第27回 プロへの登竜門、決勝直前での分かれ道
26 July 2012 vol.1362
先月お話しした、プロ・ダンサーへの登竜門、「ローザンヌ国際バレエコンクール」に挑戦したときの、準決勝当日でのできごと。今でも当日のことを振り返ると、ビデオを巻き戻しするかのように、記憶をたどることができる。
昼間のクラシック・ソロの演技中、ステージ奥から客席の方へ向かってジャンプする際に、勢いがつき過ぎてしまい、着地に失敗。お尻から「グキッ」と音がした瞬間に、左足に力が入らなくなってしまった。会場となっていたロシア・ボリショイ劇場の舞台は床が斜めになっていて、気をつけないと体が前のめりになりやすい。目線をいつもより上にしていなければいけないのに、そのときはつい1階席の方を見てしまった。体の調子が良いと、いつもよりも頑張ってしまうのは今も変わらないが、その日もジャンプの調子が良かったので、普段よりも高く飛ぼうとしたのが仇となった。
演技終了後は歩くのもやっと。その日の夕方に行われたコンテンポラリー・ソロ審査に至っては、振り付けを勝手に変更してしまった。
審査発表直後の一枚。隣の女性は、
同じくスカラーシップ賞を
獲得した康村和恵さん
踊りの出来が自分でも気に入らず、多分落選しているだろうともやもやした気分だったが、その後の審査発表で決勝進出者の掲示板に自分の番号を見つけたときは、素直に喜んだ。しかし、決勝進出が決まったのはいいが、このままの状態で明日踊れるのかどうか、自分でも判断がつかない。そこで大会の方に相談したのだが、当時は医者などが大会についておらず、棄権するかどうか自分自身で決断を下さねばならないことになった。審査発表は深夜12時過ぎにあり、次の審査は昼の12時。回復するには時間が足りず、痛みが残るのは分かっていたが、ここまで頑張ってやってきて途中で辞めるのは絶対嫌だったので、決勝には強行出場することにした。
当日は痛み止めの薬を飲み、無我夢中で踊った。内容はかなりひどかっただろうと予想はしていたが、後になってビデオでその演技を観ると、今までで最悪の出来だった。なお、帰国後に病院へ検査に行った際に足の付け根の剥離骨折と診断されたこの怪我は、普通ならばほとんど歩くこともできないらしく、医者をびっくりさせた。
最悪の出来に審査発表の前から落ち込んでいた自分に、ある日本人審査員が「今年が駄目でもまた来年がある」と声を掛けてきて、その言葉でさらに落ち込んだ。
そしていよいよ審査発表がステージ上で始まったのだが、なかなか自分の名前は呼ばれない。気がつけば、ほとんどの出場者が、既にステージに呼ばれている。英語かロシア語のマイク音が耳に聞こえるのだが、何を言っているのかも分からない。「多分、残念賞は最後に呼ばれるのかな」と思っていたら、急に誰かに掴まれステージへ。今まで聞いたことの無い大歓声に包み込まれ立たされたのは、表彰台の上。首には銀メダルがかけられていた。先程、自分を落ち込ませた審査員がやって来て「スカラーシップ賞おめでとう」という言葉を投げ掛けてきて、やっと状況が飲み込めた。
次に優勝者が呼ばれ、大会は終了。こんなことならばもっと表彰台の上の時間を楽しんでおけば良かったと後悔したが、何はともあれ受賞することができた。
審査発表後、外国人プレスの方に囲まれてそのときの気持ちを聞かれたとき、自分はこう答えた。
「おにぎり、ありがとう。内山先生ありがとう」、と。ちなみに、この言葉を記した記事を見つけることがいまだにできずにいる。もし、そうした記事を見た、という方がいらっしゃったら、ぜひ知らせてほしい。