北半球最強の座を決定するラグビーの国際大会シックス・ネイションズ。その戦いの火蓋が2月3日、ついに落とされた。そういえば最近テレビで妙に多くラグビー選手を見かけるようになったなぐらいの印象しか持っていない方、今からでも遅くない!
本特集では、ラグビーなんか興味がない、そもそもラグビーのルールさえよくわからん!という人にまで観戦をお勧めする理由を列挙。シックス・ネイションズの魅力を知るための、徹底ガイドとして利用して欲しい。
(本誌編集部: 長野雅俊)
「シックス・ネイションズ」の名が示すように、本大会に出場するのは6カ国。その中では、英国を形成する4つの「国」であるイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド(アイルランド共和国との混成チーム)が参加国の半数以上を占めている。残りの2カ国は、英国とは何をやっても相容れないフランスに、昨年のサッカーのワールド・カップで優勝して欧州各国の嫉妬を集めたイタリア。この放っておいても闘争心ばかりが漲る組み合わせで総当り戦を行うという大会方式が、シックス・ネイションズならではの魅力となる。選手はもちろん、観客までもがそれぞれの御国のプライドを賭けた激しい戦いになること請け合いだ。
本大会はそもそも、1871年に行われたイングランドとスコットランドの代表チーム対抗戦が、後に慣習化したことに端を発している。1875年になってイングランドとアイルランド間でも代表戦が行われるようになり、続いて1881年にはイングランド対ウェールズ戦を開催、やがてこの4カ国で毎年総当り戦を行うようになった。1910年からは欧州大陸からフランスが参加。この頃からメディアでは「ファイブ・ネイションズ」という用語が使われるようになり、後に毎年行われる国際試合の大会名となる。2000年にはイタリアが参加して、現在の6カ国対抗戦の形式になった。
近年までアマチュアリズムの哲学を掲げてきた英国のラグビーでは、サッカーのようなプロ・リーグの発展が遅れた。そこで一般市民にとって、ラグビーを見る機会といえば国際大会のみ。しかもラグビーにおけるワールド・カップは、1987年の第1回大会まで存在しなかった。つまり、英国民にとっては長らくラグビー=シックス・ネイションズであったというわけだ。
6カ国対抗戦、といった本来の大会趣旨とは別に、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの英国を構成する4カ国には、大会中にどうしても勝ち取らなければならないタイトルがある。その主たるものが、イングランド対スコットランド戦の別称「カルカッタ杯」、イングランド対アイルランド戦の「ミレニアム杯」だ。さらにはウェールズも含めて自国以外の英国その他3カ国から勝利を収めると、「トリプル・クラウン」を達成したとして国中が大騒ぎとなる。つまり、たとえフランスとイタリアとの対戦に敗れ3位以下が決定的になったとしても、残りの3カ国に勝てればファンは万々歳、といった仕組みになっている。ちなみに欧州参加国含めたどのチームであれ、5カ国全てに対して勝利を収める完全優勝は「グランド・スラム」と呼ばれている。
2000年から参加したばかりのイタリアを除いて、大会参加国の優勝回数に大きな開きはない。欧州のラグビー強豪国同士の実力が伯仲しているため、全試合において接戦が予想される。
各国の優勝回数(複数国による同時優勝を含む)
| イングランド | 35回 |
| ウェールズ | 33回 |
| スコットランド | 22回 |
| フランス(1909年より参加、1932〜46年は不参加) | 22回 |
| アイルランド | 18回 |
| イタリア(2000年より参加) | 0回 |
日本人の間ではラグビーはまだまだ馴染みが薄く、そのルールさえよく知らない人も多い。そこでラグビー初心者のために、基礎的なルールをここで解説。観戦中にはお手元に置いておき、「?」な場面になったら参照してほしい。
基本ルール
1.より多くの得点を決めたチームを勝ちとする。得点方法は以下の4つ。■ 相手陣地のゴール領域(インゴール)にボールを置くトライ(5点)
■ プレー中に地面にバウンドさせたボールをキックしてゴールに入れるドロップ・ゴール(3点)
■ 重大な反則が起きた際に、反則を受けた側に与えられるペナルティー・キック(3点)
■ トライに成功したチームに与えられるコンバージョン・キック(2点)
2. ボールを前に投げたり落としたりしてはいけない(選手はボールを抱えて走ったり、蹴ったりすることでボールを前に進める)。
3. タックルで倒された選手は、すぐにボールを手放さなければならない。
ラグビーのポジション
ラグビーのポジション「前にボールを出してはいけない」というルール上、サッカーとは逆に主にフォワードが防御、バックスが攻撃の役割を担う。
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スクラムを組んだ際に最前列中央に位置するポジション。ラインアウトの際にボールを投げ入れる役割になることも多い。
1・3 左右プロップ(PR)
「支柱」という名の通り、スクラム最前列の両側から押し込むプレーヤー。体が大きく重量のある選手が適役となる。
4・5 左右ロック(LO)
2列目からスクラムを押し込む役割を担う。長身選手が多く、ライン・アウトの際にジャンパー(味方に高く持ち上げられる人)になる傾向がある。
6・7 左右フランカー(FL)
スクラムに参加しつつ、バックス陣とも連携するかなり運動量の多いポジション。
8 ナンバー・エイト(No.8)
フォワードを統率する司令塔。
9 スクラム・ハーフ(SH)
スクラム内にボールを投げ込む、スクラムからボールを取り出して周りにパスを出す役割を担う。小さいながらも敏捷で、頭脳的なプレーヤーが多い。
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バックスの司令塔。さらにはチーム全体を指揮する役目を負うことが多い。
12・13 左右センター(CTB)
フィールド中央を力づくで突破することを本業とする。
11・14 左右ウイング(WTB)
ボールを持って両サイドを駆け抜けるのが役目の、俊足の選手にピッタリのポジション。
15 フルバック(FB)
最終ラインで待ち受ける防御の要。サッカーのゴール・キーパーのような役割を持つ。
ラグビーのグラウンド

用語解説
オフサイドサッカーと同様、ボールを持っている味方のプレーヤーより前にいたプレーヤーが、ボールに触れるなどしてプレーに参加すること。ラグビーの場合は、ボールの落下地点よりいったん10メートル戻ってから再びプレーへの参加が認められる。
シンビン
重大な反則を犯した選手が、10分間限定で退場する罰則措置。
スクラム
お互いのFWが組み合う、ラグビーではお馴染みの光景。スクラム形成時は、足でのみボールの操作を許される。
ダイレクト・タッチ
自陣22メートル・ラインより前で蹴ったボールが、バウンドせずに直接タッチラインの外に出ること。ダイレクト・タッチと認められた場合は、蹴った地点から最も近いタッチライン上で相手チームによるラインアウトで試合が再開する。
ドロップ・アウト
相手チームによって蹴り込まれたボールを、守っているチームがインゴール内でボールを地面に着地させたり、相手チームが蹴ったボールが自陣デッドボールラインより外に出ること。試合は中断され、守っていたチームによるキックでゲームが再開する。
ノーサイド
80分の試合時間が終了したことを意味する。フェアプレー精神を尊重するラグビーにおいては、試合終了後は「敵サイドも味方サイドもない」という思想からこの名が付いた。
ホイール
スクラムが90度以上回転すること。スクラムの組み直しとなる。
ライン・アウト
ボールがタッチラインから外に出た際に、ボールを出した選手の反対側の選手がゴールラインと平行な線に投げ入れてプレーを再開すること。
各国代表チームは国々で異なるラグビー文化や選手層、そして監督の方針を反映して、それぞれ独自のプレー・スタイルを持っている。ここではそういった各国の戦況分析と、今大会での注目すべき選手を紹介しよう。





ラグビーとサッカーという、共に英国で生まれかつ現代まで支持を集めるこの2大球技は、元々は同じ「フットボール」を母体としている。
19世紀前半、イングランドにあったいくつかの名門パブリック・スクールの生徒たちは、休み時間や放課後になると決まって「フットボール」に興じていた。この時点ではまだ近代フットボールは確立されておらず、学校ごとに設定された独自のルールの下でプレーしていたという。ただ注目すべき点は、当時の「フットボール」では、どの学校においても蹴り上げられたボールを手を使って捕球したり、そのままつかんで走ったりするのが許されていた、ということだ。
やがてこれらパブリック・スクールの生徒たちは大学に進学した際、「フットボール」の共通したルールが存在しないため他校出身者同士で試合ができない、という問題に直面した。そこでケンブリッジ大学の生徒は1839年、統一したルール・ブックの作成に取り掛かる。同じ頃、イングランド北東部ラグビーに位置するパブリック・スクールのラグビー校では同校独自のルールブックを文書の形でまとめ始めたことから、同校のルールも段々と世に広まっていった。
やがて主流となっていったケンブリッジ大学派とラグビー校派の2つのルールをさらに統一しようと、ロンドン全体の「フットボール」を管轄するアマチュア・クラブ協会が乗り出した。しかしここで問題となったのが、「ハッキング」と呼ばれる選手が手に持ったボールに対する膝蹴りに対する見解。危険なので一切禁止すべきとするケンブリッジ大学派と、膝蹴りこそがこのスポーツの最大の魅力とするラグビー校派の主張はお互い相容れないままに決裂した。
やがてケンブリッジ大学派が推進した「フットボール」が近代サッカーのルールとして1863年に制定され、もう一方がラグビーとなって発展したのだ。おもしろいのは、この時点に至ってもケンブリッジ大学派、ラグビー校派のどちらにおいても手を使うことについては異議が出ていなかったこと。スローイン、ゴール・キーパーなど、近代サッカーにおいていまだに手を使うことが許されるのは、こういった歴史の名残りだという。
ラグビーの歴史を語る際に必ず出てくるのが、ラグビー校出身の実在の人物ウィリアム・ウェブ・エリス少年の物語。「サッカーの試合に熱中していた彼が、興奮した余りに思わずボールを手に持って突進してしまった事件がラグビーの原型となった」という、少年のひたむきさとラグビーへの情熱を表した美しきエピソードとして語り継がれている。
しかし実際のところ、この事実を裏付けるさしたる証拠はないという。ましてや前述の通り、そもそもエリス少年が生きていた18世紀前半の「フットボール」では、まだ手を使うことが許されていたのだ。
ではなぜ彼の「伝説」がここまで広まったのだろうか。これに関しては膝蹴りをめぐって分裂したサッカーとラグビーが、お互い本家本元を争う中で創作された疑いが強いようだ。実際エリス少年の物語は、両者の分裂が決定的になった1863年以降になってから聞かれるようになった。美しきラグビー誕生秘話の裏には、そんな政治的な事情が潜んでいたのだ。
ラグビーを好きな人、というとマッチョで強面のイメージばかりが先行するが、実はラグビーのファンは結構マナーが良い。アウェーのファンを競技場の隅っこに追いやった上に相手側のファンを罵倒し続けるサッカーと違って、ラグビーでは観客席がホームとアウェーに分かれていないので、小競り合いなども滅多に発生しない。むしろ試合会場では「良し、ナイス・プレー」といった好意的な掛け声が目立つなど、上品に応援するのが特徴。また「ノーサイド」というラグビー用語が象徴するように、試合終了後には他国のファンと一緒に飲みに出掛けたり、電話番号を交換したりして新たな交流を深める、といった光景もよく見られるはず。プロ化が進むまでは代表選手たちまでもが試合後に対戦相手と一緒に杯を交わし、歌のコンテスト、飲み比べ大会を行うのが「義務」でさえあったという。今でも残るそんなラグビー独特のフレンドリーさって、なかなか良いものだ。
大男たちが激しく体をぶつけあう、猛々しいイメージを持つラグビー。しかし英国においては高貴なスポーツとしての顔も持っており、「サッカーは凶悪な人間による紳士のスポーツ、ラグビーは紳士がプレーする凶悪なスポーツ」という言い回しもあるほど。この点について、ラグビー博物館の館長を務めるジェッド・スミス氏に話を聞いてみた。
かつてラグビー選手には、2つの階層が存在しました。1つは、イングランド北部の労働者階級に属する兼業選手。彼らには生活がかかっているので、試合出場の際に給料の支払いを要求しました。それに反発しアマチュアリズムを標榜したのが、オックスフォード大学やケンブリッジ大学に代表されるエリート階級であり、こちらが後の英国におけるラグビーを先導することになります。
一方、サッカー界は依然エリートによって牛耳られながらも、草の根レベルでは労働者階級を受け入れたことで大衆的スポーツとして認知されるようになりました。日本では、ラグビーというと野蛮なスポーツというイメージを持つ人が多くいるみたいですが、英国では高貴な趣味なのです。ほんの20年ぐらい前までは、若い娘さんが婚約者としてサッカー選手の男性を紹介すれば親は顔をしかめるが、ラグビー選手だったら胸をなで下ろす、そんな時代だったのです。チーム・プレーの要素が強く、仲間との一体感を得ることができるということで、現在でもパブリック・スクールにおける体育の授業ではラグビーの指導が奨励されています。
ラグビー博物館イングランド代表のホームグラウンドであるトウィッケナム・スタジアムに隣接する博物館。「フットボール」がラグビーとサッカーに分化していくまでの過程や、各代表の過去の記録を残した貴重な映像資料を閲覧できる。
Museum of Rugby
Twickenham Stadium
Rugby Road, Twickenham TW1 1DZ
開館時間: 火〜土10:00〜17:00、日11:00〜17:00
料金: £10(学生£7)
Tel: 0870 405 2001
www.rfu.com/microsites/museum
各国会場を渡り歩きながら試合が開催されるシックス・ネイションズの今後の日程は、以下の通り。BBC1でもテレビ生中継されるので、週末のパブは歓声で湧き上がること間違いなしだ。
| 2月10日(土) | 13:30 | イングランド対イタリア ロンドン、トウィッケナム・スタジアム |
| 15:30 | スコットランド対ウェールズ エディンバラ、ムレイフィールド・スタジアム |
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| 2月24日(土) | 15:00 | スコットランド対イタリア エディンバラ、ムレイフィールド・スタジアム |
| 17:30 | アイルランド対イングランド ダブリン、クロークパーク・スタジアム |
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| 20:00 | フランス対ウェールズ サン・ドニ、スダテ・ドゥ・フランス |
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| 3月10日(土) | 13:30 | スコットランド対アイルランド エディンバラ、ムレイフィールド・スタジアム |
| 15:30 | イタリア対ウェールズ ローマ、スタディオ・フラミ二オ |
|
| 3月11日(日) | 15:00 | イングランド対フランス ロンドン、トゥウィッケナム |
| 3月17日(土) | 13:30 | イタリア対アイルランド ローマ、スタディオ・フラミ二オ |
| 15:30 | フランス対スコットランド サン・ドニ、スダテ・ドゥ・フランス |
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| 17:30 | ウェールズ対イングランド カーディフ、ミレニアム・スタジアム |
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1997年11月13日、ナショナル・ロッタリーが778万ポンド(約17億円)を再開発資金として提供することを発表し、バースの街は歓喜に沸いた。それから、約9年の歳月を費やして2006年8月にようやく完成したのが、このテルメ・バース・スパ。新しく完成したニュー・ローマン・スパは、プールが3つ(内1つはトリートメント用のプライベート)に、アロマセラピーを施したスティーム・ルームが備え付けられていたモダンなスパ・リゾートだ。目玉はなんといっても40種以上のミネラルを含んだ「天然の温泉」。ここでは毎日約100万リットルもの湯が湧き出しているのだ(源泉は45℃だが、スパでは36℃程度に薄められている)。屋上には、バースの絶景を眺められるプールがある。 ここで、プカプカ身体を浮かばせながら空を眺めているとまさに極楽。ストレス解消にもってこいの場所だ。
この日受けたのは、ワツという聞きなれないトリートメント。ワツはカリフォルニアに住む指圧師によって編み出されたと言う水中の指圧(Water Shiatsuが語源らしい)のことだそう。トリートメントは、昔から医療施設として使用されてきたという地階のプール、ホット・バスで行われる。天窓から降り注ぐ日差しが爽やかな直径10メートル程のこの円形プールはワツ専用。1度に施術を受けられるのは1人で、施術中はこのプールに他の人が立ち入ることはないという。なんて贅沢。
担当のセラピスト、ジョアンナさんは、いかにもセラピストといった感じの柔らかい雰囲気の女性。ジョアンナさんからワツの説明を受けた後ホット・バスに入り、彼女の腕に頭を乗せ身体を水中に浮かせる。それから後はすべてセラピストまかせ。水中で、まるで揺りかごで揺られているような浮遊感を全身に感じながら受ける軽い指圧マッサージが最高に心地良かった。身体よりも心に効きそうなトリートメントで本格的なマッサージとはまた違うが、この水中を漂う海藻感覚がなんとも深いリラクゼーションに導いてくれるのだ。施術後は、ただただ脱力。出されたハーブ・ティーを抱えたままの放心状態が続き、しばらく現実に戻れませんでした。

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このエンザイムが働いている間、腕、首、肩を念入りにマッサージしてくれたのですが、これがもう最高。力加減が絶妙で、身体がとろけるような極楽気分を味わいました。寒くないようにと、マッサージが終わった部位から大きなタオルに包んでくれる心遣いもさすが(終了時には蚕のようになっていました)。この後、あまりの気持ち良さに少しウトウトしてしまったのか、気付いた時には、3段階最後のエンザイム(レモン)を浸透させ終わった後。
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ウェストミンスター区の運営する公共スパ。自治体運営とはいえ、ターキッシュ・ホット・ルームズ(ターキッシュ・バス)が3つ、ロシアン・スティーム・ルームが2つにフィンランド式サウナと冷水プールがある本格派。インテリアもアール・デコ・スタイルを取り入れたエレガントなものなので、優雅な気分を味わえるはず。曜日によって、男性専用、女性専用、カップル専用と分けられているので、予約時の確認を忘れずに。ボディ・スクラブ、全身パック、マッサージなどの各種トリートメントは別料金(要予約)で受けられる。














フラワー・ショップ、ギフト・ショップも備えたサロン。全面ガラス張りの明るい店内には、マッサージ用のチェアが並べられ、気持ち良さそうにマッサージを受ける人の姿が見受けられることも。これらのエナジャイジング・チェア・マッサージは10分10ポンドからあり、ちょっと疲れた時に気軽に寄れるのが魅力。奥では、ストーン・セラピーなどの本格的トリートメントを行っている。 
スパなどのサロンより敷居が低いので、疲れた時に気軽に立ち寄れるのが嬉しいリフレクソロジーの店。お値段も25ポンドからと良心的。経験豊富なリフレクソロジストが揃っているので、店を出る頃には疲れが溜まっていた足が軽くなること請け合い。65ポンドから出張サービスの依頼も可能(詳細はTel: 07958 088 044)。
映画「Miss Potter」(邦題:ミス・ポター)
「Miss Potter」では、湖水地方ならではの美しい風景のカットがストーリーの合い間で効果的に使われている。その1つが、1929年にポターが購入したターン・ハウズと呼ばれる小さな湖と、その周りを囲う広大な敷地。遠景には山々が連なっており、その他の観光スポットとは一線を画した険しいぐらいの野性味溢れる景色が広がっている。この辺りまで来ると観光客の数もぐんと減るので、湖水地方のまた違った顔を発見することができるかもしれない。特にターン・ハウズを取り巻く周囲約2.5キロの散歩道はのどかで美しい。
後にポターの夫となる事務弁護士ウィリアム・ヒーリス氏の事務所として撮影に使用されたのは、ちょっと意外な場所。ここはかつてラム酒貿易で栄えたホワイトヘブン地区の歴史をテーマとしたエンターテイメント施設なのだ。施設内にはこのラム酒貿易で莫大な資産を築いたジェファーソン一家のオフィスがあるのだが、「Miss Potter」撮影のためにわざわざ改築が施されたという。かつては貿易に関わる作業について細かい指示を出し、また労働者たちの監視を行ったといういわば司令塔が持つ独特の気高い雰囲気が、当時の事務弁護士が働いた事務所の再現に一役買っている。
ロンドンの実家を離れて湖水地方に住まいを移したポターが、ヒル・トップと呼ばれる自宅の庭で楽しそうに農作業を行うシーンがある。その撮影が行われたのがこのユー・トゥリー・ファーム。実際ここは、地元の再開発計画から守るためにポターが購入した農場の1つであった。さらにはこの敷地を使って当時はまだ珍しかったB&Bの経営に乗り出し、アフタヌーン・ティーがたしなめる喫茶室まで作ったという。当時の面影はそのまま残っており、敷地の狭さから撮影が見送られた本物のヒル・トップに代わってロケ地としての役割を見事果たした。
「Miss Potter」のストーリー後半で、レニー・ゼルウィガー演じるポターが湖畔で佇む姿を捉えたシーンが度々出てくる。このロケ地に多く使われたのが、湖水地方の巨大な国立公園の一部となっているダーウェント湖。実際この界隈には、ポター自身が41歳になるまで家族と一緒に休暇を過ごした別荘があった。ポターはこの地において目にした木々や庭、その他の風景を描いた多数のデッサンを残しており、特に「ベンジャミン・バニーのおはなし」や「ティギーおばさんのおはなし」などの物語の舞台として知られている。
ロンドンに住んでいた幼き頃のポターが湖水地方へと家族旅行に出掛ける時、また大人になったポターが両地間を移動する際と、2回にわたって大きく映し出されるのが高架橋。英国北部の田園地帯という見晴らしの良い風景の中を、蒸気機関車が走っていく姿は圧巻だ。ロケ地として使われたのは、今でも運行を続けるセトル・カーライル・レイルウェイの線路上。イングランド中央部のリーズからスコットランド近郊カーライルまで北上しながら、英国の田舎に残る美しい風景を車窓に次々と映し出す、希少な路線である。
こちらはポターが湖水地方での生活の拠点とした本物のヒル・トップ。家の庭には、彼女が描いた物語の場面そのままの光景が残っている。
絵本に登場するキャラクターの展示するなど、絵本の中の世界をできるだけ忠実に再現した博物館。小さなお子さんなどは、ここに来ればまず間違いなく喜ぶはず。
小さい頃に受けた英才教育のお陰で、風景画の教養と技術も持ち合わせていたポター。ここでは絵本の世界とはまた一味趣の違った水彩画などが展示されている。
当時ヒル・トップに住んでいたポターが購入した別荘。ここで「カルアシ・チミーのおはなし」や「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」を描いたとされる。
まだコンピューターが存在しない時代。当時そのままの状況を保存したこの博物館において、印刷所を訪れたポターが厳しく注文を付けるシーンが撮影された。

19世紀の英国を舞台とした「Miss Potter」では、上流階級出身のポターが馬車を使って移動する場面が多く見られる。これらの撮影の大半が行われたのが、ご存知ハイド・パーク。
撮影のため、2006年に湖水地方を訪れた
「そもそもマドンナの家で働くようになったきっかけは、まだ赤ん坊だった彼女の長男の離乳食作りだったんです。普段の住み込みシェフが10日間、休暇を取る際の代理を探していて。私は当時クシ・インスティテュート(米国にあるマクロの教育機関)で料理講師をしていたので、ほんの短期出張のつもりで」。
マクロの学校に入るにはまず英語が必要とボストン大学の語学コースをとったはいいが、貯金が底を尽き始め、途方に暮れていた頃、久司道夫氏の書生と親しくなった夫に付いて久司家に遊びに行ったのを機に、一家の住み込み料理人の座を得る。
マクロと出逢い、その道を進むと決めて以来、西邨さんが目指してきたものはただ1つ、「マクロを世界に広げて、人類の平和を実現させる!」。マクロの父、桜沢如一の夢をそのまま継いでいる。途方もなく大きな夢に思えるが、西邨さんは、着実に一歩ずつ前進している。マクロを勉強し、今度はそれを教える立場になり、我が子の通う学校でマクロ・ランチを販売する、ということもやってのけた。マドンナのシェフになったのは「有名人に実践してもらうことで、マクロが一層広まることを期待して」。2005年末には初の著書を出版。次のステップは、と聞くと「そうね、マドンナのおかげで私も少しメディアに注目してもらえるようになったので、便乗して(笑)あと数冊本を出したいです。それから、今まで食が専門だったけれど、マクロのもっと根本的な『宇宙の法則』について、英語で講義してみたい。そうそう、自然農法も普及させたいので、指導できる人たちと1年ごとに、必要とされる国を移動していくのもいいわね」……とプランは尽きない。







「野菜、魚などその度に買うナマモノは、あまりローカル栽培やオーガニックにこだわりすぎなくていいけれど、料理の基本となる調味料、主食の穀物、乾物などは、必ず『いいもの』を使ってほしいですね」。毎日使うものだけれども1度買えば長期保存できるから、買える時に買っておけばOK。





英国人男性の憧れと言えば、ジェームズ・ボンド。そして、そのボンドの愛車として有名なのがアストン・マーチンだ。映画007シリーズ「ゴールドフィンガー(1964年)」ではアストン・マーチン社(1913年設立)の「DB5(1963-65)」が、主人公ジェームズ・ボンドの駆る「ボンド・カー」として初登場している。同ブランドは、当時から高出力スポーツカーとして名高く、「DB5」には直列6気筒・排気量4リッターのエンジンを搭載、282馬力を発生した。その後も「リビング・デイ・ライツ(1987年)」に、英国発のスーパーカーといわれる「V8-Vantage(1977-89)」(V型8気筒、5.3リッター、315馬力)が、「ダイ・アナザー・デイ(2002年)」では「V12-Vanquish(2001-)」(V型12気筒、5.9リッター、430馬力)が登場している。このような速くてかっこいいアストン・マーチンは、サッカー選手のデービッド・ベッカムを始めとする多くのセレブリティが所有していることでも有名だ。
オースティン社の「A30(1951-56)」を見てみよう(写真右上)。日産自動車が1963年に発売を開始した「初代ブルーバード310型」(写真右中央)との関係がわかるだろうか。日産自動車は戦後、技術的な遅れを取り戻すため、オースティン社と技術提携を結び、1953年から「A40」、1955年からは「A50」を生産した。そして10年後の1963年に満を持して登場したのが「初代ブルーバード310型」だった。このほか、いすゞ自動車は英国のヒルマン社(1907-76)から「ミンクス(1932-66)」の提供を受け、その名も「いすゞヒルマンミンクス」(写真右下)として販売していたが、これはすでに忘却の彼方の出来事となってしまった。その後、日本車メーカー各社は、高度成長期(1950〜70年代初頭)を通じて独自の道を歩んでいくため、古き良き時代の英国車の面影は無くなってしまうが、「A30」のようなルーツがあったことは記憶にとどめておきたい。
世界3大レースのひとつ「ル・マン24時間耐久レース(1926-現在)」は、戦後間も無く再開された。英国車では、ジャガー「Dタイプ(1954-57)」などが活躍し、戦後10年間で6勝を挙げている。しかし、1959年の勝利を最後に英国車メーカーは勝利から遠ざかり、1988年に再びジャガーが勝利するまでに30年もかかった。こうした記録からも、英国自動車業界の戦後の浮き沈みを窺い知ることが出来るだろう。

ロンドン北方にあるシルバーストーン・サーキットでは、ロータス・イクシージでトレーニングを受けることが出来る(半日コースで155ポンド〜)。しかも、半日集中トレーニング・コース(275ポンド)なら日本人インストラクターがいるので、言葉の心配いらず。爽快で質の高いアドバイスを受けながらのドライビング体験ができること確実(事前に、インストラクターの中納さんに直接予約要)。その他、ケントにあるブランズハッチ・サーキットでもフォーミュラ車などのドライブ体験ができる。
ソールズベリーの西に位置する英国最大の自動車博物館。外見的にはビューリーにやや劣り寂れた感じもするが、一度館内へ立ち入れば、その品揃えには圧倒されること間違いなしだ。ヨーロッパの赤いクルマばかりを一堂に集めたコーナーでは、英国とイタリアの名車を堪能できる。敷地内にはショート・サーキットを併設しており、イベントの無い日には、自分のクルマを走らせることも可能だ。
マナーハウスと併設されるビューリー自動車博物館は、サウスコースト「サザンプトン」近郊にあるテーマ性の高い施設だ。1890年代の車から最近のレース・カーまで幅広く取り揃え、映画007に登場した様々な自動車を展示するコーナーもある。施設内には、モノレールやラジコン・コーナーなどもあり、奥様やお子様連れにも優しい。また、春から夏にかけては「オート・ジャンブル」や「ボート・ジャンブル」と呼ばれる催し物が定例となっており、大陸からの出展者もいる賑やかな雰囲気を楽しむことも可能だ。今すぐ、ホームページをチェックしてみよう。

英国の「あったか料理を愛する人」代表は、14世紀のイングランドを支配したリチャード2世。彼は下層階級から莫大な税金を徴収する一方、自身は華麗な服装に身を包み道化師と戯れながら、毎晩のように1万人に及ぶゲストを招待して宴を催す、中世における典型的なお祭り好きの王として知られていた。当時英国で一番のグルメでもあった彼は、宮殿内に2000人もの料理人を雇用。後の歴史家からは「キリスト教圏にある王の中では、歴史上一番の大食漢」と呼ばれるほどだった。
1671年4月、太陽王ルイ14 世が隆盛を極めるフランス。重職から外された年老いた英雄コンデ大公は、国王に再び取り入ろうとシャンテ ィイ城において後世に伝わる 3日3晩の饗宴を開いた。この時ヴァテールは、料理人としてコンデ公に仕えていた。
ドイツ代表は19世紀に統一ドイツ初代の首相であり、鉄血宰相として世界史の教科書などでもすっかりお馴染みのオットー・フォン・ビスマルク。いかめしい顔付きからはなかなか想像がつきにくいが、かなりの美食家だったようだ。朝夕食はそれぞれ5品のフルコース・メニューで、朝食には卵16個、夕食には生牡蠣を一度に175個も食べ、「軽い」昼食でもキャビアや燻製うなぎをメインに食べていたというから、64歳で体重124キロを超え、医者から厳しいダイエット を申し渡されたというのも無理はなかろう。






















































「辞めろ」コールが頂点に達し、ついに「辞めます」と言わされたブレア首相。今年は全然いいことなかったね。まずは5月の地方選でボロ負け。「責任取れ」の声が響く中、速攻で内閣大改造を実施、世間の目をくらましてたっけ。でも、謀反が起きても造反議員の要求に逆らって辞任時期を明確にしなかったのには首相歴9年半の意地を見た気がしたな(ブラウン財相の項も参照)。シェリー夫人は、ブラウン財相が党大会の演説で「過去最も成功した労働党党首・首相と仕事できて光栄」と言ったのを耳にして「嘘つき」とポロリ、期せずしてトップ・ニュースに。「言ってないわよ!」って反論してたけど、まあ夫は立場上、「ゴードンの馬鹿」とか言えないしね。
党首1年生の今年は、受け狙いのギミックばかり目立った印象。「地球温暖化の実態を見る」とやらでノルウェーの氷河に行ったかと思えば、トーク・ショー出演や米国人ラッパーとの会談(?)、「ビデオ・ブログ」の発信と、「クールでヒップで地球に優しい」新生保守党を売り込もうとあの手この手。肝心の政策はアレ?ってな感じで、ブレア路線を真似し過ぎの「ブラメロン(Blameron)」なんて言われる始末だからしょうがない。党内右派からは非難轟々だってさ。
公私で幸不幸入り混じった1年。9月に若手議員数人がブレア首相の辞任を要求して政務次官職などを辞任、首相が「1年以内に辞める」と言う羽目になったのは記憶に新しいけど、これ噂によるとブラウン財相の企みによるクーデター。長年の夢、首相の座がいよいよ近付いてしてやったり……と思いきや、実は7月に生まれた二男が遺伝性の病気「嚢胞性繊維症のうほうせいせんしょう」を発症してた。これで首相への野望がついえるってことはないだろうけど。来年こそは要注目か!?
2006年はベッカムにとって大きな転機の年だった。W杯で負傷退場しベンチで顔を紅潮させ、勝敗が決する前から涙する姿は雄弁だった。ベッカムはサッカー人生の集大成が終わったことを知っていた。もともとスタミナがある選手とはいえ高齢化による体力の衰えは隠せない。デッド・ボールでは依然、右に出る者はいないが、セット・プレーという極めて限定された分野に人員を割くほど、サッカーは優雅ではない。90分戦い抜く力のない者は容赦なく切り捨てられる。今後は米国のサッカー・リーグに移籍しハリウッド・デビューする話もある。そもそも、甘いマスクとセレブ妻というピッチ外の要素で大ブレークした選手だけに、これからが貴公子の本領発揮といったところか。
大会直前に骨折するも奇跡的にW杯に間に合ったルーニーだが、準々決勝で一発退場、1998年W杯でのベッカム同様の非国民に。その後も素行は悪化するばかりで、パブで婚約者を中傷したブラックバーンの選手を殴打。激しい闘争本能を持つが、一瞬にして頭が沸騰する危険もはらむ。能力には非の打ち所がなく、どのポジションでも超一流。その怪童の唯一の弱点に相手がつけこむのは当然。もう大人なのだから、自己分析をして自制心を身に付けて欲しい。
ルーニーより酷かった。W杯中、厳粛な生活を送る選手たちと反対に、日中は衝動買いツアー、夜はドンちゃん騒ぎ。誰が主役なのかまったくわきまえておらず、それを追っかけるメディアも節操がない。ベッカム夫人ビクトリアは士気高揚のためと称し、毎晩酒宴を開催。泥酔した歌手シェリル・トゥイーディは深夜就寝中のアシュリー・コールに電話する規律違反を犯す始末。マクラーレン新監督が今後のWAG出入り禁止の方針を打ち出したのも当然だ。
10月にマドンナ夫婦がマラウイの孤児院を訪れて以来、メディアはハチの巣をつついた状態だったけど、デービッド君の養子縁組に関して賛3否7くらいの割合かしら。印象に残ったのは、BBC「ニューズナイト」のインタビュー。あちこちにろうそくが灯されたNYのスタジオに、黒いドレスの厚化粧マドンナが鎮座。ピリピリした空気が伝わってきて、やっぱり映像のインパクトは大きかった。「飢えや病気で死んでいる子供たちを無視できる?」、「何をしても物議を醸すのは承知の上。今後養子に関する議論がされるのは大いに結構」って、高飛車よね。すでにカバラの赤い糸を腕にしたデービッド君だけど、この先独裁ママに何から何まで縛られそうで、とっても不憫。
前のブロスナンが男前だっただけに、この38歳の丸顔丸鼻に44年続く「007」6代目ボンド役が決まった時、世間の評判はイマイチで、「craignotbond.com」なるサイトもできたほど。でも、蓋を開ければ「007/カジノ・ロワイヤル」は超ヒット。これでジュード・ロウを完抜きしたわね。長すぎる鼻の下が妙に気になるけど、鍛え抜かれた超マッチョな身体は歴代ボンドの中で一番セクシー。かつてはシエナ・ミラーやケイト・モスと噂になったけど、今の彼女は日本人ハーフの模様。
11月の「ワールド・ミュージック・アワード」に、アルバム売上げ1億枚以上の功績を讃えられて出演し、英国では約10年ぶりのパフォーマンスを見せたけど、結果は散々。「ウィ・アー・ザ・ワールド」で歌が聞こえたのはわずか2小節、しかも高音部が出ず。当のマイケルはNOBUで食事後、Topshopで深夜のお買い物。翌日「メリー・ポピンズ」の観劇に出掛け、押し寄せるファンにマスカラ流して感涙。その顔はまるで「スリラー」だったわ。
高値堅調を更新しているカップルね。ケイトはますます売れっ子だし、ピートはライブはいつも完売、BBC2ドキュメンタリー「アリーナ」の常連(2年で3回)で、「ガーディアン」紙など高級紙からの評価も高い。チャブからインディー、インテリ層まで幅広くアピールできるのが彼らの強みでしょう。偽巨根芸人、R・ブランドとの浮気や劇場版「リトル・ブリテン」のゲスト出演、ピートの数度にわたる薬物所持逮捕・出頭、リハビリ、カメラマン暴行、浮気と相変わらずネタにも尽きなかったし。次の山は結婚・妊娠・出産の三寿。ただ、ビクトリア& デービッド、ジュード& シエナのように、誰でも必ず凪が来る。ヤク中ロッカーの厄年27歳を無事終え、薬絶ちで太ったピートにもうその兆候が出ているわ。
5月の破局公表後、それぞれチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の離婚弁護士を雇って戦いの火蓋が切られたけど、序盤でここまで激闘になるとは。ポール側の銀行口座凍結、家の鍵換え、洗剤3本を持ち出した抗議文、ヘザーのポルノ・モデルの過去、高級娼婦疑惑、ポールの暴力行為を綴った陳述書の草稿スクープ、前妻故リンダの心中告白テープの存在発覚って、まだ訴訟始まってませんけど。結婚4年で慰謝料の最高額が450億円とは、オノ・ヨーコ以来の悪女伝説誕生だわ。
7回続く「ビッグ・ブラザー」でもインパクト一番だったピート。トゥレット症候群のパンクスってそういないでしょ。病気の認知度も全国区になって、誰ももう「トイレット? ああトゥレット」とは言わない。相方ニッキーは10代の大半を拒食症で入院、強迫神経症でかんしゃく持ちの精神年齢5歳。キャラ的に日本のバラドルと大差なく、衝撃度は中。数週間でピートが振ったというが、ヤラセか打算ね。既に過去の人々で、本当、テレビのスピードって怖い。

ミレニアム・ドームを設計した建築家、リチャード・ロジャースが手掛けた巨大なテントが目印のアウトレット。広大な敷地に約80店以上が軒を連ねる。ギャップ、リーバイス、トミー・ヒルフィガーなどの親しみやすいファッション・ブランドの他に電化製品、日常雑貨、CD、玩具なども販売しているので家族みんなで楽しめるのがポイント。年間を通じて割引率は定価の50%、年に2回のクリアランス・セール時期には70%オフの商品もあるので、セール情報はくまなくチェックしたい。
スコットランド観光の際には是非立ち寄りたいアウトレット・ビレッジ。LKベネット、エピソード、ポロ・ラルフ・ローレンなど50以上のブランドが常時最大50%引きとお得感タップリ。昨年は、ツーリスト向けのショッピング・モールとして5ツ星の評価を受けている。湖水地方や世界遺産に指定されているローマ帝国時代の遺跡ハドリアヌスの壁などは、ビレッジから約1時間以内で行ける。
パリから東へ160キロ。16世紀の街並みを残した古都トロワは、アウトレットのお店がたくさん集まったショッピング・パラダイスとして有名。北には高級ブランドが揃う「マカルチュール・グレン」、南には少しカジュアルなラインナップの「マルク・アベニュー」がどっしりと構え、他にも個別アウトレット店などが総計264店舗、軒を並べている。買い物ついでに、フランスの田舎町の雰囲気も味わえるお得な場所だ。北と南の2大センターは公共バスで結ばれているので、移動も便利。

中世の美しい街並を残すヴェルトハイム。その郊外に2004年オープンした「ヴェルトハイム・ヴィレッジ」は中世の趣を残したアウトレット・ショッピング・センターだ。敷地内には、アルマーニ、バリー、ヴェルサーチ、トミー・ヒルフィガー、ナイキなどのブランドのみならず、シュタイフのテディ・ベアなどの多彩な店舗が約80店並び、観光客のみならず、地元民も足繁く通うスポットとなっている。幻想的な雰囲気を醸し出すニュルンベルクのクリスマス・マーケットも近くなので、足を伸ばしてみては?
今スペインでは、マドリッド郊外のベッドタウンなどに続々とショッピング・モールがオープンしている。中でも人気の「ラス・ロサス・ビレッジ」は、世界各国の主要都市の目抜き通りをイメージして建築された街並みが素敵。バーバリーやヴェルサーチなどの高級ブランドのほかにも、アクセサリー、スポーツ用品、インテリア・グッズなど50以上のブランドの前シーズン品が、30~60%引きの価格で販売されていて、お土産探しにも最適。

あらすじ:
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ロイヤル・バレエ団のプリマ
Royal Opera House
「バレエを観てみたいけど、楽しめるのか不安。それにまず何から観たらいいの?」という皆様。この特集では、ビギナーから玄人ファンまで大満足間違いなしの2つの「白鳥の湖」を取り上げ、ご紹介いたします。左頁は年齢を問わず楽しめる英国バレエ界最高峰のロイヤル・バレエ版。右はトレンドに敏感な若者から舞台芸術にうるさい熟年層をうならせる鬼才振付・演出家マシュー・ボーン版。それぞれのあらすじと見所をまとめたこのマニュアルを手に、是非一度劇場に足をお運びください。(茉莉・あんじぇりか)
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マシュー・ボーン版主役
Sadler's Wells Theatre

バレリーナの1日は、通常10時30分頃から1時間半行われる朝の団員クラスから始まる。ダンサーたちは思い思いのレッスン着で、男女に分かれてスタジオに集合。指導者の指示の下、バーを手にしながら膝や股関節、足、爪先のウォームアップをする「バー・レッスン」から始まり、続いてバーから離れ、旋回技や跳躍、踊りのステップを練習する「センター」と呼ばれるお稽古が行われる。11時30分、フレンド・オヴ・コベント・ガーデン(バレエやオペラ愛好家による友の会組織)のメンバーを観客に、公開リハーサルが始まった。タマラは入団2年目にして注目を浴びる大型新人のマクラエを相手役に27分の抽象作品を踊り抜き、観客から温かい拍手をもらった。
主役バレリーナが舞台を務め終えるのは夜22時30分頃。メイクを落とし、シャワーを浴び楽屋口を後にするのは23時を回る。さらに楽屋口で待っていてくれている熱心なファンにサインをするなどしていると、家に帰り着くのは深夜。心身ともに舞台の興奮から冷めやらぬため、就寝時間は1〜2時になることが多い。だが、どんなに遅く眠りにつこうとも、日曜日以外は翌朝10時半からレッスンに出なければならない。本誌編集部が取材した日は、「現代バレエの夕べ」世界初演の前日。朝11時30分から同作品の最終調整である公開リハーサルが行われるとあって、団員クラスも通常より早く行われた。ちなみにロイヤル・バレエに所属するバレリーナたちは、コベント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスの最上階にある3つのダンス・スタジオで練習を行っている。ここでバレエ団の団員たちが男女に分かれてウォーム・アップを行う団員クラスや、作品の振付を習うスタジオ・リハーサルに励むのだ。
13時になると、茶色のレオタード、お稽古用チュチュ、レッグ・ウォーマーに着替え再び最上階へ。この階に設置された大きなスタジオには、タマラと彼女が師事するアレクサンダー・アガチャノフ先生、相手役のカルロス・アコスタとピアニストの4人が集まっていた。ロイヤル・バレエに所属するバレリーナの中で最も大きなスター性を持つタマラは、バレエ団きっての男性スター、カルロスとの共演が多い。女性的魅力あふれるタマラを、その大きな包容力で受け止めるカルロス。ウルトラC級美技の掛け合いも、2人を観に行く大きな楽しみの一つだ。そんなスター同士でありながら、おごったところのない2人によるリハーサルは、始終和やかに進む。動物的な勘と身体能力を備えるカルロスは、リフトや女性のサポートにも優れ、先生はダメ出しする必要がないほど。
朝早くからの団員クラス、直後に身体能力を極限までふるって挑戦した新作の公開リハーサル、その後に続いたマンツーマンの練習。汗をぬぐい、息を切らせ、時に水分を補給しながらも1分たりとも休むことなく、限られた時間に完全燃焼しようとするタマラ。小さな頃から日々レッスンをして手に入れたスターの座は、汗と努力、食事制限などの節制なしには守れないという厳しい現実。心底踊りが好きで、様々なことを犠牲にできる覚悟ある者だけが極められるプリマ・バレリーナという職業。ステージの上で可憐に微笑むバレリーナの毎日が、こんなにも激しいものだったとは。
14時30分にリハーサルを終えると、楽屋でインタビュー。1日のうちのほとんどを劇場で過ごすバレリーナにとって、楽屋はとてもプライベートな空間だ。タマラは楽屋を先輩プリマのリアン・ベンジャミンとシェア。と言っても、2人が同じ日に舞台に立つことはまずないから、夜はほとんど1人で過ごせる。取材当日の午後も楽屋に先輩の姿はなく、タマラは窓際の自分のコーナーでリラックス。壁には大好きな有名闘牛士エル・フリから貰ったサイン入り写真や、北斎の浮世絵絵葉書などカラフルな写真がたくさん貼られている。
◇控え室で語ったタマラの言葉




サッパリとした甘い桃の風味
世界中の女性に捧げる
シンプルだけど奥が深い
「ティー」とは名ばかりのツワモノ
物悲しさを秘めた大人の味
ミントの風味でサッパリと
ロック・スターも惚れ込んだ






