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Tue, 26 November 2024

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進化を続ける英国のラジオ

進化を続ける英国のラジオ

今や専用のラジオ機器がなくても、インターネットで手軽にラジオを聴ける時代となったが、その歴史は無線通信が成功してから115年あまりと意外にも浅い。その間、英国では国営ラジオ、パイレーツ・ラジオ、コミュニティー・ラジオなど、異なる放送形態のラジオが生まれ、今日まで急成長を遂げてきた。近年は「継続的な聴取が脳を成長させる*」という説もあり、今後ますます注目を浴びていくメディアになるだろう。今回は、これらのラジオが英国で市民権を得るまでや、近年注目のラジオ局を紹介する。文: 英国ニュースダイジェスト編集部

* 株式会社脳の学校調べ。実験によりラジオを聴き続けると、左脳の言語記憶を刺激するだけでなく、右脳の記憶系脳番地も成長させることが明らかになった

参考: BBC Blog、Encyclopedia Britannica、History of the BBC、Engineering Timelines、Redbull ほか

ラジオ発展の軌跡

英国におけるラジオの発展に何が寄与したのだろうか。ラジオの原型を作り出した実験からさまざまなラジオ放送が生まれるまでのターニング・ポイントを見ていこう。

ラジオ発展のきっかけを英国でつかんだイタリア人

一般リスナーへ向けて発信する、今日の「ラジオ放送」の原型と呼べる世界初の音声による無線通信は1906年のこと。米発明家エジソンのもとで修行を積んだカナダ生まれのレジナルド・フェッセンデンは、1900年に約1.6キロメートルの距離で無線通信に成功した。のちに改良を重ね、1906年12月24日のクリスマス・イヴにバイオリンの演奏やメッセージを朗読したラジオ放送を米国で実現。これがラジオ放送の始まりとされている。しかしながらこの成功は、イタリア人発明家と英国の功績なくして語ることはできないだろう。

ラジオ放送を成功させたレジナルド・フェッセンデンラジオ放送を成功させたレジナルド・フェッセンデン

1874年、グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)は、地主のジュゼッペ、アイルランドでジェムソン・アイリッシュ・ウィスキーを生産する家系を親族に持つアニーの裕福な家庭のもとに、イタリアのボローニャで生まれた。父ジュゼッペは息子に士官候補生として海軍で活躍することを願っていたが、マルコーニの興味はもっぱら海上の治安より科学分野。家庭の献身的、金銭的なバックアップを受けたマルコーニは、幼いころから物理や数学の個人レッスン、そしてレグホーン技術学校とボローニャ大学で教育を受け、20歳の時点ですでに電磁波の実験に取り組んでいた天才だった。1895年には早くも約3.2キロメートル先にモールス信号でメッセージを送信することに成功。この結果はイタリア政府の関心を引いたものの、これの利用で一体どのような利益が生まれるのか検討がつかなかったため、その後の発展はなかったという。

火花送信機やモールス信号機、グラスホッパー電信に囲まれたイタリア人の物理学者、発明家のグリエルモ・マルコーニ火花送信機やモールス信号機、グラスホッパー電信に囲まれたイタリア人の物理学者、
発明家のグリエルモ・マルコーニ

ウェールズでの偉業

先の出来事により、マルコーニは自身の実験結果を活用できる顧客として、遠洋を航行する商人や海軍の艦隊に目を付け、船と陸地間で利用できる通信システムの開発に目標を定める。ロンドンに拠点を移したマルコーニは、当時郵政省のチーフ・エンジニアであったウィリアム・ヘンリー・プリースの支援を受け実験を進めていく。ちなみにプリースも1892年に英北部ニューキャッスルで無線通信に成功し、英国の電信システムの発展に貢献した人物の一人だ。マルコーニは程なくして、シティにあった郵政省の屋上から政府機関へメッセージを飛ばすことに成功。その跡地は現在大手電気通信事業者BTグループが所有するBTセンターになっており、建物の外には「この地からグリエルモ・マルコーニが初めて無線通信の公開実験を行なった」と記されたプラークが設置されている。

フラット・ホルム島でマルコーニの助手が無線機器を検査する様子フラット・ホルム島でマルコーニの助手が無線機器を検査する様子

その後もトライ&エラーを繰り返し、ついに当初の夢であった海上での実験に取り組むことに。「中継地に遮るものがないこと」を条件に、テスト地に選出されたのがウェールズだった。1897年5月10日から数日に渡り、同南部カーディフに近いラヴァーノックからブリストル海峡に浮かぶフラット・ホルム島で実験が行われ、13日、マルコーニはラヴァーノックから約4.8キロメートル先の島にいる助手へ向けて「CAN YOU HEAR ME?」と送信。助手から「YES LOUD AND CLEAR」と返信を受け、世界初となる海上での無線通信に成功した。なお、その際の記録紙片は現在ウェールズ国立博物館に所蔵されている。この実験で、最終的に無線はブリストル海峡を越え、対岸のイングランドのブリーン・ダウンまで届いた。

フラット・ホルム島

公共ラジオ放送への統合

1920年1月15日、マルコーニは郵政省から許可を得て、英東部エセックスのチェルムズフォードに設立した無線電信会社の工場から英国発となるラジオ放送を開始した。同年6月には欧州に向けて音楽放送もスタート。やがてマルコーニ社の他にも、企業発信の商業ラジオが複数生まれ盛り上がりをみせたが、各社が争うことで周波数不足や英国空軍の管理システムの妨害など問題が次々と表面化した。1922年、マルコーニ社ら他の大手通信会社は合弁会社を作り、ここに英国全土へ向けたラジオ放送コンテンツを提供する英国放送会社(British Broadcasting Company)が誕生した。同社は1927年に現在の英国放送協会(British Broadcasting Corporation=BBC)となり、現在のBBC設立に大きな影響を与えた。

パイレーツ・ラジオの台頭

1960年代に入ると、ロックやブラック・ミュージックといった当時のBBCラジオでは選曲されないジャンルの音楽を流すべく、音楽好きの有志が中心となり、公海から発信する「パイレーツ・ラジオ」(海賊ラジオ)の設立が盛んになる。この方法なら英国本土に発信拠点がないので放送自体は違法ではなく、政府が取り締まる地域の対象外であったが、結局放送免許がないことに変わりはないため、「許可されるべきではない」ラジオ放送であった。この手のラジオ局は1967年に外海、またその上に停泊する船舶、航空機からの放送が規制される法律が制定されるまで、グレーな扱いで実質的に野放し状態になっていた。

パイレーツ・ラジオはBBCによって公共の電波が独占されていた30年代からすでに存在しており、当時は娯楽要素を満たすというよりはCMを売って金銭を稼ぐことを第一の目的としていたにすぎなかった。しかし60年代にテレビが登場し、テレビ・コマーシャルが開始。広告主が新しいメディアに流れたことにより、金銭的な目的から離れ、世に出回らない本当に聴きたい音楽をベースにした放送内容にシフトしていくことになる。

多様な運営方法

英国のパイレーツ・ラジオのパイオニアといえば、Radio Caroline(ラジオ・キャロライン)やラジオ・ロンドン(Radio LondonまたはBig L、Wonderful Radio Londonとも呼ばれた)が挙げられるだろう。

アイルランドのビジネスマン、ローナン・オライリー(Ronan O'Rahilly)主導によって1964年に設立されたラジオ・キャロラインは、ライセンスを取得し、現在も放送されているラジオ局の一つ。ナイトクラブのオーナーでもあったオライリーは、自身がマネージャーをしていたアーティストのレコードをBBCラジオで流してもらえないか同局に掛け合ったところ、ラジオで流れる音楽は大手レコード会社によって牛耳られているという業界の事実を目の当たりにし、独自の選曲ができる自身のラジオ局を作ることを決める。入手した船をラジオ発信用に改造し、投資家からの支援を受けフェリックストー沖から放送を開始。ラジオのテーマ曲にはセロニアス・モンクのジャズ・スタンダードやバーミンガム出身のコーラス・バンド、ザ・フォーチュンズの「キャロライン」などさまざまなジャンルの曲を採用して若者の心を掴み、カルト的な人気を博した。

船内に備えられたラジオ・キャロラインの放送機器たち(コッツウォールド・モータリング博物館)船内に備えられたラジオ・キャロラインの放送機器たち(コッツウォールド・モータリング博物館)

多くのパイレーツ・ラジオはラジオ・キャロラインのように大半は停泊中の船内から発信していたが、なかには放棄された建物を使う場合もあった。英東部の海上に建設されたマンセル要塞は第二次世界大戦時に使用された要塞群で、ラジオ・サッチ(Radio Sutch)などが要塞群の一つをラジオ局として利用していた。ラジオ・サッチの代表スクリーミング・ロード・サッチはのちにアーティスト・マネージャーのレジオナルド・カルバートに設備を譲渡するが、カルバートは所有権をめぐり、ライバルのラジオ局に所属していた男性に射殺されてしまう。この殺人事件が先に述べた1967年の規制強化を後押ししたといわれている。

パイレーツ・ラジオに度々占拠されたマンセル要塞パイレーツ・ラジオに度々占拠されたマンセル要塞

伝説ラジオから敏腕DJの引き抜き

パイレーツ・ラジオの繁栄と法規制という攻防戦が繰り広げられるなか、ついにBBCラジオもより幅広いリスナーを取り込むための多様な番組作りに動き出す。1967年9月30日、ポップ・ミュージックなど、若年層を引き込むプログラム構成を売りにしたRadio 1の放送を開始するにあたり、ディスク・ジョッキーにラジオ・キャロラインのトニー・ブラックバーン、ラジオ・ロンドンのジョン・ピールなど、パイレーツ・ラジオの売れっ子DJを採用。これらのDJたちはまだ世に埋もれている才能あるアーティストたちを次々と紹介し、BBCに新たな風を吹き込むことに成功。英国のミュージック・シーンの発展に貢献した。

ベテランDJのジョン・ピール(2004年に逝去)ベテランDJのジョン・ピール(2004年に逝去)

その後1973年には民間ラジオの設立も認められ、多様なラジオ局が共存するようになる。放送に関する規制がより厳格に整えられていき、先のパイレーツ・ラジオはFM放送が始まった1980~90年代に再びピークを迎えたが、英国情報通信庁のOfcomの調べによると、2009年の時点で150ほど存在していたラジオ局は、2020年にそのほとんどがインターネット・ラジオに変わり激減した。

また、2018年の同社調べで、リスナーの約3分の2がデジタル放送でラジオを聴いていることが明らかになり、発信者もリスナーもアナログからデジタルに移行していることが証明された。ラジオの世界は常にテクノロジーの最先端とともに時代を駆け抜けているようだ。

2021年のラジオは?

さて、現在ラジオを楽しむにはどのような方法があるのだろう。多様化するラジオの魅力と手軽に聴けるラジオを調べてみた。

地域で広がるコミュニティー・ラジオ

サフォークのイプスウィッチ発「イプスウィッチ・コミュニティー・ラジオ」の収録の様子。メイン・ストリームで拾われないネタを中心に発信しているサフォークのイプスウィッチ発「イプスウィッチ・コミュニティー・ラジオ」の収録の様子。メイン・ストリームで拾われないネタを中心に発信している

コミュニティー・ラジオとは半径5キロメートル圏内の特定のエリアに住む人々に向けた情報、またそのエリアに適した英語以外の言語で送る非営利目的のラジオのこと。民族、年齢、宗教、ジェンダーなどを考慮したさまざまなニーズに応えることができ、英国内では現在300を超えるラジオ局が運営されている。なお、個人名義で放送ライセンスを持つことはできず、団体に対して許可が与えられる。Ofcomによると、ラジオ局は平均87人のボランティアにより運営され、1週間に約209時間を製作・放送に費やしているそう。大勢の手によって支えられているラジオなのだ。

もともとターゲット層を絞っていることも手伝い、ユニークな放送内容が特徴で、例えば、地元や海外アーティストなどの選曲が好評の、アート・コレクティブが運営する「レゾナンス FM」(Resonance FM、ロンドン)、インドとパキスタンにまたがるパンジャブ地方の言語でコミュニティーを応援する「デシ・ラジオ」(Desi Radio、ロンドン)、多言語の番組や障害のある人々へ向けた番組などマイノリティーへ向けたプログラム編成が充実の「オールFM」(ALL FM、マンチェスター)、85歳のDJも活躍する全員60歳以上のDJが1920~60年代の名曲を選出する「エンジェル・ラジオ」(Angel Radio、ハヴァント(ハンプシャー))、子どもによる子どものための「テイクオーバー・ラジオ」(Takeover Radio、レスター)などがある。オンラインでの視聴が可能なラジオもあるので、気になるプログラムがあればまずはウェブサイトをのぞいてみてほしい。

コミュニティー・ラジオのリスト
http://static.ofcom.org.uk/static/radiolicensing/html/radio-stations/community/community-main.htm

想像力で脳を刺激するラジオ・ドラマ

調査により、ロックダウン中にラジオで孤独を癒やしたリスナーは多かったことが分かった調査により、ロックダウン中にラジオで孤独を癒やしたリスナーは多かったことが分かった

近年はインターネットに接続すれば楽しめるオンライン・ラジオが普及し、世界中どこにいてもラジオが聴けるようになっている。また、新型コロナウイルス感染拡大防止により、以前に比べ自宅で過ごす時間が増えた今、家事や仕事、勉強をしながら気軽に聴けるコンテンツとして、今後もますます活用されていくことだろう。

最新ニュースや音楽を聴くのも楽しいが、ラジオ・ドラマもお勧めだ。聴くだけでイメージができるよう、会話や音楽、効果音を駆使して作られるラジオ・ドラマは英国では、1920年代から多くのリスナーを楽しませてきた。現在はポッドキャストの普及で作り手もリスナーも簡単に恩恵を享受できることから、オンライン・ラジオとともに広く利用されている。

また、英国には優れたラジオ・ドラマを選出する「UKインターナショナル・ラジオ・ドラマ・フェスティバル」というイベントも開催されており、昨年は新型コロナウイルスを題材にした作品が多数応募された。ウェブサイトでは10分程度の作品や、たった20秒で完結する「20 second audio dramas」など、気軽に聴ける面白い作品が公開されている。

UK International Radio Drama Festival
https://radiodramafestival.org.uk

お勧めのオンライン・ラジオ

名の知れたアーティストを多数抱える
NTS
www.nts.live

アンダーグラウンドの音楽シーンを牽引する、ロンドン東部ダールストン発信のラジオ局。スローガンの「Don’t Assume」の通り、コアなターゲット層に届けるパイレーツ・ラジオの集合体と呼ぶにふさわしい、多様性のある選曲が魅力だ。細野晴臣によるレギュラー放送もある。

流行りの曲を手軽に聴ける
Kiss FM
https://planetradio.co.uk/kiss

1985年にパイレーツ・ラジオとして始まり、現在はFM、オンライン・ラジオともに発信する人気のラジオ。男女からほぼ平等に支持されており、ダンス・ミュージック、ヒップホップなどを中心に人気チャートを流すスタイルが特徴。国内外でライブ・イベントも主催している。

世界をリードするグライムの発信局
Rinse FM
https://rinse.fm

今でこそ認知されているジャングル、UKガレージ、グライムなどのジャンルを英国内に根付かせ、その発展に貢献したとされるロンドン拠点のコミュニティー・ラジオ。この局もパイレーツ・ラジオ発で、アンダーグラウンドで活躍するベテランから新人までの音楽を扱う。

 

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