ウィリアム・モリスの見た夢
デザイナーで社会主義者のウィリアム・モリスは、エドワード・バーン ジョーンズをはじめとしたラファエル前派の友人たちと共に、1861年にモリス商会(Morris, Marshall, Faulkner and Co. 本文ではモリス商会で統一)を立ち上げた。産業革命によって大量生産の粗悪な商品が氾濫していた19世紀後半の英国で、昔ながらの美しい手工芸品を暮らしに取り戻そうと、モリスらはこの商会で自分たちのデザインした家具や装飾美術品を製造販売した。そんなモリス商会は2021年で創立160周年を迎えた。かつてモリスが描いた夢は形を変えながらも、モリスの死や二つの世界大戦を乗り越え、しっかりと後の世代に引き継がれていると言ってよいだろう。この特集では、紆余曲折のあったモリス商会の軌跡を追う。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: ナショナル・トラスト、ウィリアム・モリス・ギャラリー、Morris&Co. by David Cody、News from Nowhere and Other Writing by William Morris、Morris&Co.ほか
モリスの最も初期の壁紙デザイン「トレリス」1862年
ウィリアム・モリス William Morris
1834年3月24日~1896年10月3日
シティの証券仲買人の子としてロンドン郊外の裕福な家庭に生まれた、19世紀英国のデザイナー、詩人、社会主義者。多方面で活動し各分野で大きな業績を挙げたが、特にテキスタイルや壁紙のデザインで知られる。モリス商会を設立し、「モダン・デザインの父」と呼ばれる。
アーツ・アンド・クラフツ運動 Arts and Crafts Movement
ウィリアム・モリスに提唱された美術工芸運動。産業革命の起きたヴィクトリア時代の英国は、大量生産による安価で粗悪な商品があふれていた。アーツ・アンド・クラフツ運動はこうした状況を是正し、中世の手仕事を復活させ、生活と芸術を統一させることを目指した。世界各国の芸術家や工芸家たちにも大きな影響を与えてきた。ちなみに、アーツ・アンド・クラフト運動という言葉は、1887年に製本デザイナーのT・J・コブデン=サンダーソン(T. J. Cobden-Sanderson)が初めて用いた。
モリスは何を目指したか
オックスフォード大学で学んでいたときに、「生まれる時代を間違えた」と言ったほど中世の芸術を愛したウィリアム・モリス。ただ当時、そんな中世の礼賛者はモリスだけではなかった。同時代の美術評論家で社会思想家でもあるジョン・ラスキンの思想が広まり、ラスキンの著「ヴェネチアの石」を読んで、12~15世紀にかけて欧州に広まったゴシック建築に傾倒する者が増加。ヴィクトリア時代の英国において、「反近代」としての中世は人々の憧憬をかき立て、静かな流行を見せていた。ラスキンは、ヴィクトリア時代の労働者たちが工場で細分化された作業をしているため、全ての作業を通して自分の手で製品を作り出す中世の手工業者のような喜びがないと、産業革命で急速に発展する英国のありようを非難した。
モリスもまた、熟練の技や手仕事の美しさが失われていくだけではなく、大量生産された商品を使う市民の毎日が無味乾燥なものになることを恐れた。また一方で、当時の上流階級の華美で過剰な装飾も嫌い、「役に立たないものや、美しいとは思わないものを家に置いてはならない」と述べている。こうした自身の哲学から、モリスは英南部ケントに「レッド・ハウス」と呼ばれる邸宅を建設する。当時モリスは妻を迎えたばかりで、理想の新居造りに腕を振るった。原型となるアイデアはモリス自身が起こし、実際の設計は友人の建築家フィリップ・ウェッブが担当。建物に合わせた家具や内装は、やはり友人であるラファエル前派の画家たちがデザインした。伝統的なヴィクトリア朝の住宅に比べると家の中はいたってシンプルで素朴。ただし、内装、家具はもちろん、窓などの建具までがオリジナル・デザインで、隅々にまで神経のいき届いた凝った造りだった。自分が建築家としても画家としても大成できないことを実感したモリスは、レッド・ハウスを完成させた時点で、会社を作り美の総合プロデューサーとして社会に貢献できることに気が付いた。
モリスの邸宅レッド・ハウス内部
1874年のモリス(写真右)とバーン=ジョーンズ(同左)
友人を巻き込んで会社を設立
モリスは、作り手がデザインから製品作りまでを一貫して行うことによって、より良い製品を購入者に提供できるとし、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会を設立した。事業所は、モリスがバーン=ジョーンズと共有していたスタジオにも近い、ロンドンのブルームズベリー地区、レッド・ライオン・スクエア8番地に開設。メンバーは、モリスのほかに、フォード・マドックス・ブラウン、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン ジョーンズという3人の画家、建築家のフィリップ・ウェッブ、測量技師のピーター・ポール・マーシャル、そして経理のチャールズ・フォークナー。多くが同年代の仲間で、フォークナーを除いて、全員が製品のデザインを提供した。初期の主な事業は、教会のステンドグラスを作ることだった。19世紀半ばには教会の儀式を重要視する風潮が復活し、教会建築の見直しが流行していた結果として、これはかなりの需要があったらしい。
モリスとバーン=ジョーンズによるアーサー王とランスロットのステンドグラス
また、1862年に王立美術製造商業協会の主催でロンドン万国博覧会(International Exhibition)が行われ、幕末の日本を含む世界36カ国から2万8000人以上の出展者が参加した。このときモリス商会もサンプル商品を展示。一定の成果を上げることに成功した。家具のほかにも、ろうそく立て、絵画、彫刻、宝石、壁紙、ランプ、タペストリーなどさまざまな製品を手掛け、モリス商会の名は次第に国内外へと広まっていった。
モリスがデザインしたテキスタイル「コンプトン」シリーズ
ロセッティがモリス商会のためにデザインした椅子
大人の事情と再出発
やがてモリス商会はあるジレンマに陥る。良い材料を使い時間をかけて丁寧に作られた製品は、それが家具であれタペストリーであれ、販売価格が非常に高くなってしまうということだった。いかにモリスが庶民の暮らしに本物の美を、と考えたところで、一般の人々にモリス商会の製品は手が届かない。顧客はモリスがあんなに嫌った、労働者を機械の部品のように扱う企業家たちである。それまでは貴族の真似をすることで富を誇示していた企業家たちが、独自の好みを発掘していた時期でもあり、モリス商会の製品は資産を持つ人々に愛されることになったのだ。自宅の改装を依頼する資産家が増え、モリス商会の活動は製品の販売だけではなくインテリア・デコレーション全般となった。セント・ジェームズ宮殿とヴィクトリア&アルバート・ミュージアムの一室を装飾するコミッションなどがその例で、タイタニック号の客室を手掛けたこともあったという。社会主義者のモリスにとって、これは解決することのできない悩みとして残った。
また一方で、モリスが当初から父の遺産を持ち出す形で行っていたモリス商会の経営状態は、なかなか改善することはなかった。1875年までには主要メンバーの脱退や引退が相次ぎ、ロセッティとは退職金をめぐり激しい口論となるなど、モリスにとって苦い経験が続いた。同年、モリス・マーシャル・フォークナー商会を全て買い取る形で、モリス商会(Morris&Co.)と改め企業の立て直しを図る。製品は手ごろな壁紙などへと変化させ、ロンドン中心部に店を出すなど、消費者にとってより身近な存在になることを心掛けた。やがて、子どものころに触れた自然をもとにモリスが生み出した植物や鳥などをあしらったテキスタイル・デザインは、モリス商会の顔となる。自分は画家にも建築家にもなれないと考えていたモリスは、いつのまにか後世にも名を遺すデザイナーに転じていた。1880年代になるとモリス商会のような工房が各地に設立され、それは「アーツ・アンド・クラフツ運動」へと発展していく。
1879年に撮影されたロンドン中心 オックスフォード・ストリートの店
守られていくモリスのレガシー
ウィリアム・モリスはテキスタイル・染色・製本のデザイナー、詩人、作家、社会主義運動家、会社経営者、環境保護運動家など多くの顔を持っていた。アーツ・アンド・クラフツ運動が世界へも広がりはじめていた1896年に62歳で死去するが、その際、医師は「死因はウィリアム・モリスだ」と言ったとされている。「普通の人なら一生かかってもできない重要な仕事を10人分こなし、そのために亡くなった」のだと。
モリス商会はモリスの死後、忠実なアシスタントであったジョン・ヘンリー・ダリルが後を継いだ。1917年にはロンドンの高級ショッピング街ハノーヴァー・スクエアにショールームを設立。その後もモリスとバーン=ジョーンズのデザインはその時々の嗜好に合わせて繰り返し使われたが、アート・ダイレクションをしていたダリルが32年に死去し、第二次世界大戦に突入した40年に会社は閉鎖される。しかし、モリス商会のデザインはすぐにテキスタイル会社のサンダーソン&サンズ社とリヴァティー・ロンドン社が版権を買い取り、以来「モリス商会」(Morris&Co.)というブランド名で現在も引き続き販売されている。現在私たちは昔よりも気軽にウィリアム・モリスのデザイン製品に接することができるようになった。「生活に芸術を」と唱えたウィリアム・モリスのこだわりやレガシーは消えることなく、160年後の今もそのまま引き継がれている。
モリス商会のデザインに出会える場所
英国にはウィリアム・モリスやモリス商会のデザインに出会える場所が各地にある。オンラインによる事前の予約が必要になるものの、ロックダウンの規制緩和で各施設が再オープンし、 モリスの生み出した美に気軽に触れることができるようになった。
Red House

ウィリアム・モリスが自分と妻のためにフィリップ・ウェッブと設計した邸宅。ネオ・ゴシック様式の建築で、内部はロセッティやバーン=ジョーンズが装飾を担当した。現在はナショナル・トラストが管理し、一般公開している。
Red House Lane, Bexleyheath, London DA6 8JF
最寄り駅: Bexleyheath駅
Tel: 020 8303 6359
木~日 11:00-15:00
£10
www.nationaltrust.org.uk/red-house
Standen House and Gardens

19世紀の弁護士ジェームズ・ビールの別宅として、美しい田園を見渡す丘の上に建てられた。設計はフィリップ・ウェッブ、内装はモリス商会が担当。美しい家具やテキスタイルで整えられた内部と庭園とのバランスが美しい。
West Hoathly Road, East Grinstead, West Sussex RH19 4NE
最寄り駅: East Grinstead駅
Tel: 0134 232 3029
11:00-16:30
£10
www.nationaltrust.org.uk/standen-house-and-garden
Wightwick Manor and Gardens

ロセッティ、バーン=ジョーンズ、イーヴリン・ド・モーガンなどラファエル前派の絵画コレクションが勢ぞろいする、チューダー式の大邸宅。広大な全室がモリス商会のテキスタイル、タペストリー、ステンドグラスなどで彩られている。
Wightwick Bank, Wolverhampton WV6 8EE
最寄り駅: Wolverhampton駅
Tel: 0190 276 1400
11:00-17:00
£10
www.nationaltrust.org.uk/wightwick-manor-and-gardens
William Morris Gallery

モリスが1848年から56年までの8年間を過ごした家をそのままギャラリーにし、その生涯と業績を称えた博物館。インテリア・デザインだけではなく、社会主義的思想を追求したモリスの哲学についても触れている。
Lloyd Park, Forest Road, London E17 4PP
最寄り駅: Walthamstow Central駅
Tel: 020 8496 4390
火~日 10:00-17:00
入場無料
www.wmgallery.org.uk
Victoria and Albert Museum

各国の古美術、工芸、デザインなど多岐にわたる400万点の膨大なコレクションを持つ装飾博物館。モリス商会がデザインを担当した「グリーン・ダイニング・ルーム」は、現在も同館のカフェとして一般客に利用されている。
Cromwell Road, London SW7 2RL
最寄り駅: South Kensington駅
Tel: 020 7942 2000
水~日 10:00-17:45
入場無料 特別展は有料
www.vam.ac.uk
William Morris Society & Museum

ウィリアム・モリスが1876年から死ぬまで暮らしたロンドンの邸宅の一部を利用した、ウィリアム・モリス協会によるミュージアム。モリスがケルムスコット・プレスに使用した印刷機をはじめとしたさまざまなコレクション、関連ライブラリーや展示スペースもある。
Kelmscott House(地下と離れのみ)26 Upper Mall, London W6 9TA
最寄り駅: Ravenscourt Park/Hammersmith駅
Tel: 020 8741 3735
土 12:00-17:00
入場無料
https://williammorrissociety.org
Kelmscott Manor
ケルムスコット・マナーは、オックスフォード近郊コッツウォルズの村にある16世紀末~17世紀初頭に建てられたマナー・ハウスで、モリスが「地球上の天国」と呼び、1871年から別荘として使用した。ロセッティが選んだ装飾品やモリスがロンドンの自宅のためにデザインした物などが展示されている。
Kelmscott, Lechlade GL7 3HJ
Tel: 01367 252486
木~土 11:00-17:00
£12.50
www.sal.org.uk/kelmscott-manor



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街の至るところに出された女王逝去のサイネージ
ピカデリーの書店ハッチャーズに置かれた女王への追悼の言葉
ピカデリー・サーカス駅前の電子広告に映し出された女王の姿
いつも華やかなディスプレイのフォートナム&メイソンが、女王の写真を使いシンプルで黒いディスプレイに変わった
バッキンガム宮殿の外に手向けられた市民からの花束

かつてベケットの遺骨や血に染まった衣服が入っていたエナメル製の聖骨箱
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晩年のイングラム氏(イングラム家提供)

阿部菜穂子氏 略歴 ジャーナリスト、ノンフィクション作家。毎日新聞記者を経て、2001年から英国在住。「チェリー・イングラム日本の桜を救ったイギリス人」(2016年、岩波書店)で第64回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同書は著者が全面的に英語で書き直し「‘Cherry’ Ingram The Englishman Who Saved Japanʼs Blossoms」として2019年にペンギン社から出版。英語版はBBC Radio 4 のBook of the Week として朗読されたほか、英米の主要各紙誌で高い評価を得、複数のメディアで最優秀書籍に選ばれた。その後ドイツ語、イタリア語、オランダ語、中国語など8カ国語に翻訳・出版された。
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「グラス・マイクロバイオロジー」の一環で、パンデミックと戦う科学的、医学的な努力に敬意を示し、制作されたガラス彫刻作品「COVID-19」
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地震発生時刻に大川小学校の前で黙とうする人たち=2020年3月11日、宮城県石巻市「時事(JIJI)」






