donan Castle
Dornie by Kyle of Lochalsh IV40 8DX
www.eileandonancastle.com

ウェールズ 世界遺産に登録された Caernarfon Castle
カーナーヴォン城

カーナーヴォン城

1283年にウェールズを征服したエドワード1世によって、ウェールズ一帯に造られた城の一つ。ウェールズ人の統制を目的としたこれらの一連の要塞を「鉄の指輪」と呼ぶが、その中でも最強とうたわれ、莫大な建築費がかかった城だ。カーテン・ウォールに組み込まれた12の八角形の塔のデザインは、コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)を想起させるために選ばれたデザインと考えられている。この城はグウィネズのエドワード1世の城郭と市壁として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

Caernarfon Castle
Castle Ditch, Caernarfon LL55 2AY
https://cadw.gov.wales/visit/places-to-visit/caernarfon-castle

ウェールズ 柔らかな赤砂岩の流麗な城 Powis Castle and Garden
ポウィス城 & ガーデン

ポウィス城 & ガーデン

13世紀にできた城で、当時エドワード1世がウェールズを支配する目的で次々に築城していたのに対し、ポウィス城はウェールズの王子、グリフィズ・アプ・グウェンウィンによって王朝の本拠地として建てられた。有名なのは庭園で、1680年代に初代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバートが一連のテラスと芝生の斜面を造らせた。以降イタリア、オランダの水庭、自然主義的な様式など、そのときどきの流行によって庭園を変え、現在はバロック様式で落ち着いている。

Powis Castle and Garden
Powis Castle and Garden, Welshpool SY21 8RF
www.nationaltrust.org.uk/visit/wales/powis-castle-and-garden

北アイルランド 中世にできた石畳を歩こう Dunluce Castle
ダンルース城

ダンルース城

玄武岩でできた崖の上にあり、急峻な道に囲まれた城で、1500年ごろにマクキラン家によってアントリム北部の崖に建てられた。その後マクドネル一族によって占有されたが、17世紀にはアントリム伯爵家の本拠地になり、1608年には近隣に町が形成された。近年では、ファンタジー・ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」に、グレイジョイ家の本拠地パイクとして描かれたことで話題に。城の近くにはマグヘラクロス展望台(Magheracross Viewing Point)があり、車移動では見られない海岸線を望むことができる。

Dunluce Castle
87 Dunluce Road, Bushmills, Antrim BT57 8UY
https://discovernorthernireland.com/things-to-do/dunluce-castle-p675011

北アイルランド 同じ名前なのに違う立地!? Belfast Castle
ベルファスト城

ベルファスト城

現在のヴィクトリアン様式の城は1867〜70年にかけて造られたが、ここに建てられる前にも同じ名前の城が存在していた。一つ目は12世紀後半に、二つ目は1611年にベルファスト男爵アーサー・チチェスター卿によって石と木材で一つ目と同じ場所に築城された。約100年後、火事によって二つ目の城は焼失。三つ目に当たる現在の城は、市内北部の丘(Cavehill Country Park)の斜面にある。以前と全く違う場所なのに同じベルファスト城として、現在はカフェやイベント会場がある複合施設として開放している。

Belfast Castle
Antrim Road, Belfast BT15 5GR www.belfastcastle.co.uk

ラグジュアリー体験間違いなし!古城ホテルに泊まろう

古城ホテル Hever Castle

かつての城をB&Bやホテルとして改修し、宿泊施設として開放している城もたくさんある。贅沢なステイを楽しみたい人へ向けた人気の物件となっており、なかには11世紀に建てられた城もある。もちろん水回りや部屋はきちんと整備されているのでご安心を。13世紀に建築され、エリザベス1世の母、アン・ブーリンが幼少期を過ごした「ヒーバー・キャッスル・ラグジュアリー・ベッド&ブレックファスト」なら安い時期は豪華な朝食付きで1泊200ポンド(約4万3000円)もかからず、美しい庭園も散策できる優雅な1日が約束される。日常の喧騒から離れたい人にぜひお勧めだ。

Hever Castle Luxury Bed and Breakfast
www.hevercastle.co.uk

あなたも城主になれる!?城が売り出される英国の不動産

タブロイド紙では、しばしば「この城が〇〇ポンドで売り出し」といった見出しのニュースを見掛けることが多い。英国では城が不動産市場に出ることは珍しいことではなく、むしろ「カントリー・ハウス部門」を設けている不動産会社まであるほどだ。売り出し価格はさておき、サイトを覗けばかなりの確率で城の売り出し広告を見ることができる。売買される城の多くは、たいてい特定の家族の邸宅として建てられているため、城に関する良好な記録が比較的残っており、それを通じて買い手もその城の歴史や価値を知ることができる。維持費が大変なのは確実だが、いわゆる「欧州らしい」城を求めて、国際市場を中心に人気があるようだ。

古城ホテル Hever Castle11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約6億4000万円)で売られている城の広告

 

エコ・ポピュリズムを掲げる英国の緑の党とは

エコ・ポピュリズムを掲げる 英国の緑の党とは

英国でイングランド・ウェールズ緑の党(Green Party of England and Wales 以下、緑の党)が、地方選での躍進を追い風に存在感を強めている。異色の経歴を持つザック・ポランスキー党首は、気候危機に加えて生活費や公共サービスを前面に出し、支持の裾野を広げた。一方で、急成長に伴う党運営の課題や、欧州大陸の緑の党とは異なる路線も浮かび上がる。この特集では英国の緑の党の躍進と、その背景にある変化に焦点を当てた。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

ゾーイ・ガーベット氏が当選し、同氏の両親と喜びを分かち合う、ポランスキー党首ロンドン東部ハックニー区長選挙でゾーイ・ガーベット氏が当選し、同氏の両親と喜びを分かち合う、ポランスキー党首(写真中央左)

参考: https://greenparty.org.ukhttps://yougov.comwww.bbc.co.ukwww.jiji.comほか

英国の緑の党とは

2025年9月、緑の党の党首選が行われた時点で、同党の党員数は約6万8000人、下院議席はわずか4議席。環境問題への関心の高まりにもかかわらず、英国政治において緑の党はなお周縁的な存在と見なされることが多かった。

しかし、それから8カ月後の26年5月7日に行われた地方選挙と地方議会選挙で、緑の党は党史上最高の結果を記録。ロンドン東部のハックニーと南東部のルイシャムで史上初となる公選市長を獲得し、北東部のウォルサム・フォレストを含む複数の自治体で主導権を握った。さらに英中部のノリッジとヘイスティングでは議会の過半数を確保し、北部のマンチェスター、シェフィールド、リーズに加え、中部のオックスフォードや南西部のエクセターでも議席を大きく伸ばした。

この躍進はイングランドにとどまらなかった。ウェールズでは、イングランド・ウェールズ緑の党の自治部門として活動するウェールズ緑の党(Wales Green Party)が、セネッド(Senedd)で史上初となる2議席を獲得した。スコットランドでは、独立した組織であるスコットランド緑の党(Scottish Green Party)が、エディンバラとグラスゴーで初めて選挙区議席を獲得。英国全体での推計得票率は18パーセントに達し、労働党と保守党をともに上回った。かつては一部の環境意識の高い有権者に支持される小政党と見なされていた緑の党は、この選挙を境に、気候変動対策や社会的不平等の是正を掲げる全国政党として、英国政治の新たな対立軸を担う存在として広く認識されるようになったといえる。ポランスキー党首は「二大政党政治は死んだ。新しい政治は緑の党対リフォームUKだ」と宣言した。

ポランスキー党首(写真左)、与党労働党のスターマー党首(同中央)、リフォームUKのファラージ党首(同右)。ポランスキー党首(写真左)、与党労働党のスターマー党首(同中央)、リフォームUKのファラージ党首(同右)。5月7日の地方選で議席が大変動した

緑の党の歩み

  • 1973PEOPLE党
    現在のイングランド・ウェールズ緑の党の前身として結成
  • 1975環境党(Ecology Party)
    環境問題を前面に掲げる政党として改称
  • 1985緑の党(Green Party)
    「グリーン」の理念を明確に打ち出す名称へ変更
  • 1990イングランド・ウェールズ緑の党
    (Green Party of England and Wales)

    現在の党名に改称

※欧州規模では欧州緑の党(European Green Party)の、世界規模では グローバル・グリーンズ(Global Greens)のメンバー

※スコットランド緑の党(Scottish Green Party)と 北アイルランド緑の党(Green Party Northern Ireland)はそれぞれ独立した組織であり、英国全国を単一の組織としてカバーする緑の党は存在しない

緑の党の立役者ザック・ポランスキー党首 Zack Polanski

ザック・ポランスキー党首ザック・ポランスキー党首

2025年9月に党首に就いたザック・ポランスキー氏は、緑の党の知名度を大きく押し上げた人物として注目されている。気候変動や自然保護を前面に掲げてきた同党は近年、生活費危機、住宅、公共サービス、移民や人権といった論点でも支持を広げてきた。ポランスキー党首はこうした政策を「エコ・ポピュリズム」というキャッチーな言葉で打ち出し、複雑な問題を「分かりやすい敵」と「分かりやすい希望」の構図に置き換えて発信してきた。

その結果、支持はとりわけ若い世代に広がり、党員数は25年9月時点の約6万8000人から、26年春には23万人以上へと急増。労働党と保守党への不満の受け皿ともなり、5月7日の地方選での躍進は、緑の党が環境問題に特化した政党 から、都市部を中心に支持を集める「第三極」へと変貌しつつあることを印象づけた。ここでは、その変化を象徴するキーパーソンであるポランスキー党首の横顔を見てみよう。

セルフ・ブランディングを確立

1982年、英北部サルフォード生まれ。本名はデービッド・ポールデン(David Paulden)。祖父はポーランドでナチスの迫害を逃れた際、反ユダヤ主義から身を守るために姓を英語風に変えていたが、ポランスキー氏は18歳のとき、その姓を元の「Polanski」に戻し、同時に「ザック」と名乗り始めた。また、10代で自身が同性愛者であることを自覚したという。ウェールズのアべリストウィス大学(Aberystwyth University)で演劇を学び、政治に目覚めたのは2005年の米アトランタ留学時。ロンドンに戻り俳優として生計を立てながらブラジルの演出家アウグスト・ボアール(Augusto Boal)が提唱した「被抑圧者の演劇」(Theatre of the Oppressed)に出会った。これは社会においてさまざまな抑圧を被る人間が、演劇を通じて自らの声を発見し表現するためのメソッドといわれている。本人は、若年期の周縁化の経験が少数者の権利や差別への問題意識につながったと説明してきた。緑の党が掲げる多様性や人権の訴えと重なり、発信の説得力を補強している面がある。

ビラ配り、バーテンダー、家庭教師、催眠療法士

当初は既成政党への関心は薄かったものの、小選挙区制(First Past the Post)を比例代表制に変える政策に共感し、2011年に自由民主党(Liberal Democrats)に入党。その後、当時の緑の党党首ナタリー・ベネット氏(Natalie Bennett)と知り合い、17年に緑の党へ移った。この間の生計を立てるための仕事は多彩で、ナイトクラブのビラ配り、バーテンダー、家庭教師、そして催眠療法士としても働いた。催眠療法士としての過去は今も尾を引く。13年に「サン」紙の記者から「催眠術で女性の胸を大きくしてほしい」と頼まれ、その「施術」を行った記事が掘り起こされるなどした。「タイムズ」紙も、催眠療法士資格の虚偽申告疑惑に加え、英国赤十字のアンバサダーを名乗っていた問題を報じた。赤十字側は「そのような役職はなかった」と否定。ポランスキー氏はBBCの取材に対し、資金集めのイベントで活動を紹介した経験はあるものの、「アンバサダー」という表現を用いたのは誤りだったと認めている。

反ユダヤ主義問題

5月6日の地方選直前に、緑の党の候補者のうち約30人が反ユダヤ的投稿を理由に調査対象となった。また、ポランスキー氏自身も4月29日のロンドン北部ゴールダーズ・グリーンでの刃傷事件の直後に、逮捕した警官を批判するツイートを拡散して謝罪に追い込まれた。ポランスキー氏はBBCに対し全候補者への義務的トレーニングと標準化された調査プロセスを導入すると語っている。また「反ユダヤ主義は社会と同様に緑の党でも完全に歓迎されない」と強調した。

ユダヤ人指導者や他党の政治家、ロンドン警視庁のトップらは、ポランスキー氏が十分な対応を取っておらず、英国でユダヤ人への暴力が急増する中で反ユダヤ的感情を煽るリスクがあると警告している一方、緑の党はコービン時代の労働党と同様に、パレスチナ支持の左派を弱体化させるために反ユダヤ主義のレッテルを意図的に貼られているとする擁護の声もある。ポランスキー自身がユダヤ人であることから、「パレスチナ人のために声を上げるのは、ユダヤ人としてのアイデンティティーゆえ」とも語る。

エコ・ポピュリズムを標ぼう

ポランスキー氏は党首選キャンペーン中、有権者の感情に訴えかける大規模な「エコ・ポピュリズム」運動を約束した。BBCによると、そのアプローチの鍵となるのは、ポランスキー氏が右派ポピュリスト政党のリフォームUK党首ナイジェル・ファラージ氏の「ストーリーテリング」能力を高く評価している点だ。ポランスキー氏はBBCのニュース番組「ニュースナイト」で、同じ手法を活用して、リフォームUKとは異なるメッセージを送ることができると語っている。

政治における「ストーリーテリング」とは、データや政策の羅列ではなく、感情に訴える物語の構造で有権者に語りかける技法のこと。例えば、「エリートvs普通の人々」「ウェストミンスターvs地方」など明確な「敵役」と「被害者」を設定したり、リフォームUKでいえば「移民が仕事を奪っている」など、複雑な問題をシンプルな物語に落とし込んだりする方法だ。この手法はそもそも扇動的で分断的な要素があり危険ともいえるが、緑の党は「国民の怒りと向き合い、それを希望に変え、解決策へと転換しなければならない」と述べている。気候危機と不平等を結びつけ、不公平な制度を是正するためには抜本的な行動が必要だと訴える。

ゴートン&デントン補欠選挙

26年2月にマンチェスター北東部ゴートン&デントン選挙区の下院議員補欠選挙で、伝統的な労働党の牙城である同選挙区を奪取した。緑の党のハンナ・スペンサー氏が40.7パーセントの得票率、4402票差で勝利。緑の党にとって初の補欠選挙での勝利であり、かつ補欠選挙での最高得票率を30ポイント以上上回る歴史的な結果だった。英国北部で初の緑の党議員誕生となり、同党が英南部の中産階級だけでなく、北部の労働者階級の地盤にも食い込めることを示した。ポランスキー氏は「最初から、リフォームUKを倒せる唯一の党は緑の党だと言ってきた。我々は失望させるためではなく、労働党に取って代わるためにここに来た」とコメント。

ちなみに、労働党の政治家でマンチェスター市長のアンディ・バーナム氏が候補として名乗りを上げたが、労働党規則により全国執行委員会(NEC)の許可が必要であったところ、「市長補選が5月の統一地方選と重なる」などとしてNECが出馬を拒否。これが大きな批判を呼んだことは記憶に新しい。

数字で見る緑の党の躍進

全国累計議席数

緑の党は「環境だけの党」ではなくなった

かつて緑の党を支持する最大の理由は、気候変動や環境政策だった。しかし2026年の調査では、「環境政策が最も魅力的」と答えた人は22パーセントにとどまり、1年前の49パーセントから半減した。代わって増えたのが、環境以外の政策や価値観への共感だ。住宅、生活費、公共サービス、経済政策、人権などを含む「より広い政策全般」を支持理由に挙げた人は38パーセントに達した。

支持層は「環境派」から「左派の受け皿」へ

調査会社YouGovは、緑の党が単一争点の政党ではなく、より一般的な左派政党として認識されつつあると分析している。支持者は環境政策だけでなく、「既成政治に代わる進歩的な選択肢」として緑の党を見ている。

  • 10% 「左派であること」自体が最大の魅力
  • 8% 自分の価値観と一致する
  • 16% 既存政党とは違う新しい選択肢
  • 6% 普通の人々を代表している

ザック・ポランスキー効果

25年9月に党首に就任したザック・ポランスキー氏の存在も大きい。YouGovは、ポランスキー党首のポピュリスト的で分かりやすい語り口が、従来の党首よりも高い注目を集めたと指摘している。ただし新しい層を大量に開拓したというより、もともと緑の党を選択肢として考えていた人々を、実際の投票へと押し出したことが重要だと分析する。

  • 緑の党への投票を「検討する」と答えた人 28%
  • 党首就任前の25〜26%からの増加は小幅。
    一方、実際の投票意向は11%から19%へ上昇

「死票」への不安が弱まった

緑の党に対する最大の懸念は依然として「どうせ勝てない」という見方である。今回も36パーセントが最大の不安として挙げた。ただし1年前の50パーセントから大きく低下。また、「全く不安はない」と答えた人は16パーセントで、前年の9パーセントから増加した。特に2024年に労働党に投票した層では、緑の党への投票は「死票になる」が59パーセントから25パーセントへ減少する変化が見られた。

支持層の中心 - 若者・女性・高学歴

YouGovの別調査によれば、緑の党の支持層には次のような特徴がある。

緑の党の支持層

緑の党の支持拡大は、環境政党としての魅力が強まったからではなく、「生活費」「経済」「公共サービス」「価値観」を含む総合的な左派政党として受け止められるようになったからである。これは、ポランスキー氏が掲げるエコ・ポピュリズムが、環境政策を一般の暮らしの問題と結びつけることに成功していることを示している。緑の党の支持層は上の図のような人々が中心だが、環境意識の高い少数派の政党というイメージを脱却し、労働党に失望した進歩派有権者の現実的な選択肢になりつつある。

英国緑の党の主要政策

経済・財政

  • 富裕税の導入
  • 水道・エネルギー
  • 鉄道の国有化
  • ユニバーサル・ベーシックインカムの導入
  • 大学授業料の廃止

住宅

  • 家賃規制の導入
  • 地主制度の廃止
  • 社会住宅・公営住宅の大幅増設

社会・権利

  • 全薬物および売春の非犯罪化
  • ジェンダー認定の簡素化
  • LGBT権利の拡充

外交・安全保障

  • NATO脱退
  • 米国よりも欧州諸国との連携を重視
  • 核の一方的軍縮

移民・国境

  • 就労・納税希望者は原則として受け入れる
  • 数値目標による移民制限に反対
  • 長期的に国境のない世界を目指す

環境

  • 化石燃料企業への対抗
  • 気候変動対策の強化
    (ただし党の訴求上、環境政策は現在は後景に退いている)

移民・国境

  • 就労・納税希望者は原則として受け入れる
  • 数値目標による移民制限に反対
  • 長期的に国境のない世界を目指す

選挙制度

  • 小選挙区制から比例代表制への移行
  • 上院の廃止

スコットランドとウェールズの緑の党

英国の緑の党は、ポランスキー氏の率いるイングランド・ウェールズ緑の党のほかに、スコットランドとウェールズにそれぞれ独自の緑の党が存在する。

スコットランド スコットランド緑の党(Scottish Greens)

Scottish Greens新しくスコットランド議会議員となったメンバーたち

スコットランド緑の党は1990年、当時の英国全体の緑の党から分離して結成された。2026年5月のスコットランド議会選挙の結果、同党は過去最多となる15議席を獲得した。初めて小選挙区で当選者を出し、ローナ・スレーター氏(Lorna Slater)がエディンバラ中央選挙区で、ホリー・ブルース氏(Holly Bruce)がグラスゴー南側選挙区で当選した。地方自治体レベルでも約30人以上の議員を擁している。

2021年から24年にかけては、スコットランド国民党(SNP)との「ビュート・ハウス協定」に基づき、閣外協力の形で政権運営に参加した。パトリック・ハーヴィー氏(Patrick Harvie)とスレーター氏が副大臣級ポストに就き、廃棄物焼却施設の新設抑制や自然保護政策の推進などに取り組んだ。これは英国の緑の党系政党として初めて本格的に政権の一翼を担った例である。24年4月に当時の首相フムザ・ユーサフ氏(Humza Yousaf)が協定を解消し、現在は野党の立場に戻っている。

ウェールズ ウェールズ緑の党(Wales Green Party)

Scottish Greens党首のアンソニー・スローター氏

ウェールズ緑の党はイングランド・ウェールズ緑の党の一部として機能しており、スコットランドのように完全独立した組織ではない。2018年に独立を問う党員投票が行われたが、65パーセントが反対し、現状維持となった。

党員数はポランスキー氏就任後の追い風を受けて急増し、2026年3月には8000人を超えた。今回から選挙制度が従来の混合制から完全比例代表制(ドント式)に変わり、定数も60から96に増えた。最新の世論調査ではウェールズでの緑の党支持率は10%超と前回の約2倍に達した。これまでウェールズ議会に議席を得たことはなかったが、5月7日の選挙で初の2人の議員がウェールズ議会に選出。その一人であるウェールズ緑の党の党首アンソニー・スローター氏(Anthony Slaughter)は、子ども時代を南アフリカで過ごし、パンク・バンド「ライオット・スクワッドSA」のボーカリストで、反アパルトヘイト活動家として英国に渡ったという経歴を持つ。今回は生活費の削減を目的とした家賃規制の導入を公約に掲げた。

欧州の緑の党

欧州議会の欧州緑の党・欧州自由連盟(Greens/EFA)は2024年選挙で74議席から53議席へと大幅に議席を減らし、その後も低迷が続いた。26年4月の最新試算では39議席とやや持ち直しているものの、19年のピーク時からは大きく後退したままだ。欧州各国の現状を見ていく。

ドイツ ドイツ

ドイツの「同盟90/緑の党」(Bündnis 90/Die Grünen)は欧州最大規模の緑の党だ。2021年から社民党・自由民主党との三党連立に参加し、環境・エネルギー・外務の各省を担ったが、エネルギー危機と生活費高騰の中で有権者の批判を正面から受けた。24年の欧州議会選挙では19年の21議席から12議席へと大幅に議席を減らし、25年2月の連邦議会選挙では11.6%の85議席で野党に転じた。現在の世論調査では13.5パーセントで第三党に位置する。

一方で2026年3月のバーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙では、30.2パーセントで最大政党の座を維持するなど、地域によっては依然として強固な支持基盤を持つ。

オーストリア オーストリア

オーストリアの緑の党(Die Grünen)は2019年の選挙で13.9パーセントという過去最高の得票を記録し、中道右派の国民党(ÖVP)と史上初の連立政権を組んだ。環境・気候・インフラ、司法、文化、保健の4閣僚ポストを得た。しかし24年の総選挙では8.2パーセントにとどまり、前回比で約6ポイント減。連立からも外れ、野党の立場に転じた。得票減の背景には、移民・難民問題が気候変動を押しのけて有権者の最大関心事となったことがある。その後、26年5月時点の世論調査では10.4パーセントとやや持ち直しており、ブルゲンラント州では社会民主党との連立政権に加わるなど、地方レベルでの影響力は残っている。なお現大統領のアレクサンダー・ファン・デア・ベレンは緑の党出身であり、党の象徴的な存在感を支えている。

フランス フランス

フランスの「エコロジスト」(Les Écologistes)は欧州の主要国の中では比較的安定した支持基盤を築けていない。2024年の欧州議会選挙では19年の10議席から5議席へと半減。しかしその直後の解散総選挙では、左派連合「新民衆戦線」(NFP)の一翼として議席を増やすなど、単独では弱くとも連合の中では一定の役割を果たしている。

ただし26年に入り、党内は混乱を深めている。1月には急進左派政党「不服従のフランス」(La France Insoumise=LFI)を排除し、社会党との連携を優先する路線に反発し一部の地方の幹部が離党。4月には離党者が新たな運動「緑の民衆」(Les Verts Populaires)を立ち上げた。ターゲットは、これまでの環境政党が弱かった労働者階級が住む郊外や地方だという。

デンマーク デンマーク

社会人民党(Socialistisk Folkeparti=SF)がデンマークにおける緑の左翼(Green Left)を代表する政党。環境保護と左派的な社会政策を重視し、2025年末の地方選挙では国内で17.9パーセントの票を獲得し、首都コペンハーゲンで市長を輩出する躍進を遂げた。同国には赤緑連合(Enhedslisten)と呼ばれる環境主義を掲げた左翼政党連合も存在する。

ノルウェー ノルウェー

ノルウェーでは25年9月の議会選挙で緑の党(MDG=環境党)が4.7パーセントを獲得し、8議席を得た。前回の3議席から倍以上に伸ばした結果だ。現在の世論調査では4.1パーセントと、獲得した議席を維持できる水準で推移している。両国に共通するのは、環境政策を住宅・医療・生活費などの社会政策と一体で訴えるグリーン・ソーシャル路線だ。

 

在外投票をめぐる海外有権者たちの挑戦 - 「投票したいのに投票できない」をゼロに

「投票したいのに投票できない」をゼロに在外投票をめぐる海外有権者たちの挑戦

2026年2月8日、第51回衆議院議員選挙が行われた。戦後最短の選挙期間だったことは記憶に新しい。そうしたなか、X(旧ツイッター)では海外の有権者たちの悲痛な叫びが次々と投稿されていた。「投票期間が4日しかない」「泊まりがけで投票へ」「十分に考える時間がない」……。導入から25年以上がたった在外投票制度に、今一体何が起きているのか。海外有権者ネットワークNY共同代表を務める竹永浩之さんに、詳しくお話を伺った。
(文:ドイツニュースダイジェスト編集部)

参考:「海外有権者ネットワーク」公式サイト

在外投票をめぐる海外有権者たちの挑戦

お話を聞いた人
竹永浩之さん 竹永浩之さん
Hiroyuki Takenaga
米国・ニュージャージー在住。海外有権者ネットワークNY共同代表。1990年代の在外投票運動に参加し、現在は在外投票制度のネット投票を求める署名活動を行っている。X(@jovnewyork)で日々情報を発信中。https://jovnet.org

過去最高の投票率の裏に投票できない在外邦人の叫び

今回の衆院選の在外投票率は28.08パーセントと過去最高を記録した。「逆に言えば、たくさんの人が投票にトライしたので、X上でこうした声が多く見られたんだと思います」と話すのは、海外有権者ネットワークNY共同代表の竹永浩之さん。1990年代に在外投票制度実現に向けて活動していた海外有権者ネットワークは、選挙があるごとにX上でつぶやかれた在外投票制度への意見や不満をリストにまとめており、今回は特にその数が多かったという。

なかには、郵送投票のため事前に投票用紙の取り寄せを申請したにもかかわらず、期間があまりにも短かったために投票用紙が届かず、さらには申請のために一時的に預けていた在外選挙人証が手元になく、在外公館での投票も叶わなかったというケースも。「私たちがXで拾った声は氷山の一角。こうした意見は、実際にはもっとあるわけです」と竹永さんは声を曇らす。

終わっていなかった海外有権者ネットワークの使命

そもそも在外投票制度が認められたのは、1998年のこと。93年に細川連立政権が誕生して55年体制が崩れたことをきっかけに、日本国憲法に規定された国民の基本的人権である「選挙権」を在外邦人にも認めることを求めて、ニューヨーク、シドニー、バンコク在住の有権者が署名活動を開始。その活動は世界各国へと広がり、翌年に「海外有権者ネットワーク」が誕生した。国会や関係省庁に署名を提出後、95年には日弁連で人権救済申立て、村山総理(当時)に直接陳情を行い、最終的に国を相手取って違憲訴訟を起こすことになった。訴訟中に公職選挙法が改正され、比例代表選挙のみ在外投票権が認められたが、その後も裁判が続き、2005年に違憲判決が出て小選挙区の在外投票権も勝ち取ったのだった。

竹永さんは当時を振り返って「喜びましたよ。でもあの時の喜びは、今では完全に消えています」と怒りを込めて話す。「海外有権者ネットワークの仕事は、制度ができた時点で一度終わったはずでした。ただ、当時は都市部の在外邦人が中心となって進めていたこともあって、例えば発展途上国などの遠隔地に住んでいる方たちの気持ちや状況が分かっていなかったんです。やがてツイッター(X)ができ、12年の衆院選時に投票できないという遠隔地の人たちの声を知って。自分たちのやるべきことは、まだ終わっていないって思いましたね」。

しかし、かつて共に闘った海外有権者ネットワークのメンバーの多くがすでに亡くなっており、各国にあった海外有権者ネットワークも現在はニューヨークだけが活動を続けている。「勝ち取ったと思っていた権利が、十分なものではなかった。亡くなった人たちに申し訳ないです。だから、みんなで始めた仕事を私が終わらせたいと思っています」と竹永さんは言う。

投票したい人が投票できる在外ネット投票の実現へ

2月の衆院選後、竹永さんは再び署名活動を始めた。「『在外投票できない!』:在外ネット投票の一日も早い導入を求めます」と題されたオンライン署名は、3月末時点で2万筆以上が集まっている。竹永さんは「少なくとも日本の在外投票制度を完成させるにはネット投票の導入しかない」と考えている。

「そもそも日本は世界に比べて選挙期間が短い、そして解散選挙が多い。さらに世界の面積は日本の400倍ありますが、在外公館は233しかありません。在外公館に行けない人のために郵便投票がありますが、選挙期間が短すぎて全く機能していないのです。

それから、今回の衆院選では在外公館で並んだという声を多く聞いています。今回の在外投票率は過去最多とはいえ、海外の有権者およそ105万人のうちわずか10万人ほどしか在外選挙人に登録していないので、実質の投票率は2パーセントほど。これが5パーセントになったとき、果たして在外公館は対応できるのか。これらのことに対応するためには、ネット投票の導入しかないんです。ネット投票が選択肢に加われば、投開票日の前日まで投票できるため、情報がないまま慌てて投票する必要もなくなります」

実は在外ネット投票の導入については18年から総務省の有識者会議で提言され、議連案を作るところまで来ている。竹永さんたち海外有権者ネットワークが在外投票の現状を訴えてきたことが、実を結びつつあるのだ。「不正や技術的な問題についても、少なくとも在外投票ではクリアしていることを専門家も認めています。あとは政治家が決めれば実現できるんです。より早く法案を成立させるために必要なのは、在外邦人の皆さんの声。在外ネット投票の導入を訴えることが、法制化の後押しになります」。

竹永さんの見立てでは、28年までに法案通過を目指し、31年の参議院選挙からの導入が現実的だという。「今回は日本国内でも雪の影響で投票できない人が多くいました。投票したい人が投票できる。これは憲法に定められた原則です。国内外問わず投票できなかった人は声を上げていくべきだと思います」と竹永さん。30年以上在外投票のために闘い続ける竹永さんの言葉は、ごく当たり前の権利を守ることの大切さを思い出させてくれた。

数字で見る在外投票

参考:外務省

在外公館(在外投票所)の数233カ所 ※日本国内の投票所は4万4642カ所

在外公館の投票期間平均4.37日間 ※第51回衆議院議員選挙

在外郵便投票の投票者数246人 ※第50回衆議院議員選挙

 

日本一時帰国で行きたいところ26選 - 英国&ドイツの読者の皆さんに聞きました!

英国&ドイツの読者の皆さんに聞きました! 日本一時帰国で
行きたいところ26選

海外に住む日本人にとって、日本への一時帰国は「非日常の日常」。限られた時間の中で、行きたい場所、食べたいもの、会いたい人を詰め込む、特別な旅でもある。本特集では、英国・ドイツ在住の読者の方々に、日本への一時帰国で行きたい場所を大調査! 日本全国の26スポットを紹介するほか、日本のオーバーツーリズムの現状と対策、一時帰国中に子どもを日本の学校へ通わせる際の注意点など、海外在住者ならではの役立つ情報も。次の一時帰国の計画を立てる前に、ぜひご一読を!
(文:英国・ドイツニュースダイジェスト編集部)

※アンケート調査にご協力いただいた皆様に、この場をお借りして感謝申し上げます。

日本で行きたいところ26選

北海道

アイヌ文化を体感しよう

01. ウポポイ(民族共生象徴空間)

〒059-0902 北海道白老郡白老町若草町2-3
https://ainu-upopoy.jp

ウポポイ

ウポポイは2020年7月にオープンした、北海道白老町にあるアイヌ文化の復興、創造などのためのナショナルセンター。施設名の「ウポポイ」とは、アイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味する。広大な敷地に国立アイヌ民族博物館や体験スポット、伝統芸能の体験交流ホールなどが点在。食事処でアイヌ料理を味わったり、工房で民工芸品の実演見学や体験ができたりと、アイヌ文化を五感で体験できる。

青森

マイナスイオンを全身で浴びる

02. 奥入瀬渓流

〒034-0301 青森県十和田市奥瀬奥入瀬
https://towadako.or.jp

奥入瀬渓流

十和田湖から岩や樹林をの間を縫うように流れ、いくつもの滝を成しながら約14キロ続く渓流。特別名勝、天然記念物として国の指定を受け、渓流沿いには車道と遊歩道が整備されており散策を楽しめる。自然の美しさに圧倒されながらマイナスイオンに癒やされよう。アート好きには、十和田市現代美術館もお勧め。同館のアート広場には、世界的アーティスト草間彌生の黄色いカボチャの野外彫刻も。

岩手

イーハトーブの世界を堪能!

03. 宮沢賢治記念館&花巻温泉

〒025-0011 岩手県花巻市矢沢1-1-36
www.kanko-hanamaki.ne.jp

宮沢賢治記念館

12の温泉が湧く花巻温泉郷は、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など多くの童話や詩を残した作家、宮沢賢治ゆかりの地としても知られている。同地では、宮沢賢治記念館(写真)をはじめ、賢治の幻想的な童話の世界を体験できる「宮沢賢治童話村」、賢治が設計した南斜花壇と日時計花壇がある「ポランの広場」などを訪れることができる。ランチはぜひ、「注文の多い料理店」をモチーフにしたレストラン山猫軒で!

宮城

8種類の豊かな泉質が魅力

04. 鳴子温泉

宮城県大崎市鳴子温泉
www.naruko.gr.jp

鳴子温泉

日本にある11種類の旧泉質分類のうち8種類が湧き出る「いで湯」の里。昔から東北の湯治場として知られ、温泉の効能や泉質の良さには定評がある。レトロな温泉街がある穴場で、鳴子峡(写真)や潟沼など自然の美しいスポットも充実している。さらに鳴子といえば「こけし」。日本こけし館では絵付け体験もできるので、自分だけのオリジナルこけしを作ってお土産にするのも◎。

東京

古き良き東京へタイムスリップ

05. 燕湯

〒110-0005 東京都台東区上野3-14-5

燕湯

戦前に創業し、空襲で焼けた後、1950年に再建された御徒町の銭湯。東京都内の銭湯で唯一の国登録有形文化財であり、ビルの谷間にひっそりと佇む木造の姿が美しい。折り上げ格天井の脱衣場や、富士山の溶岩を積み上げた浴室の岩山など、もはや建築そのものが芸術である。地下水をじっくり沸かした熱めの朝湯は、かつて市場の人々や行商人たちの体を目覚めさせてきた名物で、朝6時からのれんを掲げる。

東京

天候を気にせず一日中遊べる

06. サンシャイン60展望台 てんぼうパーク

〒110-0005 東京都台東区上野3-14-5
https://sunshinecity.jp

サンシャイン60展望台 てんぼうパーク

サンシャインシティのサンシャイン60ビル60階にあるてんぼうパークは、「365日、公園びより。」をコンセプトに、人工芝や季節の植物を取り入れた開放的な空間で、まるで空の公園。海抜251メートルから、晴れた日には東京スカイツリーや富士山まで一望できる絶景スポット。サンシャインシティ内には、ほかにも水族館や劇場、屋内型テーマパークの「NAMJATOWN」など、遊びどころがいっぱい。

東京

都内屈指のパワースポット

07. 水天宮・小網神社

水天宮 〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1
www.suitengu.or.jp

小網神社 〒103-0016 東京都中央区日本橋小網町16-23
www.koamijinja.or.jp

水天宮

日本橋を歩くなら、ぜひ立ち寄りたい二社がある。水天宮(写真)は江戸時代から安産・子授けの神様として信仰を集め、洗練された社殿も印象的だ。そこから徒歩圏内の小網神社は強運厄除と東京銭洗い弁天で知られ、ビルの谷間とは思えない凛とした空気が漂う。祈祷は予約が埋まりやすいため、希望するなら早めの確認を。にぎやかな東京のただなかで、心を静かに整えられる、貴重な場所だ。

東京

昔ながらの笑いに浸る

08. 新宿末廣亭

〒160-0022 東京都新宿区新宿3-6-12
https://suehirotei.com

新宿末廣亭

新宿三丁目のにぎわいの中に、こんなにも濃密な日本らしさが残っているのかと驚かされる寄席。落語、漫才、奇術と、次々に繰り広げられる芸の世界は、時間を忘れて見入ってしまうほど。昼席・夜席を選べるので、観光のスケジュールに合わせて立ち寄りやすいのも魅力だ。ふらりと入れる気軽さで、旅の途中に思いがけず忘れられない思い出をつくってくれる。東京を少し粋に味わいたいなら、ぜひ足を運んでみよう。

東京

はしご酒が止まらない!

09. バーボンロード

〒144-0051 東京都大田区西蒲田7丁目付近
www.bourbon-road.com

バーボンロード

蒲田駅西口、東急線のガード下に沿って延びる通称「バーボンロード」は、昭和の面影をそのまま残す路地に60軒を超える店がひしめく飲み屋街。気取らない立ち飲みから本格割烹料理店まで間口は広く、どののれんをくぐるか迷う時間さえ楽しい。名物の羽根つき餃子を頬張りながら、もう一軒、もう一軒とはしごしたくなる。その衝動に素直に従うのが、この街の正しい歩き方だ。

神奈川

わが子の笑顔が輝く

10. 横浜アンパンマンこどもミュージアム

〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい6-2-9
www.yokohama-anpanman.jp

横浜アンパンマンこどもミュージアム

子どもの笑顔を確実に引き出したいなら、外せない場所。ミュージアムにはアンパンマン・ワールドが広がり、体を思いっきり動かして遊んだり、ごっご遊びができたり、小さな子ども連れにうれしい工夫が随所に見られる。1階のショップ&フード・レストランは入場無料で、限定グッズやジャムおじさんのパン工場も大人気。日時指定WEBチケットは事前購入制なので、早めに押さえておきたい。

コラム

混雑を避けて旅行を楽しむために日本のオーバーツーリズムどうなってる?

コロナ禍の水際対策で途絶えていた日本への観光客は、この数年で急回復した。2025年の訪日外国人旅行者数は約4268万人と過去最高を更新し、コロナ禍前の19年(約3188万人)を大きく上回っている。街ににぎわいが戻り、地域経済が潤う一方で、観光客が一部の場所や時間帯に集中しすぎることで、地域の暮らしや自然環境にしわ寄せが出る「オーバーツーリズム」が日本各地でも課題になっている。

観光庁の「先駆モデル地域型26地域 事例集」を見ると、各地の対策には共通点がある。観光客を混雑する場所や時間帯から別へ誘導する「分散化」、混雑状況を見える形にして行動の見直しを促す「可視化」、そして生活道路への車の流入や渋滞を抑える「交通対策」だ。例えば京都市の「京都観光快適度マップ」は、主要エリアの混雑予測を5段階で表示し、空いている時間帯やエリアを事前に確認できる。青森県の奥入瀬渓流では、マイカー規制とシャトルバスの運行で自然環境への負担を減らしながら観光を成り立たせている。

こうした動きは、訪れる側にとってもヒントになる。例えば、混雑予測ツールを事前にチェックする、ピーク時間を避けて早朝や夕方に動く、定番スポットだけでなく周辺エリアにも足を延ばすなど、ちょっとした工夫が自分自身の旅の快適さにもつながる。観光は地域との共存があってこそ長く続くもの。訪れる側もその意識を持つことが、これまで以上に旅行を楽しむ上で大切になっている。

オーバーツーリズム

参考:観光庁「先駆モデル地域型26地域 事例集」

富山

自然の中で静かなひととき

11. L’évo(レヴォ)&庄川峡遊覧船

L’évo 〒939-2518 富山県南砺市利賀村大勘場田島100
https://levo.toyama.jp

庄川峡遊覧船 〒932-0304 富山県砺波市庄川町小牧73-5
https://shogawa-yuran.co.jp

L’évo(レヴォ)&庄川峡遊覧船

山深い利賀村にあるオーベルジュ「L’évo」は、地元食材を自ら育てるところから始まる唯一無二の前衛的な地方料理が魅力。静かな宿に滞在し、薪サウナで心身をほどいた後に澄みきった空気を胸いっぱいに吸い込むと、日常の喧騒が遠のいていくのを感じるはずだ。さらに庄川峡遊覧船(写真)に乗れば、青緑に輝く水面と切り立つ峡谷が織りなす絶景が目の前に広がり、自然の美しさに圧倒されること間違いなし。

福井

静謐な空気感に息をのむ

12. 大瀧神社・岡太神社

〒915-0234 福井県越前市大滝町13-1

大瀧神社・岡太神社

越前和紙の里にたたずむ、「紙の神様」を祭る神社。約1500年前に村人へ紙すきの技を伝えたとされる女神の伝説は、ものづくりに関わる人なら一層心を動かされるだろう。とりわけ圧巻なのが、波のように重なり合う屋根の造形だ。国の重要文化財に指定された社殿は、山あいの澄んだ空気のなかで見上げると息をのむような迫力がある。観光地の喧噪とは無縁の、日本建築の美に静かに触れられる場所。

愛知

ジブリファンなら一度は行きたい

13. ジブリパーク

〒480-1342 愛知県長久手市茨ケ廻間乙1533-1
https://ghibli-park.jp

ジブリパーク

広大な公園の緑の中に、ジブリ映画の世界をそのまま立体にした風景が点在しているジブリパーク。ジブリ作品を愛する人なら、一度は足を運びたい場所だ。五つのエリアそれぞれに異なる物語があり、歩くだけで作品の中に入り込んだ気分になれる。また各エリアでは、ジブリ作品に登場するあの食べ物が食べられるかも? 日時指定チケットは事前予約制のため、早めの予約をお勧めしたい。

岐阜

お参り&食べ歩きが楽しい

14. 千代保稲荷神社

〒503-0312 岐阜県海津市平田町三郷1980
www.chiyohoinari.or.jp

千代保稲荷神社

千代保稲荷神社は、「おちょぼさん」の愛称で親しまれる商売繁盛・家内安全の神社。120軒ほどの店が軒を連ねる参道があり、川魚料理や串カツ、草餅など、さまざまなグルメを楽しめる。ここから車で20分ほどのところには、日本の滝百選に選ばれた養老の滝のほか、アーティストの荒川修作らによる体験型アート施設「養老天命反転地」などが集まった広大な養老公園も。

京都

京都の奥地にあるオアシス

15. くらま温泉

〒601-1111 京都府京都市左京区鞍馬本町520
https://kurama-spa.com

くらま温泉

京都市中心部の喧騒を離れたいなら、鞍馬山の麓のくらま温泉へ。京都市内から叡山電車に乗って約1時間のところにある日帰り温泉施設だ。露天風呂からは鞍馬の雄大な山並みを一望でき、四季折々の自然を感じながら湯あみができる。泉質はアルカリ性単純泉で、肌に優しくなめらかな湯が特徴。内風呂やサウナ、宿泊施設も完備されているほか、食事処では山の幸を使った料理も楽しめる。

京都

アート× テクノロジーの最先端!

16. チームラボ バイオヴォルテックス 京都 - 大成建設

〒601-8006 京都府京都市南区東九条東岩本町21-5
www.teamlab.art/jp/e/kyoto

チームラボ バイオヴォルテックス 京都

世界的な人気を誇るアートコレクティブの「チームラボ」の作品が体感できるミュージアムが、東京に次いで2025年に京都にも誕生した。没入型の展示で、目の前の景色が自分の動きに呼応して変化していく感覚はとても新鮮だ。寺社仏閣を巡る合間にこうした最先端の表現を体験できるのも、京都ならではの面白さだろう。チケットは日時指定の事前予約制で、変動価格のため早めの購入が吉。

京都

老舗ゲーム会社の世界を味わう

17. ニンテンドーミュージアム

〒611-0042 京都府宇治市小倉町神楽田56
https://museum.nintendo.com

ニンテンドーミュージアム

花札からNintendo Switch 2まで、任天堂が生み出してきた娯楽の歴史をたどりながら、大人も子どもも童心に帰れるミュージアム。展示を眺めるだけでなく、往年の遊びを今の技術で体験できる仕掛けが充実している。花札づくりのワークショップまであり、世代を超えて会話が弾むのもうれしい。入館には事前予約(抽選制)が必要。京都観光にひと味違う楽しさを添えてくれるスポットだ。

京都

日本を代表する絶景地へ

18. 天橋立

〒626-0001 京都府宮津市文珠
www.amanohashidate.jp

天橋立

日本三景の一つに数えられる天橋立は、京都府宮津市に位置する全長約3.6キロの砂さし嘴。約8000本もの松が連なる白砂青松の絶景が広がり、展望台から股のぞきで逆さまに眺めると天に架かる橋のように見えることからこの名前が付いたとも。周辺には温泉や新鮮な海の幸を味わえる飲食店も多く、一年を通じて多くの旅行者が訪れる。名物「黒ちくわ」や「知恵の餅」などのご当地グルメも要チェック

奈良

ノスタルジックな街並みを歩く

19. 大宇陀

奈良県宇陀市大宇陀上
www.uda-kankou.jp

大宇陀

奈良県宇陀市に位置する大宇陀は、江戸時代の街並みが今も残る歴史情緒あふれるエリア。古くから「薬の町」として栄えた歴史を持ち、推古天皇が薬草摘みをしたという言い伝えも。重要伝統的建造物群保存地区に選定された松山地区では、格子窓の商家や土蔵が連なる風情ある街並みを散策できる。地元特産の大宇陀産クズを使ったくず餅やくず切りなどの和スイーツも人気。

兵庫

文豪に愛された温泉街

20. 城崎温泉

兵庫県豊岡市城崎町
https://kinosaki-spa.gr.jp

城崎温泉

約1300年の歴史を誇る山陰随一の名湯。柳並木が続く情緒豊かな温泉街には七つの外湯が点在し、浴衣姿で湯めぐりを楽しむ文化が今も息づく。志賀直哉の小説「城の崎にて」の舞台としても知られ、文学ファンにも親しまれている。四季折々の景色が楽しめ、春には桜、夏には花火大会や精霊流し、秋には紅葉が美しい。そして冬は日本海で水揚げされる松葉ガニが名物で、カニ料理を求めて訪れる旅行者も多い。

兵庫

日本神話の出発点

21. 伊弉諾神宮

〒656-1521 兵庫県淡路市多賀740
www.awajishima-kanko.jp

伊弉諾神宮

淡路島に鎮座する伊弉諾神宮は、日本最古の神社の一つとされ、国生み神話の主神、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祭る。古事記や日本書紀に記された「おのころ島」にゆかりのある地として知られる。境内には樹齢約900年ともいわれるめおと楠がそびえ、縁結びのご利益を求める参拝者も多い。淡路島特産の玉ねぎや新鮮な海の幸を使った料理が楽しめる飲食店も周辺に点在し、歴史と食の両方を堪能できる。

高知

美しすぎる「仁淀ブルー」

22. 仁淀川町

高知県吾川郡仁淀川町
www.niyodogawa.tv

仁淀ブルー

高知県中部に位置する仁淀川町は、日本一の清流として名高い仁淀川の源流域に広がる自然豊かな山里。「仁淀ブルー」と称される透明度抜群のエメラルド・グリーンの水面は息をのむ美しさで、カヌーや川遊びなど水辺のアクティビティーも楽しめる。山間の棚田や茶畑が広がる風景も趣深く、地元産の土佐茶や素朴な里山の風情が味わえる料理、竹細工や手すき和紙などの工芸品も魅力。

山口

新鮮な海産物を食べ尽くす

23. 唐戸市場

〒750-0005 山口県下関市唐戸町5−50
www.karatoichiba.com

唐戸市場

唐戸市場は、「関門海峡の台所」として親しまれる活気あふれる鮮魚市場。週末や祝日に開催される「活きいき馬関街」では、水揚げされたばかりの新鮮な魚介を使った寿司や海鮮丼をその場で味わえると人気を集める。下関名物のフグをはじめ、関サバ、関アジなど豊後水道の恵みも豊富。対岸には九州・門司港を望み、関門橋や赤間神宮など周辺の観光スポットと合わせて訪れたい。

大分

言わずと知れた「温泉王国」

24. 別府温泉

大分県別府市各所
https://beppu-tourism.com

別府温泉

別府温泉は、源泉数・湧出量ともに日本一を誇る世界有数の温泉地。市内各所に点在する「別府八湯」ではそれぞれ異なる泉質を楽しめるほか、地元の人々が通う共同浴場から高級旅館まで多彩な湯処がそろう。コバルト・ブルーの海地獄や血の池地獄など個性豊かな「地獄めぐり」も人気の観光スポット。九州外から向かうなら、大阪南港からフェリーで船中泊して行くのもお勧め。

鹿児島

太古の自然に触れる島

25. 屋久島

鹿児島県熊毛郡屋久島町
https://yakukan.jp

屋久島

推定樹齢2170〜7200年といわれる縄文杉をはじめ、太古の自然が今も息づく。島の大部分を占める原生林は1993年に日本初のユネスコ世界自然遺産に登録され、苔むす森や巨大な杉が立ち並ぶ幻想的な景観が世界中の旅行者を魅了する。縄文杉へのトレッキングは往復約10時間に及ぶ本格的なコースで、達成感も格別だ。新鮮な首折れサバなど、島ならではの海の幸も堪能できる。

沖縄

美しいビーチでのんびり

26. 竹富島

沖縄県八重山郡竹富町
https://painusima.com

竹富島

沖縄県八重山諸島に浮かぶ竹富島は、石垣島からフェリーで約10分とアクセスしやすい離島。白砂を敷き詰めた道沿いに赤瓦屋根の民家が並ぶ伝統的な集落は重要伝統的建造物群保存地区に選定され、水牛車でのんびり巡る風景が旅情をかき立てる。透明度抜群のコンドイ浜では、真っ白な砂浜と青く輝くサンゴ礁の海を満喫。島の食堂では八重山そばやジーマーミ豆腐など沖縄の郷土料理も楽しめる。

コラム

「体験入学」という宝物の時間一時帰国中に子どもを日本の学校へ

海外で暮らす家族の日本一時帰国。その期間中に子どもを日本の学校へ体験入学させたいという保護者も少なくないだろう。ここでは、そんな体験入学の基本情報や注意点を紹介する。

まず知っておきたいのは、体験入学は法令上の正式な制度ではなく、各教育委員会や学校の裁量で実施されている点だ。体験入学ができる場合、住民票を移さず体験入学として申し込む方法や、転入届を出して正式に就学する方法など、ルールは各自治体によって異なる。後者は健康保険や住民税も発生する場合があるので、事前確認が重要だ。また2週間など一定期間以上の滞在を条件としている学校や、教員不足や教室の都合で断られる場合もあるため、早めに情報収集をしておこう。

持ち物はランドセルや上履き、防災具、体操服など、事前にそろえなければならないものが意外と多いが、公立校の授業料は無償で、主な費用は給食費や教材費程度である。学用品も100円ショップなどを活用すれば負担を抑えられる。なお、先生やクラスメイトへのお土産は、校則やアレルギーへの配慮もあるため、まずは学校の方針を確認することが望ましい。

体験入学で子どもが得るものは大きい。自分たちで配膳する給食当番、自分たちの教室を掃除する時間、子ども同士で歩く登下校。いずれも海外ではなかなか経験できないことばかりである。そして何より、日本語だけの環境に身を置くことで、日本語の向上につながるほか、生きた文化を体験する絶好の機会になる。一方で、体験入学が全ての子どもにとって楽しい経験になるとは限らない。低学年では物珍しさから歓迎されやすい一方、高学年になると「海外から来た目立つ存在」として浮いてしまい、あまり楽しめなかったというケースも少なくない。また、学校側も短期在籍の子どものトラブルにまでは目が届きにくい。そのため保護者は前向きな面だけでなく、子どもの年齢や性格に応じたリスクも想定しておきたい。

体験入学は学校の善意と協力で成り立っている。感謝とルールを守る姿勢を大切にしつつ、楽しい面も難しい面も含めて親子でじっくり話し合っておくと、きっとより良い経験につながるはずだ。

参考:文部科学省「国際教育」

【体験者の話】L君の場合

僕は、1年生から6年生までの6年間、毎年2週間ずつ日本の学校で体験入学をしました。一番の思い出は給食です。当番があること自体も驚きましたが、それ以上に印象的だったのは、食品に含まれる栄養素の働きをみんなで確認する場面です。僕は全く知らなかったのですが、クラスメイトは家庭科などで学んでいるため、みんなよく知っていました。

日本で体験入学 (写真左))中古で買ってもらったランドセルを背負って登校!
(写真右)座布団として使う防災頭巾に感動

読者の「心の叫び」が大集合! 日本一時帰国でやりたいこと

行きたい場所だけじゃない、帰国の楽しみはまだまだある。お寿司に温泉、100均巡りに日本の食材調達まで、英国・ドイツ在住の読者が教えてくれた、帰国でやりたいことを一挙公開!

  • 黒豆茶、納豆菌、乾燥湯葉、乾燥しじみなど、ドイツでは手に入らない日本の食材を買う。懐石料理をいただく、健康診断を受ける、旅行に行くなど、とにかくやりたいことをする!(Chikaliciaus)
  • 足湯に行く!通常は無料なので頻ひんぱん繁に利用できるし、地元のお年寄りの方々や旅行者とも気軽に話ができる。人がいないときはゆっくりと読書もできる、優秀な憩いの場です。(tabibito.s50)
  • 洋服を買う。ドイツの服は、デニムの股下が長すぎるなどサイズが合わないので。あとは丸亀製麺や牛丼、回転寿司などの安いチェーン店に行きたい!( 田舎者)
  • 回転寿司とカラオケ!(こばもえ)
  • 酒粕、麹、味噌など、大企業ではなく規模が小さく生産量が少ない作り手による調味料を買いたい。(まきこ)
  • 高知の実家で家系図を作成したりして、子どもがいつか自分のルーツの片側を知れるように準備しておきたい。実家でカツオのタタキを主食に、ご飯をおかずに!(こーじ)
  • お寿司、刺身、ラーメン、うなぎ、天ぷら、うどん、そばなどを満足するまで食べる。英国では本当においしいものをリーズナブルに食べられないから。(みさきち)
  • 100円ショップで知育グッズや文具を買う。迷路や塗り絵などは子どもの誕生日会のお土産にもなります。日本は高品質、低価格で子どもが遊ぶものを買うには最高です!(Erika)
  • 美容院と日本食1年分購入、家族との何げない日々を大切に過ごす。両親が年老いてきてるので、毎年会えることのありがたみが年々増しています。(Hana)
  • 551の豚まん、王将の餃子、たこ焼きなどのソウル・フードを食べて充電。100円ショップをハシゴする。特に探している商品はなくても、気付いたらすごく長い時間を100 円ショップで過ごしてます(笑)。(Seri )
  • 温泉に入って、その後においしいごはんを食べたい。居酒屋で飲んで食べたい。どちらも日本文化の良いところが凝縮されていて、ドイツには存在しない体験なので。(えんぴつバナナ)
  • たらふくお寿司を食べます。夫婦で義実家のある北陸と北海道に帰省することが多いので、100円寿司、ちょっと良い回転寿司、スーパーのお寿司……とにかくお寿司を食べ尽くします!(りんご)
 

エリザベス女王生誕100年 - 英国王室とブランドの価値

エリザベス女王生誕100年 英国王室とブランドの価値

バッキンガム宮殿

故エリザベス女王が存命なら、今年で100歳を迎える。その70年に及ぶ在位は、大英帝国の終焉からグローバル時代への移行と重なり、英国の変化を映し出してきた。若き日に第2次世界大戦を経験しながらも、女王が果たしてきたのは「変わらない存在」としての役割である。その積み重ねは、国内外にどのような影響をもたらしてきたのか。本特集では、生誕100年という節目に、王室が持つ経済的・文化的側面を整理し、エリザベス女王亡き今、王室の持続の可能性を改めて問い直す。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Statista、YouGov、UK Parliament Commons Library、UK Government SGARA 2024–25、The Guardian、The Week、Time、BBC News Japan、Reutersほか

象徴からブランドへ

エリザベス2世の時代、英国内では第2次世界大戦のような大きな戦いを経験することなく推移し、女王は「変わらない存在」として受け止められてきた。その70年という長期にわたる象徴性は、個人の人気とは別に、王室という制度への一定の信頼を支える要素となっていった。一方で、ダイアナ元妃の死や王室メンバーをめぐる問題など、王室はたびたびスキャンダルにも直面。それでもなお、メディアを通じて繰り返し共有される女王の姿は、人々の生活の中で王室の存在を身近なものとしてきた。こうした積み重ねが認知を広げ、結果として無形の価値の土台を形づくってきたといえる。

王室はまた、「英国らしさ」を国外に示す存在でもある。礼儀作法や服装、公式行事での振る舞いは、英国のイメージを形づくるうえで重要な要素の一つとなってきた。とりわけ1953年のエリザベス女王戴冠式のテレビ中継以降、王室の姿は国内にとどまらず広く共有されるようになり、その印象は世界にも広がっていった。ロンドンをはじめ各地には今も世界中から観光客が訪れ、王室ゆかりの場所や出来事は観光資源の一つとして機能している。

バッキンガム宮殿

年表 エリザベス女王と現代英国王室の歩み

  • 1953エリザベス2世、ウェストミンスター寺院で戴冠式。テレビ中継され、2700万人が視聴
  • 1969チャールズ皇太子、プリンス・オブ・ウェールズとして叙任される
  • 1977女王在位25周年(シルバー・ジュビリー)
  • 1981チャールズ皇太子とダイアナ・スペンサーが結婚。世界7億5千万人が中継を視聴
  • 1997ダイアナ元妃の死去。国民の悲嘆と反感が噴出し、王室の在り方が問われる
  • 2002クイーン・マザーとマーガレット王女が死去。女王在位50周年(ゴールデン・ジュビリー)
  • 2011ウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンが結婚。王室人気が一時的に回復
  • 2012ロンドン五輪開幕式で女王が登場。在位60周年(ダイヤモンド・ジュビリー)
  • 2015エリザベス女王、在位期間で英国史上最長を更新
  • 2018ヘンリー王子とメーガン・マークルが結婚
  • 2020ヘンリー夫妻、王室公務を離脱(通称「メグジット」)
  • 2021フィリップ殿下死去
  • 2022エリザベス女王、在位70周年(プラチナ・ジュビリー)。同年9月、96歳で崩御
  • 2023チャールズ3世の戴冠式
  • 2025性的虐待疑惑をめぐる問題が再燃し、チャールズ国王がアンドリュー王子の王室称号と栄誉を正式にはく奪
  • 2026女王生誕100年の節目。王室制度の将来と国民意識をめぐる論争が続く

セピアカラーの写真。	1953年、ウェストミンスター寺院での戴冠式の様子1953年、ウェストミンスター寺院での戴冠式の様子

記念のマグカップエリザベス女王の戴冠を祝う、記念のマグカップ

ライムグリーンのスーツ姿でお祝いに集まった人々に手を振るエリザベス女王2012年のダイヤモンド・ジュビリーで英国各地を訪問したエリザベス女王

バッキンガムパレスのバルコニーで明るいグリーンのスーツ姿のエリザベス女王と王室のメンバー2022年のプラチナ・ジュビリーに、バッキンガム宮殿のバルコニーに現れたエリザベス女王

王室が生みだす経済効果

王室は伝統の象徴でありながら、同時に英国経済の重要なプレイヤーでもある。観光、ブランド、メディア エリザベス女王の時代から続く王室の経済的な顔に目を向ける。

観光

王室の功績について考える際、英国の観光業への貢献があげられる。しかし実は近年、王室が英国の観光業に及ぼすプラスの影響は、約15年前に比べると確実なものではなくなっているという。統計データを提供するスタティスタによると、2012年の6億8000万ポンド(現在のレートでは約1300億円相当)が22年には6000万ポンド以下にまで落ち込んだ。また、王室が所有する観光地への訪問者数も減少している。英国の王室所有地への入場者数は、ロイヤル・トラストの発表によると、2022/23年度はコロナ禍前の約3分の2の水準にあるという。

王室所有の観光名所への訪問者数は減少傾向にあるものの、英国観光庁が調べた22年にイングランドで最も訪問者数の多い有料観光地のリストでは、上位3位はいずれも英国王室が所有するか、王室とゆかりの深い施設だった。英国王室の公式の住居であり、国家行事やエリザベス女王の公務の拠点でもあったバッキンガム宮殿、歴代の王や女王の戴冠式、結婚式、葬儀が行われ、王室と最も深いつながりを持つウェストミンスター寺院、チャールズ皇太子とダイアナ元妃の結婚式など、重要な公式行事が行われる聖ポール大聖堂などだ。王室とこれらの施設とのつながりが訪問者数にどのような影響を与えているかを計測するのは難しいが、英国の伝統が海外からの訪問者に魅力的に映っているのは明らかだろう。また、ロンドン以外でも英国王室と密接な関係にある英南東部のウィンザーには、リーズ、カーディフ、ノッティンガムといった大都市を上回る観光客が訪れている。

ウェストミンスター寺院ウェストミンスター寺院

聖ポール大聖堂の内部聖ポール大聖堂の内部

関連グッズ

観光と並び、王室が経済にもたらす影響として注目されるのが、王室関連のグッズやブランドである。英国では、王室にまつわるおみやげや記念品が長年にわたり人気を集めてきた。王室の結婚式や戴冠式などの節目には、記念マグカップやティー・タオル、コイン、ポスターなどが大量に販売され、その経済効果は一時的に数千万ポンド規模に達することもある。マーケティング企業ブランド・ファイナンスの推計では、2023年5月のチャールズ国王の戴冠式関連消費や商業利用が、英国経済の一部に波及効果をもたらしたと報じた。

また、BBCなど複数のメディアや小売業界の報告書では、11年のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式の際に、記念グッズや飲食、観光関連を含む経済効果がわずか1日で2000〜3000万ポンドに達したと推計されている。そうした商品は、国内外の観光客にとって英国らしさの象徴となっており、単なるおみやげを超えてコレクターズ・アイテムとしての価値も高い。

マグカップウィリアム王子とキャサリン妃の結婚を記念したグッズ

さらに、英国にはロイヤル・ワラント(Royal Warrant)と呼ばれる独自の制度がある。これは、王室が最低5年以上にわたり商品やサービスを購入・使用した企業に与えられる認定証で、王室御用達を意味するものだ。ワラントを持つブランドは、品質の高さと伝統を保証する象徴として世界中で高い評価を受けている。デパートのフォートナム&メイソン、紅茶のトワイニング、靴のジョン・ロブ、香水のフローリスなどがその代表例である。このような王室に関連する商品やブランドは、英国経済に直接的な収益をもたらすだけでなく、「クラフトマンシップ」「伝統」「格式」といった英国ブランド全体のイメージ向上にも寄与している。観光と並んで、王室文化を支える重要な経済的側面といえるだろう。

黒い皮のハンドバッグロウナー・ロンドンのバッグはエリザベス女王が愛用した

瓶に入ったフローリスのトワレとトワイニングの紅茶左)男性のグルーミング商品から始まったフローリスのトワレ
右)ワラントは高価なものにだけ付くとは限らない

メディア

英国王室は観光や関連グッズだけでなく、映画やドラマを通じても大きな経済的・文化的影響を与えている。王室を題材とした作品は、英国の歴史や伝統を描く格好の素材として国内外で高い人気を誇っており、その代表例がNetflixのドラマ「ザ・クラウン」(The Crown)である。実在の王族を描いた緻密な演出と豪華な映像美は、英国制作ドラマの品質を世界に印象づけ、配信事業を含む映像産業全体に多大な収益をもたらした。また、BBCやITVといった放送局も王室行事の中継や特集を通じて高視聴率を記録し、放映権収入や観光誘致効果の拡大にも寄与している。

「ザ・クラウン」戴冠式のシーンNetflix制作のドラマ・シリーズ「ザ・クラウン」(2016年)の一場面。クレア・フォイ演じるエリザベス女王の戴冠式

王室に関するドキュメンタリーや映画は、英国のソフト・パワーとしての価値を高める役割も果たしている。「英国王のスピーチ」(The King's Speech)や「クィーン」(The Queen)といった映画は、米国アカデミー賞をはじめとする国際的な映画賞で高く評価され、英国映画産業の国際的な地位向上に貢献してきた。こうした作品を通じて、王室の知られざる人間ドラマやスキャンダルも含む物語、英国の文化遺産が世界的な注目を集めることは、観光業や関連商品の需要拡大にも間接的につながっている。王室は単なる歴史的存在にとどまらず、今なお英国の文化産業を支える重要な資源として機能しているといえる。

王室は英国民にどう見られている?

王室の価値を語るうえで、避けて通れないのが英国民の視線。伝統への敬意と改革への要求、その間で揺れる世論から、現代英国と王室の距離が見えてくる。

維持費と透明性

英国王室は「国民の象徴」であると同時に、公的資金で運営される存在でもある。議会の調査機関によると、2022/23年度の王室公費支出は8630万ポンド(約165億円)で、その大部分が建物維持や公務費、警備費に充てられる。25/26年度の政府報告でも、王室関連費用は前年から約8.2パーセント増加し、これはバッキンガム宮殿を中心とする王室関連施設の老朽化対策や安全基準の更新などが要因とされている。チャールズ国王は「スリム化した王室」を標ぼうし、公務の効率化や経費削減を進めているが、警備関連の支出は依然として議論の対象だ。23年の戴冠式では約1万人の警官が動員され、その警備費が批判を呼んだ。こうしたなか、英国社会では王室の費用対効果や説明責任が問われており、「税金で支える王室」という構造への不信感は、時代の価値観の変化にあわせて、そのあり方が改めて見直されつつある。

バッキンガム宮殿

支持率の低下と分断する世論

最新の世論調査によると、英国における王室支持率は依然として多数派を保つが、その幅は縮小している。スタティスタの2026年1月の調査によれば、「今後も君主制を続けるべき」と答えた人は全体で62パーセントだが、65歳以上では80パーセント、18〜24歳では49パーセントにとどまる。若年層ほど君主制を否定する傾向が顕著で、29パーセントが「選挙で選ばれた元首を望む」と回答している。同時期に行われたユーガヴの調査でも、君主制を続けるべきと答えた人は64パーセントで、ここ数年の急変はない。だが、王室全体への好感度が14ポイント(2020年比でマイナス30)へと低下、特にチャールズ国王とアンドリュー元王子への不信感が強まっている結果となった。チャールズ国王の即位後には、王室不要論を掲げる運動がスコットランドや北アイルランドなど周辺地域で再燃している。

地域だけでなく世代や経済的立場でも温度差が広がっており、富裕層ほど王室を「文化資産」とみなす一方、生活コスト危機に直面する層には「不平等の象徴」と映っている。こうした分断を背景に、調査会社イプソスの24年の調査によると、「王室に対して以前より否定的」と答えた人が62パーセントに達しており、一定の支持率の水面下で、王室の国民統合の象徴としての地位は次第に揺らいでいるといってもよい。

世代別の王室支持率

「英国は君主制を続けるべきか」 世論の推移

時代の変化と「王室の未来」

英国王室の将来をめぐる最大の課題は、時代の中でどう正統性を保つかにある。「ガーディアン」紙は、エリザベス女王の死後、王室が「分断された英国の統合を映す試金石」になったと論じた。君主制には、政治の安定や外交面での信頼といった強みがある一方で、王室の支出や責任のあり方が分かりにくいという弱点も指摘されている。チャールズ国王は、少人数制の公務体制や透明性の高い財務報告を進める一方で、広報戦略を刷新し従来の沈黙を貫く姿勢から、積極的に情報発信する王室へとかじを切りつつある。そうした動きは「開かれた王室」への努力といえるが、SNSで拡散する批判のスピードに制度が追いついていないとの指摘も多い。

その一方で、王室は依然として英国ブランドの中核をなす存在である。国際社会において伝統と安定の象徴であり続けることは、観光や文化産業にとっても計り知れない価値を持つ。今後の焦点は、王室が過去の栄光を守るだけでなく、多様化した社会の中で共感される象徴として再定義できるかどうかにある。21世紀における英国王室の存続は、「伝統の象徴」としての価値をいかに保ちつつ、開かれた制度へと進化できるかにかかっているといえる。王室は今、かつてないほどブランドとしての力量が問われているのだ。

バッキンガムパレスのバルコニーに立つ王室のメンバー世代交代を続けながら、これからも英国の象徴として存在するのか

 

声に出して詠みたい英国の詩 - 英国の風景とともに味わう

英国各地の風景とともに味わう 声に出して詠みたい英国の詩

「詩を詠む」というと、とても高尚な行為のように聞こえるかもしれない。しかし本来、詩は音楽と同様に、特別な知識がなくても気軽に楽しめるもの。今回は、長い冬を越えて、やっと迎えた英国の春を謳った詩の数々をご紹介する。美しい詩の一篇を暗誦して、英国人を驚かせよう。

*英詩の名作というと、日本では古語や独特の韻文調を使って訳されることが多くありますが、本特集では出来るだけ多くの方に英詩の魅力を知ってもらおうと、原典を一部省略した上で、現代語に近付けた編集部オリジナルの口語訳を掲載しています。ここで紹介した詩の多くは、既に第一人者が手掛けた名訳が多数そろっていますので、ご興味のある方はぜひそちらもご参照ください。

詩は「言葉の音楽」

英国の詩には、文字として読むだけでなく朗誦の伝統があり、声に出して味わうことを前提に発展してきた歴史がある。中世からルネサンス期にかけて、詩は宮廷や教会、家庭で朗誦され、韻やリズム、抑揚は意味や感情と一体化する装置として工夫された。こうした言葉の音楽性を重視する伝統は、英国の演劇の発展とも深く結びついている。

シェイクスピアの時代、観客は劇を「見に行く」(see a play)のではなく「聞きに行く」(hear a play)ともいわれていた。精巧な舞台装置がほとんどない代わりに、詩的な言葉の響きやリズムそのものが、現代のCGIのように観客の想像力を刺激し、壮大な情景を描き出していたのである。シェイクスピアやジョン・ミルトンの弱強五歩格の韻律も、登場人物の心理や物語の動きが声となって伝わるよう設計されており、声に出すことで詩の魅力がより生き生きと響いてくる。

この伝統は19世紀に大ブームとなった庶民向け朗読会「ペニー・リーディング」にも受け継がれ、詩や物語は聴衆の前で朗読される娯楽として広く楽しまれた。今日でも英国では「ナショナル・ポエトリー・デイ」のように詩を声に出して楽しむ行事が行われている。さらに学校教育でも、詩を暗唱したり抑揚をつけて朗読したりする学習が重視され、言葉の響きやリズムを音楽のように味わうことが詩の理解につながると考えられている。また、詩人自身が朗読会で自作を読む文化も盛んで、詩は今もなお声を通して生きる文学として親しまれているのだ。

Stratford-upon-Avon

Stratford-upon-Avon春の日が差すストラトフォード・アポン・エイボンにあるシェイクスピアの生家

Shakespeare's Birthplace
Henley Street, Stratford-upon-Avon CV37 6QW
TEL: 01789 204 016
www.shakespeare.org.uk

Spring

When daisies pied, and violets blue
And lady-smocks all silver-white,
And cuckoo-buds of yellow hue
Do paint the meadows with delight,
The cuckoo then, on every tree,
Mocks married men,
for thus sings he:
'Cuckoo!
Cuckoo, cuckoo!'

ヒナギクの花がまだら色になってきて、
スミレは青く
タネツケバナは白銀色になり
ラナンキュラスの花が
牧草地を黄色に染め上げるとき、
木々の上にいるカッコーたちが
「カッコー、カッコー、カッコー」と
鳴いて、妻帯者たちを冷やかすんだ。

シェイクスピア

William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピア
1564-1616

イングランド中部ストラトフォード・アポン・エイボンに生まれる。エリザベス朝時代の屈指の劇作家として四大悲劇などの名作を執筆。シェイクスピアが手掛けた戯曲の多くは、詩の定型を用いて書かれた。ここで紹介したのは、喜劇「恋の骨折り損」からの一篇。

London

London春になり多くの花が満開のときを迎えたロンドンのキュー・ガーデンズ

Kew Royal Botanic Gardens
Kew, Richmond, Surrey TW9 3AB
TEL: 020 8332 5655
www.kew.org

Pipa's Song

The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearl'd;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven-
All's right with the world!

ピパの歌

ある春の朝、午前7時。
ここから見える丘の斜面は
露でいっぱい。
空にはヒバリが飛んでいて
カタツムリは木の枝の上を這っている。
雲の上には、神様が隠れているのかな。
やっぱり私は、この世界が大好きなんだ。

ロバート・ブラウニング

Robert Browning
ロバート・ブラウニング
1812-1889

ロンドン生まれの桂冠詩人。さまざまな主観を客観的に語るための「劇的独白」という手法を生んだ。この詩は、「ピパが過ぎゆく」という劇詩の中の一篇。「ピパ」は、同作品に登場する少女の名前。日本では「春の朝」という訳題で知られる。

Lake District

Lake District湖水地方の玄関口にあたる、カンブリア地方のウィンダミア湖を望む

Windermere, Lake District
www.visitcumbria.com

Daffodils

I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales
and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing
in the breeze.

水仙

まるで谷や丘の上を浮かぶ雲のように
僕は彷徨っていた。
そうしたら突然、金色に輝く
水仙の花を見つけたんだ。
それは湖の側で、木々の下で、
そよ風に吹かれながら揺れたり、
踊ったりしていた。

ウィリアム・ワーズワース

William Wordsworth
ウィリアム・ワーズワース
1770-1850

イングランド北部の湖水地方に生まれる。同地域の自然を自身の思いと重ねて描いた作品を数多く残したため、「湖水詩人」と呼ばれた。本作は英国の春の訪れを告げる花、水仙を謳ったもので、英国人であれば誰もが知るほど有名な詩の一つ。ワーズワースの代表作となった。

Ayrshire

Ayrshireエアシャー東部にあるルードン・ヒル

Loudon Hill
Loudon Hill, East Ayrshire, Scotland

Composed in Spring

Again rejoicing Nature sees
Her robe assume its vernal hues,
Her leafy locks wave
in the breeze,
All freshly steep'd in morning dews

春の曲

喜びに満ちた大自然が
いよいよ春の色を帯びてきた。
葉っぱたちはそよ風に揺れて、
そしてさわやかに朝露を浴びた。

Robert Burns

Robert Burns
ロバート・バーンズ
1759-1796

スコットランド南西部エアシャー生まれ。詩の中にスコットランド語を多く用いたことに加えて、古くから伝わる同地の民謡の普及などにも努めたことから、スコットランドでは絶大な支持を誇った。バーンズが改作を手掛けた民謡の中には、日本でも有名な「蛍の光」の原曲がある。

London

St. James's Parkバッキンガム宮殿近くのセント・ジェームズ・パークは、春には一斉にその景色を変える

St. James's Park
St. James's Park, London SW1A 2BJ
0300 061 2350
www.royalparks.org.uk/parks/st_james_park

Spring

Sound the flute!
Now it's mute.
Bird's delight
Day and night;
Nightingale
In the dale,
Lark in sky,
Merrily,
Merrily, merrily, to welcome
in the year.

さあ、フルートを鳴らそう!
まだまだ聞こえないよ
鳥たちは昼も夜もにぎやかな様子だ。
ナイチンゲールは谷間の中で
ツグミは大空の下で
元気に歌っている。
そう、元気が大事。
このまま元気に今年の春を
迎えようじゃないか。

William Blake

William Blake
ウィリアム・ブレイク
1757-1827

ロンドンのソーホー地区に靴下商人の息子として生まれる。詩作だけでなく、銅版画家、挿絵画家としても活躍。幻想的な詩を多く残して、英国ロマン派詩人の先駆けとなった。本作「春」では、文末が2行ごとに韻を踏んでいるのが分かる。

Surrey

カッコウサリーの国立自然保護区で春を告げるカッコウ

Thursley Common
Thursley, Godalming GU8 6LW
https://surreyhills.org

Spring

Chill are the gusts to which the pastures cower,
And chill the current where the young reeds stand
As green and close as the young wheat on land:
Yet here the cuckoo and the cuckoo-flower
Plight to the heart Spring's perfect imminent hour
Whose breath shall soothe you like your dear one's hand.

春の歌

牧草地をすくませる風は冷たく、
若い葦が立つ流れの水もまた冷たい。
その葦は畑の若い麦のように
青く、密に並んでいる。
それでもここでは
カッコウとカッコウ・フラワーが
春の完全な訪れが
今まさに近いことを心に誓わせる。
その息吹は
愛しい人の手のように
優しくあなたを慰めるだろう。

ダンテ・ガブリエル・ロセッティ

Dante Gabriel Rossetti
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
1828-1882

ラファエル前派の1人として知られる19世紀英国の画家・詩人。若いころから中世イタリア詩の翻訳を行い、「神曲」で知られる詩人ダンテを愛し、英詩ではアルフレッド・テニスンやウィリアム・ブレイク、ジョン・キーツなどのロマン派の作品に傾倒した。妹は詩人のクリスティーナ・ジョージナ・ロセッティ。

South Dorset

英南西部ドーセットの緑の草に覆われた丘陵地帯英南西部ドーセットの緑の草に覆われた丘陵地帯

South Dorset
South Dorset, Near Jurassic Coast
www.visit-dorset.com

Spring

Nothing is so beautiful as Spring—
When weeds, in wheels, shoot long and lovely and lush;
Thrush’s eggs look little low heavens, and thrush
Through the echoing timber does so rinse and wring
The ear, it strikes like lightning to hear him sing;
The glassy peartree leaves and blooms, they brush
The descending blue; that blue is all in a rush
With richness; the racing lambs too have fair their fling.

春の歌

春ほど美しいものはない――
草は輪のように広がり、みずみずしく繁り
ツグミの卵は小さな空のように見える
森に響くその歌声は
耳を洗うように鮮やかで
稲妻のように胸に響く
梨の木の葉と花は
青い空へと軽やかに触れ
子羊たちもまた
春の野を駆け回る。

ジェラード・マンリ・ホプキンス

Gerard Manley Hopkins
ジェラード・マンリ・ホプキンス
1844-1889

イエズス会の司祭でもあった詩人。生前はほとんど作品が知られることはなかったが、死後評価が高まり、英国を代表する詩人の一人と見なされるようになった。独自の韻律理論「スプラング・リズム」によって詩の表現を刷新したほか、自然描写を通して神の存在を讃える詩作でも知られる。

Hull Minster

英北部ハルの大聖堂英北部ハルの大聖堂。ラーキンは同地で図書館長として暮らした

Hull Minster
Trinity Square, South Church Side, Hull HU1 1RR
https://hullminster.org

The Trees

The trees are coming into leaf
Like something almost being said;
The recent buds relax and spread,
Their greenness is a kind of grief.

木々

木々は葉を茂らせ始めている
まるで何か言いかけているかのように、
新しい芽はほっと広がり、
その緑はどこか悲しみに似ている。

フィリップ・ラーキン

Philip Larkin
フィリップ・ラーキン
1922-1985

20世紀後半の英国を代表する詩人の一人。当時流行っていた派手な実験や前衛性よりも、日常生活や時間の流れ、孤独、老い、死といったテーマを、簡潔で皮肉を帯びた言葉で描いたことで知られる。文学界の中心に身を置くことを好まず、英北部で図書館長として静かな暮らしをした。

Margate

マーゲイトのノースダウン・パークT.S エリオットが妻と過ごしたマーゲイトのノースダウン・パークには、紫色の花が咲く

Northdown Park
Margate, Kent CT9 3TP

The Waste Land

April is the cruelest month,
breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
Winter kept us warm, covering
Earth in forgetful snow, feeding
A little life with dried tubers.

荒地

4月はもっとも残酷な季節である。
なぜってライラックの花をわざわざ死ん だ土から引きずり出して
記憶と欲望をごちゃまぜにした挙げ句に
春の雨でお休み中の草の根を叩き起こ
そうとするのだから。
冬は良かった。私たちを守ってくれた。
地面なんか雪で蔽ってしまい、干からび
た球根で、なけなしの命を養おうとして
くれていたんだ。

フィリップ・ラーキン

T.S Eliot
トーマス・スターンズ・エリオット
1888-1965

米国ミズーリ州に生まれる。1927年に英国人として帰化。神経衰弱に陥った妻の世話で心労を重ねたといわれている。本作は「荒地」の第一部「死者の埋葬」からの抜粋で、妻を連れてイングランド南東部ケントの保養地マーゲイトに赴いたときに書かれたもの。

London

移動式遊園地の空中ブランコメイ・デーには英各地に移動式遊園地が現れる

Southbank Centre
Belvedere Road, London SE1 8XX
www.southbankcentre.co.uk

Folk Song

You lost your sparkle at the fair,

apple, cherry, blackthorn, pear

watched every petal disappear
among the glamour and the glare
and dodgem cars and flying chairs
and candy floss and dancing bears,
the goldfish and the silverware.

フォーク・ソング

あなたは見失った、ファンフェアの中で火花を、

りんご、さくらんぼ、スピノサスモモ、梨も

 

花びらがだんだん消えていくのを見ていた
華やぎとまぶしさの間で、
ぶつかり合うゴーカートや空中ブランコ、
綿菓子や踊る熊たち、
金魚や銀器に囲まれながら

サイモン・アーミテージ

Simon Armitage
サイモン・アーミテージ
1963-

詩人、劇作家、音楽家、小説家。2019年に桂冠詩人に任命された。2024年にナショナル・トラストとのコラボレーションで、春と花をテーマにした詩集「Blossomise」を発表した。俳句からリリカルな散文詩まで、幅広い表現で表現され話題となった。

詩を楽しむヒント英詩のリズムを意識しよう

詩の美しさは、文字を目で追っているだけでは分かりにくい。ここでは英詩のリズムに関する基本的な法則を基に、音で英詩を考えてみよう。英国の詩のリズムやその音楽性を知ることは、正しい英語の発音や抑揚を身に着けることにもつながる。 

(参考:「イギリスの詩を読んでみよう」 小林章夫著 NHK出版)

英語にも七五調がある?

俳句や短歌で使われる5・7・5や5・7・5・7・7の七五調のリズムが日本人にとって心地良く感じられるように、英国人の耳にも心地の良い英語のリズムというものがある。英詩ではそのリズムは「弱強五歩格」と呼ばれ、日本語でいう5・7・5の17音のような存在。弱強五歩格は、英国の定型詩の最も基本の形で、ウィリアム・シェイクスピアが好んで使った。シェイクスピアは詩だけではなく、戯曲でもこのリズムをよく使っており、弱強五歩格になっているセリフが多い。

If Music be the food of Love,
play on

(シェイクスピア「十二夜」)

弱・強・弱・強の順で音節を読む。色で網かけされた部分を強く発音。
この弱強のかたまりが1行に五つあるものを弱強五歩格と呼ぶ。

音節の弱強が重要!

英詩で最も重要なのはリズムといわれる。そしてそのリズムを形成するのが音節の弱強。英詩は弱強または強弱の組み合わせでできており、スタイルとしては、弱強五歩格のほかにも、弱強のかたまりが四つの場合(弱強四歩格)や、三つの場合(弱強三歩格)などがある。しかし、定型のスタイルばかりが続くと単調になることから、基本のリズムを壊した「破格」と呼ばれる形もあり、これは俳句や短歌で言えば「字余り」のような存在だ。

Because I could not stop for Death,
He kindly stopped for me

(エミリー・ディキンソン「poem #712」)

最初の行には四つの弱強があり、次の行は三つ。
四連詩(4行で作られている詩節)で弱強四歩格と弱強三歩格が交互に出てくるスタイルは、普通律、またはバラッド律と呼ばれている。

英語のリズムに慣れる

日本語の5・7・5のリズムは俳句だけではなく、「飛び出すな/車は急に/とまれない」のような標語としても、日常的に身近で使われている。同様に、詩の定型は英国人の英語の基本リズムにもなっているので、上で述べたような弱強を頭に入れておくことで、英詩を楽しむだけではなく、英文を読むとき、または聞くときなどに、英語がスムーズに頭に入ってきやすい。また、自分で話すときにもどこにアクセントを置けば良いかが分かるはずだ。

I am the son and the heir
Of nothing in particular

(ザ・スミス 「How soon is Now?」 )

1980年代の英バンドの歌詞を定型詩のように区切って読んでみた。
強調されている単語、音のつながりなどが見えてくる。
ちなみにこの詞は英詩人ジョージ・エリオットの
小説「ミドルマーチ」の一節に手を加えたものだそう。

 

電話の誕生から150年 - グレアム・ベルが発明したもの

電話の誕生から150年グレアム・ベルが発明したもの

スマートフォンで瞬時に声を交わすことが日常となった現代。だが、その原点である電話が誕生してから、まだ150年に満たない。

1876年、スコットランド生まれのアレクサンダー・グレアム・ベルが米国で特許を取得した電話は、やがて英国に広まり、国家の通信制度、都市の労働、街角の風景を変えていった。その発明は単なる機械にとどまらず、制度や働き方など社会の仕組みにまで影響を及ぼした。本特集では、ベルの発明が英国にもたらしたものをたどる。

(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.belllegacy.orghttps://asaseno.aki.gswww.appps.jphttps://engineeringhalloffame.orgほか

電話の発明

電話の発明をめぐる争い

モールス信号による電信ネットワークが急速な発展をみせていた19世紀後半、電話の発明はアレクサンダー・グレアム・ベル(Alexander Graham Bell)1人によって成し遂げられたというより、当時複数の人物が各国で試みていた技術だった。ベルは、1本の電線で複数のモールス信号を送る多重電信機の改良研究の途中で、電気信号を使って声を送るアイデアに到達し、1876年に米国で電話の特許を取得したことでその名を知られる。

だが、イタリアのアントニオ・メウッチ(Antonio Meucci)、ドイツのフィリップ・ライス(Philipp Reis)、米国のエリシャ・グレイ(Elisha Gray)らも同時期に技術開発を進めていた。そのため、特許権を巡る争いや商業競争は訴訟の泥沼を生み、電話史の初期は複雑な主張と反論が交錯した。

特にベルとグレイの間では、発明か盗用かといった論争があり、発明者の功績は議論の的となった。2002年、米国下院はメウッチの貢献を認める決議を採択したが、上院では採決されず、一方カナダ議会は反対動議を全会一致で可決し、公式に発明者はベルであると宣言された。ベルの特許は最初の実用的な電話として知られ、電話技術の商業的実用化には、トーマス・エジソン(Thomas Edison)が改良したカーボン・マイクなどの特許も重要な役割を果たした。ライスはギリシャ語の「遠く」(tele)と「声」(phone)を合わせた「電話」(telephone)という名称を造り、メウッチも電話技術への貢献で米国下院から表彰されている。

ベルによる電信装置の特許出願図面ベルによる電信装置の特許出願図面

グレアム・ベルの歩みと電話発明

音への関心

アレクサンダー・グレアム・ベルの生まれが米国と思われている方も多いかもしれないが、1847年にスコットランドのエディンバラに誕生、ベルが24歳のときに両親を含む一家でカナダや米国に移住し、電話を発明後に米国に帰化した。

父のアレクサンダー・ベルは発声法学者(elocutionist)で、劇作家ジョージ・バーナード・ショーの「ピグマリオン」に登場するヘンリー・ヒギンズ教授のモデルになったともいわれている。また、聴覚障がい者の発話を助ける「視話法」の考案者として知られる。母は重度の難聴であったが芸術的才能に恵まれ、ベルは幼少期から音に強い関心を抱いた。エディンバラ大学とロンドン大学で学んだ後、父の助手として教育に携わる。ロンドンでは物理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの音響研究にも触れ、音の共鳴や振動の科学的分析に関心を深めた。ベルは教育者であると同時に実験好きでもあり、音の振動を目に見える形で記録したり、電気信号に置き換えたりする装置を自作していた。

このころ電信業界では1本の電線で複数の信号を送る多重電信機の改良が求められていた。ベルも異なる音の高さを利用する「ハーモニック・テレグラフ」の研究を進める。音の振動を電流の変化として伝える実験を重ねるなかで、モールス信号ではなく声そのものを送る可能性が見えてきた。電話は、こうした電信改良研究の延長線上から生まれた技術だった。

しかし一家は結核で兄弟2人を失い、ベル自身も体調を崩したため、1870年に空気のきれいなカナダのオンタリオへ移住。回復後の71年、米ボストンに移り、聴覚障がい者教育機関で読唇術と口頭法を指導した。72年にはノーザンプトンのクラーク聴覚言語学校の校長に就任、翌年にはボストン大学教授となった。さらに教育団体を設立し、ベルは生涯にわたり聴覚障がい者教育に尽力することになる。ヘレン・ケラーに盲学校を紹介するなどもし、ケラーはそこで師となるアン・サリバンに出会った。

1875 年に初めて音声を送信した、ベルの電話の複製1875 年に初めて音声を送信した、ベルの電話の複製

聴覚障がいが結んだ縁

クラーク聴覚言語学校で出会ったのが、後に妻となるメイベル・ガーディナー・ハバード(Mabel Gardiner Hubbard)だった。幼少期に病気で聴力を失ったメイベルはベルの教え子である。その父、弁護士で実業家のガーディナー・グリーン・ハバード(Gardiner Greene Hubbard)は、電信独占に対抗する新技術に強い関心を抱き、ベルの研究を資金面で支援した。こうして電話は、実験室の試みから事業化を視野に入れた研究へと動き始める。

1876年2月、ベルは米国で電話の特許を出願し、3月7日に特許第174465号を取得した。だが装置はなお改良の途上にあった。助手のトーマス・ワトソン(Thomas A. Watson)に向けて「ワトソンさん、こちらへ来てください」と呼びかけ、その声が隣室にいたワトソンまで届いたことで、初めて明瞭な音声伝達に成功する。特許取得からわずか3日後のことである。6月25日にはフィラデルフィアで開かれたセンテニアル博覧会に電話機を出展。当初は教育展示の一角に置かれただけだったが、別室にいるベルの声が受話器から聞こえると評判が広がり、科学者や来場者が装置の前に集まった。この反響を追い風に、翌77年、ベルは電話会社を設立し、電話機の販売を開始。その技術はやがて大西洋を渡り、産業化のただ中にあった英国社会へと広がっていく。発明は1人の研究者の成果にとどまらず、国家の信制度や都市の労働、街角の風景を変えていくことになる。

晩年のグレアム・ベル(写真左)と、妻のメイベル(同右)晩年のグレアム・ベル(写真左)と、妻のメイベル(同右)。メイベルはベルの研究に協力を惜しまなかった

英国社会の受容と影響

事業化の始まり

ベルが1876年に特許を取得した翌年には、ヴィクトリア朝時代の英国でも電話の実験と事業化が始まる。電話が社会に広がっていく上で、もう一つ欠かせない技術が電話交換機(スイッチボード)だった。初期の電話は、ある2点を直接結ぶ専用線でしか通話できず、自宅や会社といった固定された場所同士でしか使えなかった。そこで重要になったのが、加入者同士を中継する交換機の仕組みである。交換機では、利用者が受話器を上げると中央の局につながり、交換手がどの回線に接続するかを手動で結び替えることで、任意の相手との通話が可能となった。これにより、電話は点と点を結ぶ通信装置から、都市全体を結ぶネットワークへと進化した。1879年にシティのコールマン・ストリートに最初の電話交換機が設置されたと伝えられているが、やがて英国の各都市部に交換局が設置され、商店、銀行、新聞社、駅などが次々に接続された。労働や商いの取引の速度は飛躍的に高まり、都市生活のリズムそのものが変化していった。

ハロー・ガールズ

交換機の拡大とともに、交換手という新たな労働も生まれた。電話交換業務は高度な集中力と細かな手作業を要し、英米では初期は男性が担当していたものの、次第に多くの局で若い女性が採用されるようになった。こうした女性は「ハロー・ガールズ」とも呼ばれ、第1次世界大戦中の米国の女性交換手たちの愛称でもあった。交換手たちは都市の大規模な交換局では数百人規模の労働力を形成し、電話ネットワークの日常運用を支えた。同時に、手動スイッチボードには限界もあったため、1912年には自動式の交換機が英国で導入され始めるなど、技術革新と労働の変化が並行して進んだ。

また、当初は民間企業による運営であったが、通信を国家インフラとみなした政府は制度整備を進め、同年には電話事業を国有化し、郵便事業を担っていた郵政公社(General Post Office=GPO)が一元管理する体制に。英国では19世紀以来、郵便制度が国家統合の象徴的インフラであったことから、電話もその延長線上に位置づけられ、公共サービスとして扱われた。これは米国のようにAT&Tなどの民間企業が主導するモデルとは対照的である。そのため第2次世界大戦後も、英国の電話普及率は米国より低く、1970年代に至っても電話を引くのに数カ月待つような状況が存在したと記録されている。これは国家独占体制であったことと関係する。

Hello Girls 第1次世界大戦中の女性交換手たちHello Girls 第1次世界大戦中の女性交換手たち

赤い電話ボックスの誕生

一般家庭への電話普及が遅れた一方、公衆電話は急速に広まっていった。公衆電話ボックスが英国で制度化されるのは20世紀初頭である。電話網が都市部を中心に広がるなか、街路に設置される統一的なデザインが求められた。1924年、当時の通信行政を担っていたGPOは、ロンドン市内に設置する新型ボックスのデザインを公募する。翌25年に採用されたのが、ウォータールー橋やバタシーの発電所などで知られる建築家、ジャイルズ・ギルバート・スコット(Giles Gilbert Scott)によるデザインだった。スコット案は古典主義的な意匠を基礎とし、ドーム状の屋根と格子窓を備える堅牢な鋳鉄構造が特徴だった。この初期モデルは「K2」(Kiosk No.2)と呼ばれ、1926年からロンドンで設置が開始された。K2デザインは都市美観に配慮したもので、そこに立つだけで街並みに重厚感を添えた。設置当初から屋根の下部や設備全体に政府を象徴するクラウン(王冠)マークが配され、国家の公共インフラであることを示していた。

赤い電話ボックス

なぜ「赤」なのか

K2に続いて、より実用的で全国展開を前提とした「K6」が1935年に設計された。これはジョージ5世即位25周年を記念して製作され、36年から制作・配備が進んだ。K6はK2よりも小さく軽量で、街路に設置しやすい規格となっている。赤色が採用されたのは、視認性の高さが理由である。霧や煤煙が多い英国の都市環境では、遠くからでもすぐに見つけられる色が求められた。そのためK6にも遠目にも目立つ「赤」が採用され、これが全国に急速に広がる要因となった。K6は1930年代末までに3万5000基以上の公衆電話を実現し、広範な通信基盤として機能した。今日最も広く使われている塗料色は「カラント・レッド(Currant Red)」として知られ、英国規格BS381CRed539で色調が定義されている。

都市文化のアイコンへ

21世紀に入り、携帯電話の普及により公衆電話の利用は激減。1990年代にはピークで約10万基存在した電話ボックスは、2020年代には大幅に減少したが、それでも伝統的な赤い電話ボックスは国内だけでなく連邦諸国でも目にすることができる。通信事業を担うBTグループは、多数のボックスを撤去対象としたものの、ボックスの歴史的価値を認める声も強く、各地で保存運動が起こった。赤い電話ボックスは英国らしい景観の象徴として保存され、観光地や街角のランドマークとして残されている。現在ではWi-Fi スポットや小型図書館、アート展示などに再利用される例も見られ、単なる通信機器から都市文化のアイコンへと役割を変えている。ベルの発明から始まった技術は、交換機を経て、街角の赤い箱となり、やがてデジタル化の波の中でその役割を変えていく。赤い電話ボックスの歴史は、英国が通信という新技術をいかに公共空間へ落とし込んだかを示す物語でもある。

簡易図書館になったウェールズの赤電話ボックス簡易図書館になったウェールズの赤電話ボックス

 

早春の花を楽しむロンドンのスポット

早春の花を楽しむ
ロンドンのスポット

3月を目前にしたロンドンでは日ごとに光が増え、気付かないうちに街のあちこちで春の気配が芽吹き始めている。外に出て自然光を浴びることは、心と体を整える1番手軽なセルフケアだ。ここでは早春に咲く代表的な花々と、気軽に立ち寄れる公園を紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

自然を愛でられる4つの公園・庭園

きれいに整えられた美しい花が咲き乱れる公園もいいけれど、ここでは 目にも心にも優しい、自然の草花が楽しめる場所をピックアップした。

Green Park
グリーン・パーク

Green Park

バッキンガム宮殿と賑やかなピカデリー・サーカスから歩いてすぐのところにある静かな公園。作り込まれた人工的な花壇がない代わりに、木漏れ日の光、野花の草原の揺れ、そして訪れる鳥のさえずりを楽しむことができる。慌ただしい街の中心部にある小さなオアシス。1660年、チャールズ2世がハイド・パークからセント・ジェームズ・パークまで王室の領土を離れずに歩けるようにと造園したのが始まりで、以来市民の憩いの場として親しまれている。

Green Park, London SW1A 1AA
Green Park駅
www.royalparks.org.uk/visit/parks/green-park

Regent's Park & Primrose Hill
リージェンツ・パーク&プリムローズ・ヒル

Primrose Hill

夏には、1万2000本の宝石のようなバラの芳醇な香りが辺りを満たす、クイーン・メアリーズ・ガーデンを内包する公園。120種以上の鳥が生息するだけでなく、ロンドンで唯一、ハリネズミの繁殖地としても知られている。5000種の樹木、野生の花が咲く草原が広がる。公園北部のプリムローズ・ヒルの頂上までハイキングすれば、ロンドンの街を一望できる。その眺めは多くの小説や映画の舞台になり、音楽作品にもなっている。

Regent's Park, London NW1 4NR
Regent's Park / Chalk Farm駅
www.royalparks.org.uk/visit/parks/regents-park-primrose-hill

Richmond Park
リッチモンド・パーク

Richmond Park

700年以上の歴史を持ち、国立自然保護区にも指定されている公園。クワガタ、コウモリ、ガなどの希少種や絶滅危惧種の安息の地になっている。園内には野生のシカが暮らすほか、150年前から存在する古い蟻塚や、推定樹齢750年のオークの木など、多様な自然生息地が広がっている。1637年にロンドンを襲ったペストから逃れるため、リッチモンド宮殿に避難したチャールズ1世が作った狩猟場だった。

Richmond Park, Richmond TW10 5HS
Richmond駅
www.royalparks.org.uk/visit/parks/richmond-park

Chelsea Physic Garden
チェルシー・フィジック・ガーデン

Chelsea Physic Garden

1673年にロンドン薬剤師協会によって設立された植物園。日本ではチェルシー薬草園の名で知られる。ハーブをはじめとした4500種以上の薬用、食用、有用植物が栽培されている。王立公園とは異なりこじんまりとしているが、歴史ある温室を散策したり、植物コレクションを鑑賞したりと、ゆったりとくつろぐことができる。チケットはオンライン予約制。

66 Royal Hospital Road, London SW3 4HS
日~金 11:00-16:00
10ポンド
Sloane Square駅
www.chelseaphysicgarden.co.uk

各花の見ごろの目安

冬から春にかけて、英国の庭や公園を彩る代表的な花の見ごろは次の通り。

1月下旬~2月
スノードロップ
Snowdrops

Snowdrops

早春を告げる白い花。細胞内に凍りにくい成分を含み、霜や雪にも耐えることができる

2~3月
プリムローズ
Primrose

Primrose

黄色や白の花で、名前はラテン語の「最初のバラ」を意味するPrima Rosaに由来する

2月下旬~3月
クロッカス
Crocus

Crocus

紫や白、黄色の小花が点々と芝生などから出る。夜間や曇りのときには花びらを閉じる

2~4月
アイリス
Iris

Iris

ミニチュア種がこの時期に咲く。フランスの王家や知恵の象徴などにもされている

3~4月
スイセン
Daffodil

Iris

スーパーでも手軽に購入でき、イースターの時期を彩る。ウェールズの国花でもある

3月下旬~4月

Cherry Blossom

Cherry Blossom

王立公園(ロイヤル・パーク)に咲く桜の多くが、日本から友情の証に贈られたもの

4月中旬~5月
ブルーベル
Bluebell

Bluebell

森林で群生する姿は、青い花の絨毯。世界中のブルーベルの半数以上が英国に生息する

 

太陽が足りない季節に - 心と体を整えるセルフケア

太陽が足りない季節に 心と体を整えるセルフケア

冬の公園

真冬の底は抜け、朝が少しずつ早く明るくなってきた英国。それでも空は灰色の日が多く、太陽の気配にいつも以上に敏感になる季節といえる。疲れが取れない、気分が晴れない——そんな不調を感じる人は少なくない。その背景にあるのが、日照時間の短さだ。光不足は体内時計や気分のバランスに影響するとされ、英国では「季節性うつ」(Seasonal Affective Disorder=SAD)という言葉も広く知られている。光を上手に取り入れ、生活を整え、ときには外へ出て早春の花に春の兆しを探してみよう。本特集では、太陽が足りない季節を健やかに乗り切るためのセルフケアを紹介する。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.rcpsych.ac.ukwww.worlddata.infowww.nhs.ukhttps://natgeo.nikkeibp.co.jpwww.heart-center.or.jpほか

英国の冬はなぜ暗い?

英国は欧州北部に位置し、赤道から5600キロ以上離れた北半球の高緯度にある。夏には太陽が沈みにくく、1日のうち16時間以上も明るい。だが、冬至のころは日の出から日の入りまで7時間余りしかなく、英南東部のロンドンでは2月19日現在、日の出が7時10分、日没が17時21分である。北部やスコットランドではさらに日の出は遅く、日の入りは早いため、自然光を浴びられる時間そのものが少なくなる。

しかし、昼の長さは地理的条件に過ぎず、実際に太陽が見えるかどうかとは別問題だ。北大西洋から吹く湿った空気と偏西風の影響で、英国の冬は低気圧や前線が頻繁に通過し、曇りや雨の日が多い。さらに、高気圧でも下降気流による雲が残りやすく、晴れ間が出にくい日が続くこともある。

つまり、昼の短さという地理的条件と曇天の多さという気候的条件が重なり、英国の冬は太陽がほとんど出ない日が多い。SAD(季節性うつ)など、光不足による心身への影響が出やすい背景には、この地理と気候のWパンチがある。日本の冬と比べても日照時間は圧倒的に少なく、意識的に外に出て光を浴びる習慣が重要となる。

日照時間の長さの比較

冬の日光不足と向き合う

英国の冬は、昼が短く曇りや雨の日も多いため、日光不足に悩む人が少なくない。体内時計や気分に影響を与えるSADの実態とその対策について紹介する。

SADとは? 冬になるとブルーな気分

季節の移り変わりが気分に影響を及ぼすことは、昔から経験的に知られてきた。けれど、「季節性うつ」や「季節性感情障害(Seasonal Affective Disorder = SAD)」という言葉が医学的に使われるようになったのは、1980年代に入ってからだ。南アフリカから米ニューヨークに移住した精神科医ノーマン・ローゼンタール氏が、1984年に論文の中でこの名称を提唱した。

寒くて日照時間の短い冬になると気分が落ち込みやすいそんな自身の体験をきっかけに、当たり前のこととして見過ごされがちだった症状に光を当てたのだ。SADとは、秋から冬に抑うつ状態が現れ、春から夏にかけて自然に軽快するという季節特有のリズムを繰り返す障がいを指す。「反復性冬季うつ病」と呼ばれることもある。はっきりした心理的原因が見当たらず、少なくとも2年以上同じ季節パターンが続くことが、判断の目安とされている。

症状 過眠と過食

SADに見られる症状は、気分の落ち込みや意欲の低下、物事を楽しめない、イライラする、人に会いたくなくなるといった、一般的なうつ症状とよく似ている。朝の方がつらく感じられるのも特徴のひとつだ。

ただし、典型的なうつ病で多い「不眠」や「食欲不振」とは逆に、SADでは眠気や食欲の増加が目立つことが少なくない。冬の間は朝なかなか起きられず、日中も強い眠気に襲われる。また、チョコレートやパン、甘い菓子など糖分や炭水化物を多く含む食品を無性に欲することもある。寒さから活動量が落ちやすいことも重なり、体重が増えやすくなる人も多い。

春になると症状は自然に軽くなり、回復に向かうケースがほとんどだが、診断を受けた人の約3分の1は、反対に気分がやや高揚する時期を経験するともいわれている。

SADにかかりやすい人 若い女性

SADは誰にでも起こり得るが、女性は男性の約3倍発症しやすいとされ、とくに10〜30代の若い世代に多い。子どもや高齢者の発症は比較的まれだが、年齢に関係なく見られる障がいでもある。

英国では約200万人がSADの可能性があると推定されている。冬場に軽い疲労感や眠気、体重増加を感じる人は少なくないが、こうした変化が長く続き、仕事や日常生活に支障が出る場合は注意が必要だ。実際、100人に3人ほどが深刻な症状に悩まされているとも報告されている。

SADの原因 日光不足

原因はまだ完全には解明されていないが、最大の要因と考えられているのが冬の日照不足だ。光を浴びる時間が減ると、体内時計を整えるホルモンであるメラトニンの分泌リズムが乱れ、眠気が強まりやすくなる。同時に、気分の安定に関わるセロトニンやドーパミンといった神経伝達物質も低下し、抑うつ状態に傾きやすくなるとされる。

こうした変化に体が敏感な人ほど、症状が出やすい。また、若い女性に多い背景には、ホルモン・バランスの影響も関係している可能性が指摘されている。

冬の朝に布団から出られない、甘いものが無性に食べたくなる――そんな変化は、単なる寒さや気のせいではなく、日光不足が体に及ぼしているサインかもしれない。

SAD簡易チェック・シート

気分や睡眠、食欲などが季節によってどの程度変化するかを確認するための自己チェック法がSeasonal Pattern Assessment Questionnaire(SPAQ)だ。冬とそれ以外の季節を比べながら答えることで、光不足の影響を受けていないかを客観的に把握できる。

合計点が7点以下は「正常範囲内」、8〜11点は「SAD前の不調」、12点以上は「SADの可能性がある」とされる。自分の状態を知るための、一つの目安として活用したい。

SAD簡易チェック・シート

SADの症状に対処するために実行できる 6つのセルフケア

冬に気分が落ち込みやすい人や、英国で初めて短い日照時間を経験している人は、自分でも気づかないうちに心身のバランスを崩していることがある。健やかに春を迎えるためにも、日々の生活の中でセルフケアを意識したい。今から始めるのはもちろん、10月下旬など、本格的な冬が始まる前から準備しておくとより効果的だ。

1. 毎日外に出る

15~20分の自然光を浴びるだけで、体内時計を整えメラトニンの分泌をコントロールするのに役立つ。これにより、エネルギーのレベルが上がり、睡眠の質も向上する。職場や自宅ではできるだけ窓の近くに座り、自然光を取り入れることを心がけよう。

2. 運動は薬

曇天が続く冬はセロトニンの分泌量が少なくなるが、1日約20分、あるいは週150分ほどの定期的な運動はセロトニンの最適なレベルを維持するのに役立つ。激しい運動である必要はない。スクワットや壁を使った腕立て伏せ、椅子に座ったストレッチなど、シンプルなものから始めたい。簡単なものなら続けやすい。YouTubeなどで自分に相性の良いエクササイズ動画が見つかるはずだ。ゆっくりと体をほぐし、背中や首などの緊張を和らげよう。早歩きの散歩も効果がある。

運動

3. トリプトファンを含む食材

この時期に食欲が増すのは、セロトニン不足を補おうとする体の反応ともいわれる。日中は脳内でセロトニンの生成を促し、夜になると睡眠を促すメラトニンに変化する必須アミノ酸、トリプトファンを含む食材を意識して摂取したい。牛乳、チーズ、ヨーグルト、豆乳、納豆、豆腐、卵、肉類、魚類、ナッツ類、バナナなどが代表的な食品だ。ビタミンB6(マグロ、ニンニク、鮭、ゴマ、抹茶など)やビタミンB12(青魚、カツオ節、イカ、レバーなど)と一緒にとると吸収が高まる。

4. 時間通りに就寝する

規則正しく深い睡眠は、気分の安定に直結する。就寝時間と起床時間を一定に保ち、就寝前は照明を落としてリラックスするようにしよう。アルコールや夜遅い食事を避け、スマートフォンやテレビの画面も就寝1時間前にはオフにする。脳が休まり、自然な眠りにつきやすくなる。

睡眠

5. ビタミンDを補給

近年の研究では、ビタミンD不足がうつ病や不安の症状増加と関連していることが明らかになった。英国では6人に1人がビタミンD欠乏症に罹りかん患しており、特に肌の色が濃い人や屋外で肌の大部分を覆っている人、1年中日焼け止めを塗る習慣がある人は、ビタミンD欠乏症のリスクが高いといわれている。英国では、秋から冬にかけて1日10マイクログラム(400IU)のビタミンDサプリメントの摂取が推奨されている。

6. つながりを保つ

気分が沈むと人との交流がおっくうに感じられることがある。でも、孤立は落ち込みを深める要因になる。電話やビデオ通話のやり取りだけでも構わないので、家族や友人と連絡を取るようにしたい。誰かと他愛ない会話をするだけでも十分な効果がある。

つながり

ライトボックス療法とは

屋外の自然光を模倣し、強い光を放つ照明機器。SADの症状緩和に用いられ、「SADランプ」「ライトボックス」とも呼ばれる。基準となる1万ルクスは室内照明の約20倍、晴れた朝の屋外とほぼ同じ明るさで、室内にいながら自然光に近い刺激を再現できる。朝起きてから1時間以内に20〜30分、顔から40〜60センチほど離して使用する。紫外線はできるだけ抑えられており、光源を直接見つめ続ける必要はない。緑内障や白内障、糖尿病による網膜症など、過去または現在に眼の疾患がある人は、使用前に眼科専門医へ相談を。処方箋なしで購入できる手軽さはあるものの、医療従事者の助言やメーカーのガイドラインに従って使うのが望ましい。一方、北アイルランドでは公共図書館でライトボックスの貸し出しが行われ、利用希望者が多いという。この療法が生活の中に根づいた選択肢になっていることがうかがえる。

ライトボックス療法

ライトボックス療法

 
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