7月4日、英国オリンピック委員会は、ロンドン五輪に出場する体操関連種目の選手たちを正式に発表した。発表の場となったラフバラ大学のグラウンド上で、英国国旗を手に勢ぞろいする18人の選手たち。その中に、誇らしげな笑みを浮かべて佇むエキゾチックな顔立ちの女性、リン・ハッチソンさんがいた。英国人の父と、日本人の母を持つ17歳は、新体操団体の英国代表チームの一員として、まもなくここロンドンでオリンピックの舞台を踏む。本番を間近に控え、バースで日々練習に明け暮れるリンさんが、多忙なスケジュールを縫って電話インタビューに応じてくれた。(本誌編集部: 村上 祥子)
新体操——リボンやボール、クラブといった手具を駆使し、人間の身体が成し得る最高の美を追求するこのスポーツは、その華やかなイメージで世界中の人たちを魅了する花形競技だが、ここ英国での注目度はさほど高いとは言い難い。そんな中、幼いころから新体操を始め、今年、ついにオリンピック出場という、スポーツ選手として最高の栄誉の一つを手に入れたリンさんは、どのように新体操と出合い、ここまで歩んできたのだろうか。
英国における新体操人口はまださほど多くないと思うのですが、新体操を始めたきっかけは?
私の通っていた小学校に、今も私を指導してくれているコーチ(セーラ・ムーン氏)が来て、ワークショップを行ったことがあるのですが、それに参加したのが最初です。ワークショップが終わった際に手紙をくれて、新体操をやる気はないかと言われました。彼女いわく、私は(新体操で用いる)手具との調和に優れていたそうです。それから週に1回、トレーニングを行うようになりました。そして次第にクラスのレベルが上がっていき、ついには英国代表チーム入りし、オリンピックに出場するまでに至ったわけです。
新体操には団体演技と個人演技があるかと思いますが、ずっと団体をされていたのですか。
新体操を始めたころは個人しか経験していませんでした。団体を始めたのは2010年ごろのことです。それまでは、英国ではまだ複数の選手たちが一堂に介してトレーニングをするという環境が整っていなかったので、団体の水準がさほど高くはありませんでした。でも2011年に、ロンドン五輪に照準を合わせてチームが結成され、その後1年間、フルタイムでチームとして練習を積んできました。今では、英国の新体操史上、最高のチームになっていると思います。
団体と個人、一番の違いは何でしょう。
個人ではまず、自分自身のスタイルを確立することが大切です。でも団体では、皆が同じであるということが何よりも大事。チームメートの動きと同化するよう注意を払うことが求められ、自分自身が望むように動くことは許されません。常にチームメートとの共同作業を行わねばならないのです。
バース大学で、チームメートたちと
チーム結成以来、メンバーは変わっていないのですか。
結成当初は20人ほどいましたが、以降、徐々に減らされて、半年間で7人までになりました。昨年の夏からはこの7人で練習を続けています。
かなり過酷な選考プロセスがあったのですね。その7人は全員、オリンピックに出場できるのでしょうか。
いえ、最終決定は来週、下されます*。私はこれまで常に大会では2種目(団体は2種目で争われる)ともレギュラー4人の中の一人として演技してきているので、選ばれる自信はあります。
* リンさんは7月4日に正式に出場メンバーに選出された
フルタイムの練習と学業、どのように両立を?
学校からスカラシップをもらっていて一定の成績を取ることが求められていたので、GCSE(義務教育終了時に受ける統一試験)の勉強とジムの両立は大変でした。幸い学校が協力的で、昨年9、10月と4日間しか出席できなかったのですが、良い成績を取ることができました。今後はシックス・フォーム(大学進学のための準備学習を行う中等教育機関)に通う予定ですが、今はオリンピックのため、席を1年間、保留してもらっている状態です。特例を認めてくれたキング・エドワーズ・スクールには感謝しています。
今年1月、ロンドンのO2で開催された
オリンピック・テスト・イベントにて
英国の新体操団体史上初のオリンピック出場を決めた英国代表チーム。メディアは、オリンピック出場への意気込みを屈託なく語る選手たちの喜びの声を報じた。しかし、ここにくるまでには、すべての資金を自分たちで調達しなければならないという金銭的問題に加え、新体操を含む体操関連種目におけるオリンピック出場の推薦決定権限を持つ英国体操協会(BG)との間に発生したトラブルなど、様々な障害を乗り越える必要があった。
英国代表チームは、オリンピックの出場推薦枠を得るために、今年1月、ロンドンのO2で開催されたテスト・イベントで、BG が設定した基準点をクリアするよう条件が付けられました。3日間の競技日程すべての演技が選考対象になると認識していた英国代表チームに対し、BGは、最初の2日間で基準点に達しなかった時点でチームのオリンピック出場は不可と発表してしまったわけですが、そうした状況下で3日目の演技を行うのは、精神的に非常に大変だったのではないですか。
2日目の演技の後、これで終わりと言われても、私たちは3日間の大会ということで準備をしてきました。だからこういう状況になっても、3日間の大会と捉えて前に進むことだけを考えました。最終日には皆、やらねばならないことをすべてやった、それだけです。そしてそれが報われたわけですね。
BGが新体操団体をオリンピックに推薦しないという決定を下した後、BG が設置した基準があいまいだったとして英代表チームが同協会を相手取り仲裁申し立てを行いましたが、その際には国中から多くの支援の声が寄せられたそうですね。
本当に素晴らしかったです。どれほど多くの人たちからの支援を受けたことか。様々なメディアが取り上げてくれましたし、この一件で多くの人たちが私たちの存在を認識してくれました。本当に大勢の人たちが、我々がこれまで費やしてきた努力を認めてくれたのがうれしかったです。
数カ月にわたる審査の後、5月に仲裁人により英代表チームの申し立てが認められ、その結果、チームのオリンピック出場が実現したわけですが、その知らせをどうやって知りましたか。
私の心の中では、行けるという希望と、チャンスは消え失せてしまうのではないかという思いが渦巻いていました。(決定が下された当日は)選手全員とコーチ、皆で同じ部屋にいて決定を待っていました。弁護士が電話をくれ、皆で一緒にその知らせを聞いたのですが、もう叫んだり、泣いたり大騒ぎ。本当にうれしかった!
新体操団体は、国からの資金援助がゼロと聞いています。金銭的に大変なのでは?
現在、私たちはバース大学でフルタイムのトレーニングを行っていて、同大学からの支援は多少ありますが、大会遠征費用、トレーニング費用など、すべて自分たちでまかなわねばならないので大変です。新体操の演技を披露するイベントを開催してそのチケット売り上げを利用したり、手紙を書いて援助を募ったり。ときにはスーパーで袋詰め作業のバイトをするなど、とにかくやれることなら何でもやってきました。願わくば、今年以降、この種目に対する世間の認知度が上がって、スポンサーがついたり、資金援助が得られればと思っています。
テスト・イベントにおけるリボンの演技
片や莫大な資金を国から得ているスポーツがあるかと思えば、片や資金援助ゼロで苦しむスポーツもあるわけですよね。
非常に難しい問題ですね。資金というものは、大会か何かで勝たない限りは流れてこないものです。でも一方で勝つためには、支援や良いトレーニング環境が必要となってくる。やはり今の段階では、潤沢な資金を持ち素晴らしい設備やコーチを備えた国と戦っても、メダルを獲得したりワールド・カップで勝利することは難しいと言わざるを得ません。既にメダルを獲得したスポーツはさらに資金を得ることとなり、私たちはメダルを獲得していないから資金を得ることができず、自分たちの力を向上させることができない。ただ、私たち自身でできることを精一杯やるしかないのです。本当に厳しい世界です。
ご両親のご苦労も、並大抵のものではないのではないかと思います。
私の両親含め、選手たちの両親たちは皆、金銭面はもちろんのこと、夜や週末に多大なる時間を割いて、宣伝活動や大会遠征のマネジメントなど、あらゆる面で私たちをサポートしてくれています。選手だけでなく、家族全員が大きな犠牲を払って皆で一つのゴールに向かって突き進んでいるのです。
リンさんのご両親は始めからずっと協力的だったのでしょうか。
正直、私が新体操を始めたばかりのころは、将来こんなことになるとは考えていなかったと思います。こんなにお金がかかるなんて、想像もしていなかったでしょうね(笑)。始めのころは、単に週1回トレーニングをしていただけだったのに、あっという間に週2回となり、それが3回、4回、5回と増えたかと思ったら、国際大会に出て、英国代表として演技するようになっていた。「これで十分。もう終わりにしよう」というときなんて、絶対にこないですからね。次に何があるかなんて、誰にも分からないんですから。ただ、前に進んでいくしかないんです。
2001年、東京の乃木神社にて
オリンピックでの目標は?
新体操団体史上初のオリンピック出場が決定したということで、まずは大きな目標を成し遂げることができました。今はただ、良い演技をして、それに見合った点数を取れるよう、ひたすら一生懸命練習するだけです。メダル獲得云々よりも、新体操団体初のオリンピック出場ということで、次につながるよう、そして今後、新体操団体がより発展していけるよう、良い水準というものを築ければと思っています。英国そして世界中に私たちがこれまでにやってきたことを見せられれば。そして英国での認知度を高めて、多くの女の子たちに新体操をしてみたい、と思ってもらえるきっかけをつくりたいですね。
日本の新体操団体の選手たちをご存知ですか。
非常に尊敬すべきチームですね。英代表として演技するようになってからは忙しくてなかなか日本に行けずにいますが、それまでは毎年、日本に行っていました。そのころは、日本に滞在している1、2カ月の間、日本の代表チームに選ばれている2人の選手と一緒にトレーニングしていたんです。日本代表チームの選手たちは、ロシアでロシア人コーチの指導の下、厳しいトレーニングを積んできました。チームメートの怪我、そしてその後のチーム編成変えといった困難を乗り越えてここまでの道程を歩んできたことを知っているので、彼女たちがオリンピックに出場することは本当にうれしいし、素晴らしい演技ができるよう、願っています。私は自分自身のチームと同じくらい、日本のチームも応援しているんです!
日本滞在中にはどのくらい、練習していたんですか。
最後に日本に行ったのは2009年のとき。当時はまだジュニアで個人をやっていたんですが、1週間のうち5日間はトレーニングしていました。日本でトレーニングをすることは、新体操のためだけでなく、日本の選手たちと話すことで、私の日本語力向上のためにも良かったんです。普段は家で母と話すときくらいしか日本語を話していませんから。でもその後3年ほど日本を訪れることができずにいるので、私の日本語もすっかり衰えてしまいました。
でもツイッターでは英語と日本語、両方でメッセージを配信されていますね。
ツイッターでは、日本と英国、双方のフォロワーのため、そして日本代表チームの選手たちとコミュニケーションをとるためにも、英語と日本語、両方使うようにしています。
今はとにかく新体操漬けだと思いますが、オリンピック後は何をしたいですか。
学校に戻って、良い成績を取れるよう、がんばらないと。あとは少し休養をとって、軽傷を治し、また厳しいトレーニングに耐えられるよう、体調を整えていきたいと思います。今後ももちろん、(競技生活を)続けていきますが、しばらくの間は、戦うためのトレーニングというよりは、柔軟性を高めるといった身体能力向上のためのトレーニングを増やしたいなと考えています。あとは車の運転を学びたい!
将来の夢は何ですか。
私の夢は、これまでずっとオリンピックに出場することでした。そしてこの夢は、まさにもうすぐ、かないます。今はただ、これだけですね。
テスト・イベントにおけるボールの演技
Lynne Hutchison
1994年11月10日生まれ。英西部バース在住。父親が英国人、母親は日本人。2歳半まで東京で暮らし、その後英国へ。6歳で新体操を始める。ジュニア時代から世界各国の大会で活躍。2010年、インドのデリーで開催されたコモンウェルス・ゲームズ(英連邦の国々が参加する、4年毎に開催される総合競技大会)に、イングランド・チームの一員として参加、個人競技で銅メダルを獲得する。2010年、イングランドにおけるランキング1位。
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