第24回 あの日の家族げんか
26 April 2012 vol.1349
今年2月にスイスで開かれたローザンヌ国際バレエ・コンクールで17歳の菅井円加さんが金賞を受賞し話題になったのは、まだ記憶に新しい。実は自分もこのコンクールの受賞者の一人。17年前の同大会でローザンヌ賞とスカラーシップ賞を頂きロイヤル・バレエ・スクールに入学、その2年後にロイヤル・バレエ団に入団することができた。
バレエを始めたのは8歳のときだ。
小学2年生のある日の夕方、家に帰るとリビングで2歳上の兄が父親と怒鳴り合っている。悪ガキだった兄がまた何か悪さをして下手な言い訳をしているのだろうとこっそり聞いていると、「俺はこんなもの絶対やりたくない!」「いいや、お前は来週これをやりに行くんだ!!」とテレビの前で押し問答を繰り広げている。「お前は運動神経が良いから先生に気に入られる!」と豪語する父に対し、「俺は白タイツを履くのは絶対嫌だ!」と兄。「だまされたと思って1回くらいやってみろ!」と父が言えば、「絶対タイツは履かない!!」と兄は半分泣きそうな顔で訴えている。そんな2人を横目に2階の兄弟部屋にこっそり行こうとしたのだが、2人に見つかってしまった。
「けん、こっちに来い!」と呼び寄せられ、リビングでいきなり正座。「来週これを見学してこい」と父が指差すテレビに目を向けると、白いタイツの男性とひらひらの短いスカートを履いた女性が2人で抱き合うように映っていた。後に分かったのだが、この映像はかの有名な「ミハイル・バリシニコフの白鳥の湖」だったらしく、父がレンタル・ビデオ屋で借りてきたものだが、当時は何を見ているのか見当もつかなかった。
「俺、あんまり気が進まないな……」という自分の一言に、兄が「もうけんたが行くって決まったんだ」とけしかける。「もう息子を連れて行くって約束しちゃったんだよな」と笑う父。よく聞くと、話の流れはこうだった。当時、父の会社はバレエ教室と隣合わせだった。会社の地下の喫茶店でバレエの先生と出会い、お茶を飲みながら意気投合。何かの弾みで息子を連れて行くと言ってしまったらしい。身長185センチ以上で元ドラマーの父は、このころから女性と話すことが大好きだった(笑)。どうせ断り続けても、鬼のように力が強い父と悪ガキの兄に敵うわけがない。しぶしぶバレエ教室に行くことになった。
今でも初めて見学に行った日のことを忘れることはない。スタジオの扉を開けたその瞬間から、そこはまさに別世界だった。超美人なバレエの先生が出迎えてくれ、同じ年頃の女の子たちがものすごく楽しそうにピアノ曲に合わせステップを踏んでいる。たぶん、それはまだバレエのステップと呼ぶにはほど遠いものだったと思うが、とにかく皆、楽しそうに笑い、汗だくになりながら踊っていた。
週に1回だけならという約束でバレエを始めたのだが、10歳になるときにはそれが週2回になり、発表会デビューまでしてしまう。当時の映像は今でもロンドンの自宅にあり、友人とものすごく酔っぱらったときにだけ、皆で大笑いしながら観ることがある。あの下手っぴダンサーを国際コンクールで銀メダルを取るまでに育ててくれた先生に、家族全員が今でも感謝している。
その後さらにレッスン回数が増えていき、ある日を境にプロのダンサーを目指すことになるのだが、その話はまた今度にしたい。
何かを始めるきっかけは急にやってくるものだ。あの日の家族げんかが自分の運命にこんなに大きく関わるとは思いもしなかった。
今更だが、もし運動神経も良く音感もすごく良い兄がバレエをしていたら、きっと素敵なダンサーになっていたんだろうな。