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Sun, 11 January 2026

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「ファンタスティックス」の パブリシティー懇談会が開催

宮本亜門「ファンタスティックス」の パブリシティー懇談会が開催

ファンタスティックスロンドン中心部ストランド近くにあるプライベート・クラブで4月22日(水)、宮本亜門演出のミュージカル「ファンタスティックス」のキャストおよび製作チームとパブリシティー関係者の懇談会が開かれた。

稽古が始まって3日が経ったというこの日、宮本氏を始め、キャストらは稽古場から直接現地に駆けつけるという多忙ぶり。流暢な英語で複数の関係者らと挨拶を交わす宮本氏には、若干、緊張の色が見られたものの、目を輝かせながら稽古の進捗を語る姿からは、ロンドンでのスタートが順調に切られたことをうかがわせた。

同ミュージカルのプロデューサーや宮本氏の挨拶に引き続いて行われたのは、キャストによる歌のお披露目。ルイーザ役のローナ・ワントさんがチャーミングに「マッチ・モア」を歌い上げると、次にはミュージカル・ファンならずも多くの人が耳にしたことのある名曲「トライ・トゥ・リメンバー」を、物語の要となるエルガヨ役のハドリー・フレイザーさんが聴衆の一人ひとりに語りかけるように歌い、満場の拍手が湧き上がった。

パブリシティー懇談会
会場には、パブリシティーや団体セールの関係者が多数集まった

気軽に話す宮本氏
誰とでも笑顔で気軽に話す宮本氏

ルイーザ役ローナさん
小さな部屋に、ルイーザ役ローナさんの朗々とした歌声が響く

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キャストから一言エルガヨ役
ハドリー・フレイザーさん
エルガヨ役  ハドリー・フレイザーさん
ミヤモトは、詳細な点にまで気を配る演出家だね。こちら(英国)の演出家は全体像を重視する演出家が多いけれど、ミヤモトは一つひとつの瞬間をとっても大事にする、繊細な演出をするタイプだと思う。素晴らしい体験をしているよ。

ハックルビー(マットの父親)役
クライブ・ロウさん

ハックルビー(マットの父親)役 クライブ・ロウさん稽古を始めてまだ数日だけど、(英国と日本の)ギャップを、良い意味で感じている。演出家としてのミヤモトは、役者に自由を与えてくれるタイプ。理屈を長々と述べるのではなく、シンプルかつ明確に演出指示を出してくれるやり方が、個人的にはすごく好きだね。

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舞台美術担当、松井るみさんに聞く

松井るみさん2003年、宮本氏が日本版「ファンタスティックス」の演出を手掛けた際に舞台美術を担当し、高い評価を受けた松井さん。2010年、ロンドン版でも引き続き、舞台美術を手掛けることになった松井さんに、現時点におけるチームの状況をうかがった。

日本版では、舞台の上に客席ともう一つの舞台を置きました。もともとはニューヨークの小さな劇場でやっていたこともあり、大きめの舞台でも散漫な印象にならないよう、密度の濃さを出したいと思って取り入れた手法です。シンプルなお芝居なので、(舞台美術の)何か一つ変えるだけでもだいぶ印象は変わります。俳優によっても変わってきますね。(今回のキャストは)演出家の指示を超えてもっとこうしよう、ああしようという姿勢が素晴らしいなと感じます。

イギリスではサイモン・マクバーニー演出の「春琴」、アメリカでは2004年に宮本さんの「太平洋序曲」を手掛けましたが、日本もイギリスもアメリカも、それぞれシステムが違いますね。例えばアメリカだとユニオン(労働組合)の力が強くて、デザイナーはもの(装置)を動かしちゃいけない、とか、色々決まりがあるんです。それに比べるとイギリスでは「やれば?」みたいな感じで、どちらかというと、日本と近いですね。でもどの国でも、ものの進め方は違っても、ベースには「いい作品をつくろう」という意識があると思います。

宮本さんとはもう10年の長い付き合いになってしまい、舞台をつくっている過程では、叱咤激励というか、言い合いというか、もうしょっちゅうで、「これで終わりかも!」とか思うこともあるんですが(笑)、やはり感性が近いせいか、結果的には同じ方向を向いている。そうやって山あり谷ありの過程を経て、オープニング・ナイトでは、一緒にやって本当によかったな、って思ってしまうんですよね。

公演開始 5月24日(月)〜
詳しいスケジュールは下記ウェブサイトで
チケット £20〜49.50
ボックスオフィス 0844-412-4659
Duchess Theatre
Catherine Street London WC2B 5LA
ウェブサイト www.thefantasticks.co.uk
 

宮本亜門インタビュー

宮本亜門

日本の舞台人が英国に進出するようになって、久しい。日本人の劇作家、演出家、そして俳優が、英国の舞台で活躍する姿も見慣れてきた昨今、一人の演出家が、舞台の聖地、ウエスト・エンドでデビューを飾ることになった。米オフ・ブロードウェイ・ミュージカル「ファンタスティックス」の上演。特筆すべきは、その上演形態が、期間限定ではなく商業ベースの「ロングラン」公演だという点だ。この日本人初となるウエスト・エンドのロングラン公演に挑むのは、舞台ファンならずとも、誰もがその名と顔を知る宮本亜門。ロンドンで稽古を始めて一週間が経ったという彼に、この新たなチャレンジについて聞いた。
(取材・文: 本誌編集部 村上 祥子、インタビュー写真: 前川 紀子)

宮本 亜門
1958年、東京生まれ。役者、振付師を経て、ロンドン、米ニューヨークに2年間留学する。1987年、オリジナル・ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家デビュー。2004年には、ブロードウェイで「太平洋序曲」を演出、同作品は翌年度のトニー賞4部門でノミネートされた。その後もジャンルを問わず数多くの舞台作品の演出を手掛ける。今年4月には、神奈川芸術劇場(2011年オープン予定)の芸術監督に就任した。

「ファンタスティックス」ストーリー
隣同士に住むルイーザとマット。互いに好意を抱く2人だが、そこには大きな問題が。父親同士が敬遠の仲で、家と家の間に壁をつくっているのだ。しかしこの不仲には秘密があった。なんとこの2人、実は大の仲良しで、子供同士を結び付けるため、わざと「恋の障害」をつくっていたのである……。

人間とは何か、生きるとは何かを 問い続けていきたい

少し、風邪気味なのだという。暖かい日差しにつられて、多くの仕事帰りの人々がパブでビールを傾ける夕方6時頃。稽古場の窓を閉め、喉に気を使ってか、小さな、ささやくような声で話続ける宮本亜門からは、穏やかで真面目な人柄が透かし見える。異なる国や文化の下、演出家として活動する苦労を語りつつも、その顔に浮かぶのは、テレビやCMで見るとおりの、子供のような純真無垢な笑みだった。

ウォータールー・ブリッジでの願い

宮本亜門、といえば、ウエスト・エンドと並びミュージカルの双璧をなす、米ニューヨーク、ブロードウェイのイメージが強い。2001年、自身のデビュー作「アイ・ガット・マーマン」を米・スタンフォードセンター・リッチフォーラム劇場で上演。04年にはブロードウェイ・ミュージカルの巨匠、スティーブン・ソンドハイム作曲の「太平洋序曲」を日本人としては初めてブロードウェイ*1で演出、同作は翌年度、トニー賞で作品賞始め4部門でノミネートされるという快挙を成し遂げた。その後も日本で数々のブロードウェイ作品を手掛けてきた宮本にとって、今回の「ファンタスティックス」演出は、英国進出第一弾。稽古が始まって1週間、日本はもとより、ブロードウェイとも違う、ウエスト・エンドでの日々はさぞや勝手が違うのかと思いきや、やりづらいと思ったことは「全くない」と言う。ウエスト・エンドは「仕事をしやすい場所」であり、「しやすすぎて怖いくらい」とまで言う宮本、実は20代後半という人生節目の数年を、ここロンドンで過ごしている。

「21歳から六本木のクラブで素人の女の子相手に振り付けをしていて、そのお金が良かったから、毎年ニューヨークでダンスのレッスンを受けたり、舞台を観ていたりしたんですね。ちょうどその頃、ロンドンで『キャッツ』をやり始めた時期だったんで、ロンドンってどんなんだろうと観に来たら、まあ面白くて、住みやすくて。環境はいいし、伝統もあるし。演技とか、全然ニューヨークと違うんですよね。どちらがいいっていうのじゃなくて、スタイルが違ったり、求められているものがすごく僕にとっては楽だった。例えばアメリカっていうのは良くも悪くも『アメリカン』ってパワーがあるけれど、こちらは皆落ち着いていて、一つのものをじっくり見ていこうという感じだったりして、自分に近いような気がして。すっかりはまってしまって、ここに住みたいって思ったんですよね」。

ロンドンでは、スイス・コテージに住む裕福なシンガポール人女性宅で毎日掃除のアルバイト。それに加え銀食器を磨く仕事で稼いだお金を、舞台観劇とダンス・レッスンにつぎ込んだ。演出家になるためのステップとしてダンサーや振り付け師として活動していたものの、夢は叶わないのではないかという不安がつきまとっていた20代後半。「逃避行のため」ロンドンにやって来たという宮本は、「恐ろしいほど好きな」ウォータールー・ブリッジから望む景色を眺め、演出家になりたいと願っていたという。「20代で何かを成し遂げたかった。一つ何かをスタートさせたい。それが夢だったので、いつか叶えさせてくれって橋の真ん中辺りで祈っていたんですね。それでその次に『ぜいたくかもしれないけどできればロンドンで……』って言っていたのを覚えています」。

それから約25年。いまやその2つの夢が実現した。「人生って生きてみないと分からない。本当に感謝してますね」と言う宮本は今、日々、幸せを噛み締めながら稽古に励んでいる。

ロンドン上演までの紆余曲折

今回、宮本が演出を手掛ける「ファンタスティックス」は、1960年にオフ・ブロードウェイ*2で生まれた。以降、一時的にクローズしたものの、劇場を変えて現在に至るまで上演を続ける超ロングラン作品だ。この作品に宮本がかかわるようになったのは、2003年のこと。日本版を演出し、東京始め国内13都市でツアーを敢行、評判を呼んだ。そして05年に再演。そのとき、その後の人生を大きく変える出会いがあった。「ファンタスティックス」の脚本・作詞を手掛けたトム・ジョーンズが宮本版を観劇、その斬新な演出手法を絶賛したのである。そして2002年、前年に発生した米同時多発テロの影響もあってクローズした「ファンタスティックス」をニューヨークで再び上演する話があり、ジョーンズ氏は「それならば亜門の『ファンタスティックス』がいいよ」と積極的に働き掛けたのだという。しかし、話はその後、一旦は立ち消えとなる。

「じゃあ、ニューヨークでやろうかっていうことになったときに(資金源となる)プロデューサーが現れて、昔の『ファンタスティックス』をそのままやってほしいと。その劇場というのがとてもタイトな空間で、天井も低くて、僕のバージョンが出来ないんですよね。プロデューサーも50年以上続けたいってはっきり言っていたので、やっぱり向こうはロングラン記録を続けるのが目的なんだな、と。だったら僕の出る幕じゃないなって」。

ニューヨークでの上演は無理。そう分かったとき、 次に思い立ったのがロンドンだった。「ファンタスティックス」は非常にシンプルな舞台美術から成るミュージカルだ。かたやウエスト・エンドのミュージカルと言えば、「オペラ座の怪人」や「レ・ミゼラブル」、「キャッツ」など、豪華絢爛な装置が特徴。そんな「壮大に見せる」場所で、このシンプルな「ファンタスティックス」をぶつけてみたかったのだという。「見方を変えれば、お芝居ではピーター・ブルック*3のように、『なにもない空間』をつくり上げてきた演出家もロンドンにはいるわけですよね。そういう2つの文化を持つこの場所で「ファンタスティックス」をぶつけてみたらどうなるんだろうという興味があったんです」。

その後、レスター・スクエア駅近くの小劇場、アーツ・シアターで上演するめどが立つ。「「ああ〜良かった! 1カ月できるね〜」と皆で喜んでいたら、今度は(ウエスト・エンドの劇場)ダッチース・シアターのオーナーが興味を示してくれた。『えー! ウエスト・エンド!!』って驚いているというのが、正直なところなんです」。こう言った後、しみじみと「色々な道程がありました」とぽつんとつぶやいたその口調が、ウエスト・エンド上演決定までの紆余曲折を物語っていた。

宮本亜門

人種混合に込めた思い

そうしてこぎ着けたウエスト・エンドでの「ファンタスティックス」上演。2003年の日本上演にあたり、照明やデザイン、衣装などすべてを大幅に変えたという宮本は今回、また新たにいくつかの点に手を加えている。なかでも大きな変更が、人種の混合だ。2つの家族が核になる本作品。うち一つの家族構成が今回、白人と黒人の両親という設定になっている。宮本に言わせると、この変更は「ロンドンだからこそ」実現した。

「人種問題はニューヨークの方が厳しいと思いますね。黒人は必ずキャストのなかには入るけれども、メイン・キャラクターにはならない。きっと『ファンタスティックス』で(人種混合を)やるのは今でも抵抗があるんじゃないかな。もちろんオバマ氏の大統領就任の後でだいぶなくなってきているとは思いますが。人種という点では、全然こっちの方が混じっていると思う。街を歩いていても、アメリカよりは楽にいられますよね」。宮本自身、ニューヨークでは人種の違いを「すごい感じる」と言う。「ニューヨークは大好きだけど、ちょっと疲れるもの。たとえば友人の住む高級アパートに入って行くと、ピザの配達と間違えられたりね。ニューヨークはすごいお金持ちとかがいて、縦社会が出来上がっているところなので、色々な人種がいるけれどもある職業は絶対取れないというのが現実なので。もちろん、(ロンドンでも)現実には裏では色々あると思うけれど」。

人種問題という意味では、ロンドンの方が楽、そう断言する宮本だが、そこには例外があるという。「劇場関係者が集まるときは、アジア人っていないですよね。徹底的にそうですよ。それはブロードウェイもウエスト・エンドも同じ。なんとかそういう壁を越えたいって思っちゃうんですよね」。特に舞台の世界では「なかなか白人と対等にいられるっていうことがない」、だから「どんどんかき回していきたい」と語る。今回の「ファンタスティックス」の変更には、そうしたアジア人演出家としての宮本の思いが投影されているのだ。

シンプルで繊細でテンダーな作品

これまで、ロンドンで数回、稽古が行われた。演劇を大学で学び、学位を取るのが役者にとっては当たり前のこととなっているここ英国では、役者が役柄を細かく掘り下げ、「自分の言葉」を持って稽古に来てくれるから「すごくやりやすい」と宮本は言う。ただ、それ以外の部分で国による違いは「ほとんど感じない」そうだ。

「日本人だっていい役者もいれば、ああ、これは大変だって方もいらっしゃるし(笑)。いいものは世界を共通していいし、どの国だからいいとか悪いとかはあまりないかもしれませんね。イギリスだってオーディションを見ていると、あ、あれ〜っ? ていう人もたくさんいたし。「えー、この人、歌いに来ていいの〜?」なんて人もなかにはいたしね(笑)。だから必ずしもイギリス人がレベルが高いとは言わない」。

一方、そんな宮本に演出される側である英国人の役者たちは、宮本をどう見ているのか。数人に話を聞いてみると、面白いことに彼らは「違いを感じる」と言う。さまざまな国や文化の下で演出をしてきた宮本に対し、彼らのほとんどが、外国から来た舞台人とかかわった経験がない。通常、何かと井の中の蛙のように見られることの多い日本人だが、ここでは立場の逆転が起こっているようだ。事実、誰もがその違いこそが面白いといって楽しんでいるようだが、なかでも興味深かったのが、宮本の演出は「とっても繊細で、一つひとつの瞬間を大切にしている」という意見。この言葉を宮本に伝えると、面白そうに「細かいことに興味を持っちゃうんですよね、僕」と笑いながらも、こうした姿勢は「この作品だからこそ」なのだとも語ってくれた。

「この舞台は、あまりにも小さいじゃないですか。ちょっとした瞬間の気持ちの意味とか、細かいところをチェックしておかないと、下手したらぱーっと終わっちゃう作品なんですよね。だから今回は、細かいことにこだわるのは悪いことじゃないよっていう風に持っていければって考えているんです。でもだからといって役者をしばりつけたくもないし。その辺の具合が難しいなって思いますよ」。この作品は「すごくシンプルで繊細でテンダー」。だからその良さが観客にうまく伝わるといいな、といつも思っている。

慈しむようにこの作品について語る宮本。ここまで話を聞いてきて感じるのは、宮本の「ファンタスティック ス」に対する並々ならぬ愛情とでも呼ぶべき熱意だ。1960年に生まれたこのシンプルな作品を、なぜ宮本はここまで大切に思うのだろうか。「なぜなんだろう……。『愛についての寓話』という副題が付いているんですけれども、でもそれがもっとも重要というのではないのかもしれない。この作品では、人が成長するときに何を失 い、何を得るのかというのがテーマになっているんですね。人はなぜ生きているんだろう、なぜ我々は生きざるを得ないんだろうっていうテーマが、僕はすごい好きなんだよね。この作品は1幕目なんて本当に楽しくてコメディーなんだけども、今回、2幕は少しビターにして、人間とは、生きるとは、みたいな、若い人たちから歳を重ねた人たちまで、誰もが経験しているような根源的なところを突く演出にしました」。この作品に流れる「誰しもが一度は通ったことのあるような」普遍的なテーマこそが、宮本を長年、この作品に惹きつけているのだ。

宮本亜門

演出とは、人とかかわる術

ミュージカル演出家としてのイメージが定着している宮本だが、その実、ミュージカルに留まらず、ストレート・プレイやオペラなど、舞台と名の付くものならば何でも手掛ける雑食型舞台人である。「ジャンルを決められないし、決めるつもりもない」と語る宮本にとっての、作品選びの基準とは何だろう。

「どうなんだろう……。さっき言ったみたいに、人間とは何ぞやっていうテーマに興味があるから、モーツァルトが好きだったり、ソンドハイムが好きだったりするのも、そういうところに共通項があるのかな。大げさなドラマが次々にくるようなストーリーだと、僕はちょっとなにか照れちゃうところがあるし。例えば自分が『キャッツ』をやらなくてもいいだろうな、僕じゃないよね、みたいなのはどうしても思っていて。そういうのは違うタイプの演出家がやるだろうから、僕はもっとシンプルな、人間とは何ぞやということが基本的なテーマとしてあるものをやっていきたい」。

「人間とは」というテーマを追いかけ、ジャンルを問わずにチャレンジし続ける、そう語る彼の、これまで手掛けてきた作品群を見ると、一つ、気になることがある。もともとオリジナル・ミュージカル「アイ・ガット・マーマン」でデビューした宮本は、数々のオリジナル作品を持っている。しかし近年では、誰か別の演出家が過去に手掛けた作品を演出する、という形を取ることがほとんどだ。舞台だけでなく、映画やアートなど、分野を超えクリエイティブな世界で活躍する宮本だが、舞台作品をゼロからつくりたいという欲求はないのだろうか。そう問い掛けると、「あまりないですね、まだね」というあっさりとした応えがあった。宮本にとっては今、作品の良さを「こんなにいいよ」「こんなに素敵だと思う」というのを引き出すことこそが喜びなのだという。既にでき上がっている作品に、違う視点、違う方向性を与えていくことで、「こんなことを考えてもいいんだ」と観客に思ってもらえることが、うれしい。

もともと、宮本が演出家を志したのは、高校時代、引きこもりだった時期。自分の部屋で音楽を聴いて、「こんなに面白い世界があるんだ」と気付いた瞬間だった。「音楽が聞こえてきたときに、自分の頭の中で色々なものが見えてきたんです。花火とかね。そういう視覚的なものの美しさに感動してしまったんですね」。「音楽から広がる何か」に魅せられた宮本は、音楽やストーリーなど、目に見えないものを視覚化する演出家という仕事に就きたいと考えるようになった。

海外進出を視野に入れた日本の舞台人は、日本人としてのアイデンティティーを前面に押し出すケースが多い。一方、宮本は、アジアのテイストを盛り込んだ作品をつくったかと思えば、純ブロードウェイ作品を次々と日本で演出。果てにはニューヨークで日本の幕末をテーマにした米国人作のミュージカルを演出するなど、何でもござれのスタンスを保っている。こうして宮本が日本人でも何人でもない、「一舞台人」としての立場で舞台とかかわっていられるのは、まず最初に「作品ありき」で、作品自体に宮本が最大級のリスペクトを払っているからではないか。既にある世界を自分の色に染め変える、そんな形だからこそ、日本でも米国でも、そして英国でも、極めてニュートラルな姿勢を保ち続けることができるのだろう。そういう意味で、ウエスト・エンドで外国人スタッフ・キャストとともにブロードウェイ作品を手掛けるという今回の試みは、まさに宮本にぴったりのチャレンジだと言える。

「現実を言うと、ニューヨークもロンドンもあまりに演出家が多いから、わざわざ海外から人を呼ぶ必要はないんですよね。フェスティバルなら別ですけれども。だから今回もなぜ『ファンタスティックス』を日本人が演出するのかって、誰も分からないんじゃないかな。必要性がない、それがかえって面白いと僕なんかは思っちゃうんだけれども。とにかくいい作品をつくればいいと思っている。海外に日本人が入っていって、そのなかで対等に生きていくっていうのは大変なことですよ。アジア人が演劇の世界をかき混ぜていけるかといったら、まだまだ発展途上だと思います。でも僕は未来はいつかそうなるんでしょっていうぐらいの考えで、色々な混ぜ方があるんじゃない、くらいに思っているから。まだまだ壁が壊れていない状況の中で、あえて必死に乗り越えてきゃっきゃ笑っているタイプなんだなって。笑っているっていうか、楽しむっていうか」。

「ファンタスティックス」のオーディションでも、演出家がアジア人だと分かり、ひるんだ参加者もいたとさらりと笑う。「ファンタスティックス」ロンドン公演。5月24日初演、終演日未定。日本人初のこのチャレンジも、こんな宮本だからこそ、「乗り越えるべき壁は高い」と認める厳しい現実のなかでも、笑顔を絶やさず、楽しむことができるに違いない。

今回のインタビュー、話の節々から演出家としての仕事を心から楽しんでいる様子が伝わる宮本に、舞台人としてのあり方を問うと、「僕はね、ぶっちゃけた話、舞台人と思ったことがないんですよ」という肩すかしな返答が戻ってきた。宮本の心にあるのは、「ただ自分がわくわくできること、自分がやっていて幸せだーって思えることを、とにかく死ぬまでやっていきたい」という思いだけ。だから「舞台が好きでしょうがない今は、できる限り続けていきたいと思うけれど、特に自分が舞台人と思ったことはない」。そう語る一方で、かつては家に引きこもり、他人とどう交流していいか分からなかった自分にとっては、舞台こそが人とつながる術だとも言う。「舞台というスキルを偶然いただいていて、本当に感謝ですね」と語る宮本は、舞台人と思ったことはないという言葉とは裏腹に、きっとこれからも、舞台という神様からの贈り物を慈しみ、楽しんでいくことだろう。

12… ブロードウェイは客席数が500席以上で限られたエリアに位置する劇場。エリアを外れたり、規模が小さくなるにつれ、オフ、オフオフと呼ばれるようになる

3 …英国を代表する舞台演出家。役者が演技するという行為こそが舞台芸術の核であると著書「なにもない空間」で主張した

公演開始 5月24日(月)〜
詳しいスケジュールは下記ウェブサイトで
チケット £20〜49.50
ボックスオフィス 0844-412-4659
Duchess Theatre
Catherine Street London WC2B 5LA
ウェブサイト www.thefantasticks.co.uk
 

オリエンタルな英国有名人の成功術

在英邦人にとっての希望の星 オリエンタルな英国有名人の成功術

英語圏では、日本人と合わせて「オリエンタル」と一括りにされることも多い、中国、韓国などを含む東アジア出身の人々。英国に暮らしていると、外見が似ているからか、こうした人々に今まで以上に親近感を抱いてしまったりする一方、現地社会に上手く溶け込み、たくましさを発揮する姿が眩しく見えることもある。実際、英各界の第一線には、東アジア出身の人材がたくさん存在する。そんな彼らの勇姿に学ぶべく、英国のオリエンタルな有名人を紹介する。
(本誌編集部: 長野雅俊)

成功の秘訣
円滑なコミュニケーションのために
自道に勉強して語学を習得する

パク・チソン
Park Ji-Sung
サッカー選手 29歳

イングランドのプレミア・リーグ の強豪、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)に所属するサッカー選手。日本の京都パープルサンガ、オランダ・リーグのPSVアイントホーフェンで数年ずつプレーした後、2005年にマンUに移籍した。

各国代表チームではスター選手なのに、欧州リーグでの活躍はいまいち、というアジア選手が多い中で、同選手は例外的にイングランドでも存在感を存分に発揮。「酸素タンク」との別名を付けられるほどの豊富な運動量とスタミナで、常勝を宿命付けられたマンUの貴重な戦力となっている。

そんな同選手を支えているのが、「他の選手とコミュニケーションを図るために、語学を学ぶことは絶対に必要」という信念。Jリーグ時代は大阪経済法科大学で学び、英国では週に2、3回の頻度で英語のマン・ツー・マン指導を受けて日本語、英語を習得。現在ではどちらの言語でインタビューを求められても、通訳なしで堂々と応じることができる。

疲れ知らずの献身的な働きだけでなく、習得した現地語を通じて、チームメイトとの円滑なコミュニケーションを図る。彼ならきっと、どの国に行っても、周囲の信頼を勝ち取ることができるだろう。

成功の秘訣
アジアの伝統と
西洋の合理的な経営手法を融合させる

Alan Yau

アラン・ヤウ
Alan Yau
レストラン経営者 48歳

日本風料理チェーン「ワガママ」、ミシュランを獲得した高級中華レストラン「ハッカサン」と「ヤウアチャ」、客単価200ポンドといわれる超高級日本食レストラン「酒の花」などで、英国の食品業界に革命を起こしたレストラン経営者が、アラン・ヤウだ。

香港生まれ。12歳のときにイングランド東部ノーフォークに家族揃って移住するも、まだ外国人の存在が珍しかった1970年代当時の、しかも地方における移民生活は、「非常に厳しいものだった」という。

同地で中華レストランを経営していた両親に育てられた彼は、大学を卒業すると、香港のマクドナルドやロンドンのケンタッキー・フライド・チキンでのアルバイトに精を出すようになる。これらの経験を通じて、アジア料理のメニューと西洋的なファーストフード店の経営手法を融合させた「ワガママ」の構想を思いついた。同店が成功を収めた後、やはり西洋的なマーケティング手法を駆使しながら、タイ、中華、和食をテーマとした新店舗を次々と開店している。

アジアの伝統を西洋的にアレンジして成功したという意味で、自らを「ブルース・リーみたい」と述べる彼の成功の秘密は、その見事なまでの折衷主義にあるのかもしれない。

成功の秘訣
繊細で丁寧なもの作りで
英国王室のお墨付きをもらう

Jimmy Choo
Picture by: Chris Radburn/PA Wire/Press Association Images

ジミー・チュー
Jimmy Choo
靴職人 49歳

世界中のセレブたちに愛用される高級靴ブランド、ジミー・チューをつくり上げた靴職人の成功物語は、ロンドン東部の病院跡に設えられた作業場から始まった。

マレーシアの中国系一家に生まれる。靴店を経営していた父親に、幼少時から靴作りを手取り足取り教えてもらい、11歳のときには既に1人で靴一足を仕上げたという。靴作りを極めようと、後にロンドン・カレッジ・オブ・ファッションとなる英国のアート学校に留学。レストランや靴工場で清掃の仕事をして学費を稼ぎながら、優等の成績で卒業した。

その後、ロンドンで本格的な靴作りを始める。その品質の高さが徐々に評判を呼ぶようになり、1988年に「ヴォーグ」誌が大々的に取り上げると、人気は急上昇。1996年、同誌の編集者と共に自身の名を付けた高級靴ブランド「Jimmy Choo」を立ち上げ、その名は世界中に知れ渡るようになった。

ハリウッド女優から各国の王室メンバーといった面々が顧客リストに名を連ねる中で、同ブランドの最も熱烈なファンが、故ダイアナ元妃だったという。繊細な手仕事を通して世界的なブランドを確立する彼の姿は、同じく手先が器用だとされる日本人にとって、模範例となるに違いない。

成功の秘訣
外国人コンプレックスを
バネにして矜持を持つ

Myleene Klass
Picture by: Chris Radburn/PA Wire/Press Association Images

マイリーン・クラス
Myleene Klass
タレント 32歳

英国人とオーストリア人のハーフである父親と、フィリピン人と中国人のハーフの母親との間に生まれたという多国籍な英国人タレント、マイリーン・クラス。ノーフォークで過ごした学生時代には、肌の色の違いや、いかにも外国人的な名前を理由に同級生にからかわれてばかりいたという。「外国人」とのレッテルは、顔に唾を吐かれるなどのいじめにまで発展したため、一時は褐色の肌の色を隠すために、パウダーを顔に塗りつけて学校に通っていたと後に語っている。

4歳からピアノとバイオリンを始め、後にハープや声楽も学んだ。王立音楽学校を卒業後に出場したテレビの人気オーディション番組「Popstars」を勝ち抜き、ポップ・グループ「Hear' Say」を結成。これで英国人セレブの仲間入りを果たした。同グループ解散後はリアリティー番組への出演などで注目を浴び、現在はモデルとしても活躍している。

芸能界入りしてからは、「金持ちの家を掃除するだけがフィリピン人女性の仕事ではないことを、英国人に分からせたい」という、優しそうな外見には似合わない、強烈な自尊心を持ち続けてきたという彼女。外国人コンプレックスを成功へのエネルギーに変えることで、立身出世を叶えてみせた。

成功の秘訣
日英文化の間を文学的に
自由に行き来してみせる

Kazuo Ishiguro
Photo: Mariusz Kubik

カズオ・イシグロ
Kazuo Ishiguro
作家 56歳

代表作「日の名残り」で、英国で最も権威ある文学賞であるブッカー賞を受賞したのが約20年前。「カズオ・イシグロ」の名は、今では英文学の教科書で名が紹介されるほどになっている。

1954年、長崎生まれ。海洋学者の父親が北海油田の調査に参加するため、5歳のときに英国へ移住。ロンドン郊外で幼少期を過ごし、ケント大学の英文学科、イースト・アングリア大学大学院の創作学科を卒業した。若かりし日は、レコード会社にデモテープを送るなどして、ミュージシャンになることを志していたという。

祖国である日本への憧憬を基にして書いたという処女作「遠い山なみの光」と第2作「浮世の画家」では戦後直後の日本を舞台に設定し、没落する英国貴族の執事を主人公とした「日の名残り」では、「英国人作家の作品よりも英国的」と形容される機微な描写が高い評価を得る。この初期3作において、日英の文化の間を文学的に行き来してみせたことで、彼の作家としての地位は確立された。

既に英国への帰化を済ませており、人生の大半を英国人として過ごしてきた彼だが、最近になって日本語を少しずつ学び始めたという。彼のアイデンティティーは、今も日英の間での行き来を続けている。

成功の秘訣
西洋音楽の伝統を打ち破る
斬新なアイデアを実現する

Vanessa Mae
Photo: Kowarisuki

ヴァネッサ・メイ
Vanessa Mae
音楽家 31歳

タイ人の父、中国人の母を持つ、シンガポール出身のバイオリニスト。日本では、2006年に開催されたトリノ冬季五輪でフィギュア・スケート金メダルを獲得した荒川静香が彼女のアルバム収録曲を採用したことから、その名が知られるようになった。

幼くして両親が離婚。母が英国人男性と再婚したため、4歳で英国に移住した。いわゆる「ステージ・ママ」の母から多大な支援を受け、10歳で音楽家デビュー。13歳のときには、チャイコフスキーとベートーベンのバイオリン協奏曲の演奏録音を行い、その最年少記録を塗り替える神童ぶりを発揮した。

彼女が人気を集めた要因は、西洋のクラシック音楽の枠に囚われない、斬新なアイデアだった。露出度の高い衣装を着用し、電子音楽など異なるジャンルの音楽とのコラボレーションを企画するといった、当時はまだ珍しかった、クラシック音楽のエンターテイメント化を実現。水着姿での演奏といった試みは、音楽家たちから非難を浴びた一方、普段はクラシック音楽に馴染みのない人までをも惹き付けた。

外国人として、クラシック音楽の本流に入るのが難しかった彼女だからこそ、伝統の殻を打ち破ることができたと見るのは、穿ち過ぎだろうか。

成功の秘訣
悩みと苦しみを
ユーモアと優しさに変えてみせる

Gok Wan

ゴク・ワン
Gok Wan
ファッション・コンサルタント
35歳

自分の容姿に悩みを持つ女性を励ます番組「How to Look Naked」でお馴染みのファッション・コンサルタント。

香港人の父親と英国人の母親の下に生まれ、イングランド北部レスターの公営住宅で育つ。細身な体でいつも元気にまくしたてる現在の姿からは想像もつかないが、極度の肥満に陥った幼少期は、周囲と溶け込めず、みじめな時間を過ごしたという。俳優になることを目指して演劇学校へ通うが、裕福な学生たちとの価値観の違いに愕然とし、中退。また中国人コミュニティーの中ではとりわけ拒否反応の強い同性愛者であるとの自覚も、塞ぎ込む理由となった。

こうした苦労を通して学んだのが、ユーモアの精神。また肥満に悩んでいたとき、服を変えるだけで外見が著しく変わることに気付いたことが、ファッションに興味を持つきっかけとなった。さらに、幼い頃から父親が経営していたレストランの手伝いなどを通して学んだ接客術も、随分と役に立ったという。

テレビ番組や雑誌のコラムを通して、体にコンプレックスを抱える女性たちに自信という名の万能薬を与えることを生業とする彼。かつて経験した自身の苦労があるからこそ、その優しさにも説得力があるのだろう。

成功の秘訣
生まれ持ったオリエンタルな容姿を
武器に魅惑する

Jane March
Picture by: Samir Hussein/EMPICS Entertainment

ジェーン・マーチ
Jane March
女優 37歳

中国人青年とフランス人女性の愛を描いたロマンス映画「愛人/ラマン」での熱演で一世を風靡したジェーン・マーチの半生は、現代のシンデレラ・ストーリーとでも呼ぶべきものである。

1973年に、ロンドン北部に生まれる。父はスペイン系英国人、母はベトナム人と中国人のハーフ。14歳のときに恋人に振られたことをきっかけに、「復讐」の意味を込めて、モデルを目指すようになったという。そのオリエンタルな容姿を武器に、すぐさまモデル・コンテストで優勝。やがて各ファッション誌に頻繁に登場するようになり、ある雑誌の表紙を飾った彼女の写真が、アカデミー賞受賞監督のジャン・ジャック・アノー監督の目に止まる。演技の経験が全くないにも関わらず、主役に大抜擢され、「愛人/ラマン」でいきなり映画デビューを飾った。そして第2作「薔薇の素顔」でハリウッドへと進出し、同作のプロデューサーと結婚と、その後の彼女の人生はトントン拍子で進んでいく。

ただ初期2作におけるあまりに赤裸々なシーンのために、一時は卑猥なイメージがまとわり付いたのも確か。2001年には離婚。オリエンタルな容貌を持つシンデレラは今、第2の人生を歩もうとしている。

 

2010年総選挙を読む

政権交代か、連立内閣の誕生か 2010年総選挙を読む

2005年以来、5年ぶりの総選挙がいよいよ5月6日に実施される。4期目を狙う与党労働党と、13年ぶりの政権奪回を目指す保守党、そしてこれら主要2陣営に食い込もうとする自由民主党。昨年までは、保守党の勝利がほぼ確実と言われていたものの、過去数カ月間の労働党の盛り返しで、「大方の予測」も不可能な混戦模様が展開されている。そんなまさに目が離せない状況となっている、2010年総選挙について解説する。(猫山はるこ)

最大の争点は公共財政

ゴードン・ブラウン今回の総選挙の争点は、何といっても公共財政である。3月末発表の2010年度予算によると、2009年度の財政赤字は1670億ポンド(約23兆3800億円)と推算され、国内総生産(GDP)の11.8%にまで膨れ上がっている。これについて保守党は、財政赤字を放置しておくと、国の財政政策の信用性が失われ、景気回復が妨げられる結果につながると主張。政権を取った暁には、2010年度より早速、公共支出を削減し、次の総選挙実施(恐らく5年後)までに、構造的財政赤字の大部分を削減するとの方針を明らかにしている。

一方の与党労働党は、保守党案について、経済復興に向けた国からの支援があまりにも早く縮小されることを意味し、ようやく見え始めた景気回復の芽を摘み、不況に逆戻りさせると訴えている。同党は、4年以内に財政赤字をGDP比で半減させる方針を既に示しているが、公共支出の削減開始時期は、経済復興を優先するため、保守党より1年遅く、2011年まで待つとの方針を明らかにしている。

国民保険料引き上げを巡り議論沸騰

しかし、当然のことながら、公共支出削減は、有権者にとってはうれしくないニュースであるため、両党とも、票を失う懸念からか、削減を行う分野、その規模については明言を避けている。このため、有権者は、票を投じる政党を決める上で大事な要素となる公共支出削減の詳細が分からないまま投票所に向かう羽目になりそうだ。

デービッド・キャメロンもちろん、財政赤字削減を達成する手段には、公共支出削減のほか、増税、行政業務の効率化による経費削減などもある。政府は、そうした手段の一つとして、昨年までに、国民保険(NI)の保険料を2011年4月から1%引き上げるとの計画を明らかにしていた。しかし今年3月末、保守党がこのNI引き上げの影響を一部緩和する案を発表。すると、保守党案の財源の信憑性や、政府の計画の景気回復への影響などを巡り、産業界も巻き込んで主要政党間で議論が沸騰。選挙戦の序盤はこのニュースで埋め尽くされ、今回の選挙の最大の争点が公共財政や税制であることを改めて実感させた。

自民党との連立内閣の可能性

ニック・クレッグ今回の総選挙は、労働党の勝利が予想されていながら、最終的には保守党が4期目を達成した1992年以来、最も予測が難しいと言われている。支持率調査では、ブラウン首相の指導力の欠如や議員経費問題などが影響して2008年春頃から保守党が2けたのリードを維持し、同党の政権奪回が確実視されていた。しかし、2009年末頃から両党の差が縮小し始め、現在は結果の予測が不可能な状態になっている。そのため、起こり得る可能性として考えられているのが、労働党、保守党のどちらかが最大政党となっても、過半数の議席を獲得できず、自由民主党と連立政権を組むことである。労働党は今回、総選挙に勝利した場合、下院議員選挙の投票方法を現在の小選挙区制から「優先順位付連記投票方式」に変更する案について住民投票を行う方針を明らかにしているが、これは、かねてから小選挙区制に反対している自由民主党の考えに寄り添い、連立内閣への参加を誘うジェスチャーであると解釈されている。ちなみに自由民主党のヒューン内務担当スポークスマンは先日、ブラウン首相が党首を続けるのであれば、連立の可能性は薄いといった趣旨の発言を行っている。

英国初の党首のテレビ討論も

最後に、今回の選挙では、英国で初めて、主要3政党の党首のテレビ討論が行われることも大きな話題になっている。既に4月15日から放送が始まっており、今後は、22日と29日(共に木曜日)の夜に、テーマ別の討論が放送される。英国では、弁論の才が政治家の重要な能力の一つと考えられており、党首たちの切れのある丁々発止の応酬が期待できることは間違いない。英国政治の重要な節目となるであろう今回の総選挙をより理解し、楽しむにはまたとない機会だろう。

ブラウン政権下での支持率の変遷

ブラウン政権下での支持率の変遷

2005年総選挙での主要3政党の獲得議席数

2005年総選挙での主要3政党の獲得議席数

注:2005年の総選挙以降、選挙区の変更があったため、今回の選挙で選出される下院の議席数は650と増えている。過半数を取るには326議席が必要。

2005年総選挙の議席獲得状況マップ

2005年総選挙の議席獲得状況マップ

注:上記は、今回の2010年総選挙の選挙区の分け方で2005年の総選挙が実施されていたとしたらこのような結果になっていたという仮定の結果をマップ化したもの

主要3政党の主な政策とは

選挙戦も中盤に入り、各政党は、それぞれの政策を有権者にアピールしながら白熱の戦いを繰り広げている。それでは、各党に票が投じられるかどうかを決め、党の運命を左右するそれら政策には、どのようなものがあるのだろうか。

国内政策


・国民医療制度(NHS)の患者が一般開業医(GP)の診察 から病院で治療を受けるまでの待機期間を、最長18週間までとする。
・2015年より、すべての若者に対し、18歳までは、学校での学業を継続するか、または職業訓練を受けることを義務付ける。
・バーミンガム経由でロンドンからリーズ、マンチェスター間を走る高速鉄道を建設する。
・下院議員選挙の投票方法変更の是非を問う住民投票を2011年10月までに実施する。


・チャリティー団体、ボランティア団体、親と教師のグループなどに、「アカデミー(地方自治体の管理下にない公立学校)」を設置する権限を与える。
・IDカードの導入を中止する。
・結婚している夫婦または市民パートナーシップを結んでいるカップルを税制上、優遇する。
・ヒースロー空港の第3滑走路建設を廃案にする。
・飲酒による暴力行為などの問題の原因となっていると考えられるパブ、バーなどの自治体及び警察の取り締まり権限を強化する。




・成文憲法を導入(ただし住民投票で可決された場合のみ)し、政府の権限などについて規定する。
・IDカードの導入を中止する。
・過去に学位を取得したことがない者が学位取得のため大学に入学する場合、学費を免除する(対象にはパートタイムの学生も含む)。
・政党への献金は1万ポンド(約140万円)を上限とする。
・NHSの機関である「戦略保健局」を廃止する。
・イングランド及びウェールズで警察官を3000人増員する。

外交政策


・欧州単一通貨ユーロを原則的に支持するが、現在のところ加入の意思はない。
・欧州諸国と協働し、経済改革を推進する。
・トルコとクロアチアの欧州連合(EU)加入を支持。
・インド、中国、ブラジルなど新興国との関係を強化する。
・日本、ドイツ、インド、ブラジルの国連安全保障理事会の常任理事国入りを支持する。
・国民総所得(GNI)に対する海外援助支出割合を0.7%まで引き上げるという国連目標達成に向けた新法を制定する。


・リスボン条約(EUの新基本条約)に反対。しかし、同条約破棄の試みは行わない。
・今後、英国からEUへ権限を移譲する条約が締結される場合、条約批准の是非を問う住民投票を実施することを法制化する。
・英国のユーロ加入に反対。
・英国に関する問題の最終的な権限が英国議会にあることを法律で定める「英国主権法」を制定する。
・欧州連合基本権憲章からの英国の脱退について交渉する。
・特に中国やインドなど、欧州と北米以外の国との関係を強化する。




・英国のEU残留を強く支持。ユーロ加入も原則的に賛成。
・人身売買、テロ行為など、国境を超えた犯罪に関する政策策定で欧州諸国の先導役となる。
・欧州諸国で起訴された英国人犯罪者の権利を守る。
・EUの共通農業政策(CPA)の抜本的な改革を求める。
・海外の諜報機関によるテロ容疑者の拷問への英国の関与について、正式な調査を実施する。
・アフガニスタンへの英軍派遣は基本的に賛成。アフガンの英軍の装備を強化する。

経済政策


・4年間で、財政赤字をGDP比で半減させる。
・公共支出削減は2011年から開始。医療、教育以外の分野で支出を凍結または削減。
・2011年4月より、国民保険(NI)の保険料を1%引き上げる。
・2012年より、国民年金支給額と平均所得との連動制を復活させる。
・2011年より、価格が100万ポンド(約1億4000万円) 以上の住宅購入に課せられる印紙税の税率を5%に引き上げる。
・金融サービス庁(FSA)の金融機関の規制権限を強化する。


・公共支出削減は2010年から開始。医療、海外援助を除く全分野で支出を削減。
・次の総選挙実施までに、構造的財政赤字の大部分を削減する。
・相続税の非課税限度額枠を100万ポンド(約1億4000万ポンド)に引き上げ。
・NIの保険料引き上げの影響緩和を目的として、NIの通常の保険料が適用される所得の範囲を変更。
・2012年より、国民年金支給額と平均所得との連動制を復活させる。




・キャピタル・ゲイン税の改革、高級住宅への課税(次項参照)、法人税、印紙税などの脱税対策などによって、年間17億ポンド(約2380億円)を節減する。
・価値が200万ポンド(約2億8000万円)を超える高級住宅に対し、年1回限りの特別税を課す。
・所得税非課税枠を年間1万ポンド(約140万円)にまで引き上げる。
・失業中の若者の職業技術取得支援に9億ポンド(約1269億円)を投入。
・2012年より、国民年金支給額と平均所得との連動制を復活させる。

移民政策


・英国への出入国者を機械で自動的に記録、チェックする「電子式国境コントロール」システムを導入。
・EU外からの移民の市民権取得システムを改革する。英国に一定期間、合法的に滞在すること、英語の試験合格、福祉に頼らず継続的に自活すること、などの基準をクリアしながら、「仮市民権取得」などを含む3つの段階を通過して初めて、市民権が取得できるようになる。地域のコミュニティー活動やボランティア活動などに参加すると、市民権取得までの期間が早まる。


・EU加盟国以外の国から来る移民労働者の数に、年ごとの上限を設ける。
・学生ビザ制度の強化によって、外国人の不法滞在を防ぐ。
・不法移民と人身売買取り締まりに目的を特化した新組織「国境警備隊」を設置する。
・今後、EU加盟国が更に増えた場合、それら新規加盟国からの労働者の流入数を一時的に制限する。
・外国人の英国社会への統合を推進する。
・結婚のため英国に来る外国人に対し、英語のテストを受けることを義務付ける。




・より効果的に国境警備を行う新組織として、「英国国境警備庁」を設置する。
・国境での出国者チェックのシステムを再導入する。
・ポイント制下での外国人の労働ビザ取得に関するルールを、各地方の労働市場の事情に合わせて変える。これにより、労働力が不足している地方での労働ビザ取得をより容易にする。
・不法滞在者でも、英国に10年以上滞在している、犯罪歴がない、英語を話すことができる、などの条件を満たす場合、市民権取得の可能性を与える。

総選挙をより楽しむための豆知識

テレビのニュースで見る各党の党首やその妻、そしてキーパーソンとして活躍する政治家たち。そもそも主要政党はどういう政党なのか。知っていれば総選挙ウォッチングがもっと楽しくなる、そんな情報をまとめてみた。

労働党 The Labour Party

党史
労働者の権利擁護を目的に、労働組合運動から発展して1900年に結成(結成当時の名前は「労働代表委員会」)。国営医療サービスの創設、基幹産業の国有化、富の再分配、労働者の権利拡大などを実行。その手厚い福祉政策は、「ゆりかごから墓場まで」との言葉を生んだ。1990年代半ばからは、ブレア党首の下、「ニュー・レーバー」との標語を掲げて方針を転換し、支持層を拡大。1997年の総選挙での地滑り的大勝利へとつなげた。

党首
Gordon Brownゴードン・ブラウン(59)
判で押したような仏頂面が定番のスコットランド人。父親はスコットランド国教会の牧師。ボンボン育ちのキャメロン保守党党首との差別化を図ってか、質素な家庭で両親に勤勉・勤労の精神を叩き込まれたと発言する習癖あり。少年時代から頭脳明晰で、16歳でエディンバラ大に入学。ブレア政権時代は優秀な財務大臣との評判を欲しいままにしたが、2007年6月に首相に就任するや評価急落。プライベートでは明るい気さくな人との噂も。

キーパーソン
ピーター・マンデルソン企業・改革・技術相(56)
Peter Mandelson2008年の政界復帰以来、「実質的な首相」と言われるほど重要な政策ブレーンとして活躍している。今回の選挙戦でも、かつて2度も閣僚辞任に追い込まれながらカムバックした執念と、「暗闇の王子」との異名を取ったこともある策略家ぶりで、愛する労働党を崖っぷちから救うべく奮闘している。なお、上院議員なので自分の選挙はなし。

党首の妻
Sarah Brownサラ・ブラウン(46)
無愛想500%な夫に代わり、労働党の好感度アップに大いに貢献しているファースト・レディー。控え目で上品、かつ親しみやすい雰囲気が好かれ、「ツイッター」のアカウントはフォロワーが100万人超。昨年の労働党大会での演説で、サラさんが夫を「私のヒーロー」と呼んだときは、誰もが一瞬、ブラウン氏のダメ首相ぶりを許したとかしないとか。

保守党 The Conservative Party

党史
17世紀の清教徒革命後、カトリックの王の即位に賛成し人々が「トーリー」と呼ばれ、後に「トーリー党」として政党を形成したのが起源。伝統的な政策は、欧州に対する英国の主権確立、移民規制、犯罪に対する厳しい姿勢、国防強化、自助努力の奨励、小さな政府の実践など。しかし近年は、キャメロン党首の下、環境政策や公共サービスの改善なども重視して「人に優しい」政党としてのイメージを打ち出し、支持拡大に務めている。

党首
David Cameronデービッド・キャメロン (43)
2007年末の党首就任以来、保守党の近代化を推進し、党の支持率回復に貢献してきたとして評価されている。遊説先では、オバマ米大統領を意識したような白シャツ腕まくり、ノータイ姿で有権者たちに語りかけ、ブラウン首相にはない若さをひけらかす傾向も。裕福な家庭に育ち、名門イートン校、オックスフォード大卒業。保守党陣営では、王室の血も混じるポッシュな経歴が、一般庶民の有権者から敬遠されるのではとの懸念もある。

キーパーソン
ジョージ・オズボーン影の財務相(38)
George Osborneキャメロン党首と同じく富裕家庭出身で、同党首とお坊ちゃまコンビを組む。若さゆえか、他政党の古参政治家から軽んじられることもあり、国民保険に関する政策を発表した際は、自由民主党議員から「学生が考えたような案」と小馬鹿にされていた。労働党の選挙キャンペーンでは、歌手の名にひっかけて「ボーイ・ジョージ」と呼ばれている。

党首の妻
Samantha Cameronサマンサ・キャメロン(38)
王室の血を引く大地主の娘という真性お嬢様。高貴なお育ちのせいか、夫を全力で売り込む必死さに欠け、過去の党大会では、夫と共に演壇に上がっても露骨に「早く帰りたいわ〜」的な顔を見せることもあったが、今回の選挙戦ではさすがにしっかりサポート役を演じている。嫌味のなさで一般受け良し。2児の母で、現在妊娠中(長男は昨年病死)。

自由民主党 The Liberal Democrats

党史
トーリーに対し、反対派が結成したホイッグ党を起源とする自由党と、労働党の分派であった社会民主党(SDP)が1988 年に合併して結成。野党第2党。クレッグ党首は、昨年秋の党大会で、自由民主党を「進歩的中道左派を率いる党にしたい」と述べていた。英国では2 大政制が確立されているため、常に陽の当たらない地位に追いやられているが、最近は、テレビ討論会でのクレッグ党首のパフォーマンスが高く評価され、にわかに注目が集まっている。

党首
Nick Cleggニック・クレッグ(43)
ケンブリッジ大など3つの大学で学位を取得、5カ国語を操る秀才。欧州委員会勤務、欧州議会 議員の経験あり。2005 年総選挙で国会議員に初当選し、2007年12月、40歳で自由民主党の党首に就任。父親は大和日英基金の現理事で、オランダ人の母は第二次大戦中、インドネシアで日本軍の捕虜になった経験があるなど、日本とのつながりも。BBCが昨年行ったアンケート調査では、3分の1がクレッグ氏の名を聞いたことがないと回答した。

キーパーソン
ビンス・ケーブル経済担当スポークスマン(66)
Vince Cableテレビのニュース番組や下院での発言で、好々爺(こうこうや)的ルックスに似合わない洞察力に溢れたコメントの数々を放ち、圧倒的な存在感を見せつけている。キャリア・ウーマンの妻が選挙戦に同行してくれないクレッグ党首の傍らに常に寄り添い、「女房役」として大活躍中。労働党と自民党が連立政権を組んだ場合、閣僚入りする見込みについては否定している。

党首の妻
Miriam González Durántezミリアム・ゴンザレス・デュランテス(42)
主要3政党の党首妻のうち、今回の選挙戦にほとんど参加していない唯一の人。と言うのも、大手国際法律事務所の弁護士という立場上、夫が選挙だからと言って仕事を休む余裕はないんだとか。夫より収入が多い一家の大黒柱らしいから、文句は言わせないといったところか。スペイン人。上から8歳、5歳、1歳の3児の母でもある。

 

新任駐在員のための傾向と対策

初めての異国生活ならではの悩みがいっぱい 新任駐在員のための傾向と対策

今年もようやく、英国に春がやってきた。そして、春の人事異動によって英国赴任が決まった駐在員にとっては、英国での生活がスタートする季節となる。初めての海外生活ともなれば、毎日が驚きいっぱいで、分からないことだらけかもしれない。でも心配はご無用。なぜって、そうした問題や疑問は、先輩駐在員たちも全く同じように経験してきたのだから。そこで、駐在員の方々が直面しやすい問題と、その解決策をまとめて用意。在英邦人への対応のノウハウを持つサービス機関のリストと共に、英国で役立つ生活の知恵を紹介致します。

money 何をするにせよお金が要る。

ところが……

・英国で銀行口座が開けない
・クレジット・カードが作れない

会社では日本人の同僚に囲まれ、日本の食材も気軽に手に入るロンドンのような環境で生活している人たちにとって、自分が紛れもなく「外国人」であると意識させられるのが、英国で銀行口座を開設したり、クレジット・カードを作るときではないだろうか。特にテロ対策に神経を尖らせている昨今の国内状況では審査も厳しくなっているので、規定の基準に達していないとして、口座開設やカード申し込みを拒否されるケースも多々ある。ところが、英国は駄菓子や地下鉄の乗車券の購入さえキャッシュレスで済ませてしまうカード社会。どうしたらいいのだろうか。

↓

・日系の現地決済型カードを申し込む

銀行口座の開設において必要とされるのが、身分証明(パスポートなど)と住所証明(公共料金の請求書など)。こうした請求書に名前が記載されていない駐在員の配偶者などは住所証明に手間取る場合があるが、これは請求書を夫婦の両名義とすることで解決する。

また英国でクレジット・カードを申し込む際には、英国の銀行口座と申請者個人の英国でのクレジット・カード利用歴とその返済実績が審査の対象となる。日本におけるこうした実績が英国に引き継がれることはないため、駐在などで渡英した直後は、審査情報の不足との理由でカード発行が拒否されてしまうことがある。その場合、日本で発行されたクレジット・カードを引き続き利用し日本円で決済をするか、現地決済型(ポンド決済)カードの申し込みができる日系のカード会社に問い合わせてみるのがいい。

・JCB International (Europe) Ltd.
London Front Office

Tel: 0800 801 860(トール・フリー)/ 020 7499 3000

car 自前の移動手段を早く確保したい。

ところが……

・車の名義変更などがいい加減
・車の保険の種類があり過ぎる

英国では景観の維持を目的として、鉄道の路線が敷かれていない地域が多いため、とりわけロンドン郊外に出掛けるならば、車は必須。ただ数年後にはまた日本への帰国を運命付けられた駐在員にとって、車に関しては購入と同時に、帰国時の引き渡しも頭の片隅に入れておく必要がある。そこで中古車を購入したり、買い取りをお願いするという形で、業者と車の受け渡しを行う機会が出てくるのだが、車の名義変更を始めとして事務手続きがいい加減になりがちな英国では、これがトラブルの元となる。加えて悩みの種となるのが、車の保険だ。保険業界の自由化が日本よりも圧倒的に進んでいるこの国では、銀行やスーパーマーケットまでもが保険プランを提供していて、数え切れないぐらい多くの種類が用意されている。

↓

・日本人駐在員の対応経験豊富な会社を利用

中古車の購入時や帰国時の売却後、車の名義変更などの手続きがきちんと行われていないばかりに、煩瑣なトラブルに巻き込まれてしまうことが英国では日常茶飯事。だから、英国で車の売買を行う際には、日本に住んでいたときよりもさらに細心の注意を持って、信頼の置ける会社を選ぶ必要がある。そうなると、やはり先輩駐在員たちがこれまで使ってきた会社が安心ということになるだろう。

また車の保険契約に関しては、ただでさえ複雑で詳細にわたる内容について英語で格闘するのは一苦労。車上荒らしなど、日本では比較的少ない種類の被害に遭う可能性についても考慮する必要があるという意味でも、日系会社に頼むのが楽な場合が多い。

車販売・買い取り
・B-REV Ltd
Home Farm, Aldenham Road, Elstree Herts WD6 3AZ
Tel: 020 8236 0800
www.b-rev.com

・JEM Ltd.
Hyde Estate Road London NW9 6JX
Tel: 0845 066 1000
www.jemuk.co.uk

・Thames Cars
483 Green Lanes, Palmers Green London N13 4BS
Tel: 020 8882 4744
www.thamescars.f9.co.uk
車及び各種保険
・Cosmos Risk Solutions
3rd Floor, Minories House, 2-5 Minories London EC3N 1BJ
Tel: 0870 010 8111
www.motorichiban.com

・Japan England Insurance Brokers Ltd.
2nd Floor, 53 New Broad Street London EC2M 1JJ
Tel: 020 7847 8620
www.jib-sano.co.uk

car 通信環境の整備が必要。

ところが……

・デジタル生活があまりにお粗末

日本から赴任してきたばかりの方ならば、英国のデジタル生活のお粗末さに驚いてしまうかもしれない。インターネットが接続されていない家はまだまだ多いし、その接続工事をお願いするために取ったアポが簡単に反故にされ、やっとインターネットがつながったと思ったら、今度はスピードが極端に遅い。携帯電話からインターネットを通じて日々のニュースをチェックする人はこの国ではまだまだ少数派だし、テレビのチャンネル数も少ないときた。特に日本でデジタル漬けになっていた方は、何らかの手はずを整えなければ、相当の不便を余儀なくされることになるだろう。

↓

・日本のサービス品質を維持する会社を利用

学生であれば、英国ならではのアナログ的な不便さを楽しむ余裕も持てるだろうが、毎日忙しく働く駐在員の方たちにとっては、デジタル環境の整備の如何は死活問題となる。しかも、できるだけ手間と時間はかけたくないというのが本音だろう。そんな方たちのために、日本と同じように質の高いデジタル環境を用意してくれる企業がある。これらの会社は、24Mbpsの高速ブロードバンドから、劣悪なサービスで悪名高いBT回線の契約手続き代行、日本と同じ感覚でインターネット使用や日本語テキストを使用できる携帯電話に、日本のテレビ番組放送などのサービスを提供している。

インターネット
・KDDI Europe Ltd.
Tel: 0800 631 3131
www.eu.kddi.com/jp

・Orbix International Ltd.
Tel: 0844 875 0135
www.orbixinternet.co.uk
携帯電話
・Docomo Europe Ltd.  サポート・デスク
ロンドン三越内
Tel: 075 3491 0266
www.berrymobile.jp/uk/
日本のテレビ番組放映
・JSTV
Tel: 020 7426 7330
www.jstv.co.uk

学校 学校選びは子どもの将来を左右する。

どうすれば……

・帰国後、日本の勉強についていけるか心配

海外駐在は、駐在員の方ご本人だけではなく、お子さんにとっても異文化に触れられる良い機会。一方で、とりわけ理数系の科目など、英国の教育課程の進度が、日本のそれよりずっと遅く感じられるという声がよく聞かれる。だから英国の学校で自由を謳歌している間に勉強に遅れが生じてしまい、日本に帰国してからその遅れを取り戻すのが難しくなってしまうのではないかという一抹の不安がよぎってしまっても無理はない。実際、Eメールの交換などを通して、日本にいる同級生が学校や塾で次々と新しい事柄を学んでいく様子を耳にして、不安に陥るお子さんも多いという。

↓

・日本校か補習校で学習

英国で生活をしながら日本での大学や高校受験に備えるといった場合、主に2つの選択肢がある。一つは日本のカリキュラムにも対応した、いわゆる日本校へ入学する方法。もう一つの選択肢が、現地校か日本校のどちらに通っているかに関わらず、学校外で学習を行う場となる塾や補習校への通学するという方法だ。もちろん、現地校の授業についていけない場合や、英国の大学への進学を予定している場合も補習校の授業は役に立つはず。

ちなみに、英国滞在中、若い頭脳を持つお子さんは、家族の中では誰よりも速いスピードで英語を上達させていく。そんな姿に刺激を受けたのであれば、ご両親が英語学校に通うのもいい。

日本校
・ロンドン文化幼稚園
Church of the Holy Family Community Centre,
Vale Lane London W3 0DY
Tel: 07710 450 287 / 020 8992 9822
www.londonbunka.com

・帝京ロンドン学園高等部
Framewood Road, Wexham, Buckinghamshire SL2 4QS
Tel: 01753 663 712
www.teikyofoundation.com

・立教英国学院
Guildford Road, Rudgwick West Sussex RH12 3BE
Tel: 01403 822107
www.rikkyo.co.uk
塾・補習校
・ヴェリタスアカデミー
Unit 4 Acton-Hill Mews
310-328, Uxbridge Road, Acton London W3 9QN
Tel: 020 8993 7624

・公文教育研究会
各教室の詳細は下記ウェブサイトを参照
www.kumon.co.uk

・JOBA
1st Floor, Lawford House, Albert Place, Finchley London N3 1QAl
Tel: 020 8343 4332
joba-uk.jolnet.com

・Churchill College
Confer House, 69 Kingston Road, New Malden Surrey KT3 3PB
Tel: 020 8949 2525 / 6800
www.churchillcollege.co.uk
英語学校
・Bloomsbury International
6-7 Southampton Place London WC1A 2DB
Tel: 020 7242 2234
www.bloomsbury-international.com

病院 病院選びも大事。

ところが……

・海外医療保険の仕組みがイマイチよく分からない

日本にいる間に当然、然るべき海外医療保険への加入手続きは済ませておいた。ところがこの海外保険なるものが、どのように適用されるのか、どう請求すればいいのかがイマイチよく分からない。詳細な書類の提出など必要なのだろうか。

↓

・保険が適用される場合は
キャッシュレスで受診できるプランあり

保険を持っている人は、保険会社に連絡して病院を紹介してもらう(もしくは病院に電話して保険が適用されるかどうかを尋ねる)。あとは病院から保険会社へ直接、診療費を請求するためキャッシュレスとなるプランがある。またクレジット・カードに保険がついている人の場合は、クレジット・カード会社に保険内容を確認してから病院へ。診療費はその場で一旦支払うが、後から払い戻しとなる仕組みなどがある。

病院・診療所
ジャパン・グリーン・メディカル・センター
Moorgate 診療所
10 Throgmorton Avenue London EC2N 2DL
Acton 診療所
Unit 7 Acton Hill Mews, 310-328 Uxbridge Road London W3 9QN
Tel: 020 7330 1750
www.japangreen.co.uk

・日本クラブ
北診療所
The Hospital of St. John & St. Elizabeth,
2nd Floor, 60 Grove End Road London NW8 9NH
Tel: 020 7266 1121
南診療所
Parkside Hospital, Ground Floor, The Lodge,
53 Parkside, Wimbledon London SW19 5NX
Tel: 020 8971 8008
www.nipponclub.co.uk

・ロンドン医療センター
234-236 Hendon Way London NW4 3NE
Tel: 020 8202 7272
www.iryo.com

・121 日本人クリニック
121 Harley Street London W1G 6AX
Tel: 020 7935 0523
www.japaneseclinic.co.uk
痛み専門治療
・Dr 伊藤クリニック
17 Harley Street London W1G 9QH
Tel: 020 7637 5560
www.dritoclinic.co.uk
歯科医
・日本歯科グループ
Salisbury House Suite 1
31 Finsbury Circus London EC2M 5QQ
Tel: 020 7638 9696
www.nihonshikagroup.com

・キースコーヘン歯科医院
ウエストエンド診療所
23 Harley Street London W1G 9QN
Tel: 020 7436 2328
シティ診療所
1 Angel Court, Copthall Avenue London EC2R 7HJ
Tel: 020 7796 9776
www.keithcohendentist.co.uk

・シャフツベリー歯科
1st Floor Wingate House,
93-107 Shaftesbury Avenue London W1D 5DY
Tel: 020 7437 6002

・高歯科医院
Tel: 020 7935 5983 / 020 7486 2412
www.kodental.co.uk
本院 66 Wimpole Street London W1G 8AW Hendon
診療所 25 Queens Road Hendon London NW4 2TL

サービス 渡英したばかりの人たちにとっての心強い味方

英国での新生活を応援するサービス便利帳

渡英後まだ間もなく、まさしく右も左も分からないような状況のときに助けとなり、そして今後も長きにわたって在英邦人を支えてくれる、便利なサービス機関をご紹介。

Anglo-Japanese Translations Ltd.
プロの英語力が必要なとき、300名を超えるスタッフが翻訳・通訳サービスを提供。
2 Tallow Road, Brentford Lock Greater London TW8 8EU
Tel: 020 8560 4559 / 07788 950 007
www.anglo-japanese.com

シャープ
日本とは違う種類の花粉に悩む在英邦人にとって便利なプラズマクラスター空気清浄機を提供。
www.plasmacluster.co.uk

.JP-Books
日本の雑誌、書籍を約4万冊揃えた書店。貯めるとお得なスタンプ・カードもあり。
c/o Mitsukoshi Japanese Department Store,
Dorland House, 14-20 Regent Street London SW1Y 4PH
Tel: 020 7839 4839
www.jpbooks.co.uk

.ツルタアーキテクツLtd.
創立160年の権威ある「王立英国建築家協会」に所属する日本人建築家が運営する設計事務所。
9e Vanguard Court London SE5 8QT
Tel: 020 7277 1444
www.tsurutaarchitects.com

.仲良し会
英国で妊娠中または子育てを行う日本人女性のために定期的に会合を実施。
www.nakayoshikai.co.uk

.パリミキ
今年で創業80周年、海外に200店舗を構える世界的な日本の眼鏡ブランド。
69 Regent Street London W1B 4ED
Tel: 020 7287 6332

.ベルりびんぐ
在英邦人による在英邦人のための安心のリサイクル・ショップ。独自の保証制度あり。
18 Queens Parade London W5 3HU
Tel: 020 8997 7107
www.bell-living.co.uk

.楽天
海外にいながら、日本の商品をお得な国際配送料金で簡単に取り寄せ可能なオンライン市場。
event.rakuten.co.jp/borderless

在英邦人の知恵 1

入国審査の手間が省けるIRIS
いつも長蛇の列ができるヒースロー空港の入国審査。「IRIS」と呼ばれる眼球の色彩検査に登録すれば、入国審査にかかる時間は大幅に減らすことができる。登録は、空港の出国ラウンジに設置された「Enrollment Station」で可能。

IRISについての詳細
www.ukba.homeoffice.gov.uk/managingborders/technology/iris/

在英邦人の知恵 2

地下鉄の遅れには払い戻し手続きを
遅延してばかりのロンドンの地下鉄。電車が15分以上遅れた場合、14日以内に手続きを行えば、クーポン券の提供という形でその乗車分の払い戻しを行ってくれる。

地下鉄運賃の払い戻しについての詳細
www.tfl.gov.uk/tfl/tickets/refunds/tuberefund

日本食 新生活の準備が整ったら……

日本食パーティーを開こう!

引越しの片付けなどもある程度終わる目処が立ち、英国における新生活の準備が整ったら、同僚や知り合いを新居に招く「ハウス・ウォーミング・パーティー」を開こう。英国で現地の友達作りをする上で、重要なアイテムとなるのは、やっぱり日本食。それまでよそよそしく振舞っていた英国人も、日本食が食べられると聞けば目を輝かせるはず。

英国で人気のある日本食メニュー

1 寿司
22票
寿司
2 丼物
11票
丼物
3 お好み焼き
9票
お好み焼き
4 ラーメン
5票
5 天ぷら
4票
天ぷら

※英国で日本語を学ぶ外国人学習者77人を対象に調査を実施

日本食ケータリング
ジャパン・ケータリング
Tel: 020 8963 8464
www.japancateringltd.com

日本食材
・はろーきっちん
10 North End Road, Golders Green London NW11 7PH
Tel: 020 8209 3487

・Poppy Hana
57 Commercial Street London E1 6BD
Tel: 020 7247 5020
www.poppyhana.com

・らいすわいん
82 Brewer Street London W1F 9UA
Tel: 020 7439 3705
www.ricewineshop.com

和菓子
・源 吉兆庵
Minamoto Kitchoan Co., Ltd. London Branch,
44 Piccadilly London W1J 0DS
Tel: 020 7437 3135
www.kitchoan.com
 

コーンウォールの魅力を徹底解説!穴場の中部地方を余さずご紹介!

中部コーンウォールの魅力に迫る サーフィンからシーフード料理まで
Mining World Heritage Siteの一つ、Tregonning and Gwinear Mining Districts with Trewavas

Mining World Heritage Siteの一つ、Tregonning and Gwinear Mining Districts with Trewavas

コーンウォール地図コーンウォールと言えば、印象的なのが最西端のランズ・エンドではないだろうか。切り立った崖に差す夕日や、透き通った海の美しさはさすがの一言だが、コーンウォールの良さはそれだけではない。サーファーから食通、家族連れから一人旅まで、多くの人を惹きつけてやまないコーンウォール。

今回はメディアで注目されることの少ない中部コーンウォールを中心に、その魅力を紹介しよう。

(執筆: 守屋 光嗣)

ロンドン直通! コーンウォールへの行き方

鉄道で
ロンドンからだと、パディントン駅からファースト・グレート・ウェスタン鉄道(www.firstgreatwestern.co.uk)がペンザンスまで直通列車を走らせている。英国内のほかの地域からは、クロス・カントリー・トレインズ社(www.crosscountrytrains.co.uk)がコーンウォールへの列車を運行。

飛行機で
ニューキー・コーンウォール空港(www. newquaycornwallairport.com)には、ロンドン・ガトウィック、ロンドン・シティー、リーズ、ベルファスト、エディンバラ、グラスゴー、カーディフ、シリー諸島などからの便がある。この空港から出発するときには、搭乗手続きの前に、空港開発税を払う必要がある。


コーンウォールのアクティビティー

コーンウォールコーンウォールでは、サイクリング、ダイビング、乗馬など様々なアクティビティーが楽しめるが、お勧めは何といってもウォーキングだ。

コーンウォール内の海岸線のうち、ナショナル・トラストが維持・運営するエリアは約350キロメートル。季節や天候によってその景色や自然条件は違ってくる(悪天候の場合や日が短くなる冬季には、事前に地元の観光案内所に確かめておくのが望ましい)が、目の前に広がる大西洋の荒波や穏やかな砂浜を眺めながらフットパスを歩くのは、英国ならではの贅沢だ。大西洋に沈む太陽を崖の上から望めば、一生ものの思い出になるだろう。もちろん、内陸部にもフットパスは張り巡らされており、コーンウォールの緑滴る丘や、廃坑になった鉱山を近くで見るのも興味深い。

また、サーフィンも人気アクティビティーの一つ。英国でサーフィン? と驚かれる方は多いだろう。しかし北部海岸、特にニューキー(Newquay)とブード(Bude)は、実は英国を代表するサーファーの楽園 なのだ。ときには天気に恵まれないこともあるが、厚い雲が低く重く垂れ込める海でサーフィンというのも、これまた英国ならではと言えるのではないだろうか。

コーンウォールの今昔

イングランドの最西部に位置するコーンウォールは、英国内で最も長い海岸線を持つことで知られる。その全長は約700キロメートルに及ぶ。黄金色に輝く砂浜が広がる隠れ家のような小さな浜辺から、世界のサーファーが挑戦しに訪れるほどの荒々しい波が押し寄せる海辺まで、エリア内の海岸線の多様性、美しさは類を見ないほどだ。そしてその歴史も、決して平坦なものではない。

コーンウォールに人が住み始めたのは、今から1万年以上前のこと。紀元前から、同地方は銅の産地として知られていた。その鉱山業の隆盛と衰退を切り離してこの地の歴史、文化、そして人々の生活を語ることは不可能だ。

18〜19世紀に興った産業革命によって、コーンウォールの鉱山業(主に錫と銅)は隆盛を極め、多くの富を地元にもたらした。また、18世紀半ばには、良質の陶土が発見されたことにより、陶器の生産地としても世界で名を馳せるようになる。しかしながら、19世紀後半以降、両産業は徐々に衰退。それにより職を失った人々が土地を離れ、活力が失われていったという。また、最後まで残った主産業である漁業も、乱獲の影響で20世紀半ばにはその勢いを失った。

Towanroath Shaft Engine House
Mining World Heritage Siteの一つ、
Towanroath Shaft Engine House

これら3つの主産業の衰退と消滅、そしてそれらに代わる新たな産業の欠如により、コーンウォールは英国内で最も貧しい州とも言われるようになってしまった。1990年代以降、徐々に重要度を増してきた観光産業は、これら3つの産業の損失をカバーするほどにはなっていない。しかしながら21世紀に入り、これらの衰退した産業の遺産を活用することにより、多くの人々を同地に惹きつけるようになってきている。

2006年には、コーンウォールと西デヴォン地域に点在する鉱山跡地が、まとめてユネスコの世界遺産に認定された。また、テレビの料理番組にたびたび登場するセレブリティー・シェフ、リック・スタイン自慢の新鮮なシーフードを味わえる場所としての評判が知れわたるにつれ、その魅力的な海の幸は、英国内だけでなく海外からも多くの食通を呼び寄せるほどになってきた。そして、サーフィンや乗馬、ウォーキングなど、子供から大人まで、どの世代も楽しめるアクティビティーの数々を体験できる刺激的な場所。それが、現在のコーンウォールだ。

魅力満載の中部コーンウォール

コーンウォールと言うと、真っ先に浮かぶのは西の果て、ランズ・エンドであり、その玄関口のペンザンスではないだろうか。または、コーンウォールへの入り口となるプリマスを思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし、その間に挟まれた地域にも、多くの興味深い街や村がある。今回は中部地域に注目。北側と南側それぞれの観光名所とホテルを紹介しよう。

白波と海の幸が待つ北側地域

中部コーンウォール北側の中心都市は、ニューキー(Newquay)。主要鉄道駅に加え、国際空港もあるので、北部海岸地域を旅するときには足場となる。ただ最近は開発が進み、その景観が損なわれてきているというのが現状だ。また、6月に同地を訪れるのは、できれば避けたい。というのも、中等学校の卒業試験を終えた16歳の若者たちが英国中から大挙して同地を訪れ、乱痴気騒ぎをするからだ。逆に言えば、それだけ人気のある都市であるとも言えるのだが。

北側地域を訪れる際には、小さな街や村に行くことをお勧めしたい。ニューキーから少し北上したところにあるウォーターゲイト・ベイ(Watergate Bay)は、サーファーで賑わう海辺の村。ここでは、カイト・サーフィンも人気がある。

この村と、さらに北にあるパドストウは、英国を代表する2人のセレブ・シェフのレストランがあることでもよく知られている。ウォーターゲイト・ベイにあるのは、日本でも人気の高いジェイミー・オリバーが4年前に始めた「Fifteen Cornwall」。そしてパドストウには、先に述べたリック・スタインが経営するレストランやカフェなど数店舗がある。いまやパドストウといえば彼の名前が出るほど広く知られ、本格派シーフード・レストラン、「The Seafood Restaurant」は、もはやコーンウォールを代表する観光施設の一つと言えるだろう。スタインの影響は非常に大きく、今では幾人もの著名シェフが、ここパドストウでしのぎを削っている。両レストランとも夜はロンドン並みの価格だが、ランチならば気軽に楽しめる。

ジェイミー・オリバーと人気のメニュー
ご存知、ジェイミー・オリバーと人気メニューの一つ、ズッキーニのカルパッチョとホタテ

リック・スタイン The Seafood Restaurant
パドストウの名を世に知らしめたシェフ、リック・スタイン(右)と新鮮なシーフードがウリの「The Seafood Restaurant」

この北側地域で最も新しいホテルの一つが、 2009年9月、モーガン・ポース(Mawgan Porth) の崖の中腹にオープンしたばかりの「スカーレット(The Scarlet)」。エコ・ホテルと謳ってはいるが、その感覚は日本人のそれとは少し異なり、何もかもがエコロジーといったストイックな雰囲気はない。しかしながら、ホスピタリティーは素晴らしい。各部屋のインテリアは細部にまで気が配られ、ほぼすべての部屋からは、朝と夕方で表情を変える砂浜と、その先に広がる大西洋が見渡せる。女性誌がひっきりなしに取材に訪れるほどの人気を誇るスパは、週末になると予約でいっぱいなのだとか。面白いのは、崖の中腹に建っているために、ホテル内では携帯電話が全く使えないということ。日常生活をすっぱり忘れて、ほっとしたい人にはうってつけのホテルだといえよう。付設のレストランの質も非常に高く、ホテルを出なくても、あっという間に一日が過ぎてしまうように感じられるはずだ。

残念なことにスカーレットには、子供がいる家族は泊まることができない。しかし、道路を挟んでさらに上部にある姉妹ホテル、「ベドルサン・ホテル(Bedruthan)」は、子供向けのプログラムを用意しているので、こちらを利用してみると良いだろう。

2つの広大な庭園を有する南側地域

南側の拠点となる街は、トゥルロ(Truro)、またはセント・オーステル(St. Austell)だ。トゥルロには大聖堂、セント・オーステルには中心地からはやや離れているが、チャールズタウン・ハーバーなど、いかにも英国らしい佇まいを残した見所がたくさんある。

この地域の「must see」アトラクションと言えば、一つは過去から呼び戻されて再生し、また一つはゼロからつくり上げられた、趣を全く異にする2つの「庭」。前者は、「失われた庭園ヘリガン(The Lost Gardens of Heligan、以下ヘリガン)」、後者は「エデン・プロジェクト(Eden Project)」である。

トゥルロとセント・オーステルのちょうど真ん中あたりに位置するメヴァギッセイ(Mevagissey)にあるヘリガンは、400年以上も前から地元の名家、トレメイン家が所有していた大庭園だ。ところが、第一次大戦後に売却された後には、世間からすっかり忘れ去られてしまった。その「失われた庭」が発見され、再生されたのは1990年代後半。庭園再生の過程がテレビで放映されたことにより、多くの人の関心を呼び、今では年間を通じて30万人もの人が訪れている。

エデン
熱帯雨林気候を再現したドーム(エデン)

広大な敷地は、隅から隅まで歩いてみたいのであれば、とても一日では足りない。イタリア庭園やジャングルなど、どれも興味深いものばかりだが、特にこれからの季節だと、ヘリガンが誇るツツジは見逃せない。さらに、付設のショップで売られている、地元で生産された乳製品、肉製品の質は大変に高い。コーンウォール産の良質の食材を購入する良い機会となるだろう。

ヘリガン再生の中心人物の一人であった、ティム・スミット氏が次に手掛けたのが、人と植物の関係に目を向けた超巨大プロジェクト、エデン・プロジェクトである。打ち捨てられた陶土の廃坑跡地に建設された同プロジェクトが一般にオープンしたのは、2001年3月のこと。以来、英国で最も成功している観光施設の一つとなっている。

エデンは、庭というよりは、植物との共生を考え、その可能性を実際に体験できる場と表現した方が、より近いかもしれない。園内に入ってまず眼に飛び込んでくるのは、まるで蜂の巣のような形をした半透明の2つのドーム。手前が地中海気候を、左奥が熱帯雨林気候を、それぞれドーム内に再現している。その規模の大きさたるや尋常ではなく、世界中から集められた多様な植物群はもちろんのこと、こうした空間をゼロからつくり上げた人々の計り知れない熱意には圧倒されるに違いない。夏になると、国内のトップ・ミュージシャンによるコンサートも開かれる。

中部コーンウォールの南側で試してみたいホ テルといえば、「ネア・ホテル(The Nare)」だ。先述のスカーレットが現代的なホスピタリティーを特色としているとすれば、ネアが提供するホスピタリティーは一言で言うと「伝統的」。初めて訪れる際には、大都市の5ツ星ホテルとはまた違った敷居の高さを感じるかもしれない。しかしそうした印象はすぐになくなる。例えるならば、家族が何世代にもわたって、我が家にいるかのように寛いで滞在する、そのようなホテルだ。目の前に広がる浜辺が、まるで自分の庭のように感じられ、ハイ・シーズンを外せば、まさに自分だけの海岸を歩いているようですらある。

コーンウォールのおすすめ観光スポット

1. ローカル鉄道

コーンウォールならではの光景を形成している、忘れてはならない存在が、海岸線や丘陵地帯を走るローカル鉄道である。民営化・合理化の影響で、既にいくつものローカル鉄道が廃線になっているが、残っている線はいずれも車窓からの眺めが素晴らしい。特に、コーンウォール東部を走るルー・ヴァリー線(Looe Valley Line)と、北西部のセント・アイヴズ線(St Ives Line)は、鉄道の旅が好きな方にはお勧めだ。

2. アントニー Antony

先日、上映が始まり、世界中で注目されているティム・バートン監督の最新映画、「アリス・イン・ワンダーランド」。実はこの映画の中で、コーンウォールにある、とある邸宅がロケ地として使われている。プリマス近郊にあるアントニー(Antony)は、ナショナル・トラストにより管理されている邸宅と庭園。今回の映画上映を機に、いくつかの特別イベントが催されるそうなので、定期的に情報収集しておきたい。
Antony Torpoint, Cornwall PL11 2QA Tel: 01752 812191

3. シリー諸島 Isles of Scilly

トロイタウン・ファーム
英国最南西部に位置するキャンプ場、
トロイタウン・ファーム
ランズ・エンドから45キロほど西に行った、大西洋上に浮かぶ諸島。岩礁も入れれば200もの島が点在する中で、5つの島が有人島となっている。中心に位置するセント・メアリーズ(St. Mary's)島に降り立って驚くのは、そのサブトロピカルな気候だ。本土とは全く空気が違う。バード・ウォッチングやダイビングでも近年人気が高まっているこれらの島々、英国内から行くのは決して難しくないが、交通手段の手配は多少、厄介かもしれない。ホテルによっては、プリマスなどからの飛行機と宿泊を一緒にしたプランも提供しているので確認してみよう。

本文で紹介したスポットとホテル

Cornish Mining World Heritage

Tel: 01872 322586
www.cornish-mining.org.uk

Fifteen Cornwall

On The Beach, Watergate Bay, Cornwall TR8 4AA
Tel: 01637 861000
www.fifteencornwall.co.uk

The Seafood Restaurant

Riverside, Padstow, Cornwall PL28 8BY
Tel: 01841 532700
www.rickstein.com

The Scarlet

Tredragon Road, Mawgan Porth, Cornwall TR8 4DQ
Tel: 01637 861800

The Lost Gardens of Heligan

Pentewan, St. Austell, Cornwall PL26 6EN
Tel: 01726 845100
www.heligan.com

Eden Project

Bodelva, St. Austell, Cornwall PL24 2SG
Tel: 01726 811 911

The Nare

Carne Beach, Veryan-in-Roseland, Cornwall TR2 5PF
Tel: 01872 501111
www.narehotel.co.uk

Bedruthan Steps Hotel

Mawgan Porth, Cornwall TR8 4BU
Tel: 01637 860860
www.bedruthan.com

※数値情報はcrimson社の「Cornwall」を参考にした


コーンウォール・フォトギャラリー

 

フランスの神秘スポット巡り

奇跡か幻か フランスの神秘スポット巡り

夏時間が始まり、今週末にはイースター休暇を迎え、いよいよ欧州の旅行シーズンが幕を開けた。これからの季節、地の利を生かして、欧州の観光地をたくさんめぐりたいと思うところだろう。本特集で注目するのは、隣国フランス。絵画、ブランド品、グルメといった華やかな魅力に目が向きがちな同国にひっそりと存在する、神秘スポットを紹介致します。

Text by Alicia-Michiko HYUGA
www.artmichiko.com

シャルトル大聖堂
Cathédrale de Chartres

シャルトル大聖堂
シャルトルでは毎年春から初秋にかけて町全体を覆う
イルミネーションが企画されている
©XRScenographie - François Delauney

パリから南西80キロの位置にある町シャルトルには、キリストが生まれた時に聖母マリアがまとっていた聖衣の切れ端が聖遺物として大切に保管されている。876年、フランス王シャルル2世・ル・ショーヴ(Charles II le Chauves)よりその聖遺物を贈呈されてから、シャルトルには巡礼者が訪れるようになった。11、12世紀に高位聖職者の集まる大司教区となったシャルトルにおける教会参事会員と高官の数は、パリよりも多かった。12世紀の王フィリップ2世の妻イザベル・ド・エノー(Isabelle de Hainaut)は、シャルトル大聖堂で、後にルイ8世(Louis VIII)となる子供の誕生の天啓を受けたという。また聖母マリアが現れて、数滴のミルクを口元に垂らし病気が治った奇跡などの逸話もある。シャルトル大聖堂は、何度も火事に見舞われ再建が繰り返されているが、中世に作られた回廊は当時のまま残っている。それは身廊の床に敷石を敷いて描かれた全長261.50メートルの迷路で、巡礼者は祈りながら中央のエルサレムの情景へ向けて迷路を歩いたそうだ。またシャルトル大聖堂では、172枚のステンドグラスも見ものである。

シャルトル観光局
Pl de la Cathédrale BP 50289 - 28000 Chartres
www.chartres-tourisme.com
TEL : 0033(0) 2 37 18 26 26
アクセス:パリ、モンパルナス駅からシャルトル駅まで約1時間

モン・サン=ミッシェル大修道院
Abbaye du Mont Saint-Michel

モン・サン=ミッシェル大修道院
ノルマンディー地方とブルターニュ地方に接するサン・マロ湾は、
潮の干満の差が最も激しいところとして知られている
©Office de tourisme du Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com

フランス北西サン・マロ湾に浮かぶ陸続きの小島モン・サン=ミッシェルにある大修道院には、聖ミカエルの触れた岩のかけらとマントの切れ端が聖遺物箱に納められている。聖ミカエルこと大天使ミカエルは神に仕える最高の天使で、最後の審判の日に天秤を持ち使者の善悪を判じた。アドリア海に張り出したガルガン山に初めて姿を現し奇跡を起こしたことで、イタリアでは4世紀よりあがめられている。聖ミカエル2回目の出現は、708年、ノルマンディー地方のアヴランシュの司教の夢の中。いつしかモン・サン=ミッシェル(当時のモン・トンベ)は崇拝されるようになり、修道院の建築が始まった。聖ミカエルの奇跡は教会完成後も続く。ある年の11月17日、聖ミカエルを祝うため教会へ向かう大勢の巡礼者の中に、出産間近の女性がいた。突風が吹き、巡礼者たちは岸へ非難したものの、動けなかった女性は波にさらわれてしまう。その瞬間に男児を出産、ここで波が2人を岸辺まで運び、一命を取り留めた。モン・サン=ミッシェルはフランス革命後に廃墟と化し刑務所にもなったが、1874年にフランスの歴史的建造物に指定されてから再び聖なる地として人々に親しまれている。1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。天と地の間に浮かぶ神秘の山モン・サン=ミッシェルで、大天使ミカエルは信者を見守っている。

モン・サン=ミッシェル観光局
BP 4 50170 Le Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com
TEL : 0033(0) 2 33 60 14 30
アクセス:パリ、モンパルナス駅からレンヌ駅まで2時間 +バス

ロザリオ・ノートル=ダム大聖堂
聖母マリア教会
マサビエル洞窟
Basilique Notre-Dame du Rosaire
Basilique de l’Immaculée-Conception
Grotte de Massabielle

ロザリオ・ノートル=ダム大聖堂
ルルドには、年間600万人の巡礼者が訪れ、
近年はローマ教皇ベネディクト16世も訪れた
上)©François Mori/AP/PA Photos 
下)©Bob Edme/AP/PA Photos

ミディー・ピレネー地方南、ピレネー山脈のふもとにある静かな町ルルドでは、聖マリー=ベルナールが崇拝されている。ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous)は、1844年に幸せな家庭の長女として生まれた。ぜん息に苦しむ幼少期を過ごしたベルナデットは、ロザリオ(数珠状の祈りの用具)を肌身離さず持っていた。13歳になった彼女は、「マサビエルの洞窟」と呼ばれる場所の前で聖母マリアに出会い、お告げ通りに同行者を連れて何度も洞窟へ通い、聖なる泉を湧(わ)かせた。そして、その泉は次々に奇跡を起こす。しかし、聖母マリアに18回も会ったというベルナデットは警察より尋問を受け、4年にわたる調査が行われた。結果は無罪。その後教会建築が始まり、1886年にはマサビエルの洞窟の真上に内陣をもつ聖母マリア教会が、4年後にはロザリオ・ノートル=ダム教会が完成した。さらに20世紀に入ってから、年々増える巡礼者を収容出来るように、約0.5平方キロの敷地内にいくつもの教会と礼拝堂が建築されている。1933年、ベルナデットは聖マリー=ベルナールとして聖列に加えられた。ここ最近では、国際医師委員会の厳密な審査で、67番目の奇跡が2005年に承認された。1952年にルルドを巡礼したあるイタリア人女性は、聖の泉の水に浸かって心臓発作が治ったそうだ。こうして今でも、世界から多くの人が救いを求めてルルドを訪れている。

ルルド観光局
Pl Peyramale BP 17 - 65101 Lourdes cedex
www.lourdes-france.com
TEL : 0033(0)5 62 42 77 40
アクセス : パリ、モンパルナス駅からルルド駅までTGVで約6時間

聖フォワ教会
Eglise de Sainte-Foy

聖フォワ
高さ85センチの王座に座る金張りの聖フォワの聖遺物。
9世紀に作られたものに、宝石やガラスビーズが加えられた
上下ともに ©OT de Conques

ミディー・ピレネー地方北東アベロン県に流れるウーシュ川とドゥルドゥー川によってできた曲がりくねった渓谷に、コンクの町は栄えた。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のひとつで、多くの巡礼者が聖フォワを崇拝しにコンクを訪れる。290年、フォワはコンクの隣町アジャンの裕福な家庭に生まれ、異教徒であった両親に内緒で、聖コプレ(Saint Coprais)によって洗礼を受けた。303年、キリスト教徒が迫害に遭い、改宗を拒んだフォワは首を落とされた。聖フォワ教会は、その場所に建てられ、聖フォワの遺体も埋葬された。9世紀半ばになって、 コンクのベネディクト会修道院は危機を迎える。そのた め、2人の修道者が聖フォワの聖遺物を目当てにアジャンの聖フォワ教会まで出向き、10年間信仰を修めた後、墓を壊し聖フォワの聖遺物をコンクに持ち帰った。 以来コンクでは奇跡が次々に起きたといわれている。11世紀、コンクを訪れた際に自ら奇跡を体験したアンジェ司教ベルナール(Bernard d'Angers)は、シャルト ル司教フルベール(l'Evêque Fulbert)に自らの体験を示した手紙を託し、その内容はやがて本となった。 11世紀半ばには、コンクに聖フォワ教会が建てられ、巡礼者が多く訪れるようになった。フランス革命時に住民によって保護された教会の財宝、ヨーロッパで5本の指に入る中世の金銀細工品のコレクションや、抽象画ピエール・スラージュ(Pierre Soulages)が1997年に修復したステンドグラスが美しい。

コンク観光局
Le Bourg 12320 Conques
www.conques.fr
TEL : 0033(0)5 65 72 85 00
アクセス:パリ、モンパルナス駅からTGVで7時間。空路は、パリ、オルリー空港からロデス空港まで約1時間+コンクまでバスで1時間

聖テレーズ大聖堂
Basilique Sainte-Thérèse

サント=テレーズ大聖堂
丘の中腹に建てられた聖テレーズ大聖堂(上写真)。
カルメル会修道院の納骨堂には、聖テレーズの聖遺物がある(同下)
上下ともに ©J.P. Pattier

ノルマンディー地方ドーヴィルから、28キロ内陸へ入った所にある町リジュー。盲目だったエディット・ピアフ(Edith Piaf)は、6歳になる前にこの町にある聖テレーズの墓を巡拝して目が見えるようになり、生涯にわたって聖テレーズを熱烈に崇拝した。聖テレーズことテレーズ・マルタン(Thhérèse Martin)は、1873年にノルマンディーのアランソンで生まれ、4歳で母を亡くして以来リジューに暮らした。父に連れられ地元の教会へ通っているうちに、彼女は天職の啓示を受けたといわれている。10歳の時に聖母マリアの微笑みを見て持病が治ってから、フランスや英国を始めとする欧州各地に展開していたカルメル会の修道女になり、神への祈りと慈善事業に献身した。結核を患い、これを原因として24歳の若さで他界した後、テレーズが書き留めた自伝「魂の話」は、60カ国語に翻訳され、世界で読まれている。1927年、聖テレーズは聖列に加えられ、当時のローマ法王(Pape Pie XI)の要望によって、1929年に聖テレーズ大聖堂が建築された。4500平方メートル、ドームの高さ93メートルの、20世紀を代表する大きな教会のひとつである。教会の壁と地下礼拝堂はモザイクで覆われ、聖テレーズのメッセージを映し出している。

リジュー観光局
11, rue d'Alençon BP 26020 - 14106 Lisieux cedex
TEL : 0033(0)2 31 48 18 10
www.lisieux-tourisme.com
アクセス : パリ、サン・ラザール駅からリジュー駅まで電車で1時間40分

ロカマドール・ノートル=ダム礼拝堂
Notre-Dame de Rocamadour

ロカマドール・ノートル=ダム礼拝堂
68センチの木製彫刻である黒い聖母マリア像を保護するため、
13世紀には教会の下に城が築かれた
©La Maison du Tourisme de Rocamadour, Padirac, Gramat

ミディー・ピレネー地方、北アルズー渓谷の断崖絶壁、自然公園を見下ろすように作られた町ロカマドールでは、黒い聖母マリア像が崇拝されている。10世紀以前に、ロカマドールに住みついた隠修士が、聖母マリア像を信仰したことから始まった。ロカマドールの地名は、聖母教会から聖アマドゥー(Saint Amadou)の遺体が発見されたことに由来する。7つの教会と礼拝堂の建築が進み、1172年、黒いマリア像の起こした126の奇跡をまとめた本が出版されてからは、ロカマドールを多くの巡礼者が訪れるようになる。船乗りを保護する黒いマリアは、しだいにスペイン・ポルトガル・カナダでも信仰されるようになる。またマリア像は、芸術家にもインスピレーションを与えている。ビクトル・ユーゴー(Victor Hugo)はロカマドールで得た感動を書き残し、フランシス・プーランク(Francis Poulenc)は何度もロカマドールを訪れ黒いマリアに捧げる曲を作った。現在ロカマドール には年間約100万人が足を運ぶ。巡礼者は階段を1段 ごとにひざまずき祈りながら216段の階段を上り、ノートル=ダム礼拝堂の黒いマリア像を崇め、黒いマリアの描かれたアーモンド形のメダルを持ち帰る。聖母マリアがなぜ黒いかについては、いまだに謎である。

ロカマドール観光局
L'Hospitalet 46500 Rocamadour
www.rocamadour.com
TEL : 0033(0)5 65 33 22 00
アクセス : パリ、オステリッツ駅からロカマドール・パディラック駅まで電車で5時間半

聖マリー=マドレーヌ大聖堂
Basilique Sainte-Marie-Madeleine

聖マリー=マドレーヌ大聖堂
聖マリー=マドレーヌ教会は19世紀に修復された(上写真)。
内陣にある12本の柱は、最後の晩餐をキリストと過ごした
12人の使徒を象徴する(同下)
上下ともに ©Office de tourisme Vézelay

ブルゴーニュ地方モンバン山地の北側、ブドウ畑を見晴らす丘の上に作られた町ヴェズレー。第三次十字軍遠征の出発点ともなったこの聖なる地には、多くの巡礼者が聖マリー=マドレーヌを崇拝に訪れる。マリー=マドレーヌは1世紀、エルサレムの裕福な家庭に生まれた。売春婦だった彼女はキリストに出会い悔い改めて、その敬虔な態度により多くのキリスト教徒に認められた。キリストが磔刑に処された後、彼女は聖人や信者たちと船でエルサレムを脱出し、マルセイユへたどり着いた。そこで、キリストの教えを伝え住人を次々に改宗させ、不妊の女性に子供を授ける奇跡をも起こした。晩年は、プロヴァンスの聖ボームの洞窟に引きこもり、神へ祈りをささげながら生涯を閉じた。882年、バディロン修道士は子宝に恵まれなかったブルゴーニュ公ジラール・ド・ルシヨン(Girard de Roussillon)の要望で、聖マリー=マドレーヌの聖遺物をヴェズレーに運んだとされる。以来ヴェズレーには度重なる奇跡が起こり、絶え間なく巡礼者が訪れた。聖マリー=マドレーヌ大聖堂は太陽の年周期を考慮して861年に建てられ、日の光を絶やさない光の教会といわれている。1979年にユネスコ世界遺産に登録された。

ヴェズレー観光局
Rue Saint-Etienne 89450 Vézelay
www.vezelaytourisme.com
TEL : 0033(0) 3 86 33 23 69
アクセス : パリ、リヨン駅からモンバール駅までTGVで1時間+バス40分
(7、8月は送迎バス運行)


フランスの
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

フランス巡礼マップ

\sl201\slmult0 サンティアゴ・デ・コンポステーラフランスの神秘スポットを調べようとすると、頻繁に「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という言葉を目にする。これは、イスラエル、バチカン市国と並ぶキリスト教徒の聖地とされているスペイン北西部に位置する街サンティアゴ・デ・コンポステラへ続く、長い、長い道のこと。地名の「サンティアゴ」はイエス・キリストの12使徒のひとりであり、スペインの守護聖人であるヤコブを、そして「コンポステラ」は「星の広場」を意味するという。主に、首都パリから始まる「トゥールの道」、聖マリー=マドレーヌ大聖堂が建つヴェズレーを起点とする「サン・レオナールの道」、サント=フォワ教会がそびえ立つコンクを通る「ル・ピュイの道」、「バラ色の都市」と呼ばれるトゥールーズを通過する「サン・ジルの道」。これら4つの巡礼路から、さらに枝分かれするように、いくつもの細い道が続く。そして、それらの道の一部区間または途中にある教会などが、神秘スポットとなっていることが多いのだ。1000年以上も昔から利用され、今でも10万人以上の巡礼者たちが通り過ぎていくというこの巡礼路は、スペイン領内にあるものが1993年に、フランス領内のものが1998年に、それぞれ世界遺産に登録された。

 

自分好みのフィッシュ・アンド・チップスを探しに行こう!

こだわりの,味と空間は千差万別 自分好みのフィッシュ・アンド・チップスを探しに行こう!

F& C英国の代表料理と言えば、もちろんフィッシュ・アンド・チップス(F&C)。
ただ揚げただけ……と思っていたら大間違い。
同じ素材、同じ調理法のはずなのに、
店によってテイストが異なるF&Cは、実は奥が深いんです。
店ごとに異なるこだわりの数々。
その差を楽しめるのは、シンプルなF&Cだからこそ !
今回は、多くのF&C店がひしめくロンドンで、高い人気を誇る9店をご紹介。
いろんなお店に繰り出して、自分にぴったりのF&Cレストランを
見付けてみるのはいかがでしょう?
(文・写真 : 津久井 貴美)


メルヘンチックなお洒落レストラン
Olley’s Fish Experience

Olley’s Fish Experience
彩りも鮮やかな F&C

南ロンドン、ブロックウェル・パークの隣にあるのは、可愛らしい雰囲気が一際目を引く「Olley's」。リサイクル品をふんだんに盛り込んだという内装は、まるでおとぎの国の一部のよう。注目のF&Cも奇麗に盛り付けられ、サイズもコンパクトにまとめられている。とはいえ、新鮮な油でカリカリに揚げられたF&Cはなかなかボリューミー。そこでお勧めなのが、ホームメイドのマッシュ・ピー。やさしい味が油っこさを和らげてくれる。人気小説家にして上院議員のジェフェリー・アーチャーなど、来店したセレブが注文したものと同じ品が食べられるという特別メニューも見逃せない。また、このお店の名物となっているのが店長のハリーさん。素早いラッピングから「忍者おじさん」とも呼ばれるハリーさんの気さくでフレン ドリーな接客は、もう一度店に来たいという気にさせてくれる。

ケーキ
タイルに描かれた店名が可愛らしい(写真左)
オリジナル・レシピの3種のケーキ (同右)

65-69 Norwood Road, Herne Hill SE24 9AA
Tel: 020 8671 8259 / 020 8671 5665
www.olleys.info
営業時間 火~日 12:00-15:00、17:00-22:30


伝統とシンプルさにこだわった、熱い心を持つ老舗
Rock & Sole Plaice

Rock & Sole Plaice
100年以上変わらぬ伝統の味

観光客に人気のコベント・ガーデンという素晴らしい立地にあるのが、1871 年創業の老舗「Rock & Sole Plaice」。「開店当初の古き良き時代にお客様を連れて行く」という熱い魂を内に秘め、創業当初の味を頑なに守り続けるこのお店は、壁一面に演劇などのポスターが貼られたレトロな感じのレストランだ。地元民はもちろんのこと、ガイドブックを手にした観光客も多く訪れ、昼も夜も大盛況。混み合ってはいるものの、客の回転が早いので心配する必要はない。メニューはいたってシンプルの王道派。厚すぎず薄すぎず、程よい厚みの衣で覆われるフィッシュは、外はカリっと中はホクホク !! どっしりした外見とは裏腹に、意外にあっさりしていて食べやすく、平べったくもっちりとした重量系チップスとの相性は抜群だ。調理法が難しいと言われるSkateが店自慢のメニューだそう。

Rock & Sole Plaice
天気が良ければ、外で食べるのがお勧め(写真左)
お揃いのTシャツで温かく出迎えてくれるスタッフ(同右)

47 Endell Street, Covent Garden WC2H 9AJ
Tel: 020 7836 3785
営業時間 月~土 11:30-23:30 日 12:00-22:00


優雅な気分で一日を過ごしたいときには
202

202
身がたっぷり詰まったフィッシュ

アンティーク・マーケットで有名なポートベローから歩いてほんの数分。上品なお店がずらりと連なる通り、ウエストボーン・グローブにあるお店、「202」 は、入り口付近が雑貨スペース、地下はブティックになっている、新しいスタイルのカフェ・ レストランだ。ショッピング中に立ち寄る人で常にいっぱいで、特に週末のブランチは大人気。座るまでに多少時間はかかるものの、おいしい料理とカジュアルかつ落ち着いたお店の雰囲気は、待ち時間のことなど忘れさせてくれる。メニューには、トーストやハムなどの軽食からスープやリゾットなどしっかりしたものまで揃っているので、朝食、昼食、またディナーと、それぞれの時間帯に合った料理が楽しめる。F&Cもその中の人気料理。身がたっぷり詰まったフィッシュと、粗めにつぶされ、豆の食感を楽しめるマッシュ・ピーのF&Cは、がっつり食べたいときにお勧めだ。

202
パリのカフェを思わせる外観(写真左)
店内奥にはワインもずらりと並ぶ(同右)

202-204 Westbourne Grove W11 2RH
Tel: 020 7727 2722
営業時間 月 10:00-18:00 火~土 8:30-21:30 日 10:00-17:00
*16:00-18:00はキッチン・クローズ


カジュアルかつスマートにF&Cを味わう
Fish Central

Fish Central
こんがりと揚がったF&C

ロンドン東部、オールド・ストリートの落ち着いたエリアにある 「Fish Central」 は、 白と黒で統一された内装がシックな雰囲気を漂わせる一方で、人々の声が弾む明るく賑やかなレストラン。数々の賞を欲しいままにするこのお店は、英国の人気情報誌 「Time Out」 に 「そのおいしさは言葉に尽きる」 とまで言わしめた実力派だ。こだわり抜かれた品々は、どれをとっても超絶品。F&C はと言えば、こんがりキツネ色の衣のフィッシュはサクサクで香ばしく、細く柔らかめのポテトは日本のフライド・ポ テトと似ていて、どこか懐かしい味がする。店のスタッフから、「是非とも注目して 欲しい」 と念を押されたのが、店内の壁に貼られたボード。旬の食材を使った、その日一番の特別メニューが記載されている。デザートは10種類ものメニューの中から 選べて、すべて 3.5ポンドとお手頃価格。迷ったらスタッフに相談してみよう。

Fish Central
特別メニューが書かれたボードに要注目(写真左)
白と黒のミニマルな内装(同右)

149-151 Central Street, King Square EC1V 8AP
Tel: 020 7253 4970(Reservation)
www.fishcentral.co.uk
営業時間 月~木 11:30 -14:30、17:00 -22:30
金、土 11:30 -14:30、17:00 -23:00

ひと味異なる新しいF&Cを求めるなら
Fish Club

Fish Club
自家製タルタル・ソースも美味

新鮮な魚を間近で見られるカウンターが印象的な「Fish Club」の店内は、清涼感たっぷりで自分が海の中にいるかのよう。店員さんがテキパキと調理しているところを見ながら、魚の細かい説明を受けられるところなどはポップな英国版お寿司屋さんといった風情だ。魚介類のみならず、豊富なメニューが揃うが、やっぱり人気は王道、F&C。天ぷらのような繊細な衣に包まれた、しっとり中身のフィッシュに、ポテト チップスのようなカリカリのチップスは、他店のものとはひと味異なり個性的。またChips、Mash、New Potatoes、Sweet Potato Chipsと、ポテトが 4 種類あるのも 面白い。中でもSweet Potato Chipsは甘くてホクホク。おやつ代わりにも良さそうだ。また、ここでは Asahi ビールも楽しめる。メニューに入れたのは「Asahi のドライな感じと魚の相性がたまらない」からなのだとか。

Fish Club
新鮮な食材がずらりと並ぶカウンター (同左)
フレンドリーで知識豊富なスタッフ (同右)

● St John's Hill-Clapham Junction店
189 St John's Hill, Clapham Junction SW11 1TH
Tel: 020 7978 7115

● Clapham High Street店
57 Clapham High Street SW4 7TG
Tel: 020 7720 5853

www.thefishclub.com
営業時間 月 17:00-22:00 火~日 12:00-22:00


味で勝負の本格派
The Fryer's Delight

The Fryer's Delight
肉厚なフィッシュはとてもジューシー

ビジネス街、ホルボーンにあるのは、可愛らしい !? ナマズがシンボル・マークの 「The Fryer's Delight」。カラフルでこざっぱりとした店内にシンプルなメニュー、飲み物込みでも7ポンド程度で収まる良心的な価格設定は、いかにも庶民的な「地元のF&C屋 さん」という感じ。長年人気を保ち続ける秘訣は何かという質問に、「味が良いから、こんなに長く続いているんじゃない !? 」とあっけらかんと答えるオーナーの言葉通り、肉厚でジューシーなフィッシュと、しっかりとじゃがいも本来の味が出ているチップスから成るF&Cは一度食べたらくせになり、また行きたくなること間違いなし。サイド・メニューを付けるならば、さっぱりとしたピクルスがお勧めだ。毎朝市場から仕入れてくるフレッシュな魚と、手作業でゼロから調理されるポテトは、常連客をつかんで離さない。1968 年創業以来、変わらぬ味を求めて、30年来通っているお客もいるのだそう。

Frier's Delight
カラフルで庶民的な外観(写真左)
こざっぱりとした店内(同右)

19 Theobald's Road, Holborn WC1X 8SL
Tel: 020 7405 4114
営業時間 月~土 12:00-22:00


ちょっとポッシュなF&C
Golden Hind

Golden Hind
薄めの衣は長時間たってもサクサク

お洒落なショップが連なるマリルボンの一角という、ちょっとポッシュな場所にあるのが「Golden Hind」。オーナーがイタリア人からギリシャ人に代わって早15年。フレンドリーでハッピーな接客を心掛けているという私服のスタッフに、オー プンで賑やかな店内の雰囲気は、まるでギリシャにいるかのように心地良い。薄めの衣で包まれたフィッシュと、あっさり軽めなポテトは、時間がたってもサックサク。それほど脂っこくなく、サイズも大と小のどちらかを選べるのは、ヘルシー志向の女性にはうれしいところだ。常連客からの高い支持を受けるマッシュ・ピーは、 アイルランドのBatchelors 社のものを使用。スターターにはFishcake や Feta Cheese、サイド・ディッシュには Garden Peas、Pickles Onionがお勧めと語る店員さんからは、「いつも笑顔で礼儀正しい日本人からなら、いつでもなんでも質問を受け付けるよ」 とうれしい一言。気軽に話し掛けてみよう。

The Golden Hind
カラフルで庶民的な外観(写真左)
こざっぱりとした店内(同右)

73 Marylebone Lane, Marylebone W1U 2PN
Tel: 020 7486 3644
営業時間 月~金 12:00-15:00、18:00-22:00 土 18:00-22:00


英国の「ザ・パブ」でいただく伝統料理
The Ship Tavern

The Ships Tavern
巨大なフィッシュにはお客さんから歓声が上がることも

ホルボーン駅から程近く、昼間からお酒を手に陽気に笑う人々で賑わう「The Ship Tavern」。磨きこまれたカウンター、ビリヤード台や、サッカーの映し出されるテレビに囲まれたこの空間は、紛れもなく英国の「ザ・パブ」である。ダイニング・ エリアとなっている2階はぐっと落ち着いた雰囲気で、メニューにも典型的な英国料理がずらり。ここで試してみたいのが、常連客から「フィッシュの大きさでは他店に負けない」と言われる巨大なF&C。あくまでもパブ料理のなかの一品のため、魚の種類などは選べないものの、毎朝市場から仕入れてくる新鮮なHaddock としっかりと揚げられたポテト、マッシュ・ピーは、F&C専門店に負けるとも劣らない。 他の料理も外れがないと評判で、ローズマリーの風味がアクセントになったチェダー・アンド・マッシュなど数種類のパイも人気メニューだ。ゆっくりと2階で食事を楽しんだ後は、下のパブでビール片手に語り合おう。

The Ships Tavern ソーセージ&マッシュ
ホルボーン駅の脇、細い小道の奥に店がある(写真左)ソーセージ・アンド・マッシュも人気の一品(同右)

12 Gate Street, Holborn WC2A 3HP
Tel: 020 7405 1992
www.theshiptavern.co.uk
営業時間 月~水 11:00-23:00 木・金 11:00-0:00 土・日 12:00-22:00


著名人も認める北ロンドンの名物店
Two Brothers Fish Restaurant

Two Brothers Fish Restaurant
ボリューム満点な2種類のF&C

日本人も多く住むフィンチリー・セントラルにあるのは、1988年に双子の兄弟によって開業されて以来、北ロンドンで一番という名声を保ち続ける高級F&Cレストラン「Two Brothers Fish Restaurant」。店内は毎晩満席で、いつも外にまで行列ができるという人気振り。値段は多少張ろうとも、高品質な食材からつくり出される料理の数々は、一度は味わってみる価値がある。メニューの品数も豊富で、何を頼むか迷うところだが、「1 回目は伝統的なF&C、次は違うものを頼むのが良いよ」 とスタッフが言うように、F&Cが一番の人気メニュー。また、セレブ・シェフ、ジェイミー・オリバーも絶賛したという、Mediterranean Prawns in Garlic Butterにもチャレンジしてみたい。著名人もお忍びでよく来店するそうで、「万が一隣に座っても驚かず、大人な対応をしてほしい」とのこと。

Two Brothers Fish Restaurant
落ち着いた雰囲気の店内(写真左)
深海を思わせる深い青色が印象的な外観(同右)

297-303 Regent's Park Road N3 1DP
Tel: 020 8346 0469
www.twobrothers.co.uk
営業時間 火~土 12:00-14:30、17:30-22:00

 

土門秀明さんインタビュー

「誰か」を待ち続けるバスカー 土門秀明さんインタビュー

本誌の人気連載コラム「悩んだときはこれを聴け!」で、読者から寄せられる様々な人生相談に答えていただいたバスカーの土門秀明さん。ロンドン地下鉄の駅構内でギターを弾くことで生計を立てる彼は、誌面上での人生相談やバスキングを通じて、いくつもの一期一会を重ねてきた。その土門さんに、連載を振り返りながら、人との出会いをテーマに語ってもらった。

無名のミュージシャンでも音楽を生業にできる。

100回にわたる連載、お疲れ様でした。まず、土門さんのことをよく知らない読者のためにも、簡単に経歴を振り返らせてください。20代前半から、日本のR&Bバンド「バブルガム・ブラザーズ」のバックバンドでギターを担当。その後広告代理店に勤務、2002年にロンドンに来て、その翌年より地下鉄駅構内での演奏を生業とするバスカー*1になりましたね。

気が付いたらそんな人生になっていたという感じです。バブルガム・ブラザーズのバックバンドでの仕事を得ることができたのは、当時入っていたアマチュア・バンドのトランペットの人が、たまたま紹介してくれたからです。バスカーになったのも、友人がバスカーになるためのオーディション*2を受けようと誘ってくれたから付いていっただけで、教えてもらうまで、そういう制度があるということさえ知らなかったですから。もちろん、渡英当初からバスキングしている人を見かけたことは何度かありましたが、まさか日本人である自分が、ロンドンでバスキングして生活することになるとは夢にも思いませんでした。

バスキングを実際に始めてみて、どんな印象を持ちましたか。

どこの国のミュージシャンでも、ある程度有名にならないと食べていけないじゃないですか。テレビに出て、レコードを何十万、何百万枚と売って、コンサート会場を満員にして。でも、そうした成功を収めることができる人って、ほんの一握りしかいないんですよ。

僕が、ロンドンの地下鉄バスキングっていいなと思うのは、無名のミュージシャンにも、音楽でお金を稼ぐための場所と、気軽に人前で演奏できる機会を提供しているという点です。もっと言うと、お金を稼ぐだけではなくて、そうしたミュージシャンたちが、音楽で人々に安らぎを与えようとする社会奉仕の場を作ってくれていると思うんです。これはミュージシャンや、ミュージシャンを目指す者にとって非常に幸せなことだと思います。

ロンドン地下鉄でのバスキングには、夢が詰まっているんですね。

ロンドン地下鉄で演奏するバスカーって、わりと高齢の人が多いんですよ。40、50代のバスカーがザラにいる。もし日本でその年代の人が地下鉄で演奏してたら、たぶん、一般人からは偏見を持たれると思うんですよ。「いい歳して何やってるんだ?」みたいな。でもロンドンだと、通行人が「Thank you」って言ってお金を落としてくれるんですね。「汝、隣人を愛せよ」ってことなんですかね。ほんと、この国は懐が深いなって思いますよ。

しかも、何と言うか、すごく自然体なんです。ロンドンで出会った日本人の方にバスキングのことを話すと、「じゃあ今度、絶対に観にいきます!」と言ってくれることがあって、うれしい半面、バスキングってわざわざ観に出掛けて、じっくり聴くものでもないんですよね。通りすがりに、心地良い音楽が聴こえてきたら、さらっとお金を置いていく。そのさりげなさが、かっこいいと思うんですよ。

ただ一方では、バスカーからお金を盗んだり、ゴミを投げつけてくるひどい輩もいるんです。人の優しさに感動することもあれば、悲惨な目に遭うこともある、いろんな貴重な体験ができるのがバスキングなんです。

2008年より、本誌で人生相談の連載が始まりました*3。

バスキングを始めた頃、ロンドンの地下鉄駅構内を通る日本人の方々の多くは、僕が日本人と気付くと、目をそらしていたんですよ。たぶん、僕のことを日本人のくせにホームレスかよほどの貧乏人と思ったんでしょう(笑)。同じ日本人として恥ずかしいという感じだったんでしょうかね?

でもコラムの連載が始まってから、「あ、土門さんですよね。毎週読んでます!」って、向こうから声をかけてもらえるようになりました。今では堂々と日の丸が書かれたボードを側に置いて、日本代表のバスカーと勝手に自認して演奏していますよ。

コラムの執筆作業は、どのように進めていましたか。

読者からのお悩みが編集部を通してメールで送られてきたら、とりあえず、すぐ率直に思ったことを書き始めます。こういうのって考え過ぎても面白くないんですよ。多少荒っぽいくらいのほうが、読者の受けが良かったりしますね。その後、一晩寝かせて、読み直して書き直し、また寝かせて書き直しの繰り返し。一つの質問につき、合計7〜8時間くらいかけていました。文章を書くのは上手くないと思ってますし、結構時間はかかりましたね。

くだらない回答もたくさんあったかもしれませんが、読者の皆様には、「また土門がしょうもないこと言ってるよ」と和んでいただければ、まあそれでいいかな、と。最終的には敵を作らないよう、きれいに締めることができたら、と思っていました。

でも生卵を食べた回*4では、結構な数の苦情が寄せられたんですよ。

だから「良い子は絶対マネしないでくれい!」ってちゃんと書いといたじゃないですかっ(笑)。「英国で販売されている生卵は食べられるのか?」といった疑問のほかにも、例えばビザ関連のことだけでも、タブー気味な疑問って結構ありますよね。でもインターネットの掲示板とかにそうした疑問を書き込んでも、「自分で調べなさい」とか「移民局のホームページを参照してください」といった答えしか返ってこない場合が多いじゃないですか。なので、この「生卵問題」みたいな疑問は、いつか取り上げてみたかったんです。それなりの反響や苦情がくることは覚悟していましたし、日系フリーペーパーに書いたら、どれくらいの反響があるか実験してみたいという気持ちもありました。 それと「薬にも毒にもならない文章」は書きたくないというポリシーもあったし、ある意味、「タブーに挑戦」という確信犯だったんですよ(笑)。

土門さん

痛みや経験を共有していれば、心は通じる。

土門さんは地下鉄駅構内でのバスキング活動の傍ら、語学学校に通っていたんですよね。

はい。毎日、語学学校にちゃんと通っていましたよ。今年でもう45歳ですけどね、同級生と一緒にゲームを通じて英語を学んだりといった経験が、すごく楽しかったですね。というのも、僕は大学生活を経験していないわけですよ。でも自分が若いときは、女子大生ブームを作った「オールナイト・フジ」のようなテレビ番組を観て、キャンパス・ライフにちょっとした憧れを抱いていました。この歳になって、ようやく疑似体験できたという感じでうれしかったですね。

英国にいたら、年齢の違いなんてあんまり関係ないじゃないですか。ずっと年下の同級生たちが、普通に接してくれましたよ。流暢な日本語を話す、16歳のコギャル系モンゴル人とも友達になりましたねえ。授業が終わったらそのままバスキングに行けるように学校には毎日ギター持っていってましたので、先生やクラスのお調子者に「弾け、弾け」って言われて、よくビートルズの曲とかを授業中演奏していましたよ。

その学校が、突然閉鎖されたとのお知らせと共にコラムが終了*5してしまったのですが、その後どうなりましたか。

最終回で発表しましたように、その学校は完全に閉鎖されました。今はまだ、今後の身の振り方を考えているところなんですが、そんなこんなで最近いろんなことがあり、「鬱」になっちゃったんです。もうびっくりですよ。呑気で楽天家のはずの自分がそうなるとは信じられませんでした。まさに「心の病気」といった感じでしたね。ギターを弾く自信もなくなって……。でもそれで初めて、鬱の人の気持ちってこういうものかって分かった気がしたんです。

昨日も、グルジア共和国出身のバスカー*6に鬱になっちゃったって言ったら、食事に連れてってくれて、6時間も話を聞いてくれて。知り合ってから5、6年ぐらい経つけど、一緒に食事に行くなんて、初めてのことですよ。その人も、過去に鬱になったことがあったそうで、似たような苦しみを経験したらしく、親身になってアドバイスしてくれました。彼以外のバスカーからも、いろいろと助けてもらいましたよ。

バスカーの人たちとは、普段からそうした深い付き合いがあるんですか。

いいえ、バスキングの順番を交代するときぐらいしか、お互い顔を合わせないですよ。交わす言葉は、「Hi」とか「Good luck」とか挨拶程度。ただ、バスカー同士ってやっぱり、戦友というか、同じ痛みを分かり合える仲間という気がするんです。めちゃくちゃ寒いとこで演奏したり、一人で演奏する孤独感みたいなものを共有しているわけじゃないですか。お互いが抱える痛みとか寂しさが分かるから、たとえ交わす言葉は少なくても、心の中ではすごく通じ合っているような気がするんです。楽器の音色を聴いただけでも調子が良いのか悪いのか分かっちゃうし、ちょっとした目線や表情でも何を言いたいのか、気付いちゃいますね。

実は、僕は英語が苦手なので、相手の目線や表情を見て会話しようとする部分が大きいと思うんです。でも「深い付き合い」って、そうい地下鉄うことなんじゃないかな。2005年にロンドン地下鉄でテロ*7が発生したときも、バスカーたちの顔色から「テロに負けてなるものか」という気持ちが伝わってきましたよ。

同じ経験や痛みを共有していれば、言葉ではたとえ「How are you?」としか言わなくても、心って通じるんでしょうね。逆に、同じ経験や痛みを持っていなかったら、言葉がいくらあっても、心は通じないかもしれませんね。おっ、いいこと言うな俺(笑)。

一生懸命弾かないと、お金は入らないんですよ。

ほかのバスカーたちとだけではなく、通行人との触れ合いもありますよね。

この前、落ち込んだ状態でクィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を演奏していたら、通り掛かりのおじさんが、「君大丈夫かい? 俺も昔、自殺したいぐらい落ち込んで、銃で自分の頭を撃ちたい、と思ったことがあったんだよ」と話しかけてきました。向こうも、僕が普通の状態じゃないと思って、言葉をかけてくれたような気がするんですよね。

しかし、土門さんが言う「通じ合う気持ち」を、本当に通行人も共有しているんでしょうかね。

観ている人はちゃんと観てくれている、聴いている人はちゃんと聴いてくれていると信じて演奏しています。不思議なもんで、結局、一生懸命弾かないとお金入らないんです。別にだらけて弾こうが、真剣に弾こうが、その違いを一瞬通り過ぎていくだけの通行人が分かるとは思えないじゃないですか。それが、どうも分かるようなんです。僕は通行人の方々からいただくチップで生活しているわけですけども、気持ちをしっかりと込めて、一生懸命弾いている日の方が、お金は入る。人間って一見、無関心なように見えたとしても、結構、他人のことよく見ているんだなって思いますね。しかも、真髄を見ているんです。

「言葉が少なくても気持ちは通じ合う」とか「他人は意外と真髄を見ている」と考えるようになったのは、バスキングを始めてからですか。

一瞬の出会いだけで、心が泣いている様子や、相手の悲しみを推し量るといったことは、バスキングを通じて学んだことでしょうね。ロンドンに来る直前は広告代理店で働いていたんですけど、とにかく1円でも多く稼ぐために汲々としていました。競争に勝ちたくてしょうがなかったから、同僚の失敗をほくそ笑んだり……。人間って、口で言うほどきれいな生き物じゃないですからね。

でもバスキングを体験して、人の良い部分に触れたというか、人間ってこんなに優しいもんだということに気付かされたんです。だって、そもそも何で僕に、見ず知らずの通行人が微笑んで1ポンドなり2ポンドをくれるの? って話ですよ。赤の他人がですよ。しかも、たまにお札入れてくれる人だっているんです。「何なんだろう、なぜなんだろう、これは?」みたいな。

土門さんあとロンドンの冬って、本当に寒いですよね。そうした寒い日に、外気が入り込んでくるような場所で演奏していると、お金がよく入るんです。僕はこれを「同情票」と呼んでいるんですけど(笑)。こういうときにチップがたくさん入ったり、「頑張ってね!」なんて声かけられると、人生捨てたもんじゃないなと思いますね。この前なんてサウス・ケンジントン駅横の長いトンネルで演奏してたんですけど、とにかく寒くて寒くて震えてました。そうしたら、そこを通りかかったダウン症の子供たちが寄ってきて、皆でニコニコしながら僕の体をさすってくれたんですよ。「頑張れ、頑張れ!」って言いながら。もう、「この優しさは一体何だろう」ってぼんやりと疑問に思うことしかできなかった。あと、ホームレスの人から1ポンドをもらったときも、どういうことなのか、頭の中が整理できなかったですね。

そういうこともあって、話し掛けてきた人や寄ってきた人には、どんな人でも、ギターを止めて話すようにしてます。バスカーにとって、曲を途中で止められたからって、別に大した問題じゃないんですよ。それよりも、会話ができれば、こちらにとっても心の財産になるし、良い思い出になる。それこそ一期一会ですよ。

たぶん、誰かを待っているんでしょうね。

ということは、人との出会いを求めて、バスキングしているんですね。

土門さん誰かを、または何かを待っている気はしますね。期待や希望がなかったら、何もできないでしょう。

例えば、語学学校時代の同級生とか、元フラットメイト、日本に居た頃の友人、昔付き合ってた人、またはこれから友達になれそうな人などなど、そういう人が来てくれないかなってぼんやりと考えながら弾いているときもあります。少なくとも僕が地下鉄でバスキングしていたら、いつか会えるかもしれないと思いながら。でも家に引き篭もっていたら、出会う可能性はゼロですよね。地下鉄駅の中で演奏し続けていれば、その可能性がゼロじゃなくなるんです。まあ限りなくゼロに近いですけど。寂しがり屋なんですかね(笑)。

バスカーって、ちょっとイっちゃっている人が多いんです。人見知りとか一匹狼っていうのもいっぱいいる。でも彼らも誰かに会いたいのかもしれませんね。結局、みんな寂しがり屋なんですよ。実際は、そんな感動的な出会いなんて、そうそうないですよ。たぶん会えないだろうけど、でももしかしたら会えるんじゃないかなって心の中でほのかに願いながら今日も行くんです。その期待感だけで、生きているんでしょうね。

異国で暮らしていれば、そうした「感動的な出会い」を求める気持ちを持つ機会が増えるような気がします。さっき土門さんは、そんな出会いは「そうそうない」と仰ったけれども、外国に来た以上、現地で親友を作りたいし、日本にいる古くからの友人もずっと大切にしていきたい。そうした深いつながりを持つためには、どうすればいいでしょうかね。

努力してできることじゃないのかもしれません。努力して親友ができたら、苦労しないですよ。頑張っても空回りするでしょう。深い関係になろうと思って、毎日電話したり、飯食ったりしたからって、その人と仲良くなれるってわけじゃないですからね。それよりも、同じ体験なり、痛みを共有した人であれば、自然と深い仲になるっていうことなんじゃないですか。

いつまで、バスキングを続けますか。

バスカーの中には、のたれ死にする人も少なからずいると思うんです。僕が組合長*8と呼ばせていただいているバスカーは、去年心臓発作で倒れて救急車で運ばれました。命に別状はなかったんですけど、運ばれる際に手をどこかに挟んでしまったようで、指を3本失った。ギタリストなのに、指がなくなっちゃったんです。

バスカーって、風変わりな人が多くてね。世間一般では、路上で適当に、のほほんとして演奏しているのがバスカーのイメージだと思うんですけど、それぞれのバスカーの人生には、結構いろいろなドラマがあって。皆、何かを背負って生きているんだなって思います。

僕もジジイになるまでバスキング続けて、最期はクリスマス・イブにサウス・ケンジントン駅のトンネルでギター抱えながら寒さで死んじゃったりしてたら本望かなって思います。幸せそうに微笑みながら死んでたりしたら、最高かもしれませんねえ(笑)。

「海の上のピアニスト」っていう映画があるんですけど、主人公は、幼い頃からずっと船の中で演奏することで生活を営んできて、船の外に出たことがないんです。あるとき、決意して外の世界に出ようとするのだけれど、結局出れないまま死んでしまった。「地下鉄のギタリスト」*9って本を出したとき、名は体を表すじゃないけど、僕もそうなるんじゃないかなって予感がしたんですよね。地下鉄から出られなくなるんじゃないかなと。

地下鉄それで先月、重度の鬱状態のとき、何もかもが怖くてギターが弾けなくなってしまったんですよ。指の神経までおかしくなってしまいました。決まってたコンサートや講演を全部キャンセルして多大な迷惑もかけてしまいました。今はだいぶ良くなりましたが、結局、最終的にバスキングが救いになったんです。バスキングを通して通行人に安らぎを与えるつもりでやってきたのに、今度は自分がバスキングで通行人に癒してもらう立場になっちゃっていました。やっぱり、そういうときは人と触れ合うのが一番いいんでしょうね。そうだ、もし今、鬱の人、または何かに悩んでどうしようもない人がいたら、僕がバスキングしてる所に来てみませんか? スケジュールがウェブサイトに載っていますから、気軽に来て声をかけてください。僕は専門家ではないので治療やカウンセリングみたいなことはできませんが、同じような痛みを経験している者として、良い話し相手にはなれると思いますよ。これから本帰国までの間は、そういった活動もバスキングを通じてやっていきたいと思っています。


読者の皆様へ ────
これまで2年間にわたる連載の間、土門さんへの質問や相談をお寄せいただき誠にありがとうございました。編集部より、改めて御礼申し上げます。


*1 バスカー……路上などで、楽器演奏や歌といったパフォーマンスによってチップをもらう「バスキング」を行う人のこと。ロンドンの地下鉄駅構内は、絶好のステージとしてバスカーたちの人気を集めている。
*2 バスカーになるためのオーディション……かつて地下鉄駅構内でのバスキング活動は、厳密な意味では「私有地での営業活動」という形の違法行為として捉えられていた。以前は地下鉄当局の職員が構内で演奏しているバスカーに退去を促すこともしばしばで、また場所取りをめぐってのバスカー同士のいざこざも多発していた。そこでロンドン地下鉄は、2003年5月よりライセンス制度を導入。以後は、オーディションに合格したライセンス保持者のみが地下鉄駅構内で合法的にバスキングを行えるようになった。
*3 人生相談の連載開始……2008年3月25日に第1回が掲載。滞在ビザがあと数カ月で切れるにも関わらず、関心さえ示さない英国人の彼氏への不満を漏らす29歳の語学学生に、「そんな彼氏を好きになったあなたに問題がある」との辛口の回答で連載が開始された。
*4 生卵を食べた回……リバプール在住の主婦から寄せられた相談。「こちら(英国)の卵には菌がいるので、生では食べない方がよいと聞きました。でも、私は日本にいるときから卵がけご飯が大好きで、どうしても食べたいのです」との手紙に対して、「それって私に『食ってみろ』ってことですかっ?!」と啖呵を切り、生卵の試食を行った。
*5 コラムの終了……記念すべき第100回で、「昨日、学校に行ったら入り口のドアが閉鎖されていました。数カ月前にホーム・オフィスの査察が入ったようなので心配していたのですが、どうやらクローズしてしまったようです」との悩みを紹介。その投稿者が実は自分であることを伝えると同時に、連載コラム終了を宣言した。
*6 グルジア共和国出身のバスカー……土門さんの著書によると、日本製のサックスで演奏を行う、「いじめられっ子顔」のバスカー。土門さんがバスキングを始めたばかりの頃からの顔馴染み。
*7 2005年のロンドン地下鉄テロ……土門さんの著書によると、2005年7月7日にロンドン地下鉄同時多発テロが発生したその翌日、バスカーたちは通常通りに演奏を実施。「No tip today. I will sing for you(今日はチップは受け取らない。みんなのために歌うよ」と書かれた段ボールの紙片を、土門さんを含むバスカーたちで受け渡しながら歌い続けた。
*8 組合長……マーチンという名のアイルランド人ギタリスト。ロンドン地下鉄においてバスキングのライセンス制度が開始される際に、当局やスポンサーと協議・交渉を行った功労者であることから、このあだ名が名付けられた。
*9 「地下鉄のギタリスト Busking In London」(水曜社)……2006年2月に発行された、土門さん初の著書。ロンドン地下鉄でのバスキングの様子を記したメルマガの内容をまとめる形で刊行された。雑誌「ダカーポ」が選ぶ「2006-2007 BOOK OF THE YEAR 本当に面白かった本」受賞。
土門秀明プロフィール
バブルガム・ブラザーズのギタリストとして活躍後、渡英。日系居酒屋でのギターの流し、駐在員の子供のギター教師を経て、2003年、日本人初のロンドン地下鉄演奏許可証(バスキング・ライセンス)を取得。公認バスカーとして、生活費のすべてをバスキングで稼いでおり、現在ほぼ毎日ロンドンの地下鉄駅構内で魂のギターを弾いている。 www.domon.co.uk

土門さんの新曲

3月初旬に、iTunesで「シングル3曲世界同時発売」を決行した土門さん。作曲を自ら手掛けた土門さんのコメントとともに、この3曲を紹介。

From The UndergroundFrom The Underground
「ロンドン地下鉄をイメージして 作曲しました。「Mind the gap!」 等の駅員のアナウンスや、電車の発着音などを随所に散りばめて、躍動感のあるサウンドに仕上げました」
iTunes Store で購入
Mogami RiverMogami River
「私の故郷である山形県を流れる「最上川」を想い、ロンドンで書いた望郷の曲です。河口の酒田市から海にそそぐ雄大な風景を、淡々としたリズムに乗せて弾いています」
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Crane GirlCrane Girl
ロンドン在住の写真家「Miyography」さんとのコラボレーションとして作曲しました。「鶴の恩返し」をモチーフにした作品からインスパイアされた、日本色の強い曲です」
iTunes Store で購入

 

スコットランド紙幣の日本人 渡邊嘉一

フォース湾にかかる鉄道橋
渡邉嘉一スコットランド紙幣の日本人 渡邊嘉一

スコットランド銀行が発行している20ポンド紙幣には、
スコットランドが誇る「フォース鉄道橋」とともに、
その建設に携わった3人の技師の姿が描かれている。
その中央にいる人物は、渡邊嘉一という名の日本人技師。
日本とスコットランドの懸け橋となった渡邊嘉一の、
知られざる逸話を紹介する。(清水 健)

人間模型と20ポンド札

渡邊嘉一の生涯

1858年(安政5年)2月8日、長野上伊那郡朝日村字平出で、宇治橋瀬八の次男として生まれた。1882年に海軍機関総督横須賀造船所長の渡邊忻三の養子となり、1914年に渡邊家の家督を相続した。1876年工部大学校(現在の東京大学工学部)予備校入学、工部大学校5期生として土木科に学び、1883年に首席で卒業、ただちに工部省に技師として雇われ鉄道局に勤務することになる。

しかし、翌1884年にこれを辞して英国に渡航。グラスゴー大学に入学し、土木工学と理学の学位を取得して1886年4月に卒業。同年5月にファウラー・ベイカー工務所の技師見習い生となり、続いて技師に昇格している。その後、フォース・ブリッジ鉄道株式会社のフォース鉄道橋建設工事監督係となる。工事監督のかたわら、同橋前後の鉄道線路約20キロの実地測量とその設計主務も担当している。

嘉一は、業半ばで1888年に日本に帰国し、日本土木会社の技術部長となる。その後、参宮鉄道、関西瓦斯、東京石川島造船所、京王電気鉄道会社などの社長を務めた。北越鉄道技師長時代に、石油の残滓を機関車の燃料に応用して、燃料を節約する燃焼器を発明し、特許を取得している。1899年には、工学博士の学位を授けられた。

さらには、土木学会設立に参画。帝国鉄道協会会長なども歴任して、学会、産業界に幅広く活躍したが、1932年(昭和7年)12月4日、胃癌で帰らぬ人となった。

朝比奈隆氏との関係

日本が誇る名指揮者、朝比奈隆。ブルックナー解釈の第一人者として知られ、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督としてだけでなく、シカゴ交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などでの客演を通して指揮棒を振り続けた彼は、養子に出されて朝比奈姓となったが、渡邊嘉一の息子である。

1. フォース鉄道橋と日本人技師

フォースブリッジ地図スコットランドの首都、エディンバラから西へ14キロ。フォース湾と呼ばれる入り江に、「鋼の恐竜」とも形容される巨大なフォース鉄道橋が架かっている。19世紀末に大英帝国の技術を結集して建設されたこの鉄道橋は、ユネスコの世界遺産の候補にも挙げられており、英国の1ポンド硬貨、そしてスコットランド銀行が2007年から発行している20ポンド紙幣にもその威容が描かれている。

その20ポンド紙幣の右上に、この橋の構造を説明するために3人の技師たちが腰掛けた模型の写真がある。王立科学研究所で実演されたもので、両側には2人の英国人技師。そして真ん中にいるのは、渡邊嘉一という名の日本人である。なぜこの日本人技師がスコットランドの紙幣に載ることになったのであろうか。

2. テイ橋の悲劇

19世紀後半の英国では、既に鉄道網が全国へと伸びていたが、エディンバラからスコットランド東岸を北上する鉄道の建設は大きな障害によって阻まれていた。幅が約1キロあるテイ湾とフォース湾が深く切り込んでいるために、線路をつなぐことが困難だったからである。

この問題を解決しようと、東岸路線の鉄道会社は両湾に架橋することを決めた。そしてテイ湾とフォース湾をわたる2つの鉄道橋の建設を、それまでにいくつもの橋の設計を手掛けてきた鉄道技師トマス・バウチが担うことになったのである。

先に建設されたテイ橋は、錬鉄(れんてつ)製の骨組みを三角形に組み合わせて接合部に柔軟性を持たせた格子トラス桁を橋脚に乗せたもので、1878年に開通。当時、世界一の長さを誇った橋を完成させたバウチは叙勲(じょくん)され、続いてフォース湾に吊橋を架ける設計図を準備していた。

ところが完成から1年後にテイ橋が崩落し、運悪く通過中だった汽車が巻き込まれるという大惨事が起きたのである。横からの強風に対する耐荷力が不足していたためで、この事故の責任を問われたバウチは、既に設計の終わっていたフォース鉄道橋の建設計画から降ろされ、失意のうちに10カ月後に他界した。

3. 2人の技術者による新案

トマス・バウチに代わってフォース鉄道橋の設計を担当することになったのが、鉄道技師のジョン・ファウラーとベンジャミン・ベイカーである。ロンドンのメトロポリタン鉄道会社の技師として地下鉄の建設に携ったことのあるファウラーは、テムズ河を渡るピムリコ鉄道橋の設計を担当したことがあった。またファウラーの助手から工務所の共同経営者となったベイカーは、ビクトリア駅の建設やグロヴナー鉄道橋の設計に携わっている。その2人が共同で、フォース鉄道橋の再設計を行うことになった。

バウチの設計では当初、この橋は吊橋となる予定であった。しかしテイ橋崩落の原因となった強風に弱いとの理由で、この案は却下。代わってファウラーとベイカーが採用したのが、カンチレバー式橋である(右下図)。さらにこの頃より圧延鋼の大量生産が始まったことから、テイ橋の桁で使われていた錬鉄の倍の引張強度を持つ鋼板を使うことで、橋の構造強度を飛躍的に高めることが可能となった。

4. フォース鉄道橋の建設

1882年にいよいよ工事が始まった。まずは、フォース湾の両岸と中央の岩礁に高さ105メートルの3基の鋼塔を築く。そして、これら3つの鋼塔からそれぞれ長さ207メートルの腕を差し伸ばした。両端は、両岸の陸地上に設けた橋脚の上に置くことができるが、両岸と岩礁の間隔は521メートルあり、海上では互いの腕が届かない。この残された約100メートルの空間にカンチレバー構造を用い、両側から伸びた突桁の間に支間107メートルのトラス構造の橋桁を吊り架けるのである。

橋の建設には5万4000トンの鋼材、800万個のリベット(鋲)が使われ、工事には5000余人が関わり、総工費275万ポンドが投じられた大事業であった。労働者の平均賃金が週1ポンドの時代である。こうして8年もの歳月をかけたフォース鉄道橋の工事は、1890年3月4日の開通式で時の皇太子(のちのエドワード7世)が最後のリベットを打ったとき、ついに完成に至った。

フォース鉄道橋の完成によって、スコットランド東岸はエディンバラからアバディーンまで1本の鉄道で結ばれた。翌1891年のセント・アンドリューズで開かれた全英オープンは、出場者がそれまでの倍の82名に増え、競技方式も翌年から従来の36ホールから72ホールに改められた。またギャラリーが急増したおかげで入場料が徴収されるようになり、市の財政が豊かになったという。フォース鉄道橋は交通ばかりでなくゴルフの発展にも寄与したので、「ゴルフの懸橋(バイアダクト)」と呼ばれるようになった。

5. 人間模型の写真撮影

フォース鉄道橋がまだ建設中であった1887年、王立科学研究所において、人間模型を使ってこの橋の構造であるカンチレバーの原理が説明された。椅子に腰掛けた2人が両腕を伸ばし、握った棒を張り出して桁をつくる。両端の支点はブロックの重りで押さえられ、中央径間の吊桁に相当するところに人間の荷重を載せる。これでこの構造に十分耐荷力があることが示された。

この人間模型の中央に載ったのが、日本人技師の渡邊嘉一であった。1886年にグラスゴー大学を卒業してファウラーとベイカーの工務所に入り、フォース鉄道橋の建設工事監督係を務めた。スコットランド人が教授陣の半数を占める工部大学校(東京大学工学部の前身)で学んだ彼にとって、スコットランド訛りの英語は慣れたもので、東洋人という偏見を越えて労働者をまとめる人徳と才能があったからこその抜擢であった。そして、模型の要に当たるこの栄えある座が日本人技師に与えられたのは、カンチレバーの起源が東洋にあり、東洋の恩義を誰もが思い出すようにという、設計者であるファウラーとベイカーの粋な計らいによるものであった。

王立科学研究所で写真が撮られてから120年後、スコットランド銀行が新しい紙幣を発行した。20ポンド紙幣の図案に選ばれたのは、スコットランドが世界に誇るフォース鉄道橋、そしてフォース鉄道橋を語るときに欠かせない、「Human Bridge」と呼ばれる人間模型の写真であった。

設計者であるファウラーとベイカーはイングランド人であることから、スコットランドの人々はグラスゴー大学の卒業生である日本人技師に親しみを覚えている。その功績の大きさにもかかわらず、祖国ではあまり知られていない渡邊嘉一であるが、スコットランドの地では、日本との懸け橋「Human Bridge」として今も活躍し続けているのである。

※渡邊嘉一については、大東文化大学講師の三浦基弘氏に資料を提供していただきました。

カンチレバー構造とは

カンチレバー構造カンチレバー構造は、片持梁の原理を応用している。片持梁は両岸に支えとなる刎木(はねぎ)を埋め込んだり、大石で押さえたりして固定し、突き出した先端を支えとしてこの上に梁を渡すというものである。単純桁では渡せない渓谷でも、両岸から片持梁を突出させ、真中に別の桁を載せると、橋脚がなくても両岸を結ぶ橋桁を渡すことができる。

片持梁を使った突桁橋は東洋で古くから利用され、チベットのワンジポールには、1620年に架けられた支間34メートルの橋が20世紀初めまで300年近く存在していたという記録がある。日本では山梨県にある「猿橋」が突桁橋で、推古天皇の時代に百済の渡来人が架橋したと伝えられている。

カンチレバー構造を応用した初の近代建築は、1887年にドイツのマイン河に架けた鉄橋で、設計者はハインリッヒ・ゲルバー。日本ではこの技師の名に因んでゲルバー梁と呼ばれる単純梁と片持梁の組合せによって、同じ太さの桁で支間を20~30%長くすることが可能になった。

渡邉嘉一だけではない両国の「懸け橋」
スコットランド人と日本人の技術交流

かつて近代化を急ぐ明治日本の志士たちは、科学技術を学ぶために西洋に渡り、
その多くがスコットランドへと向かった。一方、スコットランドからも技術者たちが、
「お雇い外国人」として招かれて日本に赴いた。科学技術立国となった今日の日本の礎は、
この明治時代のスコットランドと日本の交流によって築かれたのである。
フォース鉄道橋の建設に携わった渡邊嘉一のように、技術交流を通じてスコットランドと
日本の懸け橋となった技術者たちを紹介する。

山尾 庸三日本近代工学の祖
山尾 庸三 やまお・ようぞう
(1837〜1917年)

長州藩士だった山尾は、1863年(文久3年)に伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助とともに英国に密航。グラスゴーの造船所で働きながら、アンダーソン・カレッジ(現在のストラスクライド大学)で工学を学ぶ。1868年に帰国し、工学卿や法制局の初代長官などに就いた。1871年に東京大学工学部の前身となる工学寮を創設、これが1877年に工部大学校となり、渡邊嘉一を始めとする日本の礎を築き上げる技術者たちを輩出した。さらに日本工学会の初代会長として亡くなるまで工学教育に携わったほか、盲唖者の教育に尽力し、1880年に楽善会訓盲院を設立している。映画「長州ファイブ」では、俳優の松田龍平が山尾を演じている。

ヘンリー・ダイアー工部大学校の初代教頭
ヘンリー・ダイアー
(1848〜1918年)

ノース・ラナークシャー州ボズウェル生まれで労働者階級出身のダイアーは、鉄工所で働きながらアンダーソン・カレッジの夜学に通った後、奨学金を得てグラスゴー大学に進み工学を学んだ。近代工学の父と称される恩師ランキン教授の推薦で、24歳の若さで工学寮の初代都検(教頭)として来日、これを迎えた工部省の山尾庸三はアンダーソン・カレッジの同窓であった。1873~1882年まで(1877年に工部大学校に改称)同校の都検を務め、日本の工学教育の確立と発展に貢献した。帰国後はアンダーソン・カレッジを工業大学として発展させることに尽力したほか、日本を「東洋の英国」と位置づけ、日英関係に貢献した。

志田 林三郎電気工学の先駆者
志田 林三郎 しだ・りんざぶろう
(1855〜92年)

佐賀藩出身の志田は、1872年(明治5年)に工学寮に入学、工部大学校1期生としてウィリアム・エアトンの下で電気工学の勉強研究に励んだ。1879年に電信科を首席で卒業して日本初の工学士に。翌1880年にグラスゴー大学に留学して物理学と数学を学んだ。1883年に帰国すると日本人で初めて工部大学校の自然哲学教授になる一方、工部省電信局で電気工学の普及・発展のために尽力。イタリアの無線研究家マルコーニが世界で初めて開発に成功する9年前に、導電式無線通信実験を行うなど電気工学の将来性を的確に予測していた。1888年には日本人初の工学博士となったが、1892年に36歳の若さで亡くなった。

リチャード・ブラントン日本の灯台の建設者
リチャード・ブラントン
(1841〜1901年)

アバディーンシャー州出身のブラントンは鉄道技師として働いていたが、英国商務省から依頼されたスティーヴンソン社に任じられて、灯台技師として1868年(明治元年)にお雇い外国人の第1号として来日した。工学技術に熟練したブラントンだが、灯台建設の経験がなかったため、スコットランドの灯台の建設・保守管理を担っていたスティーヴンソン兄弟の指導の下で、灯台技師として必要なすべての技術と業務を短期間にて実地で体得した。1876年に帰国するまでの7年半の間に26基の灯台を設計・建設したほか、日本初の電信を架設、横浜居留地に舗装道路を整備するなどしている。

田中館 愛橘 日本物理学の父
田中館 愛橘 たなかだて・あいきつ
(1856〜1952年)

南部藩出身の田中館は、藩校で学んだ後に慶応義塾、東京開成学校を経て、東京大学理学部に入学した。1882年(明治15年)に物理学科を一期生として卒業すると準助教授に、翌年には助教授に任ぜられる。1888年にグラスゴー大学に留学し、英国随一の物理学者ケルビン卿の邸宅に下宿して研究を続けた。1891年に帰国すると帝国大学教授に任ぜられ、同年に起きた濃尾地震の研究を始めとする地球物理学の基礎を築き、「地震学の父」と呼ばれた。さらに東大航空研究所を設立して日本の航空技術を発展させたほか、1885年には日本式ローマ字を考案している。1952年(昭和27年)に95歳で亡くなるまで、明治・大正・昭和を通して日本の物理学者の育成に尽力した。

ウィリアム・バートン博学多才な技術者
ウィリアム・バートン
(1856〜99年)

エディンバラ出身のバートンは工業専門学校で学び、製鉄所の水力・機械技師として見習い修業した後、ロンドンで水道技師として働いていた。土木工学の経験を買われて1887年に衛生工学教授として帝国大学工学部に招かれたバートンは、日本と台湾の上水道整備に携わった。1890年に完成した日本初の高層建築である、「浅草十二階」の通称で知られる「凌雲閣」の設計も手掛けている。さらにバートンは写真術にも造詣が深く、英国で刊行された、写真術に関する著作は長年再版を重ねた。鉱山学教授のジョン・ミルンとともに日本写真会の設立にも貢献し、日本の写真を数多く撮っている。ちなみにシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルは少年時代からの親友で、その作品における日本についての記述には、バートンからの情報が反映されている。

意外なつながり 
グラスゴー大学と東京大学工学部

富国強兵を目指す明治日本は、産業革命の発祥地である大英帝国に才英たちを送り込んだ。
彼らが留学先に選んだのは、オックスフォード、ケンブリッジ、ロンドンの大学ではなく、
グラスゴー大学であった。なぜこのスコットランドの大学が選ばれたのか。
山尾庸三によって創設され、渡邊嘉一を始めとする優れた技術者を輩出した工部大学校
── 近代日本を築き上げてきた現在の東京大学工学部は、
グラスゴー大学の伝統を受け継いでいるのである。

グラスゴー大学

グラスゴー大学
1451年に神学の大学として創立。英国内にある大学としては4番目に古い歴史を誇る。これまでに6名のノーベル賞受賞者を輩出してきた名門校として知られ、とりわけ工学などいわゆる実学の分野に秀でた人材を数多く送り出し、英国の産業革命の原動力となった。

東京大学工学部

東京大学工学部
1871年に当時の工部省の工学寮として設立。その後、工部大学校、帝国大学工科大学と名称を変えて現在に至る。特に工部大学校時代には、フォース鉄道橋の建設に携わった渡邊嘉一に代表される卒業生たちが、日本の近代化を担った。

グラスゴーへ向かった長州藩士

スコットランドと日本とのつながりは、幕末時代にさかのぼる。1863年(文久3年)、後に「長州ファイブ」として描かれる若き長州藩士5人が、海軍強化のための洋行計画を立てて密出国。彼らは、徳川幕府を倒そうとする薩摩・長州藩を支援していたジャーディン・マセソン商会の周旋で、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジのアレクサンダー・ウィリアムソン教授の指導を受けた。そこから山尾庸三は1人でスコットランドのグラスゴーへと向かい、造船所の職工として働くかたわら、アンダーソン・カレッジの夜学で学んだ。夜学で山尾と同窓だったヘンリー・ダイアーはグラスゴー大学に進み、のちに来日して山尾の創設した工学寮の初代都検(教頭)を務めている。

産業革命を支えた実学教育

ジェームズ・ワット19世紀のスコットランドは、教育制度において、イングランドをはるかに凌駕していた。イングランドにオックスフォードとケンブリッジの2大学しかない時代、スコットランドには既に1413年創立のセント・アンドリューズを始め、グラスゴー、アバディーン、エディンバラの4大学があった。1860年代において、高等教育を受ける人口がイングランドでは1300人に1人のところ、スコットランドでは140人に1人と、10倍近かった。特に1451年創立の名門グラスゴー大学は、学生の5人に1人が労働者階級出身で、貧しい農家の息子が大学教授になるなど、社会的流動性の低いイングランドでは考えられないような立身出世があった。またスコットランドでは実学教育が重んじられていたために、経済学者のアダム・スミスや技術者のジェームズ・ワットを輩出したグラスゴー大学は、まさに産業革命の原動力となっていたのである。

近代化を目指す日本の手本に

明治維新によって封建制が崩れ、殖産興業による近代化を急ぐ日本が、社会的流動性が高く実学教育を重んじるスコットランドの教育制度を取り入れ、高等教育機関の創設でグラスゴー大学を手本としたのは正解だった。グラスゴーで学んだ山尾の体験を原案とし、ダイアーの構想した教育課程を受け入れ、技術者養成を目指す工学寮が開校されたのである。ジャーディン・マセソン商会のヒュー・マセソンの従兄でグラスゴー大学の初代工学部教授であったルイス・ゴードンの助言もあり、スコットランドからは多くの技術者たちが、「お雇い外国人」として日本人の指導にやって来ている。

工部大学校の卒業生の多くが、グラスゴー大学を始めとするスコットランドに留学し、1914年に第一次大戦が勃発するまで、グラスゴーのダイアー邸ではいつも日本人が歓待されていた。日本人の技術者、科学者が多く集まるグラスゴーには、1890年から1941年まで名誉日本領事がいたほどである。

夏目漱石の意外な足跡

夏目漱石スコットランドと日本のつながりの深さを示すエピソードがもう一つある。福沢諭吉の三男・福沢三八は1900年に慶應義塾大学を中退し、グラスゴー大学に留学した。その福沢三八が入学試験で、語学科目として独・仏語ではなく、日本語の受験を希望。すると、大学評議会はアンダーソン・カレッジ理事のヘンリー・ダイアーに意見を求め、日本語を入試選択科目として認めたのである。試験官を依頼された在ロンドン日本総領事は留学中だった夏目漱石を推薦、漱石はグラスゴー大学「教授」として試験委員を務めた。漱石には4ギニーが支払われている。

 
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