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時代区分から知る:消費社会の始まり - ジョージ王朝時代の英国

時代区分から知る 消費社会の始まりジョージ王朝時代の英国

「ジョージアン」というと建築や家具の様式を思い浮かべる人も多いだろう。だが18~19世紀半ばのジョージ王朝時代は、それだけにとどまらない。大英博物館が作られ、「タイムズ」紙など著名紙の発行が始まり、ジェーン・オースティンが活躍した時代。アフタヌーン・ティーやクリケットなど、私たちが「英国らしい」と思うものの多くはこの時代に形成された。政治的にも文化的にも大きな転換期を迎えた、ジョージ王朝時代の英国の社会を眺めてみよう。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: Georgians Revealed Life, Style and the Making of Modern Britain by British Library、「イギリス社会史 2」トレヴェリアン著 みすず書房、「路地裏の大英帝国 イギリス都市生活史」 角山榮/ 川北稔 編 平凡社ほか

1821年、ウェストミンスター寺院で行われたジョージ4世の戴冠式を描いた銅版画1821年、ウェストミンスター寺院で行われたジョージ4世の戴冠式を描いた銅版画

ジョージ王朝時代(Georgian)とは

ジョージ王朝時代(1714~1837年*)はジョージ1世からジョージ4世までの4人のジョージと、ジョージ4世の弟ウィリアム4世に統治された時代をさし、ヴィクトリア朝の一つ前の時代にあたる。君主から議会へ政治権力が移行するなど、英国が中世から近代へ移り変わった重要な時期で、欧州の一国に過ぎなかった英国は、商業貿易によって富める列強国として急激に台頭した。対外的にはナポレオン戦争や米国独立戦争を経てインドを支配するなど、次に続くヴィクトリア朝時代で「大英帝国」となる準備期間でもあった。

一方で国内は、産業革命と農業革命という相互する転換期を迎え、農村の土地制度の変化、そして都市の産業が前例のない速さで拡大した。貧富の差は拡大し、著しい貧困と酷い労働条件に労働者は反乱寸前の状態だった。だがそうした社会の不平等を背景にしながら、世界が今まで見たことのない科学、デザイン、技術が次々に生み出された時代でもあった。レジャーや余暇を楽しむ人が増え、消費社会の原型が形作られた。それまでの英国を永遠に変え、現在につながる道を作ったのがジョージ王朝時代だ。

*ジョージ王朝時代は、4人のジョージが統治した1830年までとする考え方と、ドイツのハノーファー家が統治した1837年までとする考え方があり、後者をハノーヴァー朝という場合もある。ちなみに、後につながるヴィクトリア女王もハノーファー家の血統だが、ハノーファー公の地位は女性の相続が認められないためハノーファー国との同盟は解消。ハノーヴァー朝ではなくヴィクトリア朝となる。混乱を避けるため、この特集では1937年までをジョージ王朝時代とした

英国の時代区分

年表で見るジョージ王朝時代

1714 ジョージ1世が即位
1719 ダニエル・デフォーが「ロビンソン・クルーソー」を発表
1720 株価の急落と暴落を起こした南海泡沫事件が勃発
1721 ロバート・ウォルポールが首相に就任
1721 ウィリアム・ホガースが風刺銅版画集「南海泡沫事件」を出版
1726 ジョナサン・スウィフトが「ガリバー旅行記」を発表
1727 ジョージ1世の死去によりジョージ2世が即位
1729 テムズ川に初の橋、パットニー橋が完成
1733 ダウニング街10番地に首相が入居
1736 ウェッジウッドが工場を建設
1751 グレゴリア歴を導入
1751 ジンの販売を規制する「ジン法案」を実施
1755 サミュエル・ジョンソンが英語辞典を出版
1756 七年戦争が勃発(63年まで)
1759 大英博物館が開館
1761 ブリッジウォーター運河が開通
1768 キャプテン・クックが第1回の航海へ出発
1769 ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良
1771 ロバート・アダムスがウェリントン提督の邸宅アプスリー・ハウスを建築
1776 アダム・スミスが「国富論」を発表
1781 ウィリアム・ハーシェルが天王星を発見
1783 ウィリアム・ピットが24歳で首相に就任
1788 「タイムズ」紙が発行
1791 「オブザーバー」紙が発行
1796 エドワード・ジェンナーが天然痘の予防法を開発
1798 所得税が導入
1805 トラファルガーの海戦
1807 英国とその全植民地で奴隷貿易が廃止
1811 ジョージ3世が精神疾患で退位、皇太子(ジョージ4世)が摂政となる
1813 ジョン・ナッシュが 1832年までかかるロンドンの都市計画を開始
1815 ワーテルローの戦い
1816 ジェーン・オースティンが「エマ」を発表
1819 ピータールーの大虐殺
1821 アイルランドで大飢饉
1830 ウィリアム4世が即位
1830 リヴァプール・マンチェスター間に鉄道が開通
1831 ダーウィンがビーグル号で船出
1832 選挙権にまつわる大改革法(Great Reform Act)が成立
1833 奴隷制の廃止
1837 ウィリアム4世が死去、ヴィクトリア女王が即位

ジョージ王朝時代という123年

約120年続いたジョージ王朝時代を、政治、文化、建築・インテリア、ファッション、食という五つの側面から光を当てる。

政治

1714年、世継ぎのいないアン女王の死によって神聖ローマ帝国(ドイツ)のハノーファー公、ゲオルグ1世が英国王に迎えられ、ジョージ1世として即位。ハノーヴァー朝が開かれた。しかし1世は王座に就いたときすでに50歳を超えており、英語が堪能ではないこともあり多くの時間をハノーファーで過ごした。続く2世もドイツ生まれで英独を行き来する生活であることから、この時期に英国では議会政治が発展し責任内閣制が成立。自由民主党の前身であるホイッグと保守党のトーリーという二大政党制も形成された。ホイッグ党に所属した第一大蔵卿のロバート・ウォルポール(Robert Walpole)は、議会の支持を基盤に政権運営をした実質的な「初代首相」とされている。

宮廷画家のジェームズ・ソーンヒルが描いた、家族に囲まれたジョージ1世。膝に手を置いているのは皇太子で、後のジョージ2世。グリニッジの旧王立海軍学校にあるペインテッド・ホールの天井画の一部宮廷画家のジェームズ・ソーンヒルが描いた、家族に囲まれたジョージ1世。
膝に手を置いているのは皇太子で、後のジョージ2世。
グリニッジの旧王立海軍学校にあるペインテッド・ホールの天井画の一部

ちなみにジョージ2世が1732年、ウォルポールにダウニング街10番地の館を与えようとしたとき、ウォルポールは「個人ではなく第一大蔵卿の官邸としてならば」、と受け取った。これが現在の首相官邸の始まりである。やがて20年にわたり国政を率いたウォルポールが退くと、ジャコバイトの反乱*を皮切りに、フレンチ・インディアン戦争、インドでのプラッシーの戦い、そして米国の独立戦争、対仏戦争とナポレオン戦争、アイルランドの反乱と独立と次々に争いごとが起こった。

こうした戦いで英国は財政難に陥ったものの、ウィリアム・ピット(William Pit)などの優秀な政治家が舵を取った。国内では農業革命から産業革命を経て工業化が進んだ一方で、貴族や大地主であるジェントリ**の富裕層とそれ以外とに二極分化し、今も英国に根深く残る階級社会が誕生した。

* 名誉革命で追放されたステュアート朝のジェームズ2世こそが正当な王位継承者であると主張する勢力ジャコバイト(Jacobite)による反乱(1745-46年)
** 農業経営をする地方地主。貿易や産業の発展が急速に進むなかで、本来の農業経営だけでは立ち行かず、企業家としても活動した。これが産業革命を促進したともいわれている。ジェントリはジェントルマンの語源となった

文化

この時代は日刊または週刊の新聞が相次いで発行され、「タイムズ」紙や「ガーディアン」紙といった今も読まれる大新聞が登場。新聞によって初めて人々は多くのニュースや情報を得ることになった。また、一般の識字率は低かったが、読書人口も徐々に増加した。

当初の書籍は、「淑女はどうふるまうべきか」といった指南書のようなものが多かったものの、ダニエル・デフォーが1719年に書いた「ロビンソン・クルーソー」やジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」を皮切りに、多くの小説が生み出されるようになり、「高慢と偏見」などで知られるジェーン・オースティンもデビューした。詩の世界にも多くの才能が現れ、ウィリアム・ブレイク、ウィリアム・ワーズワース、バイロン、パーシー・ビッシュ・シェリー、ジョン・キーツらが登場。また、サミュエル・ジョンソンはロンドンの文学サークルの中心で活躍しながら、英語辞典を作り上げた。

英国初の小説の一つといわれるダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」初版本(1719年4月25日出版)英国初の小説の一つといわれるダニエル・デフォーの
「ロビンソン・クルーソー」初版本(1719年4月25日出版)

ジョージ王朝時代の人々は、前のステュワート朝時代に比べて余暇やレジャーなど、外へ出る楽しみが格段に増えた。図書館や本屋へ行くことが流行り、大英博物館が開館し、王立芸術院では展覧会が開催された。また、照明の設備も整ったことから劇場も増加した。サーカスが人気を博したのもこの時代で、パンテオンやライシアムといった大きなダンス・ホールもオープンした。さらに、広場や公園など、公共のオープン・スペースが次々に整備されていき、階級を問わず人々の間に屋外の散歩を楽しむ習慣が広まった。

建築・インテリア

この時代にはロバート・アダム(Robert Adam)、ジョン・ソーン(John Soane)、ジョン・ナッシュ(John Nash)という3人の建築家が活躍し、バッキンガム宮殿、ロイヤル・パビリオン、クラレンス・ハウスをはじめとする王室や貴族の館を手掛けた。また都市計画も行い、ナッシュはリージェンツ・パーク、リージェント・ストリートの設計をした。

ジョン・ナッシュが設計したロンドン北部ハムステッドのケンウッド・ハウスジョン・ナッシュが設計したロンドン北部ハムステッドのケンウッド・ハウス

都市部に増えた裕福な中流階級のための住宅、テラスハウスやタウンハウスもこの時期に次々に建てられた。左右対称を基調としたシンプルな構成で、横につながる長屋形式のテラスハウスはジョージアン様式の特徴。建物の入口ドアの上には、ファン・ライトと呼ばれる扇型のガラス窓がはめ込まれていることが多く、これは狭くて細い玄関に採光を取り入れる工夫だった。内部のスペースは、居間、書斎、客間など用途ごとに分かれ、家具も部屋の用途に合ったものが置かれた。今でこそ当たり前に聞こえるが、これより前のチューダー朝の家はホール式のスペースで、家具は用途に応じて移動させていた。それと比較してもジョージアン様式の建築は、住居として使いやすく今でも人気が高い。

今も残るカーブの美しいロンドン中心部のリージェント・ストリートは、ナッシュによる都市計画の一端今も残るカーブの美しいロンドン中心部のリージェント・ストリートは、ナッシュによる都市計画の一端

また、1696年から建物に窓税が掛けられており、窓数が多いほど税金が高かった。そのため、節税の一環で窓を取り外しレンガを積む入居者も多く、今でも時折、その名残で窓が塞がれた建物を見ることができる。

また、1721年から輸入木材への関税が撤廃され、西インド諸島から高級で彫刻装飾にも適したマホガニー材が簡単に輸入できるようになったことから、マホガニー家具が流行。特に家具デザイナーのトーマス・チッペンデール(Thomas Chippendale)によるマホガニー家具が一世を風靡し、ジョージ王朝時代の家具はマホガニー一色になった。チッペンデール様式といわれるそれは、シノワズリ(中国趣味)とロココ様式を融和させながらも、宮廷様式の家具を市民の生活環境に合わせた、機能的で洗練されたスタイルといえる。

代表的なチッペンデール様式の椅子代表的なチッペンデール様式の椅子

ファッション

大きな帽子や幅広いドレスなど、18世紀初頭までの大げさなスタイルから解放されて、男女ともシンプルで軽やかな装いが流行した。フランス革命(1789~95年)の影響で、これまでファッション界のリーダーだったフランス貴族のようなスタイルが好まれなくなったのが理由の一つだ。女性はきつく締めあげられたコルセットをしなくなり、ハイ・ウエストで体形にそった、古代ギリシャ風ともいえる自然なドレスが流行した。こうしたドレスはジェーン・オースティン作品のドラマなどで目にすることが多いので、現在でもよく知られているだろう。

一方、男性ファッションも大きく変化した。当時のインフルエンサーで、誰もがそのファッションを真似したというボー・ブランメル(Beau Brummell)の登場によって、英国の紳士服は世界に誇れるファッションになり、その影響は今に至る。まずブランメルは宮廷風のかつらを脱ぎ、香水にも手を付けなかった。そして紳士服の規準を、「暗い色合いできちんとカットされた服が、カラフルで派手な服よりも洗練されている」と定義。体にフィットし乗馬に適した服装を念頭に、悪目立ちせずに清潔でスマートな服装を提案し、権力者が集まる晩さん会で披露した。ブルメルの功績は、紳士服にネクタイを組み合わせたスーツをファッションに導入し定着させたことだろう。英国は、ビジネスや正式な場において世界中で着用されているスーツの誕生の地となったのだ。

真っ白なスカーフが特徴的な1805年ごろのボー・ブランメルの様子。画家リチャード・ダイトン作真っ白なスカーフが特徴的な1805年ごろのボー・ブランメルの様子。
画家リチャード・ダイトン作

ところで、放蕩者で浪費家でいいところが何もないといわれるジョージ4世だが、一介の平民でありながら優雅でスマートなボー・ブランメルの知己となった。自身もブランメルのスタイルを取り入れることで、当時の英国ファッションを盛り上げるのに一役買った。

階級によって大きく異なるものの、ジョージ王朝時代以前は、多くの国民にとって食事はシンプルなもので、食材はその土地で採れたものだった。しかし農地を離れ都市で働く人が増加したこの時代、小麦やパン、そして肉や魚は店で買う「商品」に転じた。そのため大量の肉が農場から都市の市場まで輸送されたが、その旅は長く困難を伴ったため、品質はかなり悪かったといわれる。1788年に「食卓の名誉」(The Honours of the Table)という本を著した医師によれば、肉はひどい匂いがするので、食べるときに鼻を近づけないようにしたいほどだったという。

ウィリアム・ホガースが描いた「ジン横丁」ウィリアム・ホガースが描いた「ジン横丁」

また、スウェーデン人旅行者が1748年に、英国人は大きな肉を調理するのは得意だが、ほかの料理分野では才能がないようだ、と発言したことが知られている。一方で果物は、選ばれたごく少数の裕福な人々だけが手に入れることができた。そもそも人々は生の果物を恐れており、果物は消化不良や疫病を引き起こすと考えられていた。

中産階級以上の人々は、この時代の朝食はまだヴィクトリア朝のように豪華ではないものの、トースト、ロールパン、チーズ、紅茶、コーヒー、チョコレート、そして生水より安心なうえ、重要な栄養源でもあったエール(Ale)などで簡単な軽食を9時から10時の間に取った。昼食はなく、夕食は夕方5時ごろ。裕福な人々がフランスの影響を受けたコース料理を食していた一方、労働者たちはもう少し早い時間帯に、パンを主食に生焼けの肉と茹でたキャベツ、チーズなどを取った。アルコールに関しては、消費税を払う必要がない安価なジンが都市の貧民たちの間で流行した。アルコール度数の高さから健康を害する人が多く、また暴力や失業などの悲惨な状況を生み出した。

今も名を知られている
ジョージ王朝時代に創業した主な会社

*()内はジョージ王朝時代以前に創業

  • Garrard & Co. Limited. (旧Asprey & Garrard Limited.) [宝石、1722年]
  • Royal Bank of Scotland [銀行、1727年](Barclays Bank 1690年)
  • Floris of London [香水、1730年]
  • East India Company [貿易、1730年]
  • Booth's Gin [酒類、1740年]
  • Sotheby's [オークション、1744年]
  • Royal Worcester [陶磁器、1751年]
  • Wedgwood [陶磁器、1759年]
  • Lloyds Bank [銀行、1765年]
  • The Times [新聞、1785年]
  • The Observer [新聞、1791年]
  • British Gas [ガス、1812年]
  • The Guardian [新聞、1821年]
  • Cadbury [チョコレート、1824年]
  • Clarks [靴、1825年]
  • Harrods [デパート、1834年](Fortnum & Mason 1707年)
  • Tetley [紅茶、1837年](Twinings 1706年)

この時代をファッションから見るStyle & Society: Dressing the Georgians

Style & Society: Dressing the Georgians

18世紀の英国ファッションを再発見するエキシビション。ジョージ王朝時代はスタイリストやインフルエンサーが誕生し、人々がショッピングに憂き身をやつした時代。ゲインズバラ、ゾファニー、ホガースなど、当時のアーティストによる芸術作品から垣間見るファッションのトレンドを探るほか、洗濯女の実用的な服装から宮廷で着用される豪華なガウンまでが展示される。テキスタイルや宝飾品など、さまざまなアクセサリーも間近で見ることができる。

ジョージアン

2023年10月8日(日)まで
木~月 9:30-17:30(9月25日から10:00開場)
£17
The Queen's Gallery
Buckingham Palace, London SW1A 1AA
Tel: 0303 123 7301
Victoria/Green Park/St. James's Park/Hyde Park Corner駅
www.hrp.org.uk

 

大人も子どもも楽しめる! - 英国の遊園地&娯楽施設

大人も子どもも楽しめる!英国の遊園地&娯楽施設

英国にディズニーランドはないものの、絶叫系アトラクションに振り切れた遊園地や、思い立ったその日に行ける楽しい遊び場がたくさん存在する。今回は「思いっきり遊べる」をテーマに、丸1日いても遊び尽くせないテーマ・パークから、気軽に立ち寄れる娯楽施設まで、英国生活が長い人もそうでない人も楽しめる遊び場を一挙にご紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

Alton Towers Resortにある、古代ドルイド教の人身御供の儀式として木で作られた像が燃やされるウィッカーマンをテーマにした「ウィッカーマン」。乗り物の周辺に散りばめられたルーン文字はこのために独自に開発したという徹底した作り込みで、本物の火が焚かれた像に向かって疾走する人気のアトラクションだAlton Towers Resortにある、古代ドルイド教の人身御供の儀式として木で作られた像が燃やされるウィッカーマンをテーマにした「ウィッカーマン」。乗り物の周辺に散りばめられたルーン文字はこのために独自に開発したという徹底した作り込みで、本物の火が焚かれた像に向かって疾走する人気のアトラクションだ

朝からフル回転で遊べる遊園地 Theme Parks

英国には大小合わせて40以上も遊園地がある。朝から全力で遊びたい遊園地の中から特にお勧めの場所を選んでみた。英国の遊園地デビューはぜひこの中からいかがだろうか。

アドレナリン大放出! 絶叫好きならマストで行きたい1. Alton Towers Resort

2分45秒のライドで方向感覚が戻るまで時間を要すると噂の「スマイラー」2分45秒のライドで方向感覚が戻るまで時間を要すると噂の「スマイラー」

ウォーター・パーク、ミニ・ゴルフ、ホテルなども併設されている、英中部スタッフォードシャーにある国内で最も大きい遊園地リゾート。遊園地の敷地面積だけで約222ヘクタールあり、東京ディズニーリゾート全体とほぼ同規模だ。園内の象徴的な城、オールトン・タワーズは1850年代からかつては住まいとして建築されたもので、売却、開発を経て1980年に遊園地として開業。

11エリアに分かれた園内には、時速85キロで14ループを一気に駆け抜けるスリル満点のジェットコースター「スマイラー」(The Smiler)、建設に20年以上をかけた木製ジェットコースター「ウィッカーマン」(Wicker Man)、54メートルを垂直に落下するダイブ・コースター「オブリヴィオン」(Oblivion)などの絶叫系ジェットコースター10台に加え、ファミリー向けのアトラクションが40以上ある。

3〜11月ごろ(イベント開催時は左記以外にもオープン)ホテル、ウォーター・パーク、スパは通年利用可 オンライン事前購入で£34〜、ファスト・トラック・チケットは£32〜。3歳未満は無料

Farley Lane, Alton, Staffordshire ST10 4DB Tel: 01538 704096
ロンドンのSt Pancras International駅、Euston駅からUttoxeter駅まで約2時間、同駅からタクシーで約20分、バスで約30分
www.altontowers.com

子ども向けの遊園地と侮ることなかれ2. LEGOLAND® Windsor Resort

  • レーサーやエンジニアになった気分になれる「レゴ®・フェラーリ・ビルド&レース・エクスペリエンス」レーサーやエンジニアになった気分になれる「レゴ®・フェラーリ・ビルド&レース・エクスペリエンス」
  • フェラーリの大きなレゴ®・モデルは驚くほど緻密に作られているフェラーリの大きなレゴ®・モデルは驚くほど緻密に作られている
  • 「ザ・ドラゴン」(The Dragon)はレゴ®・モデルを鑑賞後、一気に屋外を駆け抜ける緩急のあるジェットコースターだ「ザ・ドラゴン」(The Dragon)はレゴ®・モデルを鑑賞後、一気に屋外を駆け抜ける緩急のあるジェットコースターだ

組み立てブロック玩具でおなじみの「レゴ®」の体験型テーマ・パーク。世界各地にあるレゴランド®だが、日本では2017年に愛知県名古屋市にオープンしたのに対し英国では1996年と早く、子どもが楽しめる遊園地として市民にすっかり定着している。本家デンマークをしのぐ最大の敷地面積を誇り、55を超える乗り物やアトラクションがある。

10万個のレゴ®・ブロックで遊べる「ザ・ブリック」(The Brick)をはじめ、自分で組み立てたフェラーリのレーシング・カーを仮想トラックで走らせる、2023年5月にオープンした「レゴ®・フェラーリ・ビルド& レース・エクスペリエンス」(LEGO® Ferrari Build & Race Experience)など、大人でも目を見張るようなインタラクティブな仕掛けにあふれている。宿泊なら、レゴ®の装飾が全面に施された直営のホテルでの滞在がお勧めだ。

3月中旬〜11月上旬ごろ(2月とクリスマスのイベント開催時は左記以外にもオープン)オンライン事前購入で£29〜、携帯から事前に乗り物を予約できるリザーブ&ライドは£25〜。身長が90センチ未満の子どもは無料

Winkfield Road, Windsor, Berkshire SL4 4AY Tel: 01753 626416
ロンドンのPaddington駅からWindsor & Eton Central駅まで約30分、Waterloo駅からWindsor & Eton Riverside駅まで約1時間、両駅からバスで10〜15分
www.legoland.co.uk

より凝った仕様のアトラクションが多い3. Blackpool Pleasure Beach

  • 「スポンジ・ボブのスプラッシュ・バッシュ」(SpongeBob's Splash Bash)は水鉄砲が搭載された夏にぴったりのアトラクションだ「スポンジ・ボブのスプラッシュ・バッシュ」(SpongeBob's Splash Bash)は水鉄砲が搭載された夏にぴったりのアトラクションだ
  • 約71メートルから落ちる英国で最も高いジェットコースター「ザ・ビッグ・ワン」(The Big One)約71メートルから落ちる英国で最も高いジェットコースター「ザ・ビッグ・ワン」(The Big One)
  • 地上約26メートルからひねりを加えながら落ちる「アイコン」地上約26メートルからひねりを加えながら落ちる「アイコン」

1896年の開業のイングランド北西部ブラックプールにある遊園地。39のアトラクションが稼働中だが、一風変わった乗り物が多いのが特徴だ。最初の加速後にリニアモーターを使って再び加速する国内初のダブル・ローンチ型ジェットコースター「アイコン」(ICON)は、最後部の2座席(追加料金15ポンド〜)が回転する仕様に。吊り下げ式飛行機ライド「ザ・フライング・マシーン」(The Flying Machine)は1904年から現役だ。

また、国内唯一のウォレスとグルミットをモチーフにした「ウォレスとグルミットのスリル-オ-マティック」(Wallace & Gromit's Thrill-O-Matic)や英空軍の協力を得た「レッド・アローズ・スカイフォース」(Red Arrows Skyforce)など、英国らしさを感じさせる乗り物もある。

2024年は11月3日まで、以降11月30日までは週末のみ営業。冬期休業期間でもイベント開催時はオープンする。営業日の詳細はウェブサイトから確認を入園日から7日以上前にオンライン事前購入で£34〜、ファスト・トラックのスピーディー・パスは£27〜。乗り物ごとに1回限り有効なファスト・トラックのスピーディー・ワンズもある。詳細はwww.blackpoolpleasurebeach.com/speedy-pass-virtual-queuing
2歳以下で乗り物に乗車しない子どもは無料

525 Ocean Boulevard, Blackpool FY4 1EZ Tel: 0871 222 1234
ロンドンのEuston駅からBlackpool Pleasure Beach駅まで約3時間
www.blackpoolpleasurebeach.com

たくさんの動物にも会える4. Chessington World of Adventures Resort

  • 2023年春にオープンしたばかりの「ワールド・オブ・ジュマンジ」2023年春にオープンしたばかりの「ワールド・オブ・ジュマンジ」
  • 絵本の世界観が楽しめる「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」絵本の世界観が楽しめる「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」
  • オフロード・トラックに乗ってサファリを楽しむ「ZUFARI アフリカへ行こう!」オフロード・トラックに乗ってサファリを楽しむ「ZUFARI アフリカへ行こう!」

1931年に動物愛好家が飼っていた動物たちを一般公開したのが始まりで、遊園地として開業したのは1987年。現在は40を超える乗り物やアトラクションがある遊園地、1000頭以上の動物が飼育されている動物園とシーライフ・センター、ホテルやグランピング施設も兼ね備えた複合型リゾートとして運営されている。

「ZUFARI アフリカへ行こう!」(ZUFARI – Ride into Africa!)といった動物園ならではのサファリ体験はもちろん、絵本「もりでいちばんつよいのは?」に登場する怪物グラファロと一緒に、深く暗い森をボートで進む「ザ・グラファロ・リバー・ライド・アドベンチャー」(The Gruffalo River Ride Adventure)や、冒険映画「ジュマンジ」をイメージした世界初の園内エリア「ワールド・オブ・ジュマンジ」(World of Jumanji)など、親世代にも刺さるであろう乗り物も数多くある。

2024年は11月3日までほぼ毎日営業、以降12月までは週末のみ営業で、12月中旬〜下旬は25、26日を除き毎日営業。営業日の詳細はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29〜、3歳未満の子どもは無料

Leatherhead Road, Chessington, Surrey KT9 2NE Tel: 01372 731657
ロンドンのWaterloo駅からChessington South駅まで約35分、同駅からバスで約5分
www.chessington.com

ペッパピッグの世界観に浸れる5. Paultons Park

  • 園内で最もエキサイティングな乗り物と名高い「サイクロネーター」園内で最もエキサイティングな乗り物と名高い「サイクロネーター」
  • 雲形の乗り物からエリア内が見渡せる「ウィンディー・キャッスル・ライド」(Windy Castle Ride)」雲形の乗り物からエリア内が見渡せる「ウィンディー・キャッスル・ライド」(Windy Castle Ride)」
  • 水しぶきを上げながら回転するボート「グランピー・ラビットのセーリング・クラブ」(Grampy Rabbit's Sailing Club)」水しぶきを上げながら回転するボート「グランピー・ラビットのセーリング・クラブ」(Grampy Rabbit's Sailing Club)」

今年で開業40周年を迎える、イングランド南部ハンプシャーにあるファミリー向けの遊園地。70以上ものアトラクションがあるほか、鳥や動物、爬虫類のいるコーナーや日本庭園も整備されており、緑豊かな環境での滞在が楽しめる。また、人気の子ども番組「ペッパピッグ」に基づいた12のアトラクションを有する「ペッパピッグ・ワールド」がある国内唯一の場所であり、そのほかにもリアルな動きをする恐竜が集まる「ロスト・キングダム」など、全部で五つのテーマに沿ったエリアがある。

園内には絶叫マシンがいくつかあるが、もしスリルを味わいたいなら360度回転する円形のゴンドラが、前後に大きくスイングする乗り物「サイクロネーター」(Cyclonator)がお勧めだ。足が外向きになるように着席した状態で地上25メートルの高さで振り子のように揺すられ、独特の浮遊感が楽しめる。

2024年は10月までほぼ毎日営業、以降11月30日までは週末のみ営業。12月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£43.50〜。100センチ未満の子どもは無料

Ower, Romsey, The New Forest, Hampshire SO51 6AL
Tel: 023 8081 4442
ロンドンのWaterloo駅からSouthampton Airport Parkway駅まで約1時間15分、同駅からタクシーで約15分
https://paultonspark.co.uk

スリル満点のアトラクションがいっぱい!6. Thorpe Park Resort

ロンドンからのアクセスが良い英南部サリーにある絶叫マシン好きにはたまらない遊園地。国内最速のジェットコースターをはじめ、国内初の仮想現実(VR)を駆使したダーク・ライド、また人気ドラマ「ウォーキング・デッド」をベースにした乗り物など30以上のアトラクションがある。

2024年は10月までほぼ毎日営業、11月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29〜、ファスト・トラック・チケットは£32〜。3歳未満の子どもは無料

Staines Road, Chertsey, Surrey KT16 8PN
Tel: 01932 577131
ロンドンのWaterloo駅からStaines駅まで30〜50分、同駅からバスで約20分
www.thorpepark.com

欧州唯一の「トーマス・ランド」がある7. Drayton Manor Resort

ファミリー向けの乗り物を含む50以上の乗り物やアトラクションを備えた遊園地で、欧州唯一の「トーマス・ランド」では25を超えるアトラクションがあるほか、動物園、敷地内に四つ星ホテルを備える複合リゾートとなっている。国内唯一の立ち乗り式のジェットコースターもある。

2024年は9月1日まで毎日営業、9月2日〜9月30日は木〜月曜営業。10月以降の営業時間はウェブサイトから確認をオンライン事前購入で£29.50〜、ファスト・パスは£30〜。2歳未満の子どもは無料、2〜3歳は£15〜

Drayton Manor Drive, Near Tamworth, Staffordshire B78 3TW
Tel: 01827 287979
ロンドンのEuston駅からTamworth駅まで1時間6〜27分、同駅からタクシーで約10分
www.draytonmanor.co.uk

Tips!

チケットは2日間、ファミリー向け、VIPエクスペリエンスなど遊園地ごとにさまざまな種類がある。また、当日券はほぼ2倍近い価格になるので事前にオンラインで購入して節約しよう

常設から期間限定まで遊園地以外の遊び場
Amusement Parks, Events & Attractions

常設のテーマ・パークとはまた異なり、移動式遊園地や海辺の遊園地など、昔ながらの遊び場もある。その多くがレトロなデザインを採用しているため、どこか懐かしい雰囲気にあふれているのも魅力だ。

常設
英国の守りたい風景の一つ海辺の遊園地

英国の海沿いの街には、小規模ながら充実した遊園地が数多く存在する。入場は基本無料で、アトラクションに乗車する際にチケットやトークン、電子カードなどを購入し利用する仕組み。園内はジェットコースターなどの大掛かりなものから、ミニ・ゴルフ、ゲーム・センター、フィッシュ&チップスやホットドッグなどの軽食やドリンクを販売する店まで、一通りのエンタメ施設がそろう。

海辺という立地から強風に見舞われやすく、その日の天候によって制限がかかる乗り物もあるものの、小雨程度なら大概のアトラクションは運営されるのでご心配なく。また、昼のにぎやかな雰囲気とは異なり、ライトアップされる夜はことさら幻想的な雰囲気が増し、ノスタルジーな気分が掻き立てられるのもまたいい。

● Brighton Palace Pier www.brightonpier.co.uk
● Dreamland Margate www.dreamland.co.uk
● Adventure Island https://adventureisland.co.uk
● Fantasy Island www.fantasyislandresort.co.uk
● Queens Links Leisure Park https://queenslinksaberdeen.co.uk

常設
鉄道模型マニアにもお勧めモデル・ヴィレッジ

城、農場、波止場、競馬場、そしてケーブル・カーなど、1930年代に実在した象徴的な建物を中心に、架空を含む七つの村を精巧なミニチュア模型で表現したモデル・ヴィレッジ。開業は1929年と、この手の施設としては世界最古だといわれている。村人や脱獄囚などさまざまな人物のミニチュアが配置されているのも見ていて楽しい。

もう一つのハイライトは、園内を走る鉄道模型。開業当初から線路の延伸を続けており、現在は約450メートルの線路を走っている。老朽化に伴い大半が新しい車両に変えられたものの、内部構造だけを最新にして現在も初期の模型を一部使うなど、マニア心をくすぐる仕様だ。列車がミニチュアの駅舎を走り抜ける様子を見に、遠方から鉄道模型好きが来ることでも知られている。

Bekonscot Model Village and Railway
2024年は11月3日まで、冬期は週末オープンする月もあるので詳細はウェブサイトを参照 £13.20(子ども£8.40)
Warwick Road, Beaconsfield, Buckinghamshire HP9 2PL
Tel: 01494 672919
ロンドンのMarylebone駅からBeaconsfield駅まで約30分
www.bekonscot.co.uk

期間限定
インチキ臭い?むしろそこが良いファンフェア

英国には、イベントやフェスティバルに合わせて数日〜数週間にわたり運営される「Funfair」と呼ばれる移動式遊園地が期間限定で現れる。移動式といっても、メリーゴーランドや空中ブランコ、乗り物に乗車するタイプのお化け屋敷、ゲーム・センターなど、大掛かりなアトラクションが多い。

また、射的や輪投げなど日本の屋台のようなゲームもあるが、無愛想なスタッフがいたり、景品が取れる可能性が全くなさそうな仕組みになっていたりと、一筋縄ではいかないときも。それはそれで楽しむのも一つの醍醐味だ。また、今の時代に版権NGなイラストが大量に使われているのを見るだけでもかなり楽しめる。ちなみに、設営者は家を持たず、イベントからイベントへ渡り歩いて生活している人が大半らしい。

※夏期を中心に英国各地で開催されている。地域によっては張り紙が電柱に貼られたり、ファンフェアが開催される公園の柵などに横断幕が掲げられたりして告知される。また、インターネット上でも情報が出ているのでまずは検索するのも手だ

期間限定
ロンドンの冬の風物詩ハイド・パーク・ウィンター・ワンダーランド

ロンドン在住の方なら一度は聞いたことがあるであろう、クリスマス・シーズンにハイド・パークで開催される冬の恒例行事。2007年から運営されてきたが、年数を重ねるごとに新しいアトラクションが増えているので、ここ数年足が遠のいている人ほどぜひ訪れてみてほしい。ホット・ワインなどクリスマスに関連するドリンクや軽食を提供するフード・ストール、氷の彫像作りなどのワークショップ、ジェットコースターや観覧車などのアトラクションのほか、イルミネーションの下で滑るアイス・スケートなど、とにかくアクティビティーが充実。

なお、この時期はハイド・パークに限らず、英国各地でアイス・リンクやクリスマス・マーケットがオープンするので、冬ならではの遊び場を楽しんでみてはいかがだろうか。

2023年11月17日〜2024年1月1日(12月25日は休み)※2024年の日程はまだ決定していません
プログラムの詳細はウェブサイトを参照
今シーズンのチケットはすでに販売中。オフピークは入場無料(各アトラクションは有料)
https://hydeparkwinterwonderland.com

日本と似ている!気軽な娯楽施設
Fun Activities

日本と少し勝手が違う施設もあるものの、大抵の娯楽施設の利用法は同じなので気軽に遊びに行ける。ゲーム・センターを除く以下の施設は、週末は特に混み合うので事前に予約しておくのが安心だ。

個室だけじゃないのが英国式カラオケ

英国にもカラオケ文化があるが、カラオケ・ルームを借りて歌うときはイメージ・ビデオなどの映像は画面に映し出されず、歌詞のみが表示される形式だ。また、人の歌はあまり聴かずに皆好き勝手に歌う風潮があるので、人が聴いてなくても気にせず思いっきり歌うのが正解。パブやバーの中にはイベントの一つとして「カラオケ・ナイト」を開催するところがあり、曲をリクエストするとほかの客の前で歌を披露することになるがカラオケができる。

時折プロかと思うレベルの歌声を聴けたりするので行ってみると意外とおもしろい。また、バンドがライブ・ミュージックで伴奏をしてくれるタイプのバーもある。

● Lucky Voice www.luckyvoice.com
● The Star Of Kings https://starofkings.co.uk

日本とほぼ同じシステムボウリング

友人同士で行ったり、誕生日会などお祝いごとで利用したりと、カラオケよりポピュラーなアクティビティーのボウリング。1ゲーム分の代金に貸靴代が含まれていること以外は、基本的に遊び方や値段はほぼ変わらない。もちろん専用靴の持ち込みもOKだ。施設によってはゲーム代のほかにドリンク代を含むパッケージ・プランが用意されていたり、学生割引をしてくれるところがあったりと、そのプランはさまざま。しかし、週末でも遅くとも0時までには閉まってしまうので、パブでひとしきり飲んだ後に行くことは残念ながらできない。

● Rowans Tenpin Bowl https://rowans.co.uk
● Hollywood Bowl www.hollywoodbowl.co.uk

チケット・システムのあるゲーム・センター

ゲームズ・アーケーズ(Games Arcades)と呼ばれるゲーム・センターは、海辺の遊園地などにあり、UFOキャッチャーやシューティング・ゲーム、エア・ホッケーなどのマシンで遊べる。ただしUFOキャッチャーは大概アームが非常に弱く、何百、何千回に1回の割合で突然強く景品をつかんでくれるというギャンブルのような仕様が常。加えて日本のように景品をスタッフに動かしてもらうことはできないので、注意が必要だ。

また、店内にはつづられた切り取り可能なチケットを景品とするマシンがあるが、これはその合計枚数に準じて景品と交換してくれるというもの。相当の枚数が必要になるが、店内の景品交換所でおもちゃやぬいぐるみなどと引き換えられる。近年オンライン・ゲームの普及により、このような遊び場は年々姿を消している。レトロなものが好きな人は完全になくなる前にぜひ1度訪れてみてほしい。

夏でも思う存分滑ろう!屋内のアイス・リンク

冬期に期間限定のアイス・リンクが登場するが、レジャー・センターなどには屋内の常設アイス・リンクがあり、会員以外でも利用できる。スケート靴は1回の利用料に含まれる場合とそうでない場合があるが、大抵の施設では3ポンド程度で借りられる。チケットは1時間、1日単位など施設によって異なる。

また、別料金でスケートの初心者〜上級者向けの講習を受けることもできる。ロンドン北部のアレクサンドラ・パレスでは、ライトアップされたリンクでアイス・ディスコなどのイベントも開催している。

● Alexandra Palace www.alexandrapalace.com
● Lee Valley Ice Centre www.better.org.uk/leisure-centre/lee-valley/ice-centre

意外と知られていない穴場スポット博物館の水族館&バタフライ・ハウス

ロンドン南部にあるホーニマン博物館には、動物の剥製の展示などの常設展とは別に、クリスマスを除き通年オープンのクラゲなどの海の生き物や淡水魚、熱帯地域に生息するカエルなどを観察できる水族館と、温室に放たれた何百もの蝶を間近で観察できるバタフライ・ハウスがあるのをご存知だろうか。両施設は共に有料だが、博物館という教育機関での展示のためチケット価格が安いのもうれしいところ。また家族の人数が多ければファミリー・チケットなどでさらにお得に鑑賞できるので、事前予約の際には必ずオプションを確認してほしい。

● Horniman Museum & Gardens
水族館 £6〜(子ども£3~)
バタフライ・ハウス £9~(子ども£6~)
ファミリー向けのチケットあり
www.horniman.ac.uk

 

2023年9月8日で1年 - 故エリザベス女王が過ごした離宮

2023年9月8日で1年故エリザベス女王が過ごした離宮

エリザベス女王が亡くなって、2023年9月8日で早1年を迎える。チャールズ国王が即位し、現在も英王室の威厳と伝統は続いている。在位中、女王は驚くほど多数の公務をこなしていたことは広く知られているが、ロンドン以外の場所で長期間暮らしを営む際に滞在した、四つの家についてはご存知だろうか。一般に「離宮」と呼ばれる、王室にとっての別荘のような役割を担うこれらの建物は、歴史の深さもさることながらその大きさは規格外。今回は、広大な敷地に構えるそれらの宮殿や邸宅をご紹介しよう。(文: 長野雅俊、英国ニュースダイジェスト編集部)

エリザベス2世の大のお気に入りウィンザー城Windsor Castle

ウィンザー城

使用されている居城としては世界最大級の約5万平方メートルの敷地面積を持つのが、イングランド中部のテムズ川沿いに建つウィンザー城である。

ウィンザー城は、エリザベス2世が住まいとして使用した居城のうちで、女王が最も愛した場所として知られている。1952年、女王に即位した際に、週末を過ごす拠点とすることを決定。以来、王妃は公務のない日はほとんどの時間をこの地で過ごしていたという。

またこの城が持つ900年の歴史は、世界最古である。イングランドを征服し、現王室の開祖となったウィリアム1世が築いた後、12世紀にはヘンリー2世が軍事施設として活用するために大幅な改築を施した。被害総額800万ポンド(約15億円)ともいわれる1992年の大火災では、100室以上が焼失する憂き目にも遭ったが、5年の歳月を費やして修復工事が完了。まるでテムズ川を見下ろすかのように、丘の上にそびえ立つこの城からの眺めは絶景である。

著名な絵画が飾られた応接間クイーンズ・ドローイング・ルーム著名な絵画が飾られた応接間クイーンズ・ドローイング・ルーム

Windsor, Berkshire SL4 1NJ
Tel: 0303 123 7304
開館時間: 10:00-17:15(11〜2月は16:15まで)
チケット: £28〜
行き方: ロンドンのPaddington駅からWindsor & Eton Central駅まで約30分、Waterloo駅からWindsor & Eton Riverside駅まで約1時間
www.rct.uk/visit/windsor-castle

故女王が父の思い出に浸ったサンドリンガム館Sandringham House

イングランド東部ノーフォーク州の広大な敷地の中に佇んでいるのが、このサンドリンガム館。女王がクリスマスから2月までの寒い季節を、ひっそりと過ごした私邸である。

この地で特筆すべきは、約24万平方メートルに及ぶ巨大なガーデン。また敷地は果樹園、湿地などを内包しており、個人宅というよりは、未開の村を丸ごと持っているかのような趣がある。

この広大な敷地は、19世紀の英国を統治したヴィクトリア女王の息子アルバート・エドワードが1861年に購入。道路や別荘、庭園などを次々と建設して理想の邸宅を築き上げていった。以後この邸宅は、王室メンバーの間で現在のチャールズ国王を含む5世代にわたって利用されている。

またエリザベス女王にとっては、特別な思い出が残る場所でもある。父親に当たるジョージ6世が、1952年にこの館で逝去したのだ。以後、エリザベス女王は命日となる2月6日を、この邸宅で過ごすのが恒例となっていた。

滞在中の王室メンバーが礼拝に訪れる同館の南西にある聖メアリー・マグダラ教会滞在中の王室メンバーが礼拝に訪れる同館の南西にある聖メアリー・マグダラ教会

Sandringham Estate, Sandringham, Norfolk PE35 6EN
Tel: 01485 544112
開館時間: 土〜木 10:00-17:00(10月13日以降はウェブサイトで確認を)
チケット: 館、庭園共通チケット£23、庭園£13
行き方: ロンドンのKings Cross駅からKing's Lynn駅まで約1時間50分、同駅から35番のバスでSandringham Visitor Centre下車約25分
www.sandringhamestate.co.uk

スコットランド統治の拠点ホリールードハウス宮殿Palace of Holyroodhouse

世界遺産にも登録されているエディンバラの市街地を突き抜けるように敷かれた目抜き通り「ロイヤル・マイル」の行き止まりにあるのが、このホリールードハウス宮殿である。

12世紀にカトリック修道院として建築されたこの建物は、エディンバラが栄え首都となった際に、当時のスコットランドに王として君臨していたデービッド1世が宮殿として移り住むことを決めたと伝えられている場所である。またこの宮殿内では、16世紀のスコットランドを統治していた女王メアリーの夫が、妻と不倫関係を結んでいると誤解して秘書を殺害するという悲劇が生まれた。

一時的に王室の権力が弱まった共和制の時代に英国君主の足が遠ざかった時期もあったが、女王在位時にはスコットランドにおける公式行事を行う場所となった。特に「ホリールード週間」と呼ばれる6月末から7月初めにかけて、女王は毎年ここで8000人のゲストをもてなしたという。

豪華な国王の寝室(the King's Bedchamber)は重要なゲストのみに入室が許可された豪華な国王の寝室(the King's Bedchamber)は重要なゲストのみに入室が許可された

Canongate, The Royal Mile, Edinburgh EH8 8DX
Tel: 0303 123 7306
開館時間: 9:30-18:00(11〜3月は16:30 まで)
チケット: £18〜
行き方: ロンドンのKings Cross駅からEdinburgh Waverley駅まで4時間20〜45分、同駅から徒歩で約15分
www.rct.uk/visit/palace-of-holyroodhouse

ハイランドの大自然の中にそびえ立つバルモラル城Balmoral Castle & Estate

ハイランドと呼ばれるスコットランドの奥地に位置し、標高1000メートル以上の山を7つ内包するという、スコットランドの大自然を体現したかのような私邸がバルモラル城である。エリザベス2世は毎年8、9月を、避暑を目的としてこの地で過ごし、ここで96歳の生涯を閉じた。

女王の生前の楽しみは、この大自然を生かした魚釣りや狩猟、そして乗馬といったスポーツ。また領地内には原生林やポニーの飼育場があり、約3000頭の鹿が生息しているというから、個人の敷地としては規格外であろう。

ヴィクトリア女王と夫のアルバート公が結婚して約2年半後、スコットランドを訪れた際に、2人はハイランドの美しさに魅せられた。そしてバルモラルの敷地が売りに出されているとの情報を得た2人は、1度もその地を訪れることのないまま購入することを決定したという。

普段は厳かな儀式を繰り返す女王が、馬の上やジープに乗って駆け回る自由を確保できる場所が、このバルモラル城だった。

Ballater, Aberdeenshire AB35 5TB
Tel: 013397 42534
開館時間: 現在休館中。9月中旬~2024年1月上旬は敷地のみを無料開放。詳細はウェブサイトで確認を
チケット: 2024年以降はウェブサイトで確認を
行き方: AberdeenもしくはEdinburghから車でA93でBraemar方面へ18キロほど
www.balmoralcastle.com

ロンドン中心に建つ英国随一の宮殿バッキンガム宮殿Buckingham Palace

ステート・ルームのグリーン・ドローイング・ルームステート・ルームのグリーン・ドローイング・ルーム

現在に至るまで実務が執り行われている、世界でも数少ない王宮の一つとして知られるバッキンガム宮殿。ロンドン中心部に位置しながら、その規模は離宮に負けず劣らずかなり大きい。現在大規模な修復工事中で、その費用総額は3億6900万ポンド(約683億円)にものぼるという。現在チャールズ国王のオフィスとして使用されているが、住居として使用するのは2027年ごろを予定している。

Buckingham Gate, London SW1A 1AA
Tel: 0303 123 7300
開館時間: 毎年7月中旬〜9月下旬の10週間のみ一般公開。2023年の開館は9月24日までで9:30-18:30
チケット: £30〜
行き方: 地下鉄Victoria/Green Park/St. James's Park/Hyde Park Corner駅から徒歩8〜10分
www.rct.uk/visit/buckingham-palace

現在の王室メンバーが住む場所

チャールズ国王をはじめとする、その他の王室メンバーのロンドンでの住居はバッキンガム宮殿の周辺に集中している。主なものは、以下の通り。

バッキンガム宮殿

修復工事中のため現在は誰も住んでいない

クラレンス・ハウス

チャールズ国王とカミラ王妃の公邸

セント・ジェームズ宮殿

アン王女、アレクサンドラ王女などのロンドンでの住居

ケンジントン宮殿

グロスター公爵リチャード、ケント公爵エドワードのロンドンでの住居。なお、ウィリアム皇太子とケイト妃は同宮殿から2022年9月にウィンザーのアデレード・コテージに引越した

 

YOSHIKI 再確認できた芸術の力

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再確認できた芸術の力YOSHIKI

YOSHIKI

アルバム「Yoshiki Classical」のリリース10周年を記念し、10月に世界ツアー「REQUIEM」を行うYOSHIKI。ロンドンでも10月13日に、クラシック音楽の大家たちによる名演奏の舞台となってきたロイヤル・アルバート・ホールで公演が開催される。7月末に自らのシングルとX JAPANの新曲発表を控えるYOSHIKIに話を聞いた。(取材・文: 英国ニュースダイジェスト編集部)

YOSHIKI

1989年にロック・バンド「X」(のちにX JAPANと改名)としてメジャー・デビュー。作詞家、作曲家、「X JAPAN」「THE LAST ROCKSTARS」のリーダーとしてピアノ、ドラムを担当。また、ソロ活動を通じてクラシック音楽の分野での楽曲も多数手掛ける。これまでに天皇陛下御即位十年記念式典の奉祝曲、愛知万博公式イメージ・ソング、米ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングを作曲するなどグローバルに活動。YOSHIKI率いるX JAPANは、これまでアルバムとシングル合わせ3000万枚を超える売上げを誇る。2014年に米マディソン・スクエア・ガーデン、17年にウェンブリー・アリーナで公演を成功させ、米クラシックの殿堂カーネギー・ホールでの単独公演とあわせ、アジア人として初めて音楽の3大殿堂を制覇。10月13日にはクラシックを中心とした世界ツアー「REQUIEM」の一環で、ロンドン公演を行う。

欧州で感じる居心地の良さ

ロンドンは何年ぶりになるのでしょうか。2014年に「Yoshiki Classical」でロンドン公演をなさいましたが、その後もいらしていますか。

X JAPANとしては2017年にウェンブリー・アリーナでコンサートをやりましたが、それ以外でも僕は結構ロンドンを訪れているんですよね。たとえば、今はキングですが、19年にチャールズ皇太子にバッキンガム宮殿でお会いしました*1。故エリザベス女王にもお会いしています*2。あとは楽曲を提供しているサラ・ブライトマンのステージに出たことがあるので、かなり頻繁にロンドンには来ていますね。パリほどではないですが……。パリへは2カ月に1回、いやほぼ毎月来ています。

そんなに! YOSHIKIさんは現在、米ロサンゼルスに生活の拠点を置かれていますが、そういえばかつては欧州への移住も検討されていたと、以前のインタビュー*3でお話しされていましたね。

おっしゃる通りです。ロンドンかパリ、僕は欧州が好きなので。ただ、ハリウッドとか仕事のことを考えるとロサンゼルスにいるのがいいのだろうなと思います。ですから拠点はロサンゼルスですが、こうして今でもかなり頻繁に移動しているわけです。コロナ禍のときは2年間ロサンゼルスに留まっていましたけれど。

クラシックの公演は、前回はロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われました。このときの印象はいかがだったでしょうか。また全体として、日本や米国のオーディエンスと欧州の違いはありますか。

欧州はX JAPANでもソロでも結構回っているのですが、やはり僕の音楽性とすごく合うんだろうなというのはいつも感じます。オーディエンスの反応が非常に「深い」といえばいいのか。リアクションが良いですし、僕自身もすごく満足感があります。

それはもともとYOSHIKIさんが英国の音楽がお好きだったこととも関係があると思われますか。

そうですね、僕はクイーンとかそういった英国のグループにも影響も受けていますし、クイーンのドラマーのロジャー・テイラーさん*4ともコラボをさせていただいたことがあります。以前のYoshiki Classicalのステージで、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」やデービッド・ボウイの「スペース・オディティー」をピアノ・ソロで弾いたときも、非常に会場が盛り上がりました。今回もやろうかな?(笑)

今回のロンドン公演には、以前のクラシック・コンサートとは異なる新しい楽曲や、日米とは違う特別なセットリストは用意されていますか。

はい、もちろんです。僕はもともと挑戦することが好きなので、毎回コンサートのたびに新しい挑戦を自分に課しているのですが、今回は、クラシックで今ちょっと葛藤している曲があります。それとはまた別に、ツアー・タイトルともなっている新曲「REQUIEM」は、昨年母を亡くした直後に書いた曲ですが、現在オーケストラ・アレンジしていますので、それを演奏します。

また、ロンドン公演に関してはスペシャル・ゲストが来る予定です。ただ誰が来るかは今のところ秘密ですけれど(笑)。あとはロイヤル・フィルハーモニー・コンサート・オーケストラとの共演。バレエ・ダンサー*5の起用は、今回はどうしようかなあと考えている最中です。ともかく、結構壮大なステージになると思います。

ツアーではクラシックの名曲のほか、X JAPANの往年のヒット曲も演奏される。バレエ・ダンサーが登場する可能性もあり、クロスオーバーな形態の芸術がYOSHIKIの名のもとに集まるツアーではクラシックの名曲のほか、X JAPANの往年のヒット曲も演奏される。バレエ・ダンサーが登場する可能性もあり、クロスオーバーな形態の芸術がYOSHIKIの名のもとに集まる

  • *1: 2019年8月6日、チャールズ皇太子(当時)が支援する音楽関係のチャリティー・イベントにゲストとして招待された。YOSHIKIはチャールズ皇太子と握手する写真をインスタグラムにアップしている
  • *2: 2019年6月23日、ロンドン郊外ウィンザーで開催されたポロの世界大会「ロイヤル・ウィンザー・カップ」で、ゲストと共にエリザベス女王の間近でポロ観戦をした。エリザベス女王が来賓席の前を通り階段を降りようとしたとき、風が吹きYOSHIKIの長いスカーフが女王の肩に巻き付くようにかかってしまった。その様子は「デーリー・テレグラフ」紙や「メトロ」紙などでも紹介された
  • *3: www.news-digest.co.uk/news/features/12122-yoshiki-interview.html
  • *4: 1994年、ロジャー・テイラーの3作目のソロ・アルバムに参加。2作を共作・共演したほか、同年に開催されたライブにも共演した。2020年にはブライアン・メイとロジャー・テイラーが、NHK紅白歌合戦にリモートで出演し、YOSHIKIと「Endless Rain」をコラボするなど、クイーンとは親交が多い
  • *5: これまでにも、ウクライナから日本へやってきたバレエ・ダンサー、ネリア・イワノワさんや、牧阿佐美バレエ団とステージ上でコラボレーションをしたことがある

涙がメロディーに変わっていった

ツアーのタイトルにもなっている「REQUIEM」は、昨年5月に亡くなったお母さまへの追悼の意を込めた曲ですが、作曲のプロセスで感じたことを教えていただけますか。曲作りに取り組む中で、ご自身の感情にどのような変化がありましたか。

本当にここ数年仕事ばかりで、母と過ごす時間が全然なく、そういった中で母が旅立ってしまったんですね。そのショックがもう大きすぎてー。僕はいつか世界的なアーティストになって、それを母へのプレゼントにするんだという気持ちでいたのです。それでこれまでいろいろ頑張ってきたのですが、もう心にぽっかり穴が空いてしまいました。穴が空いたというよりも、精神的にどん底に落ちてしまって、もう涙が止まらない日々が続きました。しゃれにならないくらい泣いていたので、このままだと生活に支障が出ると思い医者へも行きました。実際、テレビや生放送など、入っていた仕事を何本もキャンセルしましたしね。お医者さんに行ってもまあ、「涙を止める処方箋はないです」なんて言われたりしていました。

でも、そんな状況でなんとなく曲を作り始めたら、なんだか涙がメロディーに変わっていくような気がして、ああ、やっぱり僕は音楽で気持ちを表現していけばいいのだと。そうしているうちに、涙も治ってきた。もちろんまだ止まりはしないものの、人前に出られるまでにはなってきました。

作品を作ることで、心の整理ができてきたということですね。

まあ、そう簡単に整理なんてできないですけれども、曲にその想いを込めることができたし、自分で言うのも変ですが、今まで自分が作った中で1番美しい曲だと思っています。そして、芸術家っていうのはこういうことなんだ、苦しみをアートに変えていくのは、ある種の使命なのだ、と。苦しいときに立ち止まってしまうんじゃなくて、それを糧に前に進むのが芸術家なんだろうと思いました。そしてその作品が今後、誰かの支えになるのだとか、そういうことをどんどん考え始めまして。それで今に至っているというところですね。

YouTubeで拝聴しましたが、とても繊細で美しい曲だと思いました。

ありがとうございます。自信はあるというか、自分でも、ああこういう曲が僕の中から出てくるのかと思いました。

一方、X JAPANの8年ぶりの新曲「Angel」は、もともとYOSHIKIさんのソロ・プロジェクトViolet UK*6のために書かれたものですね。今回X JAPANの新曲として選んだ理由はなんでしょうか。

確かに、もともと僕がソロ・プロジェクト用に書いたものです。ただ、X JAPANに強力なバラードが必要だと思ったのと、「Angel」はいい曲なので、どんな形であれ世の中に出るべきだと感じたため、あの曲を選びました。先日、自分でもテレビで歌ってしまいましたが*7

  • *6: YOSHIKIが率いる音楽ユニット。メンバーはYOSHIKI、ケイティ・フィッツジェラルド、SUGIZO。2005年にロサンゼルスで結成
  • *7: 7月1日、日本テレビ系「THE MUSIC DAY 2023」で「Angel」のパフォーマンスを披露。最愛の母に捧げ、X JAPAN バージョンとは歌詞が一部異なっていた

メロディーは不変的なもの

「Angel」が作られたときと比べて、現在の音楽シーンや社会の状況は大きく変わっています。それに伴い、曲の意味やメッセージが変わったと感じますか。

それが不思議と感じないんですよね。例えば30数年前に「紅」(1989年)という曲をX JAPANで作り、「Endless Rain」(89年)「Forever Love」(96年)なども作ってきました。しかしどの曲も基本的な部分、人の心に刺さる、感動する部分は変わらないと思っています。もともとそういうところを意識して僕は書いてきました。

例えばベートーベンの200年以上前の曲を今も自分が演奏しているように、時代によって少し解釈は違うにしても、メロディーや歌詞というのは不変的なものなのだと思います。伝達方法、ディストリビューションの方法は今後もどんどん変わっていくと思いますが、人が聴くという行為は変わらないし、感動も変わらない。自分だって何十年前の曲、クリームやクイーンの曲を聴いて今も素晴らしいと思うのと同じこと。だから僕も、時代を越えるメロディーを作ろうと思っています。

では逆に、AIの技術が発達して非常に簡単に音楽が作れたり、小説が書けたりするような時代が来ていますが、それについてはどのようにお考えですか。

かなりの大混乱が近い将来に起こると思います(笑)。いろいろな規制がかかるでしょう。AIを使って作った楽曲はグラミー賞を受賞できないとか、SpotifyがAIの作った曲を削除するといったことはすでに起きています。だけどもうAIの流れは止められないでしょうね。例えば、レコーディングのエンジニアは、サウンド・エフェクトなど一種のAIを使っているわけですよね。すでにいろいろな分野でそうした技術は使われてしまっているので、規制をするにしても、どこからどこまでがAIなのかという基準がはっきりしないことには、法整備が大変だろうと思います。テクノロジーはこれから先、もっと早い速度で進化していくと思うので、果たして規制が追いつくのかというところですね。

ただ、僕は作曲家であると同時にパフォーマーでもあります。パフォーマンスに関してはAIはまだ人間のレベルについてこられないだろうと思います。しかし、作曲やペインティングなどアート制作に関しては、もうAIと共存する世界が始まっているので、その中でベストを尽くしてやっていくしかないですね。

ほかのアーティストとのコラボレーションや、XY*8などのプロデュース活動をする上で大切にしていることは何ですか。

プロデューサーとしてであれば、そのアーティストの魅力を最大限に引き出すことだと思いますね。それを1番心掛けています。その上で、僕じゃなきゃできないこと、自分だから引き出せることは何かを考えます。それはミュージシャンだから、というだけではなく感性にまつわること。同じ何かを見ても人によって見え方が違うと思うけれども、僕は自分が感性を磨いてきたと思っているので、結構そういうところは見抜く自信があるというか。まあワインとかも作っていますし、ファッションも今やっていますが、芸術全般において、魅力を見抜いてその方向を開花させるというね。そういうことを自分なりの解釈としてやっています。プロデュースに関しては基本的に、音楽のジャンルは問わないと思っています。

10月のロンドン公演は1日だけですが、ゆっくりできるとしたら、ロンドンでしたいことはありますか。

ふふ(笑)そうですねぇ、大きい公園で寝転がりたいですね(笑)。行きたいところは、うーん、前回ロンドンに行ったときミュージアム*9に招待していただいて、ずいぶん見させていただいたんですけど、ミュージアムは落ち着くので好きですね。そういうところをゆっくり回ってみたいです。

最後に、英国に住むファンに一言いただけますか。

ロサンゼルスにここ数十年住んでいるから分かるのですが、海外に暮らすと日本とは違い、それなりにスムーズにいかないこともいろいろありますよね。今回は、米国に限らず海外に住むそういった方たちに少しでも寄り添えればなという気持ちがあります。例えば米国でいうと、社会的な分断やコロナ禍、暴動などで情勢があまり思わしくないですけど、そんな中で日本人も頑張ってる、というところを見ていただけたらと思います。世界のいろいろなところで皆さんが応援してくださって本当にありがたいですが、このコンサートで僕からも皆さんを応援できたら、と思っています。僕が母の死から立ち直りつつあるのは芸術のおかげですし、芸術の力が皆さんの力になればいいなと思います。

2023年7月、米国で行われたアニメ・エクスポにゲスト出演し、ファンに囲まれるYOSHIKI2023年7月、米国で行われたアニメ・エクスポにゲスト出演し、ファンに囲まれるYOSHIKI

  • *8: YOSHIKIのプロデュースする、ロック・バンドとダンス&ボーカル・グループからなる13人のボーイズ・バンド
  • *9: 2020年、Vicoria&Albert MuseumのKIMONO展に自身の作品を出品した
World Tour with Orchestra 2023
REQUIEM
World Tour with Orchestra 2023 REQUIEM

Royal Albert Hall
10月13日(金)19:30 £35~80
Kensington Gore, London SW7 2AP
Tel: 020 7589 8212
www.royalalberthall.com
最寄り駅: South Kensington

 

ドイツの知らない魅力がいっぱい! ロマンチック街道をたどる

ドイツの知らない魅力がいっぱい!ロマンチック街道をたどる

ドイツの観光ルートといえば、独南部ヴュルツブルクからフュッセンを結ぶロマンチック街道を思い浮かべる方が多いだろう。事実、街道沿いの各スポットには世界中から旅行客が訪れる。本特集では、英国からの夏のホリデー先としてロマンチック街道をご紹介。街道の歴史やその地で活躍した人々、中世から受け継がれてきた地域特有の文化など、あまり知られていない見どころも深堀りする。旅人の心をつかむ魅力にあふれた、ロマンチック街道に足を延ばしてみよう。(文:ドイツニュースダイジェスト編集部) 参考:Romantische Straßeホームページ、Deutsche Zentrale für Tourismus e.V.「Die TOP 100 Sehenswürdigkeiten in Deutschland」、Rothenburg Tourismus Serviceホームページ

ドイツの「悪印象」から挽回ロマンチック街道の誕生物語

第二次世界大戦の後、西ドイツは「経済の奇跡」によって着実に復興の道を進んでいた。一方で、ナチス政権が引き起こした悲惨な戦争の悪いイメージはぬぐい切れていなかった。そんななか、戦勝国によって四つに分割された西ドイツの米国占領地域で、米国人観光客に向けたイメージづくりが始まった。そして1950年、政治家や観光関係者がアウクスブルクのホテルに集まり、ヴュルツブルクからフュッセンまでの街々を結ぶロマンチック街道が考案され、協働団体が結成される。

街道沿いの街や村には、中世の街並みが残されていて、歴史的な宮殿や城、教会など、見応えがあるスポットにあふれていた。特に戦争で印象付けられた「悪いドイツ」とは違う、伝統的で生活感のあるイメージを観光客にアピールすることを強く意識していた。また同団体は、ゆくゆくは米国以外の外国人旅行者にもロマンチック街道を広めたいという目標を当初から持っていたという。

ロマンチック街道のイメージ戦略は見事に成功した。米軍の兵士たちは駐屯地に家族を招き、まるで絵画の世界に迷い込んだかのような美しい風景を家族にも見せようと、休暇をロマンチック街道で過ごすようになった。この評判を受け、西ドイツ政府観光局は特に米国やカナダに向けて、ロマンチック街道を売り込むようになっていく。こうして大戦の混乱を乗り越えて、ドイツ観光業界はようやく第一歩を踏み出したのだった。

立派な制服に身をつつむバス乗務員立派な制服に身をつつむバス乗務員

1950年5月には最初のプレス・ツアーが企画され、各国から十数名のジャーナリストや旅行本の著者が参加。ロマンチック街道の観光の魅力を世界に向けて発信した。翌月には南ドイツ最長の長距離バス路線が運行を開始。377キロにわたる長距離路線は毎日両方向に運行された。バスには試験的に英語の通訳も乗車し、やがて専用の乗務員が同行するようになった。

こうしてロマンチック街道は、ドイツの観光ルートとしての地位を確立した。この成功は世界中に広まり、日本でもドイツをモデルにして長野県上田市から宇都宮市まで伸びるロマンチック街道が造られ、1988年に姉妹街道になっている。

1951年にはローテンブルクからミュンヘンを往復する特急車両を運航するようになり、各駅でロマンチック街道バスに乗り換えることができる仕組みを構築した1951年にはローテンブルクからミュンヘンを往復する特急車両を運航するようになり、各駅でロマンチック街道バスに乗り換えることができる仕組みを構築した

ここだけは行っておきたい!ロマンチック街道沿い必見の都市4選

ロマンチック街道はヴュルツブルクからフュッセンまで約400キロもあるが、そのなかでも一度は見る価値がある4都市をご紹介。歴史はもちろん、知られていない逸話から、今もなお街が愛されている理由を探ってみよう。 参考:Münchener Zeitungs Verlag「Würzburg - Lage, Geschichte, Wirtschaft, Politik und Sehenswürdigkeiten von Stadt und Landkreis」

MAP

MAP ①
ヴュルツブルクWürzburg

ロマンチック街道のスタート地点のヴュルツブルクは、マイン川がある立地を生かして発展した。ヴュルツブルクが文書で初めて言及されたのは704年のことだが、すでに紀元前1000年ころ、現在のヴュルツブルク市周辺にはケルト人の避難所としてマイン川の丘に城塞が築かれていたという。そして司教座が創設されて以来、大司教の街として栄えた。

見どころ❶マリエンベルク要塞

マイン川を見下ろすマリエンベルク(マリアの山)の名前は、706年にその丘に建てられた教会が聖母マリアに捧げられたことに由来する。13世紀に要塞が築かれ、大司教が代々居住した。現在要塞にはマイン・フランケン博物館があり、彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻を見ることができる。

見どころ❷ユネスコ世界遺産のレジデンツ

世の中が安定してきた17世紀、大司教は丘の要塞に住む必要がなくなり、街の中心に豪華絢爛 (ごうかけんらん)なバロック様式のレジデンツを建設した。現在はユネスコの世界文化遺産に指定されている。マイン川の斜面にはワイン用のブドウが栽培されており、レジデンツ地下にあるヴュルツブルク国立醸造所も見学可能。

逸話救済を目的として設立された醸造所

ヴュルツブルクにはヴュルツブルク国立醸造所以外に二つの大きな醸造所、ビュルガーシュピタール(Bürgerspital)、ユリウスシュピタール(Juliusspital)がある。二つの醸造所は、「助けを必要とする人々」の救済を目的として設立されたところが興味深い。ビュルガーシュピタールは、1316年に街の裕福な市民ヨハネス・フォン・シュテルンが妻と共に貧困層や病人を受け入れる財団病院を設立したのが始まり。今日でも醸造所と市民の寄付によって老人ホームと病院が運営されている。ユリウスシュピタールは、ユリウス・エヒターが私財を投じて取り組んだ老人ホームと病院で、1576年からワインを造り始めた。ヘッセンのクロスター・エバーバッハに次いでドイツ第2の規模を誇り、収益は施設の運営に充てられている。

MAP ③
ローテンブルクRothenburg ob der Tauber

970年ころ、東フランケン地方の貴族ラインガーがタウバー渓谷にデトワング教区を設立したのが、ローテンブルクの始まり。1142年、コンラート3世が領域を獲得し、タウバー川の山上に「Rote Burg」(赤い城)を建設。現在の都市名「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」とは「タウバー川上方の赤い城」という意味で、この城に由来する。

見どころ❶ブルク公園

都市名に「ブルク」(城)があるため、ローテンブルクに城があると思われがちだが、残念ながら現在城は存在しない。しかしかつて城があったブルク庭園からは、ローテンブルク旧市街のパノラマを見渡すことができる。ここから眺めるローテンブルクの街並みは、まるで絵本の世界だ。

見どころ❷市長の伝説「マイスタートゥルンク」

三十年戦争でローテンブルクは破滅的な状況に陥った。敵の将軍が「3リットルのワインを一気に飲み干したら街を救おう」と提案し、市長が自らこの挑戦を受けて見事成功。この話は「マイスタートゥルンク」として語り継がれ、毎年5月に祭りが開かれるほか、広場にはこの様子を描いた仕掛け時計がある。

逸話奇跡ではない、街並み保存活動

ローテンブルクでは古くから街並み保存運動があり、1898年に「アルテ・ローテンブルク協会」が設立された。中世からの古い建物を残すべく市当局が監視の目を光らせており、たとえ個人住宅でも許可なしには増改築ができない。この郷土愛は、小さな国家の集まりだった時代を経て、1871年にドイツが統一国家として成立したとき、かつての自国に対する愛着が強まったことから生まれたものだという。第二次世界大戦では旧市街地の約45パーセントが破壊されたが、市民たちは寄付を惜しまなかった。街並み保存のための市の指導は今日も健在で、市民は傾斜のある床やたわんだ梁がむき出しの室内で生活したり、マクドナルドは街並みに調和するように鉄製の装飾が施されていたりする。

MAP ④
ネルトリンゲンNördlingen

898年にカロリング朝の領地「ノルディリンガ」として、初めて文献に登場したネルトリンゲン。城塞は敵が攻めにくいように高台や川の上に建設されるのが一般的だが、ネルトリンゲンは平地である。「リース盆地」と呼ばれる平らな土地が生まれたのは、500万年前に隕石が落下したクレーターの跡。敵の進撃を防ぐため、とりわけ強度の高い市壁が築き上げられた。

見どころ❶製皮職人の家

中世には皮革産業が盛んで裕福な市民の多くが製皮業者に所属していた。今でもゲルバーガッセという小路があり、職人の家が保存されている。潤っている職人の家はさすがに立派で壁には組合のマークが。家の裏には小川が流れており、仕事に不可欠だった水を自由に使用できた。

見どころ❷市壁

街を囲む見事な円形を描いた市壁は、14世紀にバイエルン王の命により建設された。今でも市壁の上には見張り用の通路があり、街を完全に一周することができる。ちなみにマンガ作品「進撃の巨人」にも街を囲む壁が登場するが、ファンの間ではネルトリンゲンがモデルではないかと噂されている。

逸話市民に愛される塔守

ゲオルグ教会の鐘楼には塔が建てられた1490年以来、塔守が寝泊まりをしている。今でも夜になると22時~深夜0時まで、塔守が1時間おきに展望台へやって来る。しかも塔の上から低い音で「ゾー・ゲゼル・ゾー!」(ほら、豚が行く!)と叫んでいるのだ。これは1440年の出来事に由来する。この街を奪おうと企んでいた近辺の領主がおり、その兵士たちが夜中に市壁の周りにいた。ところが女性が街の門から逃げていくブタを発見し「ブタが逃げた!」と騒ぎ立てた。驚いたのは敵の兵士たち。まさか豚のことで騒いでいるとは思わず、気付かれたと勘違いして、さっさと逃げてしまった。結果的にこの言葉が街を救ったということで、事件以来、安全を確認するための合言葉になったという。

MAP ⑤
アウクスブルクAugsburg

地名の由来となったのは、ローマ皇帝アウグストゥス。紀元前15年にこの街を創設し、軍営を設けていた。13世紀以降、アウクスブルクは帝国自由都市の権利を得て、関税、税金、裁判の権利が完全に与えられるようになった。帝国自由都市になってから裕福な貴族がますます影響力を増し、特に力のあったヴェルザー家とフッガー家の名残が今も街中で見られる。

見どころ❶シェッツラー宮殿

15~16世紀は欧州における重要な貿易拠点として発展し、豪商たちは芸術を保護するなど、文化に貢献した。銀行家リーベルト・フォン・リーベンホーフェンもその一人。リーベンホーフェンの館「シェッツラー宮殿」は現在アウグスブルク市立博物館になっており、バロック芸術作品や宗教画などが収蔵されている。

見どころ❷アウクスブルク市庁舎

17世紀に建てられたルネッサンス様式のアウクスブルク市庁舎は、アウクスブルク出身の建築家エリアス・ホルが手がけた。当時、アウクスブルクは重要な金融・貿易都市であったため、市庁舎は重要な役割を果たし、街の誇りと自信の象徴でもあった。現在も市庁舎は市のランドマークとなっている。

逸話築いた富を貧しい市民のために使ったフッガー家

ドイツのフッガー家は、イタリアのメディチ家と並んで中世の大富豪として知られている。ヤーコプ・フッガーは父の商売を受け継ぎ、銀の取引で巨大な富を築いた。その富を彼は貧しい人々のために使い、低所得者のための福祉施設フッゲライを1521年に完成させる。家賃は年間わずか1ライングルデン(当時の手工業者手取りの2週間分)。この家賃は財団により今日も守られており、ドイツマルク時代は光熱費別で年間72ペニヒ、現在でもたったの88セント(約136円)。入居条件は低所得であること、罪科が無いこと、アウクスブルク市民であること、敬虔なカトリック信者であること、創立者の冥福を1日に3回礼拝堂で祈ること……など、条件が厳しくないことから長い順番待ちとなっている。

ロマンチック街道沿いの街で傑作を生み出した人物

ロマンチック街道沿いの街には、現在でも多くの人を感動させるものを造った人々がいる。3人の人物とその傑作をご紹介しよう。 参考:Bayerischer Rundfunk「Lichtgestalt und Lichtgestalter des Rokoko」、Süddeutsche Zeitung「Ludwigs Traum in Weiß」、Denkmalstiftung Baden-Württemberg「Dominikus Zimmermann」

過酷な運命をたどった彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーTilman Riemenschneider

リーメンシュナイダーはヴュルツブルクに住み、起業家として成功した人物。祭壇、彫像、記念碑、そのほかの宗教的な品々を、地元の高い需要に応えてオーダーメイドで製作し、バイエルン州で名が知れ渡った。数十年かけて工房を拡大し、晩年には40人ほどの弟子を雇っていた。さらにいくつかの家屋と広大な土地とブドウ畑を所有し、市民からの人望も厚く、1520年にはヴュルツブルクの市長も務めた。

そんななか、人生を揺るがす事件が起こる。16世紀に南ドイツで起こった農民戦争はヴュルツブルクでも発生。大司教の支配から解放されるようにと、市民の大多数は農民側についてマリエンベルクを攻めた。リーメンシュナイダーもヴュルツブルク市長として農民側に立つ。しかし大司教の要塞はそう簡単には崩れず包囲に耐え、反乱は鎮圧された。議会は反乱軍を支援したため、リーメンシュナイダーとほかのメンバーは逮捕され、投獄されてしまう。数カ月後に解放されたが、役職、名誉、財産を失ったリーメンシュナイダーは1531年に死去した。さらに彼の作品の多くは、その後の宗教戦争でプロテスタントに破壊されてしまっている。クレーグリンゲンのヘルゴット教会にある「聖母マリアの昇天」は、リーメンシュナイダーの最高傑作といわれる。彼は祭壇に当たる自然光を計算して、彫刻がドラマチックに見えるように工夫した。巡礼者の中には、実際にマリアが天に昇ったと信じることもあったという。

ロマンチック街道内にある作品

「聖母マリアの昇天」ヘルゴット教会(Herrgottskirche)

クレーグリンゲン(地図❷) www.herrgottskirche.de

空間の創造者としての建築家ドミニクス・ツィンマーマンDominikus Zimmermann

ヴェッソブルン近郊の村で生まれたツィンマーマン。5歳年上の兄は、後に有名な画家で左官職人になるヨハン・バプティストだ。ヴェッソブルン修道院の工房で訓練を受け、のちに兄弟そろってバロックの化粧しっくい職人の流派「ヴェッソブルン派」の代表的な存在となった。その後、化粧しっくい職人、大理石職人、棟梁、建築家としてランツベルク・アム・レヒに移り、1716年に市民権を取得。1719年には同市庁舎のファサードのデザインを依頼された。この美しいファサードは、今日でも広場の顔となっている。1725年以降、ツィンマーマンはますます建築に傾倒するようになり、棟梁および建築家として無数の祭壇、教会、修道院、礼拝堂を造り上げた。

ツィンマーマンが目指していたのは、「建築と芸術の融合」。つまり装飾、絵画、建築が単体として目立つのではなく、全てを組み合わせた総合的な芸術空間のことである。その生涯の仕事の集大成になるヴィース教会は、1746年から建設開始。教会に魅了されたツィンマーマンはひときわこの仕事に情熱を傾け、世界で最も完璧なロココ様式の教会を生み出した。1755年以降、ツィンマーマンはヴィース教会の近くに建てられた自分の家に移り住み、1766年に自宅で息を引き取った。現在、同教会はユネスコの世界遺産に登録されている。

ロマンチック街道内にある作品

旧市庁舎(Historisches Rathaus)

ランツベルク・アム・レヒ(地図❻) www.landsberg.de ヴィースの巡礼教会(Wieskirche)

シュタインガーデン(地図❼) www.wieskirche.de

夢の城を再現したバイエルン王ルートヴィヒ2世Ludwig II.

バイエルン国王ルートヴィヒ2世は幼いころ、フュッセン郊外のホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。城内に描かれたドイツ中世騎士物語の壁画は、やがてルートヴィヒを伝説の世界に導いていく。18歳でバイエルン国王に戴冠したルートヴィヒは長身で美しく、国民の人気を集めた。また、リヒャルト・ヴァーグナーの楽劇の世界にとりつかれ、ヴァーグナーのパトロンとなる。女性に興味がなかったルートヴィヒは、結婚せずに中世騎士物語にのめり込んでいく。やがて伝説の世界を実現させるため次々に城を建設して、国を破綻寸前に追い込んだ。そして夜と昼が逆転した生活を送っていたルートヴィヒは精神病と診断され、強制的に退位させられることに。

1886年6月12日、ノイシュヴァンシュタイン城からシュタルンベルク湖畔のベルク城へ送られた。翌日の夕方、医師のグッデンと共に散歩に出かけたルートヴィヒはそのまま戻らず、夜になってグッデンと共に湖の浅瀬で水死体となって発見された。死因として多くの推測が飛び交ったが解明されず、未だに謎に包まれたままである。

ロマンチック街道のフィナーレに相応しいノイシュヴァンシュタイン城は、ドイツで最も美しい城と謳われている。ルートヴィヒが憧れた中世騎士物語の世界を再現し、きめ細かな装飾、鮮やかな色彩、構造全てに独特な趣がある。

ロマンチック街道内にある作品

ノイシュヴァンシュタイン城

豪華絢爛な室内の様子豪華絢爛な室内の様子

シュヴァンガウ(地図❽) www.neuschwanstein.de
 

NHS現役スタッフの毎日

現場での苦労、お察しします……NHS現役スタッフの毎日

さまざまなバックグラウンドを持つ人々がいる国際色豊かなNHSの職場環境。そこにはベテランの日本人スタッフの姿もある。日本での看護師経験を経て、NHSイングランドで看護師として働く中山弓子さんに仕事内容や新型コロナの時期など、さまざまなお話を伺った。

中山 (なかやま)弓子 (ゆみこ)さん

日本での看護師経験を経て1997年より在英。英国人と結婚後、看護師であった義母の薦めで英国の看護師に免許を切り替えるため整形リハ病棟の研修生になり、2002年から正看護師として働く。急性期内科病棟、認知症内科で働いたのち、現在は英南部にあるNHS病院の急性期老年内科病棟に勤務。

70歳以上の方に手厚いケアを施す急性期老年内科病棟に勤めておられますが、勤務内容について教えてください。

朝7時半からの業務では、患者さんの投薬から始まります。日本では事前に分包してありますが、NHSイングランドでは患者さんの処方箋を見ながら各ベッドサイドで準備して、投薬をします。その後看護助手さんと一緒に患者さんの体を拭き、シーツ交換や体位変換、トイレ介助、ランチ、夕食後の投薬、点滴、注射……。この間にナース・コールや容態が悪い患者さんへの対応、退院される患者さんがいれば、書類、内服薬などの準備をし、ベットが空けばすぐにほかの病棟から転入を受け入れます。

夜8時までの勤務で、30分間の休憩を2回とるシステムですが、残業はほとんどありません。老人病棟なので意思の疎通が難しい人や痴呆症で徘徊する人もいるので、転倒しないように目配りしながら仕事を進めています。

無料の医療サービスのほかに、日本の病院との体制の違いはありますか。

訪問看護なども含めて医療ネットワークが組織化されており、いろいろなポジションの人が退院という同じ目標に向かってラインに沿ってケアができるのが良い点です。また、リスク・アセスメントがしっかりしているので、何か急な事故があったときの対応に強いですね。例えば2015年にイングランド南東部のショーラム(Shoreham-by-Sea)の航空ショーで墜落事故*があったとき、私は近くの病院で勤務中だったのですが、現場付近の救急外来は即座に全部閉鎖され、その事故の負傷者の救命に切り替わりました。

職場環境でいうと、医者も名前で呼んでリスペクトしあって働けるのは良いですね。同僚はフィリピン人やインド人、東欧出身が多く、本当にいろいろな人がいます。

また、英国では免許を維持するために3年に1回、今までに受けた研修内容と共にさまざまなレポートを規定通り作成して、上司からチェックしてもらったことを看護協会に再登録しないといけません。看護師に向いてない、大きな医療ミスを起こすなど、よっぽどのことがあると看護師免許を取り消されることがあります。業務では何よりも患者さんを優先しますが、ミスを起こさないよう、命を預かる責任感とはまた別の緊張感を持って勤務にあたっています。

* 2015年8月22日にウェスト・サセックスのブライトン・シティ空港で開催されたショーラム航空ショーで発生した墜落事故。戦闘機が国道に墜落し11名が死亡、16名が負傷した

新型コロナウイルスによる混乱から数年経ちましたが、当時のリアルな現場事情についてお聞かせください。

いきなりロックダウンが始まり、患者さんがウォーク・インにも病院の廊下にもどこにもおらず、今までない異常事態に恐怖を感じました。喘息もちなど重症化リスクのあるスタッフは自宅待機となり、スタッフの病欠も多く、人手不足で三つの病棟が閉鎖。次々と一般のコロナ病棟や重症患者の呼吸を管理するためのCovidCPAP療法が受けられる病棟に変わりました。一般コロナ病棟ですらほとんどの患者さんが酸素療法を受けており、今までに見たことがない状況でした。

老人が本当に簡単に亡くなっていくので、自分がコロナになったときも気が気でなかったですね。同僚もバタバタと感染していき、コロナ病棟に「○○病棟の主任さんが今から入院!」とか、一時期ITU(集中治療部)の患者がスタッフだけになったりしました。そうした看護師を自らの手でアセスメントしながら、次はわが身かと思い、恐怖に震えながらも、とにかく目の前の事をやるしかない!みたいな雰囲気でした。

逼迫した医療現場にさらに物価高も加わり、最近はストライキが増えましたよね。

2023年3月のデモの際、私はそのときちょうど休暇だったのですが、スタッフがデモに参加していないから呼び出され、結局働きに行きました**。患者さんは変わらずいらっしゃいますし、そこはスタッフ同士で助け合っていかないと。スタッフの4分の1くらいは参加していたと思いますが、ストに対する熱量は人それぞれだったかなぁという印象です。「明日ジュニア・ドクター来ないから今日のうちに薬出しといて」、なんてこともありました。誰かが働かないと現場は回らないんですよね(笑)。

**NHSには直接の呼び出しとは別に、エクストラで働いたり、担当病棟の患者が少なく手が空いたときに前もって別の病棟で働けるよう手配できる「バンク」と呼ばれるシステムがあり、これがあるため有給休暇を消化できるそう。昔は人手不足のときに看護師の斡旋業者からスタッフが来ていたが、今はほとんど見かけず、病院内の人員だけで仕事を回していかないといけないそうだ

NHS75で私たちができること

私たちは地元のNHS組織でボランティアをしたり、献血に参加したり、NHSをサポートする慈善団体に協力するなどして、NHSを支援することができる。詳しくはwww.england.nhs.uk/nhsbirthdayを参照ください。

2023年7月5日で設立75周年
人々の健康を支えるNHS >
 

人々の健康を支える - NHS

2023年7月5日で設立75周年人々の健康を支えるNHS

病気やけがをしたとき、私たちがお世話になるのはNHS(国民医療制度)の病院だ。在英者にとってなくてはならないNHSが、7月5日で創設75周年を迎える。本特集を通して私たちが平等に無料で受けられる医療制度が生まれた経緯やその組織の大きさ、また現在の状況を知っていただき、当然のように存在するNHSのありがたみを再認識するきっかけとなれば幸いだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考:www.gov.ukwww.bbc.co.ukwww.theguardian.comwww.ft.comwww.nhs.ukwww.healthcareers.nhs.uk ほか

NHSとは

「National Health Service」の略称で、「国民医療制度」のこと。税金で運営され、英国に住む人は歯科など一部の医療を除き、基本的に無料で医療サービスを受けられる。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四つの地域に分かれて別々に運営されており、「NHS」はこれらのサービスの総称。大まかな制度は同じだが地域ごとにサービスが若干異なる。英国人だけでなく合法的に英国に滞在する外国人も加入でき、利用には滞在ビザ申請の一環で医療追加料金(Healthcare Surcharge = Immigration Health Surcharge =IHSとも呼ばれる)を大抵の場合支払わなければならない。金額は年間470〜624ポンドとビザの種類によって異なる。

なお、アイルランドを除く欧州、スイス、ノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインの出身者は、①2020年12月31日以前に英国に居住、②定住前(英国に5年未満居住している人が対象の一時滞在許可)、または定住ステータス(5年以上移住)を申請している場合、引き続きNHSでの医療サービスを利用できる。

NHSとはどんな組織?

巨大な組織であるNHS。その成り立ちや仕組みは複雑で、実に多くの人が携わっている。まずは三つの観点から組織の全体図を簡単に見てみよう。

「歴史」から知る

1948年に誕生したNHSは、不十分な医療制度の改革の必要性を感じたさまざまな人々による努力の結晶だ。20世紀初頭の英国は、貧困と失業にあえぐ都市労働者であふれていた。社会主義者のベアトリス・ウェッブ(Beatrice Webb)は、1909年、ヴィクトリア時代から続く貧民法に代わる新しい法律が必要だと提案。王立救貧法委員会(Royal Commission on the Poor Laws and Relief of Distress)の少数派報告書(Minority Report)に「社会の貧困を貧しい人々のせいにするのは間違いである」と強く主張したものの、当時の政権はこの勧告を無視し、聞く耳を持たなかった。

しかし、「National Health Service」という言葉を初めて使ったといわれている英北西部リヴァプールのベンジャミン・ムーア医師をはじめ、同報告書の賛同者が立ち上がり、1912年に英国の医師によって医療サービスを向上させることを目的とした「州医療サービス協会」(the State Medical Service Association)が設立され、1912年に最初の会合が開催された。

イングランドとウェールズにおけるNHS立ち上げに関するリーフレットイングランドとウェールズにおけるNHS立ち上げに関するリーフレット

NHSの原型が生まれる前は、医療費は患者の自己負担で、医療サービスは限られた人にしか提供されていなかったが、税金を納めた住民のために病院を運営する一部の地方自治体もあった。やがて、1930年からロンドン・カウンティ議会が約140の病院や医学校、そのほかの関連機関の運営責任機関となり、第二次世界大戦の直前まで医療分野の公共サービスを提供。しかし利用は納税者に限られていた。健康保険制度を扶養家族まで広げるべきだという議論が繰り広げられていたが、大戦が始まると負傷者の手当てを行う政府直下の救急病棟の運営で手一杯に。しかし、膨大な死傷者を想定しそれまで個々に管理されていた寄付金が財源の病院(voluntary hospitals)が一本化され、奇しくも戦争によってNHSの前段階の準備が整っていった。

一方、戦時下の保健省(現在のDepartment of Health and Social Care)でも一般市民が医療サービスを受けられる政策がまとめられ、1942年に社会保障制度拡充のための報告書「ベヴァリッジ報告書(Beveridge Report)が完成し、社会保障制度の礎となった。45年に保健相に就任したアナイリン・ベヴァン(Aneurin Bevan)が、1948年7月5日に、全ての人々に支払い能力ではなくニーズに基づいた医療サービスを無料で提供することを発表し、税金を財源とする国民保健制度としてNHSがスタートする。以降生活になくてはならない存在として英国に住む人々を支え続けている。

アナイリン・ベヴァン保健相アナイリン・ベヴァン保健相

「世界初」から知る

医療制度の改革のみならず、NHSはこれまで革新的な医療や治療をいち早く提供してきた。その一部を紹介しよう。

人間の体外受精
1978年

パトリック・ステップトー博士と生物学者ロバート・エドワーズ博士のチームが体外受精胚移植(IVF-ET)を成功させ、「試験管ベビー」と呼ばれた健康な女児が誕生した。

世界初の体外受精によって生まれたルイーズ・ブラウンさん。現在は2人の子どもの母親だ世界初の体外受精によって生まれたルイーズ・ブラウンさん。現在は2人の子どもの母親だ

心臓、肺、肝臓の移植に成功
1987年

ケンブリッジのパップワース病院のロイ・カルン教授とジョン・ウォールワーク教授が、疾患を抱えた女性に心臓、肺、肝臓の移植を行う。偉大な成功を収めた当の二人は「いつもの仕事をしただけ」とかなり控えめだったとか。

無料の乳がん検診
1988年

乳がんによる50歳以上の女性の死亡者数を減らすために導入。その後10年で死亡率は25〜30パーセント下がった。

髄膜炎C型菌のワクチン使用開始
1999年

髄膜炎による総死亡者数を半減させるために髄膜炎菌のC群に対する新しいワクチン接種プログラムを開始。既存のワクチンに比べ、長期間の予防効果があり、乳児にも使用できた。

PrEP療法の導入トライアルを開始
2017年

PrEP(プレップ)とは、性交渉する前からHIVの薬を内服し、HIV感染のリスクを減らすHIVの予防方法のこと。広範囲のデータを集めるため1万人を対象に3年かけてトライアルを実施した。

「数字」から知る

£1900 (約32兆円)

保健省がNHSのために支出した額
(2021/22年度)

GP(General Practioner=GP、かかりつけ医)、救急車、メンタル・ヘルス、NHSから委託された地域サービスや病院、公衆衛生など、幅広い医療およびケア・サービスを運営するために使われた。

45.2%

NHS予算でNHS職員の人件費*が占めた割合
(2021/22年度)

支払い総額は662億ポンド。これには一般開業医であるGP、保健省などの国家機関やNHSイングランドで働くスタッフの給与は含まれていない。
*フルタイム相当の平均年間基本給に基づく

£86〜418

緊急外来(A&E)での1回あたりの利用でかかる費用

税金を納める市民には請求されない。緊急ケア・センターやウォーク・イン・クリニックまでその形態はさまざまだが、2022/23年度の費用形態でより細密な検査と治療を受ける場合は418ポンド〜。

101万2143件

NHSの緊急対応999サービスがひと月に応答した件数 (2021年10月)

当時は新型コロナウイルスによるロックダウンが解除されて数カ月が経過したころで、コロナ・ワクチンのブースター接種が始まった時期でもあった。

£367

救急車でA&Eまで行く費用

現場へ向かったものの、A&Eへの搬送に至らなかった場合の出動費用は推定平均276ポンド。

£42

GPで平均9分間の対面診察にかかる費用
(2021/22年度)

出典: www.kingsfund.org.uk/audio-video/key-facts-figures-nhswww.england.nhs.uk/2021/11/nhs-responds-to-highest-number-of-999-calls-on-record

NHS、4つの地域の仕組み

医療サービスはその地域のニーズに合わせて、柔軟に対応する体制になっている。

● イングランド

患者および治療の種類ごとに設定された料金表に基づき、保健省から資金提供される。医療サービスはNHSトラスト、財団トラスト(メンタル・ヘルス、救急車の稼働を含む)、また一部の慈善団体や社会的企業を通じて提供。イングランドのGPは、国民の健康ニーズを満たすための計画の策定や予算の管理、特定地域の医療サービスの提供の手配を担当する組織、地域の統合ケア委員会(Integrated Care Boards= ICB)の一員として稼働する。ロンドンやイースト・オブ・イングランドなど7地域のローカル・チームがGP、歯科、薬局、一部の目に関するサービスを行う。セクシャル・ヘルスや健康診断などの公衆衛生は、政府機関である健康改善・格差局(the Office for Health Improvement and Disparities)と一部の地方自治体によって整備される。一部の人を除き、処方箋は有料。
www.england.nhs.uk

新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年4月、NHSの文字を入れ替え「SHN」(Stay Home Now)というロゴの知名度を利用した広告が作られた新型コロナウイルスが猛威を振るっていた2020年4月、NHSの文字を入れ替え「SHN」(Stay Home Now)というロゴの知名度を利用した広告が作られた

● ウェールズ

英政府から受け取る補助金を、NHSウェールズを含むさまざまな医療機関に分配して運営。七つの地域ごとの保健委員会と三つのNHSトラストを通じてサービスを提供し、保健委員会は患者などを代表する地域保健協議会と協力、三つのトラストはそれぞれ緊急サービス、がん治療の専門医療、公衆衛生の責任を負っている。ウェールズでは全ての患者の処方箋が無料。
www.nhs.wales

病院名はウェールズ語が併記されている病院名はウェールズ語が併記されている

● スコットランド

地方分権として英政府から受け取る補助金を受け取り、NHSスコットランドなどさまざまな医療関連の部門へ分配し運営。NHSスコットランドは14の地域ごとの保健委員会と、救急車や緊急医療サービス電話、医療教育など専門のサービスを提供し保健委員会をサポートする八つの特別NHS委員会で構成され、住民の健康維持と改善、また最前線の医療サービスの提供に責任を負う。各保健委員会には公衆衛生部門が設けられているほか、特別保健委員会のスコットランド公衆衛生(Public Health Scotland)がスコットランド全体の公衆衛生のあらゆる側面をカバー。輸血サービスや医療環境・機器に関するアドバイスを提供する健康保護スコットランド(Health Protection Scotland)もスコットランド公衆衛生の一機関として運営されている。

同NHSは、イングランドやウェールズが保健相(Minister of Health、現在はSecretary of State for Health and Social Care)の名の下に設立されているのに対し、1948年にスコットランド省(現スコットランド政府)の大臣の監督のもとに、行政的に独立した組織として設立された経緯がある。スコットランドでは全ての患者の処方箋が無料。
www.scot.nhs.uk

1948年、NHSの開始に先立ってスコットランドで配られたパンフレット1948年、NHSの開始に先立ってスコットランドで配られたパンフレット

● 北アイルランド

医療とソーシャル・ケアが統合された健康と社会的ケア(Health and Social Care=HSC)を通じてサービスを提供。英政府からの補助金を受け、北アイルランド政府の保健省(the Department of Health=DoH)が同地の人々の健康と社会福祉を改善することを目的に、政策を制定する。日常生活での軽度のけがや病気に対する一次医療、入院治療を必要とする重症患者の医療を担当する二次医療、および地域医療の提供を担当する、保健省管轄下の医療社会福祉委員会や地域ごとの五つの医療社会福祉トラスト、また北アイルランド全土に救急車サービスを提供するトラスト、公衆衛生庁などさまざまな公的機関で構成。地方自治体には公衆衛生に関する責任はなく、主に北アイルランド保健省とその執行機関である公衆衛生局が負う。処方箋は無料。

1797年からあるベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院1797年からあるベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院

4つの地域が別々に医療サービスを提供する背景

NHSは4地域の包括的な呼び方で、医療制度が異なる北アイルランドは厳密にはNHSとは呼ばない。1948年にNHSが創設されたとき、イングランドとウェールズは一括管理されていたがウェールズは69年に、スコットランドと北アイルランドは48年に別の組織として設立された。1974年まで地方自治体はプライマリー・ケア・サービスとソーシャル・ケアの管理を担当。その後、99年7月1日に公共サービスの権限がスコットランド議会とウェールズ議会へ、同年12月2日には北アイルランド議会に完全に移譲。各当局は、医療サービスの提供や計画など、NHSのシステムや資金提供の管理が含まれていた。

NHSが直面する課題

素晴らしい仕組みの裏で、運営側はたくさんの問題を抱えている。連日伝えられているNHSの実情について見ていこう。

健康寿命が伸びる=患者数が増える

NHSが直面する主な五つの課題は、①資金不足、②スタッフの不足、③待機リストの長さ、④高齢化社会、⑤時代によって変わるケアのニーズで、これらは相互に複雑に絡み合った根深い問題となっている。ここ数十年の目覚ましい医学の進歩により、さまざまな医療機器や医薬品の開発が進み、人々の平均寿命は大幅に伸び、高齢化社会が進んでいる。65歳以上の患者の多くが二つ以上の疾患を抱えており、さらに全入院患者の約3分の2を占めているのが現状だ。

このような状況に対応し、さらなる資金を現場に供給できるよう、NHSの予算は毎年インフレ率の平均4パーセントを上回る増額が行われてきた。しかし、連立政権となる第1次キャメロン内閣が誕生した2010年以降、平均年間増加率は従来の半分に留まっており、万年資金不足の状況にさせられている。

医療サービス支出の年次変化

引用元:www.bbc.co.uk/news/health-64190440引用元:www.bbc.co.uk/news/health-64190440

疲弊する現場スタッフ

NHSのスタッフ不足もかなり深刻だ。現在の欠員率は10パーセントで、「タイムズ」紙によると、人口の高齢化に伴い、人員不足率は今後5年間で4倍になる可能性が十分に考えられるそう。NHSは政府に医学部の定員7500人を2倍に増やすよう要求中で、実現すれば新たに六つの医学部の新設が必要になると想定。しかしこの計画を実行するには財務省からの多額の投資金が必要となるので、実現はかなり難しいとされている。

また、NHSイングランドでは医療とソーシャル・ケアが別の組織によって運営されており、前者はNHSが、後者は地方自治体が担当している。ソーシャル・ケアの方でも慢性的な人員不足が続いていることから、病院を退院し、自立して回復を目指す患者の半数以上がソーシャル・ケアのサービスを受けることができないことを意味しており、そのために退院が延長され病院のベッドが占領され続ける負のスパイラルに陥っている。さらに、「オブザーバー」紙によると、イングランドの救急隊員はストレスが少なくより給料の良い仕事を求めて退職している。特にイングランド南部では5人に1人が就労後1年以内に退職するほど深刻だ。

膨れ上がる待機リスト

また、入院や手術を待つ患者の待機リスト「waiting list」は現在730万人を超えている。保守党は23年4月までに手術を18カ月以上待っている約1万人の患者をなくす公約を立てていたが、結局実現できなかったとスティーブ・バークレー保健長官がつい先日認めたばかり。この730万人という数字は、新型コロナウイルスの影響を受け、何か症状があっても病院に行くことを躊躇したり、我慢している人を含まないため、いざ待機リストの数が減少し始めた途端、数字が跳ね上がる可能性も十分に残っている。待機リストに載る患者たちは、代わりに高額なプライベートの医療機関に行ったり、待機中に亡くなったりして、毎月その3パーセントがリストから消えている。

頻発するストライキ

人手不足をスタッフ同士で穴埋めするオーバーワーク状態が続いた結果、2022年12月に、NHSイングランドの看護師10万人が106年の歴史のなかで初となる全国規模のストを実施。国に対して異常なインフレに見合った19パーセントの賃上げを求めた。4月半ばにはNHSイングランドのジュニア・ドクターが、5月上旬には看護師のストライキがあったばかりだが、英国のシニア・ドクターも、ストライキを行うか否かを6月27日までの投票で決めようとしている。

英国医師会(BMA)コンサルタント委員会委員長のヴィシャール・シャルマ医師によると、生活費が高騰する前の2008〜09年にかけて、すでに手取りの賃金は35パーセントも減少しており、年間4カ月は無休で働いていることに等しい。

2023年4月、4日間のストライキを行ったジュニア・ドクターたち2023年4月、4日間のストライキを行ったジュニア・ドクターたち

NHSにまつわる豆知識

1. NHSは世界で8番目に大きい組織

NHSは世界最古の公的医療制度であるだけでなく、その従業員数も莫大だ。2021年5月のNHSの統計によると、医療スタッフから緊急通報担当者まで、従業員は合計約134万人。これは英国内では最大規模で、世界でも8番目に大きい企業体。アマゾンの全世界の従業員数130万人を上回っている。NHSは米国、インド、中国のような大国の組織と同規模のスタッフを雇用していることになる。

2. NHSのメイン・カラーはパントン300

「the blue lozenge」(青い菱形)のNHSイングランドのロゴは1999年から使用されてきた。公的統計調査によると、NHSのアイデンティティーとして「青と白色」を挙げた人が87パーセントもいたほど定着している。メイン・カラーはNHSブルーと呼ばれるパントン300で、ほかに4種の青の使用が許可されている。ロゴは法律で保護され、保健社会保障担当国務長官が所有する英国の商標である。

3. 外国国籍でも医療費がかからない人がいる

NHSは私たちの税金を使って運営されている。日本人を含む外国国籍の人が英国に合法的に住む場合は基本的にビザ申請時に医療費を支払わなければならないが、イングランドでは移民規則に基づいて保護を認められた難民や亡命希望者とその扶養家族、人身売買の被害者などは追加料金の支払いをせずに利用できる。また、英国軍に所属する軍人、ブリティッシュ・カウンシルの雇用者も無料だ。

4. 処方箋が有料なのはイングランドだけ

イングランドの現在の処方箋料は1枚あたり9.65ポンドで、16歳未満、60歳以上、入院患者など一部の人は支払いが免除されている。NHS創設時、処方箋は無料だったが、1952年に国民医療サービス法(National Health Service Act 1952)が制定され、1枚につき1シリング(現在の約1.85ポンド、約315円)が課されるように。その後引き上げや廃止などを経て1968年に有料になった。

5. 歯科の料金体系は地域ごとに設定

なぜ歯の治療は無料にならないのか……。正確にはNHSがすでにその大部分を負担し、残りを市民が負担する形になっているためだ。1951年にまず義歯が、52年に全ての歯の治療が有料となった。現在イングランドとウェールズでは三つのバンドによる料金体系、スコットランドと北アイルランドは最大384ポンドなど、サービスにより細かく料金が設定されている。

大まかな医療費を計算してみよう!

私たちに直接請求されてはいないものの、GPの予約やA&Eを利用するにはコストがかかる。NHSイングランドは2022/23年度で約1530億ポンドの委託予算をやりくりして医療サービスを提供してくれたが、巨額すぎて実感が湧かないのではないだろうか。金融サービス比較会社Go.Compareが独自に作った計算ツールを使うと、自分が受けた医療サービスのおおよそのコストが分かる。治療にどのくらいの費用がかかっていたかぜひ調べてみてほしい。
www.gocompare.com/health-insurance/the-bill-of-health

NHS75で私たちができること

私たちは地元のNHS組織でボランティアをしたり、献血に参加したり、NHSをサポートする慈善団体に協力するなどして、NHSを支援することができる。詳しくはwww.england.nhs.uk/nhsbirthdayを参照ください。

中山弓子さんインタビュー
NHS現役スタッフの毎日 >
 

オープン・エア・シアターで ドラマチックな夏の夜を

オープン・エア・シアターで
ドラマチックな夏の夜を

国内各地で野外イベントが開かれる英国の短い夏。なかでも、シェイクスピアの時代から人々に親しまれてきたというオープン・エア・シアター(野外劇場)は、気軽に芸術に触れられるイベントの一つとして人気が高い。日中の暑さが静まる宵のころ、夜風に吹かれながらの観劇もまた乙なもの。家族や友人と一緒に、夏の思い出作りに出掛けてみてはいかがだろうか。(文:宮田さち、英国ニュースダイジェスト編集部)

美しい木々に囲まれてRegent’s Park Open Air Theatre
リージェンツ・パーク・オープン・エア・シアター

リージェンツ・パーク・オープン・エア・シアター

緑豊かなロイヤル・パーク内に1932年に設立されたロンドン最大級の劇場の一つで、18週間の上演期間中、毎年14万人以上が訪れる。家族皆で楽しめるインタラクティブなショーも上演。歴史あるイベントにふさわしく、ピクニック・セットから本格的なレストランまで、プレ・シアターの食事サービスも充実している。

2024年9月28日(土)まで
£15~72
Inner Circle, Regent's Park, London NW1 4NU
Tel: 0333 400 3562
Baker Street駅
https://openairtheatre.com

言わずと知れた名劇場Shakespeare's Globe
グローブ座

グローブ座

オリジナルのグローブ座はエリザベス朝の1599年に建てられた野外円形劇場で、1回の公演で3000人もの観客が芝居を楽しむことができたといわれている。このグローブ座をほぼ忠実に再現した現在の劇場で、「マクベス」「真夏の夜の夢」などのシェイクスピア作品を上演する。毎年恒例、23時59分開演の「深夜マチネ」については、サイトを参照のこと。

2024年10月27日(土)まで
£5〜75
21 New Globe Walk, Bankside, London SE1 9DT
Tel: 020 7401 9919
Blackfriars/Mansion House/London Bridge駅
www.shakespearesglobe.com

海に面したドラマチックな劇場Minack Theatre
ミナック・シアター

ミナック・シアター

英最南西端ランズ・エンド近郊の崖にあり、そのユニークなロケーションと建築様式のため、世界的にも有名な劇場。地元住人の女性ロウェナ・ケイドと庭師が、花崗岩の断崖絶壁を切り出して造り、こけら落としは1932年。ステージの背後には大西洋が広がり、石造りの観客席から見下ろす風景は圧巻の一言といえる。

2024年11月2日(土)まで
Porthcurno, Penzance, Cornwall TR19 6JU
Tel: 01736 810181
London Paddington駅からPenzance駅まで列車で約5時間40分、同駅からタクシーで25分、バスで約45分
www.minack.com

リージェンツ・パークに匹敵する北の劇場Grosvenor Park Open Air Theatre
グロブナー・パーク・オープン・エア・シアター

グロブナー・パーク・オープン・エア・シアター

英北西部チェスターのグロブナー・パークに設置される、500人収容できる円形野外劇場で、ステージを四方から囲むすり鉢状の座席が特徴的。2010年スタートの比較的新しい劇場だが、どの席に座ってもステージがよく見えると好評で、クッションやアルコールを含む飲食物の持ち込みも可能だ。前もってピクニック・セットをオーダーすることもできる。

2024年9月1日(日)まで
£6.75〜50
9 The Groves, Chester CH1 1SD
Tel: 01244 409 113
London Euston駅からChester駅まで列車で約2時間10分、同駅から徒歩12分
www.grosvenorparkopenairtheatre.co.uk

小さな島で観劇を楽しもうBrownsea Open Air Theatre
ブランシー・オープン・エア・シアター

ブランシー・オープン・エア・シアター

英西部ボーンマスの西側、プール湾に浮かぶブランシー島は、自然保護地区に指定されている小島。1907年、ボーイスカウトの創始者ロバート・バーデン・パウウェル率いる20人の若者が、実験キャンプをした場所としても知られている。島内の野外劇場では、1964年以来50年以上にわたりシェイクスピア作品を上演し続けている。

2024年度はソールド・アウト。25年の情報がもうすぐ発表される
£30(プールからの往復フェリー料金含む)
Poole, Dorset, BH17 7ZT
Tel: 07845 782924
London Waterloo駅からPoole駅まで列車で約2時間、同駅からフェリーで約20分
www.brownsea-theatre.co.uk

チューダー朝の邸宅を背景にCoughton Court Outdoor Theatre
コートン・コート・アウトドア・シアター

コートン・コート・アウトドア・シアター

ナショナル・トラストが管理するチューダー朝のマナー・ハウス、コートン・コート。建築だけではなく庭園の素晴らしさでも定評があり、ガイ・フォークスなど火薬陰謀事件の首謀者たちが潜んだ邸宅としても知られる。夏の夕べには野外でシェイクスピア作品が上演され、ピクニックをしながら楽しめる。今年の演目は「ハムレット」だ。

2024年7月11日(木)
£18.50
Coughton, Alcester, Warwickshire, B49 5JA
Tel: 01789 762 542
London Marylbone駅からRedditch駅まで列車で約1時間半、同駅からバスで約20分
www.nationaltrust.org.uk/coughton-court

 

見どころいっぱい! - 英国の古城を巡ろう

見どころいっぱい!英国の古城を巡ろう

英国には石造りの堅牢な城が数えきれないほどあり、かつては戦いの場として、また権力者の住居として長年活用されてきた。現在もその多くが残され、一般客が気軽に訪れることができるようになっている。英国の城にはどのような歴史があるのだろうか。今回はイングランド地域を中心に、この夏に訪れてみたい英国の城を紹介する。天色の空の下、悠然とたたずむ姿はきっと心に深く刻まれる良い思い出になるはずだ。(取材・執筆: 英国ニュースダイジェスト)

参考:www.english-heritage.org.ukwww.britannica.com ほか

イングランド南西部ドーセットにあるコーフ城イングランド南西部ドーセットにあるコーフ城

英国の城にまつわる基礎知識

城、マナーハウス、宮殿の違い

英国における「城」は設立された時代やそのスタイルは実にさまざまで、これから解説する定義の中間に位置する建物も多く存在する。混在しがちなこれらの言葉は、「オックスフォード学習者辞典」では以下のような定義になっている。

Castle 過去に国王や女王、そのほかの重要人物が、攻撃から身を守るために建てた分厚く高い壁と塔を持つ大きくて頑丈な建物
マナー・ハウスManor House 所有地の中にある大きなカントリー・ハウス
宮殿Palace 国王、女王、大統領などの公式の住居

「城」は主に「戦闘に備えたもの」として定義され、アングロ・ノルマン語および古北フランス語を起源とする後期古英語で「村」を意味する「カステル」(Castel)に由来する。戦いの少ない平和な時代に村は要塞の外側へ拡張し、その結果元々の中心部のみが要塞化された形で現在まで残っている。その後、英語の変遷により、村そのものや要塞化された部分を表す「Castle」という言葉が誕生した。なお、現代の英国では、地域によってCastleを「カッスル」または「キャッスル」と発音する。

豪華な城、質素な城の違いは?

当初は要塞として建築された城も、戦闘で使用される武器や技術の革新に伴い、防御用の建物が必ずしも必要ではなくなっていった。人々を守るために活躍した城は、18〜19世紀にかけてなるべく豪華絢爛な仕様へと再建や改修が積極的に行われた。つまりそれは本来の歴史をなぞった形ではないものに変えられることもあり、その上関係者たちは引き続き「城」という名前を使いたがった。現在も豪華な城や質素な城など、その見た目にかなりのばらつきがあっても城と呼ぶのはこのためだ。

ちなみに18世紀以前も、一つの城が建設当時の目的とは異なる形で活用されてきた。例えばあるときは城砦として、あるときは邸宅として、またあるときは要人の監禁場所として機能し、王室所有のものになったときもあれば、維持費がかかり過ぎて売り飛ばされることもあった。その都度必要に応じて改修・拡張工事が行われてきたので、そういったいざこざに巻き込まれた城ほど、複雑な造りや歴史を持っている。

現在のドーヴァー城。城が建設されるはるか昔の130年ごろには城砦が完成していたという現在のドーヴァー城。城が建設されるはるか昔の130年ごろには城砦が完成していたという

英国の城の歴史

今でこそ観光地となっている城だが、かつてはたくさんの血が流れた戦の拠点だった。おびたたしい犠牲の上に現在の平和な歴史が成り立っていることを理解しつつ、現在までの城の歴史を簡単に振り返ってみよう。

スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている(2024年春まで改修工事の予定)スコットランドのアバディーンシャーにあるクレイギーヴァー城(Craigievar Castle)。ピンク色のメルヘンな外壁はディズニーの作品作りにも影響を与えたといわれている(2024年春まで改修工事の予定)

敵に打ち勝つための三つの様式

現在の英国の城の基礎は、1066年にノルマンディー公ギヨーム2世(ウィリアム征服王)がウェセックス朝イングランド王国に対して軍事遠征を行ったノルマン・コンクエストによって、英国にもたらされたものだった。同地に住んでいたアングロサクソン人は、ウィリアム征服王、つまりノルマン人によって征服されたことを屈辱的に思い、たびたび反乱を起こすようになる。そこで、征服した領土の特に攻め入られそうな場所に、①モット&ベイリー様式の城を建設。11〜12世紀にかけて約1200の城が次々と建てられていったが、次第により強固な城にするために材料が木材から石材に変わり、②ストーン・キープ様式の城が登場。この時期に、ウェールズ大公サウェリン・アプ・グリフィズが戦いの末屈服し、同地のほぼ全土を征服したエドワード1世(在位1272~1307年)が、カーナーヴォン城、コンウィ城、ハーレック城などを建設した。

中世後期になると、①、②とは異なる同心円状に城壁が広がる③コンセンリック様式が主流に。この形式は昔から存在はしていたが、12〜13世紀を中心に大きく発展した。一方、スコットランドの多くの城は、1286年にスコットランド王アレグザンダー3世の死後、それまでの巨大なものから5~6階建ての四角いタワー・ハウスと呼ばれる独自の様式に移っていった。

発展と衰退を繰り返す城

14世紀ごろまではより洗練された城の建築が盛んに行われていたものの、15世紀には戦闘・防衛目的で維持された城はほんのわずかとなり、一部の状態の良いものは貴族たちの宮殿として活用されるなど、城を持て余す時代に突入する。

しかし14世紀末から15世紀の百年戦争の時代に火薬で砲弾を飛ばす初期のタイプの大砲が登場。15世紀にその改良版が欧州にも紹介されたため、海岸に造られた城の防御を再び固めたが、これも大して行われないままあっさりと終息。そして数々の内戦や、第一、第二次世界大戦に一部の城が利用されたが、次第に軍事的な目的での利用はほとんどなくっていった。

一方、18世紀ごろからそれらを後世に残そうとする文化的な保護活動が活発に。こうして役目を終えたラッキーな城だけが運よく現代まで残ったのだ。

初期の城の基本スタイル

① モット&ベイリー様式Motte and Bailey Castles

モットと呼ばれる土で盛った3〜30メートルほどの丘の上に、天守閣(Wooden Fort)を持つ形式。モットから見下ろす場所にはベイリー(Bailey)と呼ばれる広い中庭があり、厩舎や兵舎、食堂、作業場、マーケットなどが設けられ、周辺地域に経済的な効果をもたらした。このエリアを囲むように木の柵が、その外側には水路または深い堀が設けられていたため、一つの門(Gateway)からしか攻め入ることはできず、そこには跳ね橋がかけられていたため、必要に応じて上げ下げしていた。数カ月あれば建設できるものの、木材のため火に弱いのが欠点だった。

英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった英北部ヨークにあるクリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)は、1068年に木造の天守閣が造られ、13世紀に現在の石造りのものになった

② ストーン・キープ様式Stone Keep Castles

木材を使用する①の様式を石に変換したもので、長方形または貝殻天守(Shell Keeps)と呼ばれる円状の天守があり、寝室やキッチンなどさまざまな部屋を備えていた。石は耐火性と耐久性に優れた素材であったものの、農民の労働力でできた木造の要塞とは異なり熟練した職人を必要としたため建設には数年がかかり、その建設費用も莫大だった。そのため石造りの城は領主や王にとって権力を誇示できる意味合いもあったという。最大7メートルの分厚い外壁を有する城もあり、大砲などの強力な兵器が発明されるまで、突破することはほぼ不可能だった。

現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった現在のイングランド東部のノリッジ城(Norwich Castle)の天守閣は1094〜1121年に建造。近年の調査で、アングロサクソン人の墓の上にベイリーが造られたことが分かった

③ コンセンリック様式Concentric Castles

要所に塔が付随するカーテン・ウォール(Curtain Wall)と呼ばれる長く分厚い複数の壁に囲まれた城で、①、②よりもはるかに大規模。内側から同心円状に広がるように造られていた。同様式の典型的な城は、天守閣が独立せずに壁の一部に組み込まれ、内側の壁は外側よりも高く造られており、外壁を突破した敵兵を上から撃ち落としたり、その規模から投石器のような大きな兵器を使用したりすることもできた。建設費は②をはるかに凌ぐもので、エドワード1世のような一国の王などごく限られた人物だけが造ることができた鉄壁の城だった。

ウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城されたウェールズのケルフィリー城(Caerphilly Castle)は、エドワード1世ではなく同地一体の領主であったノルマン人のギルバート・ド・クレアによって築城された

イングランドで訪れるべき城

イングランドだけでも4000を超える城が残っており、そのどれもが興味深い歴史を持つが、その中で編集部が独断と偏見で、気になる城を選んでみた。実際に訪れる際は、ぜひ各ウェブサイトで歴史を読んでから行ってみてほしい。

現代でいう最新のデザイナー建築だった
Tattershall Castle タターズホール城

1231年、ロバート・デ・テートシェールによって築かれた石造りの城(マナー・ハウス)を、1419年に相続した第3代ラルフ・デ・クロムウェル卿は、後にその城を拡張した。要塞という城本来の機能を捨て、当時はまだ珍しかった高価な赤レンガを使った美観重視の全面的な改修を行うことを決める。フランダース地方からわざわざ職人を呼び寄せ、煙突はゴシック様式など他に類を見ない瀟洒 (しょうしゃ)な外観となった。加えて新しい溝を掘らせ、既存のものと合わせ二重の堀を整備。これは一応城の防衛の役目も果たしていたものの、美しい城を長い時間をかけて見てほしいと、訪問者を必要以上に歩かせるためだったとか。

Sleaford Road, Tattershall, Lincolnshire LN4 4LR
ロンドンのKings Cross駅からPeterborough駅で乗り換え、Ruskington駅まで約1時間55分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/nottinghamshire-lincolnshire/tattershall-castle

雑すぎ怖すぎ捕まえすぎ
Warwick Castle ウォーリック城

914年にはすでに木造の砦が建設されていたイングランドの中でもかなりの歴史のある城。1068年に現在の基となった城を建てる際、敷地面積を拡大した都合で民家4軒を破壊した。刑務所として使われた時期もあったことから幽霊が出ることでも有名で、建物内を大股で歩く音やうめき声、金属製のドアから外を眺める看守の黄色い目が見えたなど、今も目撃証言が絶えない。また、かつて地下牢には第16代ウォーリック伯のリチャード・ネヴィルによってエドワード4世が捕らえられていたが、後に釈放、ネヴィルは4世が率いる軍に押され、バーネットの戦いで亡くなった。恨みを買いそうなことだらけの同城の現在の所有者は、ろう人形館マダム・タッソーを運営するエンターテインメント会社だというから驚きだ。

Warwick, Warwickshire CV34 6AH
ロンドンのMarylebone駅からWarwick駅まで約1時間30分、同駅から徒歩で約15分。
www.warwick-castle.com

家族のために建てた愛あふれる住まい
Bodiam Castle ボディアム城

エドワード3世に仕えたエドワード・ダリングリッジ卿によって百年戦争の最中の1385年に建てられた。ボディアムの邸宅を所有していた富裕層のワルドゥ家の相続人のエリザベスと結婚し、当初は騎士時代に貯めたお金を使って家族のために邸宅を建てる予定だったが、仏軍の侵攻を危惧し急遽城に変更。イングランドの多くの城が異なる所有者によって数世紀かけて築城されたのに対し、ボディアム城はダリングリッジ卿によって一時に建てられたため、城のデザインは細部まで統一されている。庭園もあり大変心地の良い場所で、水のお堀の中にたたずむ姿は他に例を見ない美しさだ。しかしながら、約30の下水が堀に直接放出され、その匂いは相当なものだったそう。

Bodiam, near Robertsbridge, East Sussex TN32 5UA
ロンドンのCharing Cross駅からBattle駅まで約1時間30分、同駅からタクシーで約20分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/sussex/bodiam-castle

「イングランドへの鍵」と呼ばれた要塞
Dover Castle ドーヴァー城

かつて「イングランドを制するならドーヴァー城を」といわれたほど鉄壁な城で、海から渡ってくる敵をことごとく打ち落とす要塞として第二次世界大戦まで使われた。その礎は鉄器時代(紀元前500~332年)にも遡る。海岸沿いという立地から、群を抜いて歴戦を経験しており、ナポレオン戦争(1803~15年)では駐屯地となり、崖の頂上から約15メートル下に軍隊を収容するためのトンネルが掘られた。このトンネルはその後1世紀以上放置されるが、第二次世界対戦が始まると、防空壕、軍事病院、また極秘司令センターとして再び機能。ダンケルクの戦いで行われたダイナモ作戦もここから発令された。現在公開されているトンネルは「アネックス」と「ケースメイト」の2本だ。

Castle Hill, Dover, Kent CT16 1HU
ロンドンのSt Pancras駅からDover Priory駅まで約1時間10分。駅からバスか、徒歩で25分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/dover-castle

内戦に巻き込まれた悲劇の城
Corfe Castle コーフ城

モットの上にそびえ立ち、眼下に町を見下ろすコーフ城は、ウィリアム征服王によって1066年ごろに建てられ、刑務所として、また王冠を保管する王城として使われていた。栄華を極めた時代もあったもののイングランド内戦(1642〜51年)で議会派の円頂党(Roundheads)によってその大部分が破壊され、現在はひどく荒れている。地盤を爆破され大きくずれ込んだ南西の門楼もそのままだ。そんな歴史はお構いなしに破壊された石を持ち帰って家を建てた村人も多くいた。城にはレイブンの巣があり、鳥が去れば城は崩壊するといわれている。また、同地は青銅器時代の遺体や装飾品が多く埋葬されているため、敷地内での金属探知機の使用を禁止している。

The Square, Corfe Castle, Wareham, Dorset BH20 5EZ
ロンドンのWaterloo駅からWareham駅まで約2時間20分、同駅からバスで約15分。
www.nationaltrust.org.uk/visit/dorset/corfe-castle

数世紀前からとっくに廃墟だった
Restormel Castle レストーメル城

イングランド南西部のコーンウォールにある廃墟で、12世紀ごろに最初の城が建ち、13世紀後半に現在に見られる円形の城が完成した。このデザインはヘンリー3世の甥のエドマンドによる立案とされており、城を「ミニチュアの宮殿」に変えるべく、狩猟施設や庭園、静寂を求める人のための隠れ家を整備。以降、城主が代わるごとにさまざまな修繕が行われたが、いずれも公園の維持費に多くのお金を使い、引き続き狩猟を楽しんでいたようだ。16世紀にはほぼ廃墟となったが、人々はそれを過去の遺産として朽ち果てていく様子を眺め、18世紀には人為的に緑を増やした。1920年代にようやく保護へ動き出し、部分的に復元され、現在のような姿に生まれ変わった。

Off Restormel Road, Lostwithiel, Cornwall PL22 0EE
ロンドンのPaddington駅からPlymouth駅で乗り換え、Lostwithiel駅まで約4時間、同駅から徒歩で約30分。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/restormel-castle

文学オタクが叶えた夢
Tintagel Castle ティンタジェル城

夏になると大変にぎわう、イングランド南西部のコーンウォール北部ティンタジェル半島にある城。初代コーンウォール伯リチャード(1209〜72年)は、所有していた三つの邸宅を同半島を含む小さな土地と交換し、本島側に外郭を、岬側に大広間と部屋のある内郭を造った。リチャードは12世紀に出されたキリスト教聖職者ジェフリー・オブ・モンマスの物語「ブリタニア列王史」(Historiae Regum Britanniae)に出てくるアーサー王の伝説、とりわけ物語の舞台になるティンタジェルに強く心をひかれ、物語の一部を再現してみせたのだ。しかしやはり場所が悪く、建築から数十年と経たないうちに城は荒廃してしまった。

Castle Road, Tintagel PL34 0HE
ロンドンのPaddington駅からBodmin Parkway駅まで約3時間50分、同駅からバスで約1時間30分〜2時間。途中バスを乗り継ぐので、事前に時刻表を確認しよう。
www.english-heritage.org.uk/visit/places/tintagel-castle

匠の意匠で美しく生まれ変わった
Lindisfarne Castle リンディスファーン城

宗教改革によりリンディスファーン修道院が失われたが、現在も巡礼者が絶えないイングランド北部のホーリー島にある城。16世紀に築城、18世紀までは数々の王に管理されてきた。1901年、当時「カントリー・ライフ」誌のオーナーだったエドワード・ハドソンが賃貸物件となっていたこの城を借り、ニューデリーの都市計画を担当した英建築家エドワード・ラッチェンスと、自生植物を生かす女性造園家のガートルード・ジーキルに改修を依頼。内装はアーツ・アンド・クラフト様式に、庭はたくさんの花で埋め尽くされた。

Holy Island, Berwick-upon-Tweed, Northumberland TD15 2SH
ロンドンのKings Cross駅からBerwick-upon-Tweed駅まで約3時間40分、同駅からタクシーかバスで約15分。満潮時にはたどり着けないので、National Trustの開館時間を見つつ、www.tidetimes.org.uk/holy-island-tide-timesを使って潮の満ち引きを確認しよう。
www.nationaltrust.org.uk/visit/north-east/lindisfarne-castle

スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで訪れるべき城

英国全土に点在する城も、地域が異なればまたその特徴も少々異なってくる。こちらも独断と偏見で選んでみた。

スコットランド

おとぎ話の世界観
Dunrobin Castle ダンロビン城

13世紀以来、スコットランド貴族のサザーランド伯爵と氏族の本拠地で、インヴァネスから車で北に約1時間の場所にある。城は長い年月をかけて拡張を繰り返し、現在の建物は1835〜50年に建築家チャールズ・バリー卿によって、中世後期~近世初期のスコットランドの建築様式と装飾を復活させたゴシック・リバイバル建築「スコットランド男爵」(Scottish baronial)様式に改修されたもの。円錐形の屋根や小さな塔を指すトゥーレルなど、まるでおとぎ話の世界のような雰囲気を醸し出している。

Golspie, Sutherland KW10 6SF
www.dunrobincastle.co.uk

パノラマ写真で収めたい
Eilean Donan Castle アイリーン・ドナン城

13世紀に建てられ、大自然の中にたたずむハイランド地方特有の雄大さが感じられる城。1719年のジャコバイト蜂起によって英海軍による徹底的な集中砲火にあい、以後200年余り放置され、荒涼とした廃墟になった。現在見られる城は、英陸軍将校のジョン・マクレー・ギルストラップ中佐が1911年にこの島を購入し、再建したもの。現存していた城の初期の平面図に従って、20年以上の歳月を費やした再建工事が1932年7月に終了した。1999年の映画「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」のロケ地にもなっている。

Dornie by Kyle of Lochalsh IV40 8DX
www.eileandonancastle.com/

ウェールズ

世界遺産に登録された
Caernarfon Castle カーナーヴォン城

1283年にウェールズを征服したエドワード1世によって、ウェールズ一帯に造られた城の一つ。ウェールズ人の統制を目的としたこれらの一連の要塞を「鉄の指輪」と呼ぶが、その中でも最強とうたわれ、莫大な建築費がかかった城だ。カーテン・ウォールに組み込まれた12の八角形の塔のデザインは、コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)を想起させるために選ばれたデザインと考えられている。この城はグウィネズのエドワード1世の城郭と市壁として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

Castle Ditch, Caernarfon LL55 2AY
https://cadw.gov.wales/visit/places-to-visit/caernarfon-castle

柔らかな赤砂岩の流麗な城
Powis Castle and Garden ポウィス城&ガーデン

13世紀にできた城で、当時エドワード1世がウェールズを支配する目的で次々に築城していたのに対し、ポウィス城はウェールズの王子、グリフィズ・アプ・グウェンウィンによって王朝の本拠地として建てられた。有名なのは庭園で、1680年代に初代ポウィス侯爵ウィリアム・ハーバートが一連のテラスと芝生の斜面を造らせた。以降イタリア、オランダの水庭、自然主義的な様式など、そのときどきの流行によって庭園を変え、現在はバロック様式で落ち着いている。

Powis Castle and Garden, Welshpool SY21 8RF
www.nationaltrust.org.uk/visit/wales/powis-castle-and-garden

北アイルランド

中世にできた石畳を歩こう
Dunluce Castle ダンルース城

玄武岩でできた崖の上にあり、急峻な道に囲まれた城で、1500年ごろにマクキラン家によってアントリム北部の崖に建てられた。その後マクドネル一族によって占有されたが、17世紀にはアントリム伯爵家の本拠地になり、1608年には近隣に町が形成された。近年では、ファンタジー・ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」に、グレイジョイ家の本拠地パイクとして描かれたことで話題に。城の近くにはマグヘラクロス展望台(Magheracross Viewing Point)があり、車移動では見られない海岸線を望むことができる。

87 Dunluce Road, Bushmills, Antrim BT57 8UY
https://discovernorthernireland.com/things-to-do/dunluce-castle-p675011

同じ名前なのに違う立地!?
Belfast Castle ベルファスト城

現在のヴィクトリアン様式の城は1867〜70年にかけて造られたが、ここに建てられる前にも同じ名前の城が存在していた。一つ目は12世紀後半に、二つ目は1611年にベルファスト男爵アーサー・チチェスター卿によって石と木材で一つ目と同じ場所に築城された。約100年後、火事によって二つ目の城は焼失。三つ目に当たる現在の城は、市内北部の丘(Cavehill Country Park)の斜面にある。以前と全く違う場所なのに同じベルファスト城として、現在はカフェやイベント会場がある複合施設として開放している。

Antrim Road, Belfast BT15 5GR
www.belfastcastle.co.uk

英国の城に関する豆知識

古城ホテルに泊まろう

かつての城をB&Bやホテルとして改修し、宿泊施設として開放している城もたくさんある。贅沢なステイを楽しみたい人へ向けた人気の物件となっており、なかには11世紀に建てられた城もある。もちろん水回りや部屋はきちんと整備されているのでご安心を。13世紀に建築され、エリザベス1世の母、アン・ブーリンが幼少期を過ごした「ヒーバー・キャッスル・ラグジュアリー・ベッド・アンド・ブレックファスト」なら安い時期は豪華な朝食付きで1泊200ポンド(約3万4700円)もかからず、美しい庭園も散策できる優雅な1日が約束される。日常の喧騒から離れたい人にぜひお勧めだ。

Hever Castle Luxury Bed and Breakfast
www.hevercastle.co.uk

城が売り出される英国の不動産

タブロイド紙では、しばしば「この城が〇〇ポンドで売り出し」といった見出しのニュースを見掛けることが多い。英国では城が不動産市場に出ることは珍しいことではなく、むしろ「カントリー・ハウス部門」を設けている不動産会社まであるほどだ。売り出し価格はさておき、サイトを覗けばかなりの確率で城の売り出し広告を見ることができる。売買される城の多くは、たいてい特定の家族の邸宅として建てられているため、城に関する良好な記録が比較的残っており、それを通じて買い手もその城の歴史や価値を知ることができる。維持費が大変なのは確実だが、いわゆる「欧州らしい」城を求めて、国際市場を中心に人気があるようだ。

11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約5億2200万円)で売られている城の広告11ベッドルーム、12バスルームで300万ポンド(約5億2200万円)で売られている城の広告

 

TROOPING THE COLOURの基礎知識

TROOPING THE COLOURの基礎知識

5月にチャールズ国王の戴冠式が終わったばかりの英国。次の王室関連の大きなイベントは、Trooping the Colour(トゥルーピング・ザ・カラー)だ。在英の人にとってはすっかりおなじみのイベントかもしれないが、今回は君主が変わって初めてのトゥルーピング・ザ・カラーとなる。改めてその歴史や楽しみ方のポイントなど、基本的な情報をおさらいしよう。

Trooping the Colour

2025年6月14日(土)
バッキンガム宮殿周辺
https://kbp.army.mod.uk/

トゥルーピング・ザ・カラーの起源

トゥルーピング・ザ・カラーは、260年以上にわたって行われてきた英国の君主の公式誕生日を祝う軍事的なパレードだ。毎年6月には、1350人以上の兵士、200頭の馬、300人以上で構成される音楽隊などが、軍隊の規則だった正確な動きや馬術、華やかな合奏を披露する。このパレードは、チャールズ2世の治世(1660~85年)に初めて行われたと考えられている。1748年に、同パレードがジョージ2世の公式誕生日の祝賀行事として決定され、1760年にジョージ3世の即位以降、毎年恒例のイベントとなった。また、参加部隊の近衛歩兵隊は、英陸軍で最も古い連隊の一つだ。イングランドでチャールズ2世が復位し、それまでの共和制から王政に戻った1660年以来、君主の個人的なボディーガードとして任務を果たしている。

「カラー」の意味

「カラー」(Colour)は英陸軍を構成するさまざまな連隊が持つ旗を指す。カラーには各部隊の記章や、その部隊が戦い、健闘した歴史的な場所を記した名誉勲章(Battle Honours)がデザインされており、隊よって色やデザインが大きく異なる。今のように無線通信がない時代、兵士たちは戦場で必死に戦ううちに、方向感覚を失いとんでもないところに行ってしまうことはよくあることだった。カラーは、兵士が遠くから所属部隊を簡単に見つけられるようにするため、また所属兵士を一致団結させるために重要なもので、戦闘前に若い将校が部隊の前をカラーを目立つように動かしながら歩き、兵士たちは自分のカラーがどれかを確認できるようにした。この一連の動きが、今日までトゥルーピング・ザ・カラーとして残っている。

「公式誕生日」とは?

現在の国王チャールズ3世の本当の誕生日は1948年11月14日。しかし、今回の祝賀行事のように6月にもKing's Birthday、Sovereign's Birthdayと呼ばれる「公式誕生日」がある。君主が二つの誕生日をもつ習慣は、ジョージ2世統治下の1748年に始まる。ジョージ2世の誕生日はチャールズ国王と同じ11月だったが、ただでさえ雨が降りやすい英国の気候のなかでも天候が一層悪い秋。最悪のコンディションが危惧され、夏に行われるトゥルーピング・ザ・カラーと祝賀イベントを組み合わせることになった。以降この伝統は今日まで受け継がれており、故エリザベス女王のときは6月の第2木曜日を公式誕生日としていた。チャールズ国王の今年の公式誕生日は6月17日だが、来年はまた少し日付がずれると予想されている。

当日の流れと楽しみ方

一連のパレードは9時ごろから馬車に乗った王室メンバーとともにバッキンガム宮殿を出発し、ザ・マルを通って、セント・ジェームズ・パーク前のホース・ガーズ・パレード(Horse Guards Parade)まで移動。10時からトゥルーピング・ザ・カラーが始まり、12時25分までに終了。その後、チャールズ国王たちはホワイト・ホールを経てバッキンガム宮殿へ戻る。チャールズ国王は軍隊に向かって敬礼し、その後バルコニーに王室メンバーと共に現れ、13時の英空軍のフライパスで終わる。ホース・ガーズ・パレードのスタンド席のチケットは完売してしまったので、パレードのルート沿いに早めに行くか、自宅でBBCの生中継を楽しむのが良い。

 
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