第63回 パターノスター広場と正午計
聖ポール大聖堂の北側にはパターノスター広場が広がっています。ラテン語の「Pater Noster」を英語に直訳すれば「Our Father=我らが父なる神」の意味になります。604年に建立されたこの大聖堂は各地からの参拝者で賑わい、周囲の参道には「パターノスター」と呼ばれる数珠状の祈り道具を販売する店がたくさんありました。15世紀の終わりに印刷技術が英国に広まると、今度は宗教関連の本が所狭しと並ぶ中世の本屋街になります。
参拝者で賑わったパターノスター広場
ところが1666年のロンドン大火で本屋街が焼失。その後に家畜の処理場となり、近くのスミスフィールド市場が19世紀に出来るまで、ここがニューゲート肉市場として栄えます。エリザベス・フリンクのブロンズ像「羊飼いと羊」の彫刻があるのもこうした背景があるからでしょう。第二次大戦の空爆後の復興計画では大きな景観論争が勃発。その後、日系不動産会社の所有となり、現代的なオフィス広場に再開発されました。
フリンクの彫刻はかつての肉市場を彷彿させる
広場にそびえ立つ23メートルの柱は、ロンドン大火で焼失した旧聖ポール寺院の西口正面にあったコリント式の柱を再現したもので、モニュメントにある大火記念塔に次ぐ第二大火記念塔とも呼ばれています。先端にある炎のオブジェは聖ポール大聖堂の西塔の意匠を反映し、2度の大火(ロンドン大火と第二次大戦)による惨劇を忘れないためのものです。構造的には地下の駐車場の換気口になっており、夜間は薄暗い電燈になります。
パターノスター・コラム
広場の南にはテンプル・バーという、ウェストミンスターとシティの境界のストランドにあった関所が置かれ、これも大聖堂と同じく、クリストファー・レンの作品です。1878年に交通の便宜を図るため、撤去されて実業家に売却されましたが、2004年にシティが買い戻し、ここに再築させました。王様といえどもこの関所で剣の交換の儀式をしないとシティに入場できなかった有名な関所でしたが、今は誰でも自由にここを通過できます。
テンプル・バーの関所
この広場で寅七の一番のお気に入りは、ロンドン証券取引所の壁にあるアナレンマ式正午計。アナレンマとは毎日、同じ時刻における太陽の位置の軌跡を簡単に描いたもので、8の字曲線を描きます。この日時計が毎日、正午に指すアナレンマ上の日付が、その日の日付です。地球の自転軸が傾いていて公転が楕円軌道にあることが8の字になる理由ですが、この日時計、正午にしか役に立たなくても、その奥の深さを考えると眉毛が思わず八の字になります。
アナレンマの8の字曲線。壁面に描かれている青い点線は太陽の軌跡