北京五輪の開催年となる2008年。ニュースダイジェストの新春第1号では、欧州各国で発祥したスポーツの現役第一人者たちにインタビューを試み、それぞれの競技が持つ歴史や五輪に対する意気込みを聞いた。英国から紹介するのは、ボート競技。今大会の金メダル最有力候補とされる女子チームとインタビューを行った。
Kathrine Grainger
1975年12月11日、スコットランド北部アバディーン生まれ。身長182センチ、体重80キロ。1997年の世界選手権のエイト(8人乗り)で銅、2003年に舵手なしペア(2人乗り)で金メダル獲得。2005年からはクオドルプルスカル(4人乗り)で3連覇を達成した。五輪ではシドニーでクオドルプルスカル、アテネでは舵手なしペアでそれぞれ銀メダルを獲得し、北京ではクオドルプルスカル女子チームの一員として金メダル最有力候補となっている。競技生活の傍ら法学の研究を続けながら学士号と修士号を取得しており、現在もロンドン大学キングス・カレッジの博士課程で刑法を専攻している。 |
まずは代表チームの構成とご自身のポジション、そしてチーム内での具体的な役割について教えていただけますか。
私は「クオドルプルスカル」と呼ばれる4人乗りボート競技チームの一員です。他にフラン・ホートン、デビー・フラッド、アニー・ヴァーノンという3人の選手と合わせて1つのチームを構成しています。
その中で私は船尾に最も近い位置に座る「ストローク」と呼ばれるポジションを担当しています。選手たちはボートの進行方向とは逆を向きながらオールを漕ぐことになるので、残りの3人は皆、私の背中を見ることになりますよね。だから彼女たちは私がオールを漕ぐペースに合わせる取り決めになっているんです。つまり、皆が私の真似をすれば一番でゴール出来るような、「勝つためのリズム」を作り出すのが私の大事な仕事です。
北京五輪では金メダル最有力候補とされていますね。
チームとして脂の乗り切ったこの時期に、英国代表チームの一員として五輪に参加できることを誇りに思っています。北京に向けての期待感は段々と高まっていて、チーム全体としても「絶対勝つ」という断固たる決意を共有しています。
代表選手の活躍に加えて、皆さんを指導するオーストラリア人コーチのポール・トンプソンさんは今年、世界ボート連盟からその功績を評価されて「コーチ・オブ・ザ・イ ヤー」賞を受賞しました。
ポールは細かい点にまで本当によく目が行き届くコーチな んだと思います。特に私たちにとっては最も大切な「どうやって水をかいたらボートをより速く進ませることが出来るのか」ということについての知識を驚くほどよく持っていて、コーチとしての能力には時々圧倒されてしまいます。
英国といえば、サッカーのフーリガンに代表されるよう に熱烈なサポーターがいることで有名ですが、ボート競技においてはどうですか。
ボート競技の世界にも、私たちを応援するために世界中どこへでも駆けつけてくれる熱烈なサポーターたちがたくさんいます。彼らはあくまでも英国代表の一員として私たちと一緒にレースに参加することに喜びを感じてくれる人たちです。そんな彼らの応援は確実にチームのエネルギーへと転化しています。
緊張感なしでは、 世界最高レベルで戦うだけの力を発揮できない。
金メダルを意識する余り、重圧を感じたりしませんか。
精神的重圧は、外的要因ではなくいつも自分たちの内側から生まれるものだと考えています。最高の結果を出したい、自分が持つ能力を最大限発揮したいという気持ちが緊張を生むのです。
この種の緊張は、正直なところ耐え難く感じることもあります。精神的重圧にさらされている時は、安らぐことが全く出来ないですからね。ただ、たとえ苦しみを経なければいけないとしても、緊張感なしでは世界最高レベルで戦うだけの力を発揮できないのです。さらに言えば、それほどの重圧を感じることって、誰もが経験できるわけではない。非常に特別で貴重な体験として捉えようとも思っています。
北京五輪では、どのチームが最大のライバルになると思われますか。
私たちが参加するクオドルプルスカル女子においては、これまでドイツ代表チームが五輪を制覇してきました。だから彼女たちが最大のライバルになると思っていいでしょう。また最近では中国が力をつけてきていて、特に今回は地元開催となるので手強い相手となりそうです。
2005年8月に日本の岐阜でボートの世界選手権が開催されましたが、日本という国についてはどんな印象を持たれましたか。
このボート世界選手権で私たちは優勝することが出来たので、日本については良い思い出ばかりが残っています。現地の人たちは皆私たちを歓迎してくれて、いつも親切に対応してくれたので感謝しています。レース当日に日本人の観客の皆様が送ってくれた声援もとても嬉しかったです。
講義室と水の上に浮かぶボートという2つの空間を行き来できることに幸福を感じていた。
ボート競技を始めたきっかけは何ですか。
実はボートを競技として始めたのは法学を勉強するために大学に入ってからなんです。最初は本気で取り組むつもりはなかったのですよ。でも当時から十分な背丈がありましたし、体もある程度鍛えてあったので是非ボート・チームの一員に、と勧誘されて始めることになりました。
でも結果的にそこで素晴らしい友人たちと出会うことが出来たので、ボートを始めて良かったと思っています。大学時代は大学の講義室と水の上に浮かぶボートという2つの大好きな空間を行ったり来たりできることに、ただただ幸福を感じていました。
今でも刑法の勉強を続けていると聞きましたが。
スポーツとは別の何かを学ぶのが単純に好きなんでしょうね。いつもとは違ったように頭を使って、ボート競技生活の中では知り得ない別の世界を知ることが出来る。もちろん、今では競技生活を最優先していますが、学業も疎かにはしていないつもりです。大学時代から二足の草鞋を履いていたので、私にとっては競技と勉強の2つのバランスを取ることで、お互いが相乗効果を発揮してより上手くいくような気がするんです。あとはやはり、それぞれ別の世界で全く考え方の異なる友人たちと話し合える機会を作るのが楽しいのだと思います。
普段はどこで練習を行っていますか。
ロンドン近郊レディングにある湖か、テムズ河の上流。後者の場合は、イングランド南部にあるマーロー地区まで出掛けることが多いです。
ボート競技を全く知らない人にその魅力を教えるとすれば、どのようなことを伝えますか。
ボート競技の魅力は、やはりレースです。普通にボートに乗っているだけでも、オールが水の中を滑っていく感覚を味わったり、またオールが水をかく音を聞くだけでとても心地良い気持ちになれます。でもレースになると、これに加えてボートを進める自分の脚力の強さを感じたり、自分の心臓が高鳴る音を聞いたりすることが出来るのです。
レースが佳境に入ってくると、今度は筋肉が痛みを感じたり肺が破裂しそうになったりしながらアドレナリンがどんどん噴出してきます。言い換えると、自分の体が何だかよく分からないけれどとっても活発に動いていることを自覚する。そして自分はこれまでに経験したことのない、とてつもなく素晴らしい何かに挑戦しているような気持ちになるんです。そんな感覚を味わえるスポーツが、ボート競技なんだと思います。
ボート競技の中にも色々と種目がありますね。グレインジャ ーさんは前回のオリンピックでは舵手なしペアで銀メダルを獲得されていますが、種目によって異なるアプローチを取られるのでしょうか。
技術の違いよりも、ボートの広さから生まれる気持ちの持ち方とその対応の違いの方が大きいと思います。ペアだとボート内は非常に狭い空間になり、2人だけですべての責任と課題を分け合っていかなければならないので、時にこの責任感がストレスになります。4人乗り、8人乗りとなるとスペースがもっとゆったりして責任も分散される一方、全員が同じ考えを共有するために努力する必要が出てくるためコミュニケーションを取る重要性が増してくる、といった具合です。
良いチームを作るためには何が一番必要でしょうか。
代表チームのメンバーは誰もが非常に強い個性を持っているので、やはりコミュニケーションを頻繁に取ってお互いに対する理解を深めるようにしています。チームワークにはやはり円滑なコミュニケーションが不可欠だと思いますし、時には他人に対して我慢することも必要です。
特に我々は多くの時間を、大きな精神的重圧を受けながら過ごすことになります。そういった環境の中でチームとして最大限の力を発揮するためには、チームワークをどれだけ維持できるかが鍵になると思って毎日の練習に取り組んでいます。
オールを使って漕ぐボートの速さを競う競技。国際大会では2000メートルの距離を争うことが多い。漕ぎ手の足はボートに固定されており、座席が前後に動くようになっている。競技者の人数に応じてシングル(1)、ペア(2)、フォア(4)、エイト(8)に分かれており、種目によってはオールを持たずに指示を出す舵手の有無によって区別があり、さらには漕ぎ手1人につき1本のオールを持つ「スウィープ」、オールを左右それぞれの手に1本ずつ持つ「スカル」という2つの形式に分かれる。近代ボート競技の起源は1716年にロンドンのテムズ河で行われた「ドゲッツ・コート・アンド・バッジ・レース」と言われている。