第7回 ロンドン橋はいつ、落ちた
子供のころによく歌った「ロンドン橋、落ちた、落ちた(London Bridge is falling down..)」という童謡は世界的に有名ですが、それでは一体、いつ、ロンドン橋は落ちたのでしょうか。記録を見る限り、1209年に石橋になって以来、ロンドン橋は一度も落ちていませんから、橋が落ちたのは、まだ木の橋だったころと考えられます。ローマ人がロンドン橋を架けたのが西暦52年ごろ(推定)ですが、彼らが5世紀初めに本土に帰ると、当地は様々な民族が争う戦場となりました。9世紀半ばからサクソン人の支配下になった後も、ヴァイキング来襲や大嵐、火事など様々な災害に見舞われたこの橋が、何度も何度も落ちたことは容易に想像がつきます。
1830年ごろの旧ロンドン橋(左)と
建設中の現ロンドン橋(右)が描かれたスケッチ
それでも、この童謡は橋が落ちたのではなく、人柱か、通行人が落ちたことを指している、という説もあります。中世の旧ロンドン橋には、住居や店舗、礼拝所が設けられ、決闘する広場までありました。シティ周辺では1750年にウェストミンスター橋が開通するまで、この橋がテムズを渡る唯一のもので、しかも通行料を徴収していましたから、交通渋滞がとてもひどかったようです。もっと効率良く料金を徴収しなければ、と痺れを切らしたシティ市長が、1722年、橋の上の左側通行と停車禁止を発令しました。これが英国初(あるいは世界初になるのでしょうか?)の交通規則といわれています。
この橋の通行料徴収制度、1782年に廃止されるまで(記録では979年には徴収されていたそうです)、莫大な財産をシティにもたらしました。現在、その資産は、世界で屈指の信託法をもつここ英国で、ブリッジ・ハウス・エステイツという公益信託によりしっかり運用されています。この資産でシティが保有する5つの橋の修繕費が賄われるだけでなく、グレーター・ロンドン(大ロンドン)地域の慈善活動にも活用されているというからさすがです(ちなみに、現在のロンドン橋の歩道には、凍結防止用の床暖房装置が備えてあります。はっきりいって寅七の住むフラットより豪華です)。
現在のロンドン橋。跳ね橋の
タワー・ブリッジと混同されることが多い
そうそう、旧ロンドン橋の南側の入場門には晒し首が並べられていました。これからシティに入るのはいいが、悪いことしたら、分かってるな、こうなるぞ、という脅しです。16世紀には30以上の晒し首が展示されていたそうですが、この種の展示会、1678年まで続いたそうです。考えてみれば、お江戸日本橋にも晒し場がありましたよね。どこの国でも為政者の考えは似ているようです。
旧ロンドン橋に掲げられていた晒し首