(本誌編集部: 長野 雅俊)
ウォーキング・ドクター。1954年4月10日生まれ、モナコ在住。和歌山県出身。ファッション・ショーの演出及びプロデュース、モデルへのウォーキング指導を手掛けた後、一般向けのウォーキング・レッスンを始める。気功や運動生理学、武道、ヨガ、バレエ、ピラティス、呼吸法などの要素を取り入れた独自のエクササイズ「デュークズ・ウォーク」を確立。健康でより美しく体を作り変えるためのウォーキング理論は、女性を中心に支持される。50万部を売り上げた「1メートルウォーキングダイエット(講談社)」をはじめ著書、ビデオ、DVD多数。
海外駐在員が憧れるライフ・スタイル
2008年5月、世界随一のリゾート都市、モナコのモンテカルロ。
大きな太陽と鮮やかな青の空の下に広がる、白とベージュの壁に囲まれた市内を自宅から眺めながら、朝からシャンパンを2杯。シガーとエスプレッソも嗜む。強靭な胃袋を持っているので、さらには、肉を主とした「パワー重視」の食事を1日につき5度にわたって摂る。
普段は午後からビーチで子供たちを遊ばせながら、夫婦水入らずの時間を過ごしたり、本を読んだり、引き続きシャンパンを飲んだりするが、この日は家の準備に忙しい。モーター・スポーツの祭典であるF1モナコ・グランプリの開催に合わせて、自宅で盛大なパーティーを開くのだ。その自宅が位置するのは、レース会場の名所となっているトンネル出口の真上。ここに毎年、仕事仲間や友人など数十人を招待してパーティーを開くことになっている。シェフの手配や、ボルドーのワイン の仕入れなどといった雑事を2カ月前から済ませていたお陰で、準備は万端。振動と爆音に包まれたテラスで食べたり飲んだりしながら、F1観戦を堪能する。レースが終わると、今 度はベルサイユ宮殿を模したといわれる高級ホテル「ホテル・ド・パリ」へと移動。生バンドの演奏に乗って踊り明かす。
この輪の中心にいるのは、光沢を含んだジャケットとサングラスを着用した、デューク更家氏である。酒を愛する人特有のしゃがれ声で、「へへへへ」という笑い声を立てて踊っている。ちなみに近所の人々からは、「ちょっと特異な日本人」 と見られているという。
所変わって、2008月9月、東京は銀座松屋の屋上。
日本各地を周り、歩き方の指導を行う「ウォーキング・パラダイス計画」のイベント。黒いTシャツと運動靴という身軽な恰好の上にヘッドホン型のマイクを装着した更家氏が、総 勢700人いるという公認女性インストラクターの中から選んだ先鋭部隊の数十名を引き連れて登場した。独自のウォーキング理論の実践講座に参加者は興味津々。「シュン、シュン、シュン」との掛け声と共に体をねじりながら歩く名物の「トルソー・ウォーク」を披露すると、歓声が上がる。もちろん、肩凝り、腰痛、低血圧などに効く歩き方を教えて欲しい、といった各来場者の問い合わせにも1人ずつ真摯に応えていく。
イベントの合い間をぬって、テレビ出演やブログ執筆もこなしていかなければならない。
更家氏が、モナコと日本を股にかけた二重生活を始めてから8年。1カ月間のうち、10日は家族が住むモナコで優雅に過ごし、20日間は日本でがむしゃらになって働く。こんなライフ・スタイルに憧れを覚えたことのある英国駐在の日本人会社員、もしくはその奥様は案外多いはずだ。
渡英以来、家族や友人と過ごすプライベートな時間を大切にする英国人の姿を見て人生観が変わったという声が、在英邦人が集う場などではしばしば聞かれる。ただ一方で、やっ ぱり仕事となるといい加減でイライラさせられると嘆く声もある。もしくは本社からの帰国辞令を前にして、英国でこのまま一生を過ごすことを選択肢として思いついてはみたものの、想像するだけで不安を募らせてしまった経験を持つ人もいるかもしれない。
ならば一層のこと、日本で働き、英国で休日を過ごせたらいいのに──こんな考えが頭を過ったことはないだろうか。その理想の生活を実現させたのが、更家氏なのである。
母の死を受けて辿り付いたウォーキング
更家氏が歩んできた人生を刻む時計の針を、ここで一旦巻き戻してみる。
更家氏は元々、ファッション・ショーの演出やモデルのウォーキング指導を生業としていた。一般的には華やかに映るファッション業界だが、給料は至って人並みである。更家氏の言葉を借りると、「贅沢はできないけど、まあ普通の生活」 を送っていた。
ファッション業界での仕事にも慣れてきた頃、母が肝硬変を患う。肝機能が徐々に衰えていくこの病気を診断した担当医は、治療の一環として更家氏の母に、できるだけたくさん歩くことを勧めた。ところが、医師の助言に従い毎日休むことなく歩き続けた母は、結果的に膝を痛めてしまい、車椅子生活を余儀なくされてしまう。普段から元気に満ちていた母は歩けなくなったことですっかり意気消沈してしまい、そのショックを引きずったまま半年後に亡くなった。
健康になろうと思っていっぱい歩いたのに、それが一因となって母の命が奪われてしまった。どうしても納得いかない更家氏は、これを機にウォーキング理論に興味を覚える。バレエ、武道、ピラティス、能や華道まで、とにかく「歩く」ことに関連する、もしくはヒントになりそうな分野であれば、手当たり次第に文献を手に取って読んでみた。そして「ただ歩けばいいわけではない」という至極当たり前の事実と、世の中ではその「当たり前」が理解されていないという現状を認識するに至る。やがて母の担当医が助言したように「たくさん」でなくても、たとえ5分間だけでも良い姿勢で歩けば健康を促進できること。逆に悪い姿勢でどれだけ歩いても、体には悪影響を与えるだけであるとの持論を持つようになった。
母は、ウォーキングについての誤った指導を受けたがために死んでしまったようなものだ。このままでは、いっぱい歩くことで、同じように苦しむ人が出てくる。そんな現状を変えようと、ウォーキングの指導者になることを決意した。
借金生活の中で夢はモナコへ
ただ「ウォーキングの指導者」として生活することは困難を極めた。空気を吸うように当たり前の動作に過ぎないと思われていた「歩くこと」を指導してもらうために時間やお金 を使おうとする人など、当時の日本にはほとんどいなかったのである。
そして、5、6年にわたる借金生活に突入する。需要がなければ、仕事もない。更家氏の言葉を借りると、つまりは「時代と全く合ってなかった」のだ。「いやあ、辛かったです。たまに指導や講演の仕事が入っても、1回に支払われるギャラも微々たるものですしね。毎日、悶々としていました。もっとウォーキング指導をしたいのだけれど、何せ指導する場がない。ただ苦しかった」と振り返る。
更家氏ならではの独特の明るいキャラクターと、「トルソー・ウォーク」などのコミカルな動きを含んだウォーキング指導が出来上がったのはこの頃だ。「苦しい状況が長かったから、まず自分が楽しまなければやっていけなかった。あと、歩くという行為そのものは単純ですよね。非常に単純なだけに、教えるのは難しい。だからただ歩くだけではなくて、歩きながら体操することを考え付きました。そうしたら必然的に「デュークズウォーク」が生まれたんです」。
さて、更家氏が「モナコに住む」という計画を立て始めたのは、まさにこの貧乏生活の真っ只中においてであった。いわく、30歳前後の頃に友人から「お前にそっくりの役者が出ている」と勧められて、フランス人俳優ジャン・レノが主演する「グラン・ブルー」を観た。そして映画の舞台となったコート・ダ・ジュールと、その沿岸都市モナコの景色に魅了されてしまったという。
あまりに単純な動機に最初は作り話かと思ったが、知人の会社に勤めていたことから知り合ったという奥さんは、1991年に更家氏と結婚する際、遠い目で「俺はいつかモナコに住むって決めているから」と言われたと証言する。日々の生活費さえなかなか工面できていなかったような頃に言われた奥さんとしては、さすがに受け流すしかなかったようだ。だがデューク更家氏は、既に本気になっていた。モナコに住む知人に「探り」を入れて現地事情をこまめに仕入れ、その機会を虎視眈々と狙っていたという。心の中で「まだ無理だろう。でもいつかチャンスは来るだろう」と唱えながら、毎日を生きていたのである。
奥さんから切り出したモナコ在住
やがて、日本に健康ブームが到来する。「歩くことが健康には一番良いですよ」と言う学者さんたちが、テレビに頻繁に登場するようになった。ただなぜかそうした学者の人たちの多くは「毎日さぼらず1万歩」というような、歩く量や距離の長さを強調するきらいがあった。その中で、正しい姿勢で歩けば5分だけでもいい、とする手軽な「デュークズウォーク」が支持を集めていく。
ウォーキング事業がようやく軌道に乗り出した2001年、妻と長女を連れて、モナコへと家族旅行に出掛けた。この旅行において、モナコの風光明媚な風景や現地の人々の優雅な佇まいを見た家族一同は、心を「わしづかみ」される。
翌月、妻の妊娠が発覚。既に40歳になっていた彼女は、10年振りに生まれるこの新しい子供を大事に育てたいと思い、今度は奥さんの方から「モナコで子育てしよう」と夫をせっついた。
だが、今度は更家氏が二の足を踏む。日本での仕事がようやく上手く回り始めてきた時期で、おいそれと放り出すことはできない。毎晩、夫婦で深夜まで話し合った結果、日本とモナコの両国に生活の拠点を置く現在のライフ・スタイルを試してみることが決まった。元々インターナショナル・スクールに通っていた長女の転校には不自由せず、次女は無事モナコで誕生。実際に海外生活を始めてみたら、それほど障害は感じなかったという。「日本語はもちろんのこと、使いこなせる言語が一つでも多ければ、その分だけ子供たちにとっての可能性が広がると考えていました。天候に恵まれ、海があって、治安も良く、英語もフランス語も学べる場所ってそんなに多くないと思うんですよ」。
それから早8年。モナコにおける贅の尽くし方は、既に堂に入っている。朝からシャンパンやシガーを嗜むそれは、欧州における中年男性の理想だろう。平均的な日本人であれば、 少々照れてしまうのではなかろうか。「いや、ありますよ。自分で自分を押し出すというか、鼓舞しているようなところがあると思いますよ。だって、ロンドンにいても日本人のままで、モナコにいても日本人のままではつまらないじゃないですか。自分である程度、演じてみせることも必要だと思うんです。モナコではモナコ人になりきってみせる。ロンドンに行ったらロンドン市民の生活スタイルを貪欲に吸収する」。彼はモナコで、「楽しい生活こそが、もっとも健康的」という哲学の体現者になりきってみせたのである。
偉大なるマザコン
更家氏の人生を追う上でさらなるキーワードとなるのが「女性」だ。奥さん、娘さん2人、そして女性インストラクター、女性ファンなど、彼の周囲にはいつも女性がいる。そう投げ掛けてみると、「そうですね。私は女性が大好きでございます」と茶化した後、「男性ももちろん好きなんですが」と文字通り取ってつけたように話し出した。「私が習い事の指導に関わっているからですかね。男性ってあまり習い事しませんよね」と、あくまでも真面目な話に戻そうとする。
続けて若い頃からモテたんですかと聞いてみると「へへへへ」と笑って、「そうですね。自分ではそう自負してますけど。女性に優しかったからかな」との返事。「お袋の愛、それも大きな愛に育てられたことが関係しているんだと思います。まあいわばマザコンですね。4人目で初めてできた男の子として生まれたからか、いつも「頑張れ、頑張れ」って言って応援してくれたんです。小学、中学、高校から社会人になるまで、ずっとお袋の存在が大きかったんですよ。で確かに今、周りには女の人ばかりがいますね。そういう環境が僕にとっては合ってるのかな」。
外国暮らしを堪能し、健康で、遊び上手。家族思いで、女性にもモテる。更家氏の話からは、劇画調で描いたような成功物語が浮かび上がってくる。先の言葉にあるように、最初はその成功物語を懸命に「演じ」続けていたのだろう。必死で演じて、自分を鼓舞して、やっと今の地点まで辿り着いた。
そんな彼が今描いている新たな物語が、「デュークズウォーク」を海外へと広げること。「世界に広がる可能性は、大いにあると思います。世界中の人々が健康を気にかけている。そして健康っていうのは他人じゃなくて、自分で作るもんなんです。歩くことは世界中の人ができることですからね」。
デューク更家、現在55歳。「80歳になっても、ウォーキング・ドクターを続けていたいと思います」という言葉は、インタビューの最後には「死ぬまでやります」へと変わっていた。
人気のデューク更家氏が、この度渡英。
ロンドンにて2日間にわたってレッスンを開催します。
5月25日(月) 1st Session 13:00-14:10、2nd Session 14:30-15:40 |
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場所 | 日本クラブ 2nd floor, Samuel House 6 St. Albans Street, London SW1Y 4SQ |
最寄駅 | ピカデリー・サーカス駅 |
5月26日(火) 3rd session 11:30-12:40、4th session 13:00-14:10 |
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場所 | Bloomsbury International 6-7 Southampton Place, London WC1A 2DB |
最寄駅 | ホルボーン駅 |
参加費 | 15ポンド(7歳以上。6歳以下のお子様のご入場はご遠慮申し上げます) |
申込先 | サライエ企画室ロンドンオフィス 小滝奈穂子・北田展子 E-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください Tel: 07979 154423、07849 817549 |
協賛 | (株)アシックス |