2010年は、バンクーバー冬季五輪の開催年。今から約1カ月後の2月12日から、ウインター・スポーツの祭典が開かれることになる。そこで新年号では、活躍が期待される欧州各国の代表選手に、今大会への意気込みなどについてインタビューを実施。英国からは、スケルトンの代表選手に話を聞いた。
Picture by: Eckehard Schulz /AP/Press Association Images |
Kristan Bromley 1972年3月7日生まれ、イングランド北部ランカシャー出身。ノッティンガム大学にて博士号を取得後、英国の航空宇宙産業BAEシステムズの前身ブリティッシュ・エアロスペースに就職。技術者からプロの競技選手へと転身し、「ドクター・アイス」の異名で呼ばれる。期待されたトリノ(イタリア)冬季五輪では5位に終わるも、W杯では過去2度にわたり金メダル。選手として競技生活を送りながら、兄弟のリチャード・ブロムリー氏と共に、競技用ソリの開発を行う会社Bromley Technologies Ltdを経営している。トリノ五輪の女子スケルトンで銀メダルを獲得したシェリー・ルッドマン選手は婚約者。2007年に第一子をもうけた。 |
スケルトンという競技の魅力を十分に知らない人も多いかと思います。そんな人たちのために、選手がレース中にどんな体験をするかについて、教えていただけますか。
レースに臨むときは、いつだって恐怖を覚えます。自分の心臓が高鳴る音が聞こえるほど、怖いと感じる。その恐怖の中で、ある意味、奇妙な経験をします。ソリは速いときで時速99マイル(時速約160キロ)程のスピードを出すのですが、その間にコースの脇にいる知り合いが視界に入ってきたりすると、不思議なことに、レース後もその人の服のデザインや色などをはっきりと覚えていたりするのです。
きっと、それだけ全神経を集中させているということなのでしょう。実際、レース中には、驚異的な集中力を発揮しています。多くの人が、スケルトンと聞くと、大の大人がのんびりとごろ寝しているだけのスポーツ、といったような印象を抱いているようですが、それは違う。非常に戦闘的なスポーツで、体力を激しく消耗します。正味1分程のレースを2回行っただけで、体はぐったりと疲れてしまい、レースが終わると、12時間ぐらい平気で眠ってしまいます。
現在、どのような練習を行っていますか。
英国には競技用トラックがないので、本格的なトレーニングを積むためには、遠征に出掛けなければなりません。毎年、10月頃から2月ぐらいまで世界各地へと転戦します。ノルウェー、ドイツ、オーストリア、イタリア、ラトビア、ロシア、北米といった各地を、ほぼ週単位で転戦している感じです。ただオリンピックが近付き、他国からマークされ始めて、こうした練習施設へのアクセスを制限されるようになってしまったので、少し困っています。
最初に「ボブ・スケルトン」って単語を
聞いたときは、人の名前だと思った。
バンクーバー冬季五輪で、金メダルを獲得する自信はありますか。また金メダルを争う上で、最大のライバルはどの選手になると思いますか。
「絶対に金メダルを取れる」といった確信を持っている選手なんて、1人もいないと思いますよ。でも少なくとも、自分がメダル候補者の1人であるとは認識しています。
また私は、特に他選手の存在を脅威と感じることはありません。他選手の成績は、私にはコントロール不可能なものだから。ただ自分の技術を向上させる手段という意味で、他選手と自分との違いは一体何だろうと考えることはよくあります。とりわけ、競技レベルの高い米国やカナダの有力選手がどのような戦略を使っているか、参考にすることはありますね。
日本人選手との交流はありますか。
越和宏(こしかずひろ)選手とはお付き合いがあります。私が日本に遠征に行くときは、宿泊地の手配から何からとにかく色んな世話を焼いてくれるので、感謝しています。また大会開催中でも、空いた時間を使って、車を出して観光に連れていってくれたこともあります。
2006年のトリノ冬季五輪では、5位に終わりました。
私の競技生活の中で、恐らく最も落ち込んだ瞬間でした。その後、あのレースのどこが悪かったか、何度も振り返りましたが、今思うと、コース表面の荒れにぶつかったという、自分ではコントロール不可能な要素に随分と左右されてしまったのだと思います。
またもう一度、同じ状況のコースを走ることになったとしても、私は自分がコントロール可能なことのみに集中しようとするでしょう。天気やコースの状態といった、自分の努力によって変えられない要素には、できるだけ気を払わないように努めると思います。
前回のトリノ五輪を終えて、お子さんが生まれましたね。
私生活が充実しただけではなく、私の競技生活にも大きな意味を持った出来事でした。多くの選手は、本当に丸一日、競技のことだけを考えています。確かに、上達するためには、突き詰めて考えたり、激しいトレーニングを積んだりしなければならない。でもそれだけでは駄目で、人生のバランスを取ることも重要です。充実した日々を過ごしているときこそ、最大の力を発揮できるからです。
私の場合、家庭を持ったことで、家に帰ったら、ほぼ強制的に気持ちを切り替えなければならない環境ができた。それは私にとって、大きな変化でした。
ブロムリー選手は、選手であると同時に、技術者としての顔も持っていますよね。
私が兄弟と共に経営している会社が作るソリは、世界一だと思っています。ただ残念なことに、英国にはスケルトンの本格的なレース施設がありません。だから、勝つ可能性を少しでも高めるために私たちができることとして、ソリ作りには一層の力を入れています。
スケルトン選手になる前は、どんなことをしていたのですか。
10年間程モータークロスに夢中になっていた時期があり、学生時代には、ほぼ毎週末、レースに参加していました。今思うと、その当時に体得したカーブでの体重移動の技術などが、スケルトン選手として役立っているのかも知れません。
ただ、モータークロスで食べていくほどの才能はありませんでした。またモーター・スポーツを続けるためには、相当の資金が必要になります。だから、プロのスポーツ選手にはならず、英国の航空宇宙産業BAEシステムズの前身ブリティッシュ・エアロスペースに就職しました。
どのようなきっかけで、スケルトン選手に転身したのですか。
そもそも、最初はスケルトンという競技の存在さえ知らなかったんですよ。英国ではそんなに人気のあるスポーツではないですからね。最初に「ボブ・スケルトン(スケルトンの正式名称)」って単語を聞いたときは、姓が「スケルトン」で名が「ボブ」という人のことを話している、と思ったぐらいですから。
それがブリティッシュ・エアロスペースに就職したことで、スケルトンのレースで使用する競技ソリの開発を行う技術者として働くことになったわけです。ただその段階では、あくまで技術者であって、選手ではありません。英国人選手たちに安全性を証明するためのパフォーマンスとして乗ったのが、初体験となりました。
エクストリーム・スポーツの刺激と、最先端の科学技術の開発の両方を同時に体験できる。
実際に選手になってみて、ソリ作りに対する考え方は変わりましたか。
基本的な方針は特に変わっていません。ただ、ソリだけではなく、ソリと人間との関係により多くの気を配るようにはなりました。
つまり、ソリの良し悪し以外にも、レースの結果を左右する要素はたくさんあることに気付いたということです。とりわけ選手にとっては、自信の有無、怪我への不安、大型スポンサーを得たことによる重圧といった精神的要素による影響が大きい。だからソリを開発する上では、機能の向上だけではなく、選手にどうやったら気持ち良くソリに乗ってもらうことができるか、ということを考慮するようになりました。
具体的には、まず技術者がソリ作りに真剣に取り組む姿勢を見せることが大切です。それだけで、選手は随分と安心します。あとは新しいソリを試すタイミングというのが非常に大事です。新しいソリを試そうとすると、単に慣れていないという理由から、選手が操縦するコツをつかむまでは、一度は記録が落ちてしまうということが往々にしてあります。もし、大きな大会の直前に記録が下がってしまったら、選手はそれまでの厳しいトレーニングを通じて築いた自信を失ってしまうかもしれない。そうした事態まで想定した上での取り組みが重要になります。
もし競技選手と技術者のどちらかの道を今すぐ選ばなければいけないとしたら、どちらを選びますか。
非常に難しい質問ですね。私は幼い頃から、父の仕事場で色んな遊び道具を作っていました。例えば自分で作ったゴーカートやスキーを使って遊ぶ、という経験をずっとしてきたわけです。だから「作る」と「使う」という行為は、そう簡単に切り離せるものではないのです。
また、スピード、アクション、クラッシュといったいわゆるエクストリーム・スポーツの刺激と、最先端の科学技術を開発するという体験を同時に味わえることにこそ、スケルトン競技の魅力があるとも思います。今の私には、どちらのキャリアも手放すことはできません。