第110回 美しきものは永遠の喜びなり
急な冷え込みで朝霧濃く、窓越しのシティの街並みはミルク色に霞んでいます。部屋で流しっ放しのクラシックFMの天気予報から、この時期にお決まりの季節の表現「Season of mists and mellow fruitfulness(霧が漂う豊かな実りの季節) 」が聞こえてきました。これは詩人キーツのフレーズ。昨晩、勤め先近くのパブで同僚と飲みながら、ここは「スワン&フープ」という宿屋でキーツの生誕地なんです、と話し込んでいたところでした。
キーツの生誕地は現在、パブになっている
英国を代表するロマン派詩人ジョン・キーツは1795年、シティの宿屋と貸馬の商売を営む家に生まれます。ところが父親はキーツが8歳のときに落馬して死亡。母親は再婚、離婚の末、彼が14歳のときに病死してしまいました。母に寄り添っての看病が実らず孤児となったキーツは、医者になろうとシティ近くのガイ病院に奉公します。この貧者救済の病院は患者の列が後を絶たず、毎日が多忙。そんな彼の心を癒したのは古典の詩でした。
キーツが病院に奉公していたころの住居
やがてキーツは詩を書き始めますが、その作品の多くにギリシャ神アポローンが登場します。医術と芸術の神アポローンの像は治療の神として病院によく飾られていますが、医学では癒しきれない魂の鎮痛剤、心の安らぎを求めたのでしょう。キーツはやがて詩人の道を選んでロンドン北部ハムステッドの友人宅で詩作に励みます。ハムステッドの丘から眺める雄大な自然、麗しき楽園から多くのインスピレーションを受けたに違いありません。
ガイ病院にあるキーツの像
急に進んだ工業化は人々の心を歪めました。その痛みを和らげるために自然と美への回帰を説くキーツの詩は、現在の私たちをも魅了します。「エンディミオン」の一節「美しきものは永遠の喜び、それは絶ゆることなく増しゆき、我らが木陰を静寂に……」が寅七のお気に入り。美の体験の喜びが、何度も繰り返されてより美しい色合いとなって人生に調和してゆきます。でも、彼は結核の病に倒れ、25歳で病死。余りに短過ぎる人生でした。
ハムステッドの旧宅はキーツ博物館に
キーツが詩的感興を受けたとされる重要な彫刻がありました。それは1817年に公開された大英博物館のエルギン・マーブル。彼はギリシャのパルテノン神殿から取られた彫刻群の力強い存在感とその儚さに多くの感銘を受け、2つのソネットを書き残しています。そうそう、この彫刻群をギリシャから持ち帰った第7代エルギン伯の息子が日英修好通商条約を協約した際、東京の品川区にある西應寺で日本に初めて乾杯の儀を伝えたと言われます。こちらも「永遠の喜び」でしょうかね(失礼)。
大英博物館のエルギン・マーブル