第105回 蒸気機関車の父、トレビシック
今回ご紹介する2ポンド硬貨は、2004年に発行された蒸気機関車発明200年記念のペナダレン号。蒸気機関車の発明者はスチーブンソン父子だと思う方が多いかもしれませんが、正解はコーンウォール出身のリチャード・トレビシックです。彼は高圧蒸気機関を開発し、蒸気自動車をロンドン市街に走らせ、蒸気機関車をウェールズのペナダレン製鉄所からアベルカノンまで運行しました。ただ、彼の人生は波乱万丈で、歴史の表舞台にはあまり登場しません。
ペナダレン号が刻まれた硬貨
蒸気機関の父、トレビシック
抗夫の親方の息子として生まれたトレビシックは、幼いときから坑道から水を汲み上げる蒸気機関を見て育ちました。鉱山で働き始め、妻の実家が鋳物工場を経営していたことから徐々に蒸気機関の製作に興味を覚えるようになります。18世紀後半、ジェームズ・ワットが発明した蒸気機関が全国に普及したのは、鋳物工場が鋳鉄から精巧なシリンダーを製造できるようになったからです。
さて、トレシビックが注目したのは「高圧」の蒸気機関。ボイラーを大型化すれば強力な蒸気の力を引き出せますが、逆に小型化したボイラーから高圧の蒸気エンジンを作ろうと考えたのです。当時の主な交通手段である馬車を追い越すのは蒸気自動車や蒸気鉄道だ、と彼の頭から湯気が出ていたに違いありません。幾度の失敗にも負けず、ついに1803年、ロンドン中心部レザー・レーンからパディントンに蒸気自動車を走らせました。
レザー・レーンにある蒸気自動車の史跡
翌年、ペナダレン製鉄所から蒸気機関車、その名もペナダレン号が10トンの鉄と70人の乗客を乗せ、約16キロの輸送に成功。更に1808年には蒸気機関車を円形に敷いたレール上に走らせる見世物興行も行いました。でも鋳鉄でボイラー機関や線路を造ると圧力に耐えかねて破損するとワットが警告した通り、何度も事故を起こしました。強靭な錬鉄が誕生するまで時期尚早だったのです。でも彼は夢を捨てきれず単身南米に渡ります。
ユーストン・スクエアで蒸気機関車の実演興行
南米事業も失敗して彼は破産。後に「鉄道の父」となるスチーブンソンの息子に偶然、助けてもらって帰国しますが、既に家族は離散、孤独な最期を迎えました。でもここで話は終わりません。彼の孫2人が明治時代に鉄道技師として来日。多くの技師を育成し、うち一人が国産初860型蒸気機関車の製造を指揮しました。不遇だった「蒸気機関車の父」の種は日本の鉄道で見事な花を咲かせたのです。この硬貨を見ると、遠い故郷の汽笛が聞こえてくるような気がします。
国産初の860形蒸気機関車